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社会主義に打ち勝った資本主義は絶対正義ではなく、それは正しく終焉を迎えており、歴史の危機の真っただ中にあると分析。
膨大な資料から読み解かれた内容は説得力に満ちているが、新たな世界の構築の具体的提案が少ないのが残念。
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なぜ金利が下がるのか、なぜバブルが繰り返されるのか、なぜ格差社会が生まれるのか。
これらの問題は、現在の経済システムがグローバル資本主義となったために起こる、当然の帰結であると分析している。
自分は、経済については門外漢であり、著者の主張がどこまで正しいのかはわからない。
しかし、今さまざまな問題を引き起こしている資本主義を、その歴史から振り返って、本質的に矛盾を持つものであるとの批判は説得力があり共感が持てた。
特に、現代と同様に金利が極端に低い状態を、西欧の15~17世紀(長い16世紀)に見つけ、それが中世から近代への歴史の転換点にあったことを引合いにだし、現代も歴史の転換点にあるという指摘は、非常に刺激的だった。
ただし、当然のことながら、次に来る社会システムがどのようになるかの、具体的な言及にまでは至らず、これは、われわれ一人ひとりが考えていかなければならない問題なのだと思った。
≪メモ≫
「資本主義の終わり」
資本主義とは、資本を投下して利潤を得て、資本を自己増殖させるシステムである。
今や、ゼロ金利となり、資本を投下してもリターンがないという事実は、資本主義が、システムとして終わりを迎えたことを意味する。
「資本主義の末期症状」
資本主義とは、「周辺」を広げ、「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖をはかるシステムであるから、
グローバリゼーションがアフリカにまで及んだ末に、搾取すべき「周辺」が消滅した。
そして、自国の中間層(米国:サブプライム層、日本:非正規社員、EU:ギリシャ・キプロス)を「周辺」として没落させ、格差社会を生んだ。
「資本主義の延命策の誤り」
量的緩和政策がとられているが、「金融経済」が全面化してしまった現在では、マネーストックを増やしても物価の上昇には繋がらず、レバレッジで資産価格だけを押し上げ、バブルをもたらすだけ。
巨大バブルの後始末は、金融システム危機を伴うので、公的資金が投入される。
過剰な金融緩和と財政出動は、また投機マネーとなってバブルを引き起こす。
「資本主義後の見通し」
先進国では、ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレという「定常状態」に陥っている。これは、資本の自己増殖を目指す資本主義にとっては、最終形態である。
マイナス成長は貧困化を意味するが、過剰な投資がないゼロ成長や、値上がりがないゼロインフレは好ましくない状態ではない。
資本主義の次の社会システムが現れるまで、現在の「バブル清算型」資本主義を、ソフトランディングで収束させ、「脱成長社会」への転換を果たさなければならない。
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面白かったけど、筆者の主張は反復されるのみで道筋は明確には示されない。それ自体が資本主義の危機といえばそれまでだが。
"利子とは時間に値段を付けることであり、利子を取る行為は神の所有物である時間を人間が奪い取ったことを意味する。ゼロ金利とは、時間に縛られる必要から解放され人間が神に近づくことを意味しており、資本主義とは神の所有物を人間のものにしていくプロセスであり、それはまさに今完成しつつある"
神経科学的に、報酬系の刺激依存性を考えた人間の(本能的な)行動特性を考えれば、自由意思を原則とする市場に対して法律や国家、社会制度というものの役割は自ずと明らかだと思うのだけれど、そういうものが弱体化した社会の先にある姿はいまだうまく想像することが出来ない。
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金利の観点から資本からの利潤獲得ができなくっていることや新たな市場がないこと、地球が耐えれるのか?
