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読了後真っ先に感じたことは、本書の捉え方は私学に勤務する者と公的機関で教育たずさわる者とでの読者の違いにより、印象がかなり異なるのではないかということだ。受験者層に選択してもらい続けなければ私学経営は成立しない。一私学として存在意義を説明するための「差別化戦略」は、教育の公平性とか平等といった語感とは逆である。この本で一貫して主張される「階層」に対する眼差しについてはとてもよく理解できるが、一方である意味著者の言う「階層」を頼りにしている私学関係者としては、どういう軸を持つべきか改めて考えさせられた。
今私が学んでいるコースは、教育社会学や比較教育社会学から専門分化したコースである。本書を通じて、現在の個人的な関心課題の源流を少し見ることができたように思う。ただ分析対象は広く社会全体であるので、事象を学術的に批判するまでに留まっている。個人的には研究結果を実務に活用できるまでの事務手順を作るところまでに興味があるので、これからも諸課題の理解に努めたい。
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2012 11/16読了。筑波大学図書館情報学図書館で借りた。
最近、少し以上に出身階層とその後の人生に関する興味が増してきていて、その関係で手にとって見た本。
苅谷先生の本なのでさすがにわかりやすい+実証的な話が多く、面白い。
しかしい今、苅谷先生は海外で研究していたのか・・・。
努力する能力に階層=親の学歴等が影響している、ってあたりの話は別の苅谷先生の本等で既知だったが、面白かったのは義務教育についての地方への財源以上が地域間の格差につながる、というあたり。
国による介入が強いことが義務教育については地域差がないとみなせるくらいに平等なものにしていた⇔それが崩れると・・・というあたりや、少子高齢化は教育の高齢化=人件費負担増でもあるので、子どもが減ってもコストは減らない、というあたりははじめて気付いた+面白かった。
兼子仁氏との対談は、噛み合っていないっぷりがすごくて笑えるが、笑ってもいられないな・・・。
地域格差、というのは図書館にも当然関わる話しであり、問題は提示されても回答は出さない苅谷剛彦先生の教育社会学的スタイルもあって、考えるところの多い本であった。
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前半は文章によるデータの開示が多すぎて読みにくい。データは表で示すにとどめ、その読み方の解説をもっと分かりやすくしてほしい。
また、兼子氏との対談は、お互いが相手と意見をキャッチボールして議論を深めようという意志が感じられず、まるで別々に講演会を開いているかのように長々と話し続けるのには閉口した。
ただ、最後の章は、対処法の具体的提案にまで及んでいるものは少ないものの、指摘される問題点はこれまで自分が漠然と感じていた疑問を分かりやすく言葉にしたもので、非常に興味深かった。
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通読すると”はじめに”や「解説」に書かれているような著者の主張は、ぼんやりとだが分かる。集められた論文には良く分かるものもあれば、何を言っているのかさっぱり分からないものもあった。
義務教育において、教育機会の均等は、そのスタート地点(学習能力、学習機会)は全員同じが前提条件であった。そしてこの前提条件について誰もが疑問を呈してこなかった。しかし、著者はこの前提条件に疑問を持ち、実証データを用いてそれを証明した。家庭環境(親が大卒か否か)や支給される教育機会(学校だけかプラス塾か)によって→はじめに、解説参照。
家庭環境により努力することを諦めてしまう。それが連鎖して階級を形成する。
自分の場合を考えると家庭環境的に裕福とは言えなかったが、周りに努力することを諦めてしまった人はいなかったように思う(もちろん見た目に死に物狂いで努力している人もいなかったが)。自分も努力をすれば良い学校、会社に行けると漠然と考えてはいたが、たいして努力もしなかったが、勉強がまったく分からないわけでもなかった。あの時代にも格差はあったが、生活範囲内の社会を見ればまだ全体的に貧しかったように思う。だから親も頑張ればと子に期待をかけられたのかもしれない(期待に添えたとは言えない今現在だが)。または両親がその当時終わりつつあった教養主義への信奉をまだ持っていたせいかもしれない。
参照書評:http://book.asahi.com/ebook/master/2013041800002.html
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学力階層間における、経済的、文化的要因。教育基本法改正の是非。
子供の学力レベルが、経済的及び文化的環境に左右されるというのは自明な話ではある。当然、家庭の環境によって子供の学力が制限され、ひいては将来の収入にも繋がってくるというのだから、対策が講じられるべきであるとは思うが、その一方で家庭内の状況に介入することは不可能であり、手詰まり感もある。
