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経営者のせいなのか…、時代の流れに逆らえなかっただけか…。読んだ人が考えることだと思うが。
ここでは比較的上層のうまく転職できました的な人が多く描かれているが、末端は相当悲惨な現実があったと思う。
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そもそも、松下電器からスピンアウトして出来たSANYOの数奇な運命を追う一 冊。
技術者の矜持を守り抜く事こそ、メーカー の経営に課せられた最大の使命と知る。
奇しくもテスラモーターズとパナソニックの協業が報じられている今日、韓国にキーマンが流れた可能性が高いとされる電池事業をはじめ、ハイアールを生まれ変わらせ た白物事業、主婦の味方として技術者がゴパンで見せた意地など、SANYOマンのその後を追う後半もさることながら、前半、出資銀行の思惑により松下に出戻った あとのSANYO解体劇はあまりにも切ない。
大企業病から脱する事、イノベーティブである事、そんな課題に取組む素地にすべきと感じました。
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うーんシビアな話だ。
しかし、日本はもう、工業の輸出国ではなくなり、輸入国になったという、事実。
ソニーは、アップルにボロ負けし、シャープもSANYOのようにツブれそう。
日本の人口も減少し、あちこちの都市は消滅し、日本の市場は縮小し、日本そのもののサイズが小さくなってゆくという事実。
日本そのものがツブれるのか。
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三洋電機が消滅する前後を書いた話。
色んな社員へのインタビューもあります。
成功話しばかりじゃなく、こういった話は読んだほうが良いっすね。ためになる。
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<主な気づき>
◆日本では事業家(経営者・創業家)が「資本家」になりきれないケースが多い
◆中国勢(ハイアール等)を格下にみてしまう日本人のおごり、うぬぼれ
◆野中氏の壮大なるビジョン(「シンクガイア」)
~ちまちまカネ勘定する経営者よりはマシ
◆「大将に恥をかかすわけにはいかぬ」(井植社長への思い)
◆会社の寿命より個人(社員)の一生の方が長い時代
→元SANYO社員はハイアール、西松屋、アイリスオーヤマ、校長等の多方面で活躍
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タイトルに惹かれて買いました。
日本のメーカーの残念さがそのまま書かれていたかなと。
技術だけ持っててもダメ。
明日は我が身。
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2000年以降、本当にいろんなことがあったと改めて思う。
渦中にいる間は分からないけれど、時間が経って振り返ると、歴史に残るほどの過渡期であり、また、変化はまだ続いていることを痛感する。
電気業界は、研究対象として追跡調査するには格好の対象だろう。第三者からすれば、行く末がどうなるか、楽しみかもしれない。
一方、当事者からすれば、これはもう、生き残るかどうかの死活問題だ。
会社は一人ひとりの従業員で成り立っている。本書では、その一人ひとりの人生がクローズアップされていて、会社の構造改革の裏にはさまざまな人生が隠れていることを考えさせられた。
挫折を味わった人、これから味わう人、まだまだ多数おられる気がする。
一人ひとりが築き上げる人生が、この過渡期の後に迎える世界を創り上げるものだと確信する。
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「会社ではなく技術に殉ずるのが第一級の技術者だ。」
サンヨー崩壊についてと、そこで働いていた社員のその後が書かれている。
パナソニックによる電機業界再編の一環として、サンヨーは解体された。そこには、サンヨーの慢性的な経営力不足と融資する銀行の思惑が存在していた。
サンヨーがパナソニックに買収された後、多くの従業員が会社を去った。そして、各分野で活躍している。しかし、本書にも書いてあったが、サンヨーで働いていた時よりも、今の現状に楽観的な姿勢で臨んでいるのは、少数であろう。
そういった一部の元従業員が新しい事業や分野に挑戦しているのは、胸があつくなる。会社がつぶれても、自分で道を切り開いていく人を目指したい。
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とても面白く読んだ。
・こういうことは多分これからもたくさん起こる。
・何がうまい乗り切り方かはわからない。
・一言で言えば人間万事塞翁が馬だけど
・原子爆弾の誕生にもあった、こういう場合に助かるためには天才である必要はなく、1日だけ早く行動することだ、というのも当てはまる?