などから資本主義の終焉を説明するある意味、名著。
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藻谷浩介氏の里山資本主義と合わせて読むことで、近代から続く資本主義の限界とこれから進むべき方向性を理解することが出来る。
両書から言えるのは、「成長・拡大」一点張りの資本主義の限界が来ており、それをソフトランディングさせるには、「よりゆっくり、より近く、より曖昧に」という価値観へと、社会全体が変わって行くことが必要であるということである。
アベノミクスにより景況感は向上しているが、すぐそこにバブルが迫って来ている兆候と捉えることも出来る。
バブルを何度繰り返せば、日本人、そして世界の人々の価値観は「よりゆっくり、より近く、より曖昧に」といった方向に変わるのだろうか。
そして、その社会の中で豊かさを享受するためにいま何が出来るだろうか。
水野氏のように経済状況を冷静に捉え判断していけるよう理解を深めていきたい。
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昔から個人的に資本主義(≒株式会社)というシステムに抱いてきた違和感。それは、其処に飽和やゴールと言う概念が無く、永遠に膨張する事を前提としてる事に他ならない。
ここでの論旨は、そもそも資本主義自体、その誕生以来、少数の人間が利益を独占するためのシステムであり、そしてそのシステムが稼働するには、収奪可能な労働力/原料/エネルギーが、"中心"から見た"周辺"に存在する事、となる。そしてグローバリゼーションの中で資本が国境を無視して移動するようになった現在、エリアとしての周辺ではなく、国家の内側に「中心/周辺」を生み出して行った、と。
結局、新たな略奪可能空間を失いつつある現在、確実に資本主義が死に向かっており、唯一のソフトランディング方法は現在悪とされているゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレという経済の定常化であると説く。
しかし、資本主義後の世界について著者は明確な答えを明示していない。
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金利はすなわち、資本利潤率と同じ。利潤率が極端に低いということは、資本主義が資本主義として機能していないということ
中国の一人あたりのGDPが日米に追いついた時、価格革命は終わる 20年後
21世紀の価格革命 国家と資本の利害が一致していた資本主義が維持できなくなり、資本が国家を超越し、資本に国家が従属する資本主義に変貌
近代システムは、先進国に限られた話とはいえ、中間層を作り上げる仕組みとしては最適なものだった
1970年代に一億総中流が実現したようには中国では13億総中流が実現しないのであれば、中国に民主主義は成立しないことになり、階級闘争が激化するであろう
日本の失われた20年は外部にBRICSの近代化があった。21世紀の中国にには日本にとってのBRICSは存在しない。中国のバブル崩壊に影響は甚大
利子率革命 景気と所得の分離
私なりに解釈すれば利子率の低下は資本主義の卒業証書
資本主義を乗り越えるために日本がすべきことは、景気優先の成長主義から脱して、新しいシステムを構築すること もう一つはエネルギー問題の解決
松井孝典 地球システムの崩壊
むき出しの資本主義を放置した末のハードランディングに身を委ねるのか、あるいはそこに一定のブレーキをかけてソフトランディングするか
バブルが弾け、経済が冷え込めば、国家債務は膨れ上がりますから、財政破綻に追い込まれる国もでてくるに違いありません。日本はその筆頭候補
これまでの歴史では国家債務が危機に瀕すると、国家は戦争とインフレで帳消しにしようとした
国際がゼロ金利であるということは配当がない。配当は無いけれど、日本の中で豊かな生活を享受できる出資金が1000兆円なんだと発想を転換
借り換えをつづけて1000兆円で固定する
そのためには財政収支を均衡させる。
2012年の年間総労働時間は2030時間。ここにメスをいれて、過剰労働、過剰勤務をなくすように規制を強化。単純にその分だけ雇用が生まれる
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どこかで、「今年最も重要な本」とか紹介されてましたが、確かにインパクトはすごいです。タイトルそのままで、あと2〜30年で資本主義は破綻する、という論旨。元エコノミスト(証券会社と内閣府)が、過去1000年にもわたる「利子率」と経済システムの関係やら、国家と資本の関係やら、新興国が発展するためのコストやらを、縦横無尽に展開します。
