紙の本
「読書術」のひとつとして。
2001/03/31 18:11
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投稿者:you - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルの「読書術」に惹かれて本書を読んだ。
「バカのための年齢、性別古今東西小説ガイド」は、これから該当する本を読もうとする人たちにとっては参考になるだろうし、おもしろいと思う。
ただ私自身、読了後に感じるのは、本書の多くの部分が、著者の意見としての文芸批評や批判にあてられており、期待とは違うものだった。
実際のページ数にしたら少ないかも知れないが、著者の強い意見が感じられた。
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何かを学びたい、という知的好奇心はあるんだけれども、買ってくる思想書は前書きとあとがきしか読まない(読めない)人のための勉強法指南。小谷野が提案するのは「事実」の集積である歴史を学ぶことにより教養を深めていこう、という方法。歴史小説、歴史漫画をとっかかりとして、歴史的な知識を蓄積し、教養を深めていけばいい。思想と違って歴史的事実に関しては「はやりすたり」がないから、学んでソンは絶対ない、と小谷野。思想や文学に接するのはその後でもよいということなのだろう。
小谷野が歴史の学習を勧める背景には、次のような問題意識がある(と思う)。八十年代のニュー・アカデミズムの流行は相対主義を知の領域に蔓延させた。ニュー・アカデミズムというとフランスの現代思想を核とした学問のスタイルのことだけれども、フランスの現代思想がやって来たことというのは、乱暴な言い方かもしれないが「絶対的真理」とか「客観的事実」という概念の破壊だった。こうした概念の是非を問うことは確かに意味のあることだが、俗世間ではこうした「高尚」な問題について考えてみないままそのスタイルだけが受け入れられてしまい、「ほんとうのこと」をまじめな顔して議論することを恥じる風潮や、歴史に対する無関心を生み出す一因となった。でも、知的な議論というは、たとえそれがカッコ付であっても事実を基盤をせざるをえない。例えば、太平洋戦争について議論する場合、皇国史観であれ、左翼の史観であれ、色が付いていてもひとまず手にとって読まなければ議論さえ成立しないのだ。つまり、小谷野が促しているのは、どんな方法であれまず土俵に上がること、知の現場に足を踏み入れることと言っていいと思う。
ところで小谷野はこうした文脈とは別に「知的な」書物は、「明晰に」、つまり判り易く書かれるべきであると書いている。こう書くと実に当たり前なことなのだが、近現代の知の領域では必ずしもそうでないんだな。デリダやドゥルーズ、ラカンの書くものはきわめて難解で、非論理的な書かれ方をしており、小谷野自身も「解らなかった」と言う。この本にはこうした思想家に対する批判もある。小谷野の批判する文体とはどのようなものなのか。去年読んだ本から面白い例を紹介しよう。
「肛門・男根…は価値を奪われた換喩的隣接性の中で機能し、男根状の糞塊という概念は隠喩的代置の領域の中で機能する」(『サイエンス・ウォーズ』 金森修 東京大学出版会 2000)
これは『サイエンス・ウォーズ』(大変面白い本なのでそのうち内容を紹介します)にある現代フランス思想の文体のパロディの一例なのだが、一体何を言おうとしているか理解できるでしょうか?
