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誰もが現状に満足せず、不満を持って生きている群像劇。
自由に空を飛べるかもめを夢見ながら、あるいはそうであるはずなのに、撃ち落されて地面に落ちてしまうかもめ。理想と現実のギャップを埋められない。
2年後、そんなかもめたちは飛ぶことができるようになったのか? 飛ぶことができたのは誰なのか? それを決めるのは周囲の評価でもないし、客観的な現状でもない。ただ自分が自分を生き方を評価するのみなのだ。不幸せに見える人間が幸せであり、幸せに見える人間が不幸せであるのだ。
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喜劇だと思っていたが悲劇だった。
なんか自分のことで精一杯な感じ
かもめ?ニーナになにか起こるかと思っていた。
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チェーホフ四大戯曲。
女優の母を持つ戯曲家を目指す息子と、かもめのように自由になりたい女優志望の彼女。伯父、作家、管理人の一家、医師、教師などと過ごすひと夏の別荘地生活は
劇的なことも起こらなく誰が主人公など分かりづらい日常劇。1896年(明治29年)初演では喜劇と勘違いされ大コケに失意のチェーホフは講演後ペテルブルクの深夜を彷徨い肺炎に。2年後モスクワ芸術座創設演目で新しい演出により大成功となり名声を獲得。この作品から内面を重視する演技と演出家を必要とする新しい演劇の時代になったらしい。
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劇としての評価の変遷があったよう。
舞台上での出来事ではなく物語を紡ぐという行為への賛否と理解。
単純に読んで楽しい、面白いという価値ではない作品だった。
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登場人物がみな生き生きとしている。そしてそれぞれの物語がある。
ニーナに注目すると悲劇にも喜劇にも読めて不思議な味わい。
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私はかもめ
トレープレフが撃ち落としたかもめ、トレープレフ自身は、「やがてぼくもこんなふうに自分を撃ち殺すんだ」と言い、ニーナは「このかもめだってそう、何か意味がありそうだけれど、ごめんなさい、私には分からない……。私、単純すぎて、あなたのことが理解できない」と言う。トリゴーリンが着想を得た、「ある湖の岸に、あなたのような若い娘が子供のころから暮らしている。かもめのように湖が好きで、仕合わせで、かもめのように自由だった。ところが、そこにたまたま男がやってきて、彼女を見そめ、退屈まぎれにその娘を破滅させる。このかもめのように」という話はそのままニーナの現実となり、トリゴーリンはこのかもめを剥製にするよう依頼しながらそのことすらすっかり忘れている。それはトリゴーリンがニーナを破滅させておきながらニーナのことを忘れ果てていることと重なるし、ニーナはトレープレフを理解しないまま、自分を愛してくれるトレープレフではなくトリゴーリンを愛し続け、トレープレフは自分の言ったように自分を撃ち殺す。ニーナもトレープレフもかもめ。
作家として成功するトレープレフもトリゴーリンも、女優であるニーナも、自分がやりたいことの夢を追いながら、その職業にある自分や自分の才能に自信が持てないまま。マーシャはトレープレフを愛しながら愛される夢を諦め、自分を愛してくれるメドベジェンコと妥協して結婚する。夢を追う者にも夢を諦めて現実に生きる者にも絶望は存在する。自信があるようなアルカージナも、息子トレープレフを理解できず、息子は自殺する。アルカージナの兄ソーリンは長生きがしたいと繰り返し言うが、周りは60歳を過ぎて生にこだわる彼を半ば軽蔑し、その病気の治療もなおざりにしているように見える。
思うようにならない生への絶望感と、それでも生きようとする者と、すれ違う愛と、暗い現実が暗く描かれていて好き。
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戯曲である。津村の読み直し世界文学の1冊。こうした脚本を読むよりも演劇を見た方がいいが、古いので上演されなくなったのかもしれない。野田秀樹の早口ですすんでいく現代劇よりもこうした古典劇を何回も上演した方がいいのではないか。
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研ナオコさんの唄う「かもめはかもめ」(中島みゆきさん作詞作曲)は、このチェーホフの戯曲が何処かにあって生まれたのだろうか。
唄を知っていたせいか、読んだ感想に歌のイメージが被る。ドールンが感じるトレープレフの作品の印象と、かもめと、ニーナの背景に、日本海のようなブルーグレーの印象が残る。ウルフの「波」に似た、ひんやりした、透明な、美しき侘しさ。
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話しとしては、登場人物たちの報われない恋愛模様がもどかしいですね。誰もが満たされない鬱屈した悩みを抱えている。チェーホフは、これは喜劇だと言っていたらしいですが、この恋愛模様が巧みに描かれていることが、話し的には悲劇なのに喜劇的要素を与えています。登場人物は、自己中な人たちばかりだし…ただ、タイトルの『かもめ』の女性の強さには関心しました。まるで悲劇と言われる行動を起こす男性と対称的な、前向きなところがとても印象的でした。
ところで、この演劇、第二幕の後半がいいですね。チェーホフの作家論が、登場人物である作家のセリフを借りて語られているところ。ただし、チェーホフは自分を卑下しすぎてる気はしましたけどね。