20世紀における文学界の巨匠による文学講義録です!
2020/05/14 10:07
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、帝政ロシアで生まれ、ヨーロッパとアメリカで活動した作家であり、詩人であるウラジミール・ナボコフ氏による文学講義録です。彼は、少女に対する性愛を描いた小説『ロリータ』で世界的に有名になった小説家でもあり、たくさんの作品を愛読していることでも知られます。同書では、彼の得意とする文学について、図解を多用しながら、緻密に読み解いていきます。河出文庫からは上下2巻シリーズで刊行されており、同巻はその下巻にあたります。同書では、ロバート・ルイス・スティーヴンソン「ジキル博士とハイド氏の不思議な事件」、マルセル・プルースト『スワンの家のほうへ』、フランツ・カフカ「変身」、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』の4篇が収録されています。
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『変身』を初めて読んだときの衝撃を思い出した。若い頃、好きだったなぁ……。
逆に『ユリシーズ』は、流石に若いとついて行くのが精一杯というか、辛うじてざせつせずに読み終えただけだったので、今ならまた違った感想になるだろう。買ってこようかな、『ユリシーズ』……。
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スティーヴンソン ジキル博士とハイド氏の不思議な事件 9-60(52ページ)
プルーストのスワンの家のほうへ 61-138(78ページ)
カフカの変身 139-202(64ページ)
ジョイスのユリシーズ 203-375(173ページ)
文学芸術と常識 376-
だからなんだ、という声も聞こえてきますが小心者なので耳栓をして、進めます。
後半のナボコフ先生、ようこそ!
各作品にあてられた先生の熱意?講義内容?をいろんな角度から考えられないかとなんとはなしに思って、各講義をページ割りしてみました。ジキル博士とハイド氏や、変身のような比較的短編?中編?ともいえる話にでもこれだけ時間を割いているのだなぁなんて思ったり。そう考えると読書経済的に(?)ナボコフ先生、かなりジキル&ハイドを気に入っていることが分かりませんか?
もちろんこんな定量的計測は意味がない!という人もいるでしょう。ふむふむおっしゃるとおり。
じゃ、内容をちょっと、みてみましょうかね。よいしょっと。(おばあさん?)
あのね、まずジキル&ハイドの入れ込みようが尋常じゃない1つの証拠として、最初の絵をナボコフ先生、わざわざ描き直してるんですよね、どうも自ら。
<引用>
ポケット版の「あの奇怪な、唾棄すべき、実になんともひどい、けしからぬ、不潔な、下卑た、青年を堕落させる表紙(ジャケット)というより拘束服(ストレートジャケット)に覆いをかけてしまうといい」
<引用終わり>
手描きで表紙まで描きますかね?もう、このへんがかわいくて仕方ないです。むかし男性とか目上の人に「かわいい」というのは上から目線でシツレイだ、と言われた事がありましたが・・でも、もう、カワイイとしかいいようがないでしょう、この集中の仕方?執着の仕方?子供がお気に入りのノートにきらきらシール貼るのとなんら変わりない。夢中になると人は皆、子供に返るのかもしれないですね(笑)
さらにはジキル博士がハイド氏に変容する様子、それが、私も忘れていたのですが物語中ではなくて物語が終わった後、2通の手紙の中にのみ、記載されるんですね。それが「それだけなおさらに衝撃的なのである」(44ページ)とナボコフ先生は述べるのですが、ここから残りの17ページは、もう、小説以上のものすごい勢いと共に、ナボコフ先生大熱弁です。多分講義だったとしたら、教卓を離れて黒板の前をうろうろしながら、時に声を荒げたり問いかけたりしていたんだろうな~。あー見たかった~~
しかもこの講義の章のラストは、作者のスティーヴンソンの最後と小説の奇妙なつながりを示唆して締めくくられるのですよ。実においしい。本当に素晴らしい。
でも詳細には触れません。ネタばれになるし絶対に、読んでください。へへへ。(意地悪)
あーもー、いいなぁ、ナボコフ先生。大好き。
あたしがこの講義を聞く学生だったらきっと、このセカイに引きずり込まれて帰って来れないだろうな。
そうしてそうして、小心者のくせにへんに大胆なあたしは、講義終了時に走って先生のと���ろに行って、握手とか求めて怒られちゃう、そんな気がします。
ブラボー、ナボコフ先生。
あなたの講義はこんなところで、こんな言語で感激されていますよ。
さぁ、あなたもどうぞ。
追伸。ユリシーズなんてもう、ド直球勝負も嬉しい。プルーストの失われた時を求めてと比肩しうる20世紀の傑作二大小説!とか、「特にダブリンの街の描写が克明で、「もしダブリンが滅んでもこの本があれば再現できる」とまで当時言われた」などの逸話を聞くたびに興味はあったけど読めていない作品。
誰しもが思ったと思うけどあたしも声を大にして言いたい。「誰か、日本の古典でこれ、プリーズ!」あたしが細かい描写といって思い出すのは新保裕一の「奪取」なんだけど、なんとか日本の古典作品でここまでのねちっこさで分析しちゃくれまいか。
・・・しかしたとえジョイスでも日本の街を緻密に再現しようとしたら、目を回すかも。消費社会バンザイ。原宿の店の回転は半端ない笑