「肛門とペニスはすぐ隣りにあるのに形は似ていないが、肛門から出てくる大便はペニスと形が似ているときがある」
…アホらしくなってくるが、思想の領域では実際にこういう文体がまかり通っている。
小谷野はこうした明晰でない文体、論理を厳しく批判する。こうした発言からも『バカのための…』における小谷野自身の学問観は保守的、あるいは古くさいと批判されうるものかもしれない。だが、僕自��は小谷野の議論はまっとうなものだと思うし、「面白さ」のみを追求するきらびやかでおしゃれな「思想の戯れ」は無内容と紙一重だとさえ僕は思う。 インテリの文体という事に関して付け足し。易しいことを難しく書くことなら誰でも出来るが、難しいことを易しく書くのはインテリの義務だぜ、と僕は思うのだ。だから、上のような文体で書かれた文章がいくらすぐれた内容を持っていたとしても、批判されなければならない、とも思う。だが、わけのわからん文章を書く人にはその人なりの理由はあるらしい。最近こんな文を読んだ。
なにしろ、文化が「文化財」「文化価値」として商品化され、市場で安易に消費されていく時代、そうした文化のあり方を批判する「文化批判」そのものでさえ、簡単に商品化されかねない。それを拒否しようとするアドルノや、彼の属するフランクフルト学派の人たちの批判の文体は、いやでも安易な理解をはねつける難渋なものにならざるをえない。めったに使われない言葉を選び、文法を無視し、わざと読みにくく分かりにくく書くという戦略がとられる。(『哲学以外』 木田 元 みすず書房 1997)
アドルノはデリダやラカンとは全く別の思想的文脈に属するドイツの思想家だが、この人の書く文章もきわめて難解で翻訳がちぃともでない。上の引用はアドルノの文章のわからなさを説明してくれているが、本当にアドルノがこう思っていたのだったら、アドルノ間違ってるよなあ… 消費社会と戦うためにはそんな方法しかなかったんかい、と僕は思ってしまいました。
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ナナメ読み。本に対するコメントがいちいち面白いのはいいんだけど、「これからは統計学!」とか言ってんのがなんとも胡散臭い。『読んではいけない』のも、なんで読んではいけないのか、ある程度読書量をこなさないとそれすら分からないという罠。それも勉強のひとつだとおもうんですがね。
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難解な哲学書を読んでもわからなくて、でもただのベストセラー小説を読むだけの人生には不満な人、というターゲティングにばっちりはまった。tips的な読書術は頷けるもの多し。ブックガイドとして使えるかは、おすすめをもう何冊か読んで、嗜好の合致度を判断してから。
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学問をする上で必要になる難解書の読み方や入門書の探し方などが書かれている。あらゆる分野の入門書を提示してくれているのはありがたい。たぶん読まないけど。
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歴史から手をつけることの有意性はわかる。しかし、歴史は物語であるという知識を私は捨てきれない。正しさの問題にもかかわる。
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呉智英にも影響受けたらしき著者による読書論。文章が長い。比喩や余談が無作為に混入される。論点が不明瞭。内容平易なのに、読みづらい。見下す論調や、引用を権威主義的に扱う文章には首肯しかねるが、いくつか読んでみたい本を見つけたので良しとする。しかし著者は、文章表現や構成までは呉智英の影響を受けてなさそうだ。
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読みたい本と読まなきゃいけない本の膨大さを前にして萎縮、というのはあらゆる学問の初学者が経験する、一種の通過儀礼だと思うのだけれど、「媚びぬ、退かぬ、省みぬ」の小谷野敦の(省みはするか)、辛辣の極みにある文体で「ドゥルーズやアドルノを読んでもなんだかわからないけれど、読まなければいけないような気がする、と思っているなら、読まないことをお勧めする」「読まないでいい本を決める」などと啓蒙されれば、曙光に等しい救いを得られるように思う。一般的ないわゆる必読書や読書術に代わって小谷野が提示する方法論がすべて正しい、というわけでは決してなく。
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勉強法とかのハウツー本ではなくて、どっちかというとブックガイド的な本。バカといっても少なくともガチで大学受験した程度の教養はないと、全く役に立たない上に何言ってるか分からないはず。
まぁ小谷野ファン向けの一冊ですかね。
100円。
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この本はとても、共感できる本だと思いました。そうなんだとかとても納得させられる本でした。とても楽しかったです。命の大切さやバカはバカなりに、どうするか?など、感動あり、笑いありでした。題名の通り読書術。よくわかりました。この本は、ほんとにお勧めですとてもとても楽しかったです。ぜひみなさんにも読んでもらいたいと思いました。たくさんのことが分かる本です。
