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この本は、同シリーズの別の本と比べ、あんまり街道をゆかない。むろん、モンゴルに道がないせいであるが(360度、草原なのだ)、そのためかどうか、歴史をあれこれ述べる割合が少ない気がする。その代わり、ホテルの床板がどうだとか、水を貰いたがった奥さんの話とか、そういう司馬さん自身の、ツーリスト話が多い。
そう考えると、道、街道というのは、多弁に歴史を物語るものなのかもしれぬ。多くの人が通る、交わる、諍う…とにかく、関わる所為だ。モンゴルにも、時間的には他の場所と同じ密度の歴史が存在するはずだが、関わる人数の少なさが、寡黙にさせているのだろうな。
星や草は、うらやましい限り也。
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当時は旧ソ連の2都市を経由しなければモンゴルに行けなかったんだ。モンゴル人の素朴でおおらかな性格が伝わってくる。ゴビ砂漠の雄大さと匂う草原、満天の星空。モンゴルに行ってみたくなってきた。『モンゴル人の目は写真機を必要としない。景色も人の顔も覚えてしまうのだ。決して忘れない』モンゴルの人々から学ぶことがたくさんありそうだ…
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外大のモンゴル語科をでた、司馬さんのモンゴル体験をすごかっただろう。今、相撲でモンゴル出身力士が活躍している事が、納得させられるお話でした。
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モンゴルについてよりも、かつて対峙したソ連にたいする司馬の想いのほうが興味深かった。
モンゴルの空の広さを体験して見たくなった。
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今年(2016年)、大学で同級だった友人が世界一周の旅に出た。友人が、モンゴル滞在中に、司馬さんの『街道をゆく』を読んでいるというので、久しぶりに読み返した。
司馬さんが訪問した当時の日本人にとって、モンゴルは、歴史教科書のチンギス・ハーンのくだりに出てくる国の名でしかなく、実在すると思われていないほどであった。
友人が馬乳酒を飲み、羊の群れに囲まれている光景は、司馬さんが訪れた頃と変わらないものなのだろうか。
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紀行文です。序盤はロシアなのでモンゴルモンゴルしたのを期待するとあんまりかも。窓が閉まりきらないホテルに突っ込まれても文句を言わない、でもさらっとコンシェルジュ使ってたり飛行機でタバコ吸ってたりするところが余裕ある司馬大先生の紀行文だなあ、という感じで好きです。
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やはり小説家だけあって話が面白い。田中克彦が出てきたのには驚いた。さらに、モンゴル語の辞書でモンゴル語を学習していたということは初耳であり、他の紀行には出てこなかったような気がする。
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1970年代のソ連やモンゴルの実態をここまでのレベルで記述した体験記は他に類を見ないのではないかと思う。
もはや完全に歴史の中に消えてしまった文化や風習を読むだけでも興味深いのに、司馬氏の知識と感性と文章を通して味わうことができるとはものすごく贅沢ですね。
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司馬遼太郎 「 街道をゆく モンゴル紀行 」新潟から 旧ソ連のハバロフスク、アムール川、イルクーツクを経て、モンゴルのウランバートル、ゴビ草原を巡る紀行
生えっぱなしの草により生きるモンゴルの遊牧者と 草地を田畑に変えて生きる中国の農耕者の生き方の違いが、中国文明を受け入れないモンゴルと 異民族を野蛮と蔑む中国の長年の争いになっていることが読みとれる
モンゴルは中国を嫌い、長年にわたる中国との関係を断つため、旧ソ連との関係を深め社会主義国化したが、旧ソ連は モンゴルの世界的英雄チンギスハンを侵略者として憎み、モンゴルではチンギスハンはタブーとされているという複雑な関係
草の匂いにモンゴルの自然の雄大さ、美しさを感じたエピソードは 小説的な感動を覚えた〜「よその国の草は匂わない〜うその草のようだ」
「極端な愛国主義と盲目的な民主主義を排する」というモンゴル憲法は今も存在するのだろうか。名言だと思う
「街道をゆく」シリーズは 著者のコミュニケーション能力の高さを随所に感じる。その国の歴史や文化の中に 日本人である自分を 受身的に置きながら、会話している感じ
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司馬遼太郎の作品に初めて触れる。文学作品に触れる機会はごく僅かであるが、読みやすいと思われる文体と内容だった。
わかるようでわかりづらい表現ながらも、モンゴルについての説明が随所に登場し、歴史を少しばかり理解することができる。独特の表現はこの当時の文豪ならではであろうし、この当時に受けたものなのかもしれない。
ロシアから向かう旅程で、ハバロフスク→イルクーツク→ウランバートル→そして南ゴビとなっていた。物語の盛り上がりは、実はウランバートルに着くまでの方が、本人も想定していない事態の連続に熱があったように思う。
彼の思考や感じたことが文章としてまとめているからこそ、さまざまで複雑な困難があるようになっているが、実態はどのような雰囲気だったのかは気になった。
登場人物も、どこか不思議な、どこかそれらしい人たちで、物語を盛り上げるに相応しいスパイスとなっていた。それくらい、日本人が珍しく、モンゴルに旅行に行こうという人がいなかったということでもあると感じる。
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満天の星空の空の下、ゴビに立つパオの中で眠る夜。
地球の自転の音だけが聞こえるようなこのゴビ草原で眠るのは、、
と書かれている。同じパオに泊まったとしても地球の自転の音など思いつかないだろうとと思う。全ページ流石な文章である。
そしてツェベックマさんが登場するシーン、その、機知に富みユーモアとシリアスとモンゴルへの愛を体現する女性、その方との会話やその方を描写するシーンが本作でも素晴らしい。ツェベックマさんのことを読みたくてこの本を選び読んでいる。
時々登場する司馬遼太郎氏の夫人もユーモアあり、本作の旅で同行されている画家の須田さんの存在感がゴビの砂漠やモンゴルの草原に劣らず悠大なのもまた面白い。
ラクダの顔のくだりなどは笑って腹が捩れる。ラクダの顔というより個体差を全て何頭でも覚えるということだが、少し違うけどチベット映画タルロの羊飼いの男を思い出した。
とにかく大陸の砂漠、草原、高原、地形だけではなく人の、歴々と繋がり紡がれてきた人の、力の雄大さよ。