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ナボコフが大学で行った講義のメモを、編集者がまとめたもの。どうやら残されたノートはかなり断片的であるらしく、この本を読んでいても、小説についての「まとめ」の批評が無いままに終わる章が多く、アレ?という気にさせられる。ナボコフはきっとアドリブで、講義の最後を華麗にまとめたのだろう。
取り上げられた「世界文学」のうち、オースティンの『マンスフィールド荘園』だけは読んだことがない。他は読んだとは言ってもかなり昔のことで、再読もほとんどしていない。ナボコフは再読を「良い読者」の条件の一つに挙げているので、私はぜんぜん、良い読者ではない。
芸術としての小説という観点にナボコフは厳しく絞り込むので、いわゆる「思想」を中心にしたような作品は退ける。だからドストエフスキーは嫌いらしい。ドストエフスキーは思想というより各人物の意識の異様な粘着と互いの確執にその面白さがあるのだと、私は思うのだが・・・。
どうやらナボコフはとりわけ、ディケンズとフローベールを賞賛しているようだ。カフカについても、彼に比べればリルケもトーマス・マンも「小石か石膏の聖人像のようなもの」と形無しである。こういったあたりも、どうもナボコフの断言は偏ったところがある。
そのカフカ『変身』の読解だが、ザムザの家族、虫に変わったザムザを見捨てた父母と妹について、ナボコフは「俗物」として批判している。しかし、私の理解ではこの読み方はカフカにふさわしくない。カフカは明らかに、彼ら(ナボコフの言う俗人)の方を称揚しているのだ。だからこそ、明るい未来へと向かう妹の姿が、結末において燦然と輝くのだ。カフカは自己を無化し、他者たちの他者性の世界を、なんのわだかまりも屈折も卑下もなく、賞賛した。このリアルで冷たく、一切の弁解を拒絶する「自己の死」こそがカフカ文学の本質なのではないか。ナボコフはそこに至らなかったのではないだろうか。
ジョイスの『ユリシーズ』については、全部の章を順に取り上げ、細かく解説を加えている。いつか『ユリシーズ』を再読することがあったら、参考になるかもしれない。
全般に、ナボコフの文学観は、意味内容(思想や教訓)ではなく作品の構造や文体に絞り込まれているという点で、構造主義や脱構築を思わせる面もある。しかし決定的に違うのは、やはりその読解には「味」の比重が極めて大きくなっているということだ。つまり知が最優先ではないということ。
ナボコフの好みはちょっと偏っているようにも思えるが、毅然として「好み」を貫き通すというのは、小説家ナボコフにとっては当然のことだったのだろう。
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とにかく「精読」、引用ばっか、でも…ーー
引用が非常に多い。自説の主張が乏しい。
結局は何が言いたいのか?そればかり気になっていたが、気づいた。
「読み込む事によって、小説の醍醐味をとことん感じろ!」ってことだ。
引用の分量に比べ圧倒的に少ないが、
ナボコフの鋭い(時に鋭すぎる!)指摘がそこここに散りばめられていて、盲を開かれることが沢山。
その表現が典雅で詩的な表現で書かれていて、読んでいてふくよかな気持ちをもたらしてくれる。
・・・とてもじゃないが本書のレビューなんか書けんわw どだい無理なはなしw
・・・結局、世界文学の"超"名作を(断片的ながらも)感受させてくれたことには、いくら感謝しても足りない。
敬愛しまくるプルーストの「失われて〜」に関しては読んでいた頃(10年前)の感動を蘇らせてくれた。
そして憧れながらいまだ読んでいない(そしてこれからも読むことはないだろう)「ユリシーズ」に関しても、その魅力や叙述の圧倒的力を(断片的ながら)疑似体験させてもらった。
「ユリシーズ」の結末の引用で、思わず知らず泣きそうになった!あまりに良すぎて、つまり感動して!!
この感動をもたらしてくれただけでも、この一冊は忘れがたいものになった。
本棚に大切に収納します。
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一度目に読んだときはあまり感銘を受けなかったが、『変身』を読んだ後、本書を読み直してみるとかなり面白い。細部を読むとはこういうことなのだろう。図解も、自分が読むときには取り入れていきたい
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カフカのところだけ。
「変身」について場面ごとにひとつひとつ解説していて、この評論を読めばあらすじどころかストーリーを完全に追えちゃうという細かさ。
最後にグレゴールが死に、家族が晴れ晴れしているシーンを取り上げて、「虫になったグレゴールの心は人間のままだったが、周りの人間の心は虫けら同然だった」と切り捨てる。...これは確かにプロットとしてはすっきりするが、本当にそうだろうかと少し疑問が残った。この対比は「断食芸人」のなかの芸人と豹の対比を思い起こさせる。つまり醜い死に損ないが死ぬことで、それに代わって若く美しい生命が躍動するというイメージだ。ここで豹であるところの若く美しい妹の心が虫けらだったとはちょっと思いづらい。最終的には勘違いからグレゴールを忌み嫌うようになってしまったものの、それまでは唯一献身的に世話をしてくれたのがこの妹なのだから。
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あまりおもしろくない本だが、作品を読み解く参考にはなる。なんかそれちがうだろうなどと思いながら読ませるところが講義っぽい。ナボコフは大学教授で、小説は読んだからどうしたというものではないけど、読まないとそれはそれで情緒的に損をすると主張。