ハードボイルドで行こう
2007/09/20 09:09
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わたなべ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ネオリベラリズム」と言われる現代社会の政治的・経済的なあり方の問題点を、さまざまな現代思想、哲学、社会学、精神分析学などの理論を通して検討し、ラカン派の精神分析理論をベースにした社会学的分析でその解決への道筋を提示しようとする本。近代社会の「再帰性」(英社会学者ギデンズが提唱した概念で、「活動条件についての情報を、その活動が何の活動であるかをつねに検討し直し、評価し直すための手段として活用すること」と定義される)が発達することで、みずからの行為の起源を問うことなく反復される「伝統」が解体され、人間が他者とともにあり創造性を発揮するために必須の「恒常性」(著者によれば、「幼児期の他者の全能のイメージを保存しながらも、その担保のもとで現実認識を可能にさせる機能である」と言う。現象学派心理学の「自明性」にも似ている)が失われようとしている、という立場に立って、それで何が起こっているのか、何がまずいのか、を細かく分析した本である。もっとも解決方法として提示されるのが「文化の必要性」であって、具体的な方策はまったく語られないので、最後まで読んで、うそーんといった気持ちにもなる。しかし、問題そのものについてはとても包括的かつ丁寧に書かれていて、ちょっとした現代思想辞典といった観がある。また、普通の新書だったらもっと読者に対して誘惑的と言うか物語的な「読ませる」工夫が為されるのが慣例だと思うのだが、そういうサービス(?)が一切なく、朴訥と言うか剛直と言うかなストレートであっさりした記述はちょっと笑ってしまう。これはたぶん「使える」本で、それだけに単に読んで面白いという本ではない。微妙だが、いや、こういう硬派な感じはいいんじゃないかと思う。あとがきであの樫村晴香が小説を執筆中であると書いてあって吃驚。うーん。。まあ、楽しみだということにしておこうか。
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「再帰化」や「恒常性」や「不安定化」
など、ラカン派精神分析から見た現代社会がテーマだが、
如何せんラカンの難解な精神分析学を基盤として、それを前提で書いているので、
よくわからない部分が多々あった。新書なので、もう少し丁寧に時間をかけて書いてほしかったけど、
結構早足で書いている感じが伝わってきた。やっぱり自分の理解力不足なんだろうけど。
もっと知識を付けてから再読したい一冊。
とくにネオリベについて書かれているか、も疑問でした。
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これは良著。700円以上の価値があると思う。
文体が硬く論文風で読みにくいのが難点。
プレカリアートを主題にネオリベラリズム下の人の生活、
精神病理の傾向を説明している反ネオリベ派の著書。
精神論にはラカンを、プレカリアートには日本のオタク、
ワーキングプアを東浩行・宮台真司を取り上げている。
とにかく参考文献が多くて、現代社会学の詰め合わせ。
再起性と恒常性により人間の成長過程を説明する点は
ネオリベ下の人の傾向を理解する上でとてもよかった。
恒常性が形成しづらい社会にあることはとても納得。
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最近読んだ2つの文章で高く評価されていた本。新宿の紀伊国屋書店(高島屋の隣)で探しても見つからないので,店内の検索機で探すとなんと光文社新書の一冊。これだったら近所の本屋でも見つかったかも。この手のタイトルはきちんと手にとって内容を確認しないと買わないが,新書くらいならと新刊で購入。他に読んでいた本もあったが,とりあえず読み始める。
最近,地理学者のハーヴェイもネオリベラリズムに関する本を書いているが,正直なところ私にはそれがなんだかよく分からない。まあ,大枠は分かるのだが細かいところが。先に読んだ毛利嘉孝『ストリートの思想』がなにやらこの時代をなんでも「ネオリベラリズム」という大きな力で説明してしまうのが気に入らなかったのだ。本書は,それをもう少し丁寧に解きほぐしてくれるのではないかと期待した。
