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彼女以上の情熱を持ち、実戦を続け、構造的な理論を持っていた国語教師はそれまでにいなかったし、きっとこれからも現れないだろう。
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教えることに関わる人以外にも、示唆に富んだ内容であるように読めた。人との関わりの中で生活する限り、誰にでも「何かを伝える」ということは要求される。この本は「何かを伝える」ということについて反省させてくれる。
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教育とは何か,教師とはなんたるか。
はま先生のような実践ができるようになりたいと思った。
教えない教師にならないよう,使命感を持って教職に就きたい。
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たまには「教育」についてのお勉強なぞ。
この本で「大村はま」という人物に出会えてよかったです。
私の一番敬愛する先生に似ていたし
なによりそれを女性が戦後間もない時期にやったことを尊敬します。
かつて生徒であった苅谷夏子さんの視線で大村先生の授業が描かれていたのも印象深いです。
今の学校教育が甘っちょろいと感じている人には是非読んでほしいです。
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筆者が国語嫌いだった理由とあたしが国語嫌いな理由が同じだった。国語ってなんか新しいことを学んだ進歩が感じられないのね。でも、この筆者は大村はま先生の授業受けて国語の印象がかわったらしい。あたしもそういう授業に出会いたかった。自覚的な学習者(自分のやるべき課題に気づく、自分を育てる方法をとる)は大村先生の基本的な姿勢がつくったものだとか。それから、『明日もまた教室に立って』と思えるような魅力を、自分の仕事の中に作り出すこと。』ってのが印象的だった。にしても、今の教師は、教えることが仕事ってことを忘れがちなのかもしれない。部活動に熱心になったり、授業準備を怠ったりなど。
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国語教師として50年以上実践的指導に携わった大村はま。
その大村はまと、教え子の苅谷夏子の対談を中心に、大村の国語指導のあり方について読みやすい形でまとめてある本。
学校教育という形では、他の教師がまねをして実践することがなかなか困難な方法論だと思うが、家庭教師の枠組みの中で、取り入れられるべきところはいくつもあるのではないだろうか。
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なんとなく惹かれて買った本。
「大村はま」という素敵な人と出会えた一冊。
教育とは、教えるとは何なのか。
ヒントがたくさん詰まっていました。
こんな先生がいたらなぁと思います。
そのときの子供にあった教材、授業。
子供を知ること。
徹底しています。
ブレない彼女の信念を垣間見ることができました。
とっても勉強になった本です。
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「教えることの復権」という難しいタイトルだが、中身は対談になっていてしかも難しい言葉は何一つ使われていないのでとても読みやすい。しかし、本の内容が本当にすばらしい。ゆとり教育について様々騒がれているがこれほど問題点を明確にあげている本はなかなかないだろう。教師を目指す人は絶対に読まなければいけない本だ。
これはすごい本に出会ってしまったかもしれない…
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担任に貸して頂いた一冊。
私も大村氏の授業を受けてみたかった。
どんなに充実した授業だったろうか。
うらやましい、と思ってしまった。
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教師の私ができることは
「自分で考え、意見を言い、話し合いのできる」
人間が育つ手助けをすること。
それが民主的な社会に貢献すること。
と、この本で思いをまた新たにしました。
(本書166pより)
決して授業をそのままコピーするわけではないし、
といって一般化・抽象化した分析を学術的に示すのではなくて、
両者をつなぐような中間物を作る。
ことに成功している本です。
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21/7/7 95
掲示板は一日で剥がす>ともかく一度と言うことはいいことだと思うわ。そういうふうにして教室にはピリッとしたところが何処かにないと
なんとなく分かるをはっきりと分かるに
常に二つを比べる>カードの振り分け作業>「ことば」の使われ方を分ける
地道な作業の積み重ねが一番大事
教師のもっともいい姿は、新鮮だということと謙虚だ度言うことですよ。
人と比較してみていれば、子供は必ずそれが分かる。伝わってしまいます。そして子供はそういう目で見られることが大嫌いなものです。
書くことも同じですよ。上手も下手もない。役に立つかどうかでもない。自分の心を文字と言うものを使ってそのまま伝わるものにする。書くというのはそういう技術だということ。
自分の思っていることがそのまま相手に伝わる力を持っていないような人が集まって話し合いをしても、民主国家にはならないじゃないか。
一生懸命やりました、という熱気だけに流されない部分を持っていたから、大村教室はバランスが良かった。
生徒に静かにしなさいって言わなければならないようなら、教師として敗北宣言をしたようなものだ。
読書の手引きは子供の心の内側の声になって書くんですよ。
子供を知るというのはとにかく大変なことですよ。教育の仕事で最大のものではないかしら。その力を持たずにいろいろなことをやっても、上手くいかないというくらい。
『教えすぎる」ことと「教えるべきことをちゃんと教えること」との境目が曖昧になってしまった。
覚えるのは何とか覚えるとしても、忘れてはいけないことを忘れないように教えるのが教師。
使命感を単なる精神論にしないための教えることのリアリズムである。
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大村はま先生のご冥福を、つつしんでお祈り申し上げます。
この本は何回も読みました。
EBMの勉強会をしながら、ポジティブフィードバックだとか、批判のサンドイッチだとかいろんな方法にトライしていたときにこの本を紹介されたのです。
自分は、目先の教育技術だけをみていて、なぜそうすることが必要なのか、をすっかり忘れていました。
大村先生が、生徒一人一人に合った本を選んで渡してあげたという逸話を読んで、僕はしばらくフリーズして身動きも出来なかったのを覚えています。
教育者でなくても、読むべしです。
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小学生のとき、いざ、自由にやりなさいと言われて、何から手をつけていいかさっぱりわからず、それまで自分で考えることをしないでただ先生の好みそうなものを形だけ整えて提出していただけだったことに気づいて、愕然としたのを覚えている。自分がいかに空っぽな人間であるか思い知らされ、その後も長々と苦悩した。
でもそれは一概に、私個人の能力だけの問題ではなかったのかもしれない。教わっていないのだから、やり方がわからなくてもよかったのだ。この本を読んで少し救われた。
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なぜ教えるのか?
この解答を対談形式で第4章までまとめられている。
私の履歴書・絵本などの例は思わずなるほどなと思った。
そして、教えることは社会的使命である。
じゃあそれを使命と感じながら教えていくには、、
私自身の言葉でいうと。
「わくわくしながらやる」
ということかなと思う。
子どもたちはどう反応するのかな?
わくわくしながら事前準備する。
何事においてもそうだが、
楽しくなければ何も続かない。
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[ 内容 ]
今、日本の教育界では、子どもの自主性を大切にしようと、「教える」ことよりも「学ぶ」ことに重点を置きはじめたように見える。
これまでの「詰め込み」への反動であろう。
だが一方で、教師の役割を軽視しすぎてはいないだろうか?
本書では、教師が「教えるということ」をもう一度正面から見つめ直し、今もっとも必要なことは何かということを、すぐれた教師とその教え子、教育社会学者の間で徹底的に考える。
[ 目次 ]
序章 「大村はま国語教室」への扉
第1章 言葉・文化を学ぶことの価値観
第2章 大村はま国語教室の実践(生徒の目から見た単元学習の実際 単元学習の本質とは)
第3章 教えるということ
第4章 中学校の教室から大学の教室へ
第5章 教えることの復権をめざして(徹底したリアリズム 教えない教師たち ほか)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]