経済的格差が文化的格差の要因にもなっているのであるから、手を打つべき(そして手を打つことができる)のは、経済的な側面だけであろう。その他の分野に直接的な対策をとるのは難しいように感じられる。
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高知大学OPAC⇒ http://opac.iic.kochi-u.ac.jp/webopac/ctlsrh.do?isbn_issn=4022617349
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この本を手に取った理由は、
「学ぶことをあきらめようと思った」から。
ドンナになぞっても血肉にならない人が自分なんだと、気持ちを整理するため、手元に置いた。
何度繰り返しても覚えてないし、比べることもできないから理解もできない。そして先へ進めない。
復習しすぎて意味をうまく考えることができず、作業になる。そんな堂々めぐりの、発展性もないから、気持ちが折れる。
思考停止。
甘えといえばそうだけれど、「やろうやろう」というニート思考な愚図には、勉強という抽象的なものは、「最悪な落とし穴」だった。
自分のペースで生きるということが、「学ぶこと」によって破壊されている・・なんて、中学生の黒歴史みたいな考えがあと追いかけてくる気がするくらいにはグダグダしていたから。
いつだってこれからと思う、場違いな自分を少しでも正面から向き合いたい、壁になる本であってほしい。
そんな本。
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消化不良のまま読み終わった。統計資料については、素人の私は著者の分析を信じるしかない。そうは言ってもなあ、と思うことがなくもない。教員の年齢構成は分かった。人件費がかかるということ、今後大きな世代交代が起こるということも分かった。けれど、それでどうすればよいのかという著者の声は伝わってこない。教員の勤務実態もアンケートからある程度分かる。それで、サボる教員にはどう対応すればよいのか(今読んでいるゲーム理論の本にちょっと答えらしきものがある)、もともと著者は教員に対してあまいのではないか、などなど、著者がどういう意見を持っているのかがよく分からなかった。大学受験の仕組みにも問題はあるのだろう。履修と習得の違いも分かった。けれど、ではそれでどうしていくべきなのか。短絡的な答えを求めてはいけないのだろう。教育はそんな単純な原因と結果ではすまされない。そうは言っても、何か指針がほしい。どうも、こういった社会学系の調査報告では、著者自身の考えを読み取ることができずに、消化不良に終わることが多い。もっとも、森毅に(思想的に)育てられた私は、教員にそんな期待をしているわけでもないし、本書も単なる事実の羅列と割り切って読んでおけばよいのかもしれない。
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この本の逸脱な所は、統計調査から精緻な分析を行い、
そこから導きだされたファクトを世に知らしめたことです。
この本の前半から中盤部分では、統計分析から、日本は既に「階層化」していると喝破し、
「親の学歴は、子の学歴や学習へのやる気」に多大な影響を与えているとしています。
出版されて、だいぶ経ちますが、このファクトを知った時は、かなり衝撃的でした。
「何となく、そうだろう」と思っていたことが、はっきりと社会科学的に証明されたからです。
また、この著作の後半部分は、より衝撃的な指摘を行っています。
それは、「今後、日本社会は、【学習能力】が資本になる」ということです。
そして、その学習能力の資本が、社会のあり方と人間形成に深く関わるようになるとの指摘です。
つまり、学習資本主義社会の出現です。
学習能力とその成果で人的資本形成とが社会を形作る要となるということです。
10年以上も前に予言されたことが、今、まさしく現実になっています。
恐らく世界の先進国と呼ばれる国で、学習資本主義が出現し、学習資本の獲得が、
個人が、社会的経済的に上昇しうる(成功する)必要条件になっています。
つまり、今後ますます、学習資本を持たないものは、
社会で増々不利な立場になるということです。
この点から考えて、多くの日本人が置かれている状況は非常に厳しいと言わざるを得ません。
まず人口減少・少子化・超高齢化・生産年齢人口の減少(毎年1%減る)に始まる日本社会の構造的な問題と、
それに伴う移行期的混乱です。経済規模を維持するのも厳しい状況になっています。
労働者の数が、長期にわたって確実に減ることが予想され、また、消費者自体も減るので、
企業経営も、抜本的な変化が求められるようになりました。
これから増々、求められる仕事のレベルが高くなり、また過酷な競争社会になります。
今、必要なのは、そういう社会で求められる、学習能力です。
では、学習能力を日本人は身につけているのでしょうか?