僕は経済に関しては素人ですが、「中央」が発展するには「周辺」が必要で、地理的な「空間」がなくなった1990年代に、アメリカが「金融資本主義」に転換して、「サブプライム層」や「非正規社員」を「周辺」としたっていうのは説得力があります。
ということは、これからの資本主義は経済的な格差を「必然的に生む」アベノミクスなんて全部間違ってるし、TPPなんて冗談じゃないし、原発ももう無理。「景気と所得との分離」「富者と銀行には国家社会主義で臨むが、中間層と貧者には新自由主義で臨む」ってのはきついけど、真理だと思う。
著者は「成長を前提とする資本主義に代わるゼロ成長の社会が何だかまだわからない」って言ってますが、前に読んだ「里山資本主義」とはつながらないんだろうか?地産地消、ゼロ成長、貨幣とモノの交換を最小限にする、くらいじゃダメなんでしょうかね。
ちょっと難しいところもありますが、大いにお薦めです。
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水野氏の本を何冊か読んで論点はわかっている。100年200年1000年のスパンで社会を見ているのだ。
今、現代は大きな変化の中にある。新たな経済システムを探る時なのだ。
この本に安易な解答はない。水野氏の中にも解答はない。こうすれば、日本経済は持ち直すとか、世界経済の行方はこうだなどという、現在の経済システムの延長線上にあるような解答はないのだ。
だが、この本はスリリングだ。歴史が動く時とはこのような状況になるのだということが書かれているといって良い。今、歴史が動いているのだ。
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歴史が過去の繰り返しだとしたら本書の主張には正当性がある。しかし、「歴史主義の貧困」を読んだいま、本書の主張をすんなりと受け入れることは難しい。
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サブプライム問題からTPP、石油価格の上昇、移民政策など、昨今の経済問題が資本主義の抱える問題だど、パズルのピースがはまるように納得でき、著者の明察に感服した。これを読んでみると、新聞などのニュースの見方も大きく変わった。
「経済学の理論と合っていない」との批判もあるが、社会科学での理論は、事象を最も上手く説明するものが理論なのであり、社会の構造を的確で斬新な視点から分析している点がもっと評価されるべきと感じる。
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以前から読みたかった本であるが、筆者は、国債の利率が低いことから資本主義の終焉が近いといっているが、これが、16世紀と状況が似ているということで、結論を出すことは、安易、早いと思う。まだ、どんな感じになるかわからない。でも、筆者が推奨するゼロ成長社会は、実現が難しいと思う。最終的に成長志向社会で、いくところまで、行くのではないか。いろいろ今まで、未来を予想する本が出てきたが、外れた本も多かった。
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過去の歴史と詳細なデータを分析し、資本主義の終焉について論理的に考察している。
だが、現在の「資本主義」が終焉を迎えていることは、既に感覚的に予想できている人も多いのではないだろうか。
問題は、その先のシステムをどう設計していくかである。
次の社会システムが明確になり、ゴールに向けて人々が動き出さない限り、資本主義は、恐らくまだまだまだ対象を広げ、延命を続けていくだろう。
原丈二氏が『21世紀の国富論』で唱える「公益資本主義」のように、まだ考察段階のシステムでもよいので、ポスト資本主義の姿を考えるためのヒントを提示して欲しかった。
本書に「日本は新しいシステムを生み出すポテンシャルという点で、世界のなかでもっとも優位な立場にある」とあるとおり、ゼロ金利が長く続き、世界のなかでも資本主義の限界に近づいている日本は、ポスト資本主義にもっとも近づいているとも言える。
ポスト資本主義の姿を考えるためのヒントとなるのかもしれない一冊。
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以前、飲み会で年配のとある人に
「もう成長を前提とした経済運営は無理ではないか」
と指摘したら、
「そんな考え方はあり得ない!」
と、えらい剣幕で怒られました。
その人にとっては、経済社会にとって成長は自明の事であって、疑問を差し挟む余地はない、という態度でした。
例によって勉強不足の私は大した反論も出来ずに、その話はそれで終わりとなりました。
ただ、この本を読んで、自分の考えがあながち間違っていなかったと思いました。
ただ、実は今でも「間違っていてほしい」というのが本音です。