・技術者でない人の方が辛たったのかなあ
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ダウンサイジングの行く末。うちも3兆切るみたいで、すごい実感。1人1人の現在地は正解なのか分からんけど、経験や信念があれば生きていける(ないと生きていけない)ってことなのかなあ。
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2011年上場廃止になった三洋電機。会社は消えても人生は終わらない。三洋がパナソニックに買収され、消滅に至るまでと、会社を失った元三洋電機社員の再生の物語。できまへんではなく、にっこり笑ってちょっと考えさせて下さいと言って、立ち向かうそんな人々のストーリー。メモ。(1)彼らの再生はかつての強さを取り戻す復活ではない。しかし、厳しい現実と折り合いをつけながら、彼等は新しい人生を掴み取った。そのしなやかさ、したたかさこそがこれからの日本に求められる一番大切な資質だと思う。
(2)皆で団結して、1つの方向にわーっと走る。そういう勢いみたいな部分は三洋電機の方が上でした。しかし、緻密さ、真剣さ、詰めに欠けていた。居心地はいいんですけどね。
(3)うちは常にお客さんの不満に耳を傾ける。ここが不便や、こんなもんがあったらええのに。そういう声を丹念に拾い集めて製品として形にするんです。これは面白い仕事でっせ。うちより大きい会社は立派な技術があって、立派な組織があるけど、お客さんを見ていませんわ。ごっつい広告費を掛けて強引にヒット商品を作るんですな。でも中にいる人間は歯車になっとる。あれで本当に楽しいんかな、と思いますね。
(4)親父を何とか支えようと頑張る息子達。それが敏時代の三洋電機の姿だった。…社員に愛され、社員の馬力を引き出したという意味では立派な経営者である。
(5)人減らしというのは麻薬です。纏まった人数を減らすというのは固定費が軽くなって、一時的に業績が回復した様に見えるんです。でも付加価値を生む人材を切り捨てて、ダメだと分かっていても手を出してしまう。だから、人員削減は会社を蝕む麻薬なんです。
(6)西松屋では自分が作った商品が直ぐ店頭に並びます。だから失敗すると、直ぐに分かるんです。そうすると、何で売れへんのかなあと考える。なんぼ偉そうな理屈を捏ねても結果が直ぐに出ますからね。とにかくお客様と近いんですよ。
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[読んだ理由]==================
今の勤務先も消えそうな感じなので、先行事例の予習として。
[読んだ後の感想]==============
奔放な歴代の経営者のもとに、なぜ多くの個性的でパワフルな社員が集まっていたのか。
それは給与や会社の安定性ではなく、仕事の自由度と、会社と経営者に対する愛着なのか、と思った。
仕事の自由度はともかく、愛着はなかなか意図して高めることは難しそうだし、
三洋という存在は、色々と偶然の産物だったのかなぁ、という気もする。
[内容纏め]====================
[メモ]========================
■はじめに
■第一章:再会
「所有と経営の分離」の問題。欧米では株主が企業を所有し、株主から付託されたプロの経営者が経営をする。しかし起業家が資本家になりにくい日本では、起業家とその末裔である創業家が資産と権力を守るために、いつまでも経営者でいようとする。
一大で大きなビジネスを立ち上げた初代と、二代目、三代目の力量に差があるのはしかたがないことだが、それでも無理やり、創業家を社長に据えると、多くの場合は悲劇的な結末を迎える。脇の甘い二代目、三代目は、銀行から見ればカッコウの『お客さん』である。会社の株を担保にとった上で、あの手この手で融資を増やし、失敗したら株を取り上げ、会社から追い出せば良い。
三洋電機を追われ、何もかも失った敏は、ホリエモンと同じように『小さなイチ』を自分に足そうとしているのだ・二兆円企業の三洋電機を、世界10万人の社員を思うがままに操ってきた創業家社長にとって、腰掛けタップダンスや玉ねぎはあまりに小さな『イチ』である。だが、それを積み上げることが今の彼にとっては大切なことなのだ。
■第二章:決断
経産省の基本的な考え方は「チャンピオン+1」である。独力で世界と戦える日本のチャンピオン企業を1つ残し、その他の企業を1社に集約する。集約した会社は弱者連合だから、政府系ファンドに依る出資や政策投資銀行の融資で国が側面支援するのだ。
半導体のチャンピオン企業はNAND型フラッシュメモリで韓国サムスン電子と互角に渡り合う東芝だ。残りのNEC、日立、三菱電機は「エルピーダメモリ」と「ルネサスエレクトロニクス」に集約された。液晶パネルのチャンピオンはシャープであり、ソニー、東芝、日立の小型液晶事業は『ジャパン・ディスプレ』に集約された。個々にも産業革新機構が出資している。
中村は『破壊と創造』の旗を掲げ、肥大化し、グローバル化についていけなくなっていた松下電器を生まれ変わらせようとした。
もし三洋電機と松下電工を取り込んでいなかったら、現社長の津賀一宏が掲げる『車載事業』と『住宅関連議場』の二本柱は成り立たなかった。
能間のようにトップレベルの技術者には、彼らにしか見えないビジョンがある。底に向かって突き進むのがトップ技術者の本能である。その本能が満たされていれば、報酬のたかにかかわらず彼らは充足感を得ることができる。反面、そこにストレスを感じた時、彼らはやりたいことが出来る環境を求めて転職��ることがある。
能間が三洋電機で手がけていた車載電池は角型で、パナソニックは円筒形だ。