答えは、、ますます身につけなくなっています。
それは、日本の大学生の学習時間が先進国とダントツに低いことにもはっきり表れています。
また、高校生を対象とした調査で、将来への希望のなさ、悲観さも、先進国でダントツに高い状況です。
質でも量でも、学習能力を持たない学生が、日本社会では、以前も今も、
(不謹慎な言い方ですが)量産され続けているのが、現状です。
学習能力の獲得は、かなり早い時期から準備をし、育て、発展させなくてはいけません。
しかし、現状、日本の教育では、学習能力を獲得するのは、極めて困難になっています。
1人でも多くの日本人が、学習能力を獲得し、学び続ける意欲を持って、この時代に対応できるように、
変化し続けなくてはいけません。
その意味でも、この著作は、「考えるきっかけ」を与えてくれる、
ランドマーク的著作となっています。
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ぼんやりと感じていた「教育格差」の背景にある
家庭環境についてデーターをきちんと集めて
実証してあります
少し古い本なのですが 現状はまったく変わってないなぁ
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2008年刊行の単行本を文庫化したもの。一般向けの読み物なんだろうが、何となく論文の寄せ集め的なテイスト。内田樹が解説を書いている。
1章 階層で学力が決まるのか、学力が階層を作るのか
階層で学力が決まりますよね、という結論。89年と01年それぞれに大阪の一部小中学校で行われたアンケート調査(もともと89年調査は同和問題へのアプローチ、01年はその後の時系列変化を調べることを狙っている)を、統計的に分析している。統計の詳しいところは分からんのだが、家庭的背景→学習への態度・意欲→学力というパスが示唆されているっぽい。しかもこの12年の間にその関係が強まっている。授業についていけない層をどう底上げするかこそが課題であろうと。
2章 義務教育の機会は平等に保たれているか
保たれなくなるんじゃないの、という懸念。2006年の安部内閣による「教育基本法」改正の論議。文科省は予算取り(教育振興基本計画)と抱き合わせで改正を飲まされたとの見立て。義務教育の地方分権が進むと、これまで左派が期待していたみたいな”民主化”に行くのではなくて、地方政治の影響が強まるだろう(いまの大阪ですな)。また、義務教育経費の財源委譲で、地方は「ヒモ付きなしの財源が増えた、子供は減って経費も減るだろうからラッキー」と思っているが、教員の高齢化があるし、児童数の減少にきれいに比例して経費は減らない(少人数化すると効率低下する)ので、しばらく逆に経費は増えますよ、と。その傾向は財政力の弱い地方において顕著なので、義務教育の地域間格差が広がると懸念。これまで中央集権的教育と批判されてきたが、ナショナルミニマムを保証していた点は、アメリカなんかと比べて評価すべき。
あと、徳育を押しつけるなとも。全くその通りと思う。
全体的な議論はまったく同感だが、先立つものがない中で(本当にないのかは脇に置く)教育だけを「聖域」化するような、また、地味な現状維持+ゆるやかな改善みたいな議論は、なかなか通りにくい、なにかもう少し説得力が出ないかとは思う(内田樹の仕事?)。
3章 これが教員勤務の実態だ
教員へのアンケート調査。教育改革には総じて批判的。忙しいようでもある(それは何となく判る気がする)。しかし、教員が批判的であるというだけで教育改革を否定するのも難しかろう。もちろん当事者に前向きになってもらうのは大事なことだが、どんな民間企業でもだいたい改革なんて中には評判が悪い。トップダウンとボトムアップのせめぎあいはごく普通の光景。しかし世論の批判とかある分、先生はつらいよな。外野が騒ぎすぎるとプラスになりにくいと思う。
4章 教育政策をめぐる論点、争点
どうにも噛み合わぬ昔気質の教育学者との対談+10年前の自著批評へのリプライ。
昔気質の教育学者と並べると苅谷氏の考えがよく分かる効用はある。
「社会的再帰性」byギデンズ
実証研究とは言っても規範的判断からは逃れられない。とはいえ実証研究を積み重ねるしかないだろうと。
5章 教育の綻びをどう修正したらよいか
ポスト学歴社会では、学習が人的資本への「投資」と位置づけられつ���ある。学習能力の有無が大きな差になる。個人の主体的な選択が尊重されるが、それがクセモノ。人的資本主義社会。2つの矛盾点を指摘
矛盾点1
義務教育のような初期学習では、学習は「個人の自立」とも切り離せない。個人の形成にまで「選択」原理を及ばせるのか。そこに格差を許容できるのか。
矛盾点2
学習能力(資源活用能力)からして個人差がある。そこに主体性礼賛を持ち込むと家庭環境を通じて格差が固定される。
話は転じて、日本の大学生の基礎学力不足について。欧州のような絶対評価のテスト(修得主義)が必要では。もともと大学進学者が限定的で受験戦争と呼ばれるような競争があった時代は、修得主義をとらずとも自ずと合格者の一定のレベルが保証された。しかし大学全入時代で修得主義の考えがないと偏差値が下の方はグダグダになる(今でも上位校は大丈夫だろう)。下の方の対策として修得主義が有効では。
これから10年は公立小中学校教員の大量退職時代。安易なアメとムチ政策と、教員の社会的地位低下で、優秀な人材が集まりにくくなっている(リーマン後はどうだろう?)。
最後は「自分探し」「自己実現」批判。そんなのは芸術家や知識人などの一部の人の話。階級フリーではない!現代日本の豊かさの副産物であろうが。自己実現アノミー。
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子供に平等な教育を与えるためにはどうすればよいかを語る本
前半の親の階層による格差のあたりは良いが、
中盤からの今までの教育は〜でというのはあまり面白かはなかった。
分量の割には主張は薄い。分析がメイン
丁寧に丁寧に言葉に言葉をつないで書かれているから読みにくい。
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階層を勉強したいならこの本!大学時代、"JPN Sociocaltural Stratification"っていう授業で使った!超面白い!英訳あり。