何となれば成長の夢を見ている方が楽で、成長を前提としない経済社会というのは、少なくとも近代社会では例がないのですから、考えるだけでも大変な苦痛と困難を伴うからです。
でも、現実から目を逸らしてはいけません。
著者は資本主義終焉の予兆として、利子率の低下に着目します。
先鞭をつけたのは日本です。
「10年国債の利回りは1997年に2・0%を下回り、2014年1月末時点では0・6%です。さらにアメリカ、イギリス、ドイツの10年国債も金融危機後に2パーセントを下回り、その後、多少の上昇はあっても、短期金利の世界では事実上ゼロ金利が実現しています」(P14)
なぜ、利子率の低下が問題かというと、金利は資本利潤率とほぼ同じだから。
「資本を投下し、利潤を得て資本を自己増殖させることが資本主義の基本的な性質なのですから、利潤率が極端に低いということは、すでに資本主義が資本主義として機能していないという兆候です」(P16)
著者はグローバリゼーションにも懐疑的、というより問題視しています。
グローバリゼーションについては、ヒト・モノ・カネが国境を自由に越えるプロセスだと好ましく評価する向きもありますが、そのように捉えている限り「グローバリゼーション推進論者や礼賛論者の思うつぼ」と指摘しています。
先進国はこれまで発展途上国から資源を安く仕入れて経済発展してきました。
著者の定義にしたがえば、「中心」と「周辺」から成るシステムが資本主義だと言えます。
そして、グローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」の組み替え作業だというのです。
グローバリゼーションによって「周辺」であった途上国が成長し、新興国に転じれば新たな「周辺」をつくる必要に迫られます。
その「周辺」とは、アメリカで言えばサブプライム層であり、日本で言えば非正規社員であり、EUで言えばギリシャやキプロスだといいます。
合点がいきますね。
中国、インドが今のOECD加盟国の所得水準に達すると、「世界の電力消費量は今までの3分の2を上乗せ(中略)さらにブラジル、インドネシア、アラブ世界といった人口の多い国々が近代化に成功すると電力消費量は現在の2倍になる」(P86)―など衝撃的な数字がいくつも紹介されてクラクラとめまいがします。
しかし、決して遠くない将来、そうなる蓋然性はかなり高いと推測されます。
そして、資本主義が延命するために必要なフロンティアはやがて消滅します。
無限であることを前提���していた資源もいずれは枯渇します。
では、仮に資本主義が終焉するとして、その先にどのようなシステムを構築すればいいのか。
残念ながら著者にも具体的な方策はないようです。
定常状態への大きなアドバンテージのある日本がフロントランナーを務めることに期待していますが、現状はアベノミクスの成長戦略のように旧態依然とした経済成長を志向しています。
「私がイメージする定常化社会、ゼロ成長社会は、貧困化社会とは異なります。拡大再生産のために『禁欲』し、余剰をストックし続けることに固執しない社会です。資本の蓄積と増殖のための『強欲』な資本主義を手放すことによって、人々の豊かさを取り戻すプロセスでもあります。日本がどのような資本主義の終焉を迎え、『歴史の危機』を乗り越えるのかは、私たちの選択にかかっているのです」(P213)
ここからは私の補足ですが、個人においては生活のレベルを落とすことを甘受することも必要でしょう。
それでも快適な生活が送れるような知恵と方法をみんなで出し合うこと。
もっとも、金銭を基準に考えるから「生活レベルが落ちる」のであって、別の基準で考えれば全く逆の結果が得られるということは大いにあり得ます。
金持ちは出来る限り域内の経済が回るよう、歯を食いしばってできるだけ多めに地域でお金を使うこと。
企業が成長を前提としないということは、これはもう現代の常識では企業にとって「死」を意味するわけですからなかなか難しいと思います。
ただ、局所的には成長が見受けられても、総体としてはもはや成長は望めないという現実は受け入れておいた方がいいかもしれません。
大変有意義な読書体験でした。
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代替策もないのに「原発反対だ」とか「資本主義は崩壊する」っていくら喚いても、建設的ではないから、あまりいい本とは言い切れないですが、論理は正しいのかなと納得させられるため、筋は通っていると思います。今の政策は実に現実的でしょうがないものだと思いますが、でも、見方を少し変えれば、少子化を無視して、オリンピックに投資をして、汚染水を無視して、原発再稼働はどうかと思います。うわべを取り繕い、将来の世代に負の遺産を残すのはもうやめなけばいけない絶好の機会かもしれないですね。