確かに目次を見るだけでも,ボードリヤール,ヴィリリオ,ドゥルーズ,ブルデューといったフランス系を中心に,ネグリとハートの〈帝国〉論,ギデンズ,リッツァの「マクドナルド化」,バウマン,などなど日本語になっている現代思想系の名前が出てくる一方で,どうやら著者はフランス思想に精通しているらしく,日本語になっていないフランス人研究者の名前もよく出てくる。本書の特徴は,著者が精神分析理論に通じていて,こうした現代社会批評的な議論を精神分析の観点から読み解くというところにあるようだ。
しかし,やはり購入する前にもう少し目次を吟味するべきだった。後半に入ると,いかにも現代社会を問題的に捉えたがるワードが次々と出てきます。自己啓発セミナー,スピリチュアリズム,オタク,ひきこもり,若者のコミュニケーションなど。結論からいうと,私の苦手なタイプの本。辛うじて,読み終える前に我慢がならないほどではなく,一応は読み終えました。
前半はけっこうよかったんです。私が読まず嫌いな最近の論考を手際よく紹介し、単なる紹介というより関連付けながら議論を進めるという感じ。しかし、それがだんだん気に障るようになる。だれだれがこういう概念を使って説明していることは、他のだれだれが違う概念を使って説明していることと一致する。みたいなことが次々と出てきて、じゃあみんな同じこと言っているんかよ!と突っ込みたくなってくる。また、一応著者は精神分析を基軸にしている社会学者ということで、中ほどにはフロイトからラカン、そしてじじぇくに至る議論のエッセンスを分かりやすく説明している箇所もあり、少し面白い。しかし、そこを過ぎると今度はオタクだの、ニューエイジ宗教だのが登場し、それらをこれまでの枠組みで解釈していく。しまいには「若者のコミュニケーション」という言葉で議論が展開したりする。「若者」っていったい誰なんだ。若者は全て携帯メールによる画一的なコミュニケーションしか行わないのか。という素朴な疑問でイライラしてくる。結局、重厚な社会理論たちで武装しても、そうしたメディアが報じるような社会の表層のみを勝手に解釈して、それを批判すれば社会が良くなるみたいな幻想を読者は抱くのだろうか。本書のなかには、最近の新書の類の売れ行きについてもネオリベラリズムの帰結としての知の形骸化みたいな論があるが、自分自身の本はどうなんだよ、と突っ込みたくなる。で、結局本書では「ネオリベラリズム」なるものが、最近のさまざまな社会問題を生み出す大きな力としてとらえられているだけで、なぜ、ネオリベラリズムからそうしたさまざまな現象が生じるのかについては、自明とされている。そもそも、じゃあかつてのリベラリズムに対して何が「ネオ」なのか、私の素朴な問いには何一つ回答をくれない。
まあ、書きたい不満はまだたくさんあるが、ともかく久し振りに怒りの読書でした。
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[ 内容 ]
市場至上主義、雇用の流動化、社会保障の縮小、ワーキングプア、格差、貧困、自己責任社会―。
グローバル化経済のもと、多くの人々の生活が不安定化(プレカリテ)していくなかで、どのように個人のアイデンティティを保ち、社会を維持していけばいいのか?
自分探し、心理学、お笑い、オタク文化、メディア・スピリチュアリズム、リアリティ・ショーの隆盛はいったい何を意味するのか?
ラカン派社会学の立場から、現代社会、あるいは現代の人々がぶつかっている難問を記述し、処方箋の一端を示す。
[ 目次 ]
第1章 プレカリテとは何か?
第2章 再帰性のもつ問題
第3章 なぜ恒常性が必要なのか?
第4章 共同性を維持する現代の社会現象
第5章 電子メディアと解離的人格システム
第6章 文化の役割
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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http://lib.s.kaiyodai.ac.jp/opac/opac_details.cgi?amode=11&bibid=TB10075747