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ちょっとオタクっぽい文章で、軽いタッチなのだが、なかなか言いことを言っている部分も多く、一気に読んだ。事実をねじまげず、事実にたって意見を言う。事実と意見を取り違えてはいけない。作者の言葉ではなく、紹介として掲載されていた渡部昇一のまずは書いてみると読まなければいけない本が見えてくるというのはなるほどと思った。なお、ここで紹介されている本にはも少し挑戦してみようと思う。
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あまり書棚に並べておきたくないタイトルですが、あえて挑発的な題名にした意味を知りたくなり、(バカな私向きの読書法を教えてくれるんでしたら!)と、読んでみました。
大きな出方をしているだけあって、著者の読書範囲は幅広く、批評精神にあふれています。
知らなかったことも結構ありました。
例えばユング心理学は、アカデミズムの世界では心理学としては認められておらず、オカルト扱いだとか、フロイトの学説も、仮説のみで検証がなされていないため、科学的か疑わしいなど。
文学畑だったので、彼らの説には普通になじんできましたが、科学畑からはまだ完全に評価された領域ではないと知りました。
ギリシャ神話でペルセウスに救われるアンドロメダは、エチオピアの王女で、黒人ではないかと言われている話なども。
概して伝説上の登場人物は、実際の国とは無関係に思えてしまうものですね。
舌鋒鋭い、作家泣かせの書評がずらりと並んでいますが、きちんと敬意を払っている本もあります。
デュルケーム『自殺論』などは手放しの礼賛で、統計的資料のもとに明快に論じられたものを著者はお好みのようです。
太宰の『走れメロス』をさんざんにけなし、漱石の『こころ』や鷗外の『舞姫』は文章が難解だとバッサリ斬りながら、私の専門、ラディゲの『ドルジェル伯』については、恋愛心理が複雑で高校生にはわからないと評しているため、著者を嫌いにはなれませんでした(笑)。
ここのところ、作家によるお勧め本や書評本を読んできましたが、やはり文芸批評家の切り口は前者とは異なるものでした。
自分が物語を書かない立場だと、産みの苦しみや、同業者との関係などとは関係なく、ザクザクと、好きなように斬っていけますが、表現法など細かいディテールに関する言及は、やはり作家の書評に及ばないものがあります。
「買ってはいけない」ならぬ、「読んではいけない本」コーナーがあって、笑ってしまいました。
フリーダムすぎやしませんか?(笑)向かうところ敵なしですね。
その中には、いくつか、私が好きな本もありました。
でも確かに、著者の指摘はズバリ的確で、納得がいきます。
最後に、読者の性別、年齢別のお勧め本リスト、という、ソフトなコーナーもありました。
今までハードボイルドに論を進めて来たのに、ここで突然おバカになってしまったのでは?と思いましたが、著者からは「バカ者、これこそバカ向けの情報なんだ」と言われそうです。
一冊一冊へのコメントは、概して短いため、熟読するよりは、ざっと一読して、彼の批評傾向を抑えるのが良いかと思います。
ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』についてのコメントは、「世界的記号学者が小説を書いた、それだけ。」と、あまりにもそっけないものでした。
前々から難解だとは聞いていたので、彼のアドバイス通り、読むのはやめることにしました。
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[ 内容 ]
現在、「知」は混迷状態に陥っている。
インテリたちはかつてないほど熱心に西洋の新理論の輸入に血道をあげ、難解な言葉と言い回しに身をやつしている。
その一方で、有名大学の学生がフランス革命の存在を知らなかったりする。
では、この両極の中間に位置する人は、何をどう読めばよいのか。
学校は出たけれどもっと勉強したい人、抽象的な議論がどうも苦手だという人。
そういう「バカ」たちのために、本書はひたすら「事実」に就くことを指針とし、インチキ現代思想やオカルト学問、一時の流行に惑わされず、本を読み勉強するための羅針盤となるべき一冊である。
本邦初「読んではいけない」リスト付き。
[ 目次 ]
第1章 「難解本」とのつきあい方
第2章 私の「知的生活の方法」
第3章 入門書の探し方
第4章 書評を信用しないこと
第5章 歴史をどう学ぶか
第6章 「文学」は無理に勉強しなくていい
終章 「意見」によって「事実」を捩じ曲げてはならない
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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何回もおんなじ本ばっか出てくるからちょっとしつこいやんけーと言いたくなった。ばかにすすめてるから口すっぱく言うてるのか。フランス哲学とかめっちゃ意味不明やねんという著者の主張には思わず首猛烈に縦振りしてしまった・・・。なんだかなあ私
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歴史の本を読むことのススメ
タイトルにひるむかも知れない。
だが、お互いに幾分か(あるいは大分)バカであると思うぐらいが正常かもしれない。
あえて難しい本を読んで理解できず恥じることはない。
著者は、まず「歴史の本」を読みなさいと勧めている。
世界史、日本史の概略がわかればいい、「司馬遼太郎だろうが大河ドラマだろうがマンガだろうが、
何を使ってもいいから歴史の大筋は知ってもらいたい」。
最近の若者は「今、ここ」にしか関心を持たないと言われている。
そのような今だからこそ、歴史書を読むべき。
「歴史以外に未来をチェックする道具ってないもんね」(内田樹)だから。