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ツチケン先生の少しマジメな哲学の本です。
「幸せとは何か」。
今まで私はそのことを理解してると思い込み、当たり前のように「自分は幸せじゃない」と思っていました。
しかし、この本を読んで、思い込みによって左右されている部分がたくさんあることに気付きました。
この本には幸せになるための具体的な方法は書いていません。
しかし、少し思考を変えるだけで、とても心が軽くなったような気がします。
私たちを縛り付けてる考え違いのルールと今一度向き合ってみたいと思います。
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自分はなんて不幸なんだ・・・。と思い悩んでいる人向けの処方箋。
内容としては、モノには様々な視点があるんだよ、ということを、面白おかしく、そして時にはまじめに説明している。
ユーモアの部分と真面目な部分の緩急の付け方が見事で、笑いながら読んでいると気づかぬうちに真面目なお話になっていたりする。
自分の思考ががんじがらめになっているな、と感じる人にはおすすめ。
特に後半のユーモアについての話は秀逸。
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なぜこの装丁なのか?
いつもより少しおしゃれな鍋敷きで、
文体もどことなく違う雰囲気だけれど、
中身はいつもどおりでほっとしました。
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考え方をどうもって行くかで幸せにも不幸にもなれる。
思い込み、思い込まされていることで、不幸になってしまうことも多いんだな、と気づかされたな。
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面白すぎて続けて2回読んだ。きっとこの先この著者の本をむさぼる自分が想像つく。
不幸を軽減する方法は、当たり前のことを疑うこと。
1つの価値観を持つということは、それとは違う価値観を間違いだと考えること。自分とは違う価値観を排除すること。どんなものでも許容するなら、そういう人は、特定の価値観を持っているとは言えない。
価値観同士が食い違っているときに、一方から見て他方が間違っている場合、どっちが正しいかに決着をつけるのは不可能。しかしだからといって、相手を間違っているとして非難してはいけないということにはならない。実際に対立しているのだから尊重しあう必要はない。
人間は一面的になりやすい。ちょっとしたことでも過度に重要視しやすく、すぐに深刻になりやすい。これが不幸に拍車をかけているのは確かで、それを阻止するために非常に大切なのが、ユーモア。
ユーモアは笑ったり、笑わせることが目的ではない。生きていくうえで必要なもの。苦難、不幸に立ち向かう武器。何か一つのことに心が占領されて打ちひしがれることを防ぐ能力。
ユーモアのセンス=深刻になった時、そんなに深刻じゃないと思う能力。
ユーモア、笑いの本質=ものごとの重要性をはぎ取ること。
自分の価値がないことを素直に認めることはユーモア精神の基本条件。これが無い人だけが威張る。
深刻になるか笑うかは紙一重。どんなに一生懸命に打ち込んでいることでも、自分がやっていることは大したことではない、といつでも考えることができる姿勢になるため、ユーモアの訓練をしていく。
深刻な気持ちになったら、別の角度からものを見るのだ。
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この方のエッセイは超好きなんです。いつもは面白可笑しい内容なんですが、今回の本は趣が違ってちょっとした人生訓のような内容。意外と真面目な内容だったのでびっくりした(笑)。
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ユーモア、自分がつらいときにこそ。
それにはある側面をとらえるのではなく、いろんな面をとらえること。
自分の価値観をもつことは、他の価値観を攻撃すること。
しかし、批判できないということではない、妥協するなり折れるなりしろ
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人間は一面的になりやすい。それを防ぐために自分の不幸をそんなに重要じゃないととらえ直すことが重要と知った図書。なんの目的もないものこそ、一番価値があるのだ!読んでて気楽になる。
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そうか、ツチヤ先生はイギリスでユーモアを学んだ人なのだな、と思った。権力者を茶化す他罰的なジョークというより、自分が権力者である(かもしれない)ことを茶化す自虐的なユーモアが真骨頂なのだな、と。哲学的な「疑う」姿勢とそういうイギリス的なユーモアが結びつくと、言葉を言葉足らしめているシステムをも自己破壊的に抉る筆致として結実するのだろう。ぼくはツチヤ先生のユーモアは「すべっている」印象があって(いや、その「すべっている」が面白いのだけど)苦手なのだが、読んでいるとデーモン・アルバーンと対談させたくなってきた