能間は角型で行きたかっただろう。しかし経営陣が『円筒形でいけ』といえば、総力を上げて円筒形に突っ込むのがパナソニックという会社である。パナソニックがテスラに対する円筒形リチウムイオン電池の大量供給を決めた阿智民具で能間が会社を辞めたのは偶然ではない可能性がある。
東南アジアなど海外にも歳男のファンは多い。ベトナムやタイでサンヨーブランドが強いのも、としおが尊敬されているからです。
■第三章:抵抗
「SONY cannnot save the earth, But we can(ソニーに地球は救えない。でも三洋電機にはできる)」
京セラ・三洋電機の資本提携は霧消したが、その後の三洋電機の姿を見て、稲盛はあの時、もう一歩踏み込まなかったことを悔いたのかもしれない。2007年末、三洋電機から『携帯電話事業を買ってくれないか』と打診が有った時、京セラの執行部は逡巡したが、稲盛は『すぐに買え』と命じて三洋電機を助けた。稲盛は敏との約束を、遅ればせながら果たそうとしたのではないだろうか。
■第四章:一歩
「一般的に、日本の人は何故会社を変わりたがらないのですか」
「組織に対する忠誠心のようなものがあるのだと思います」
「中国人より日本人の方が、余程共産主義的ですね」
「私は自分の妻が喜ぶものを作りたい。夜遅く家に帰って、自分が設計したエアコンを付けて涼しそうに寝ている子どもの姿を見るとうれしくなる。ソーラーはやっぱり身近ではないんですね。」
「ハイアールの中で厳しい競争が有りますから。私が技術指導で中国に行くと、呼ばれてない人たちまで集まってきます。皆必至です。ハイアールの経営陣が我々に求めているのは、ひと目で違いの分かる画期的な技術でしょう。「できません」と言ったら、また捨てられる。技術者は絶対にとまっちゃいけない。洗濯機で言えば、シャツの襟汚れをカンペキに落として切る前の状態に戻す。それが理想です。我々は三洋電機の文化を持って、ハイアールに来ました。負けるわけには行きません』
「自分で言うのもなんですが、三洋電機というのは代物の中で決して強いブランドではなかった。いつもパナさんや日立産よりは下に見られ、お客さんには『何だ三洋か』と言われていました。ところが、アクアに変わった途端『元三洋なら安心』でしょ。これってなんなんでしょうね』
■第五章:覚醒
docomoに従った日本メーカーは、docomoの海外戦略が失敗したため、海外でほぼ全滅となり、生き残ったのはdocomoに相手にされなかった三洋電機、京セラ、ソニーだった。
三洋電機の部門別採算は、開発にかかる材料費や人件費の『値段』を自分ではない他の誰かが決めていた。アメーバがないので、売上から経費を引いて黒字が出たのか赤字になったのかという結果もよくわからなかった。つまり部門別採算性という形はあっても、それをやりぬく意思と、結果に対する責任感がなかった。
■第六章:意地
「よく業界で、三洋電機は『一発屋』と言われるんです。後が続かんと。そのとおりなんやけど、ウチは常にお客さ��の不満に耳を傾ける。個々が不便や、こんなもんがあったらエエのに、そういう声を丹念に拾い集めて、製品として形にするんです。これはおもろい仕事でっせ。ウチより大きい会社は立派ながい術があって、立派な組織が有るけど、お客さんを見てませんわ。ごっつい広告費を掛けて強引にヒット商品をつくるんですな。でも中で働く人間は歯車になっとる。あれでほんとに楽しいのかな、と思いますね」
■第七章:陥
■第八章:贖罪
松下電器から独立した歳男も、最初は全部、自分でやっていたはずだ。仕事が増え、組織ができて、役割分担が始まる。それは企業が成長していく家庭でやむを得ないことなのだが、大きなパイが無数のピースに細分化され、小さなピースに閉じ込められた人たちは自分の仕事の本来の意味すら見失っていく。目の前の仕事に没入し、無益な縄張り争いを始める社員の目線を未来に向け、大きな目標に向かって価値観を共有させるのが、経営者の仕事である。『シンク・ガイア」の傍を掲げたの中は、その仕事をしていた、と亀井は考える。
■第九章:自由
電池は今、韓国勢が垂直統合で世界市場をせっけんしている。日本企業が垂直と魚号で巻き返すのは難しいかもしれない。だから雨堤は水平分業でやり返そうと考えている。それが、雨堤がパナソニックを辞めた本当の理由だ。
■第十章:転生
「日本の電機産業の最強時代を課長、部長として支えた人たちですから」
■エピローグ
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元三洋電機の社員たちが強く生きていく姿に涙そそられた。日本のものづくりが通用しなくなる今この時代、わたしたちは今後どうすればいいのだろうかと疑問符が残った。あと元社長の憎めないキャラクターも好きだった。
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三洋電機の衰退とその後の社員を取材した1冊。弱った獲物を銀行、電機会社がハイエナのように食い散らかし、跡形もなく消えていく会社の末路を見た気がした。如何に技術があっても市場に評価される形にできなければ消えてしまうという事か。
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会社が消えても人生は終わらない。図らずも、ダウンサイジング時代の先兵となった企業戦士たちの物語。『三洋電機―井植敏の告白』の続編。
たとえ今の職場がなくなっても、人生が終わるわけではない。では、どこに向かって次の一歩を踏み出すか。かつて三洋電機に在籍した人々のその後の歩みは、貴重な示唆に富んでいる。重苦しいテーマを扱いながら、本書が「希望の物語」となっているのは、そこに会社を失ったビジネスパーソンの明るくたくましい生き様が垣間見えるからだ。