紙の本
子規は何よりも人間だった
2010/12/10 08:18
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は現役の俳人長谷川櫂さんが正岡子規の魅力を、いくつかの側面から解説したものです。伝記的な手法ではなく、いくつかの組み合わせにより子規の全体(これを書名のように「宇宙」と呼んでいいでしょう)を浮かび上がらせています。
例えばそれは第一章の「子規という奇跡」のなかの、野球好きの子規を描くことで溌剌とした青春時代の子規を描いたり(「ベースボールの歌」)、旧来の文語体から平易で誰にも親しめる口語体へと進めた子規の文体の誕生をつづった「口述が生んだ文体」という文章であったりするように、子規の多面性をうまく構成しています。
そもそも正岡子規という人間を俳句革新というひとつの世界だけで評価することに無理があります。長谷川さんはこの革新というだけでは子規の業績を卑小化するものとして捉えています。
日本文学の大きな流れのなかで子規を評価すべきだとして、子規の「俳句分類」という過去の俳句をさまざなな視点で分類したものを高く評価しています。
長谷川さんは子規が「俳句分類」という業績を残したことで、子規自身、俳句に開眼したとも考えています。
また、長谷川さんは現役の俳人らしく、子規の俳句の魅力を「即時」という観点から評価しています。
「即時」とは、「読んで字のとおり事(現実)に当たってそのまま詠んだということ」ですが、子規の俳句でいえば母の言葉がそのまま名句になった「毎年よ彼岸の入に寒いのは」のように、「即時」が「独特の切れ味と速度感」を与えているとしています。
本書の巻末には、その「即時」の立場で選んだ長谷川櫂版子規選句が286句紹介されています。
長谷川さんは子規の生きざまにも着目しています。
子規が『病床六尺』でなかに書いた「悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居る事」という文章に強くひかれています。本書のなかにも何度も表現されています。
長谷川さんはそんな子規の生き方を踏まえ、こう書いています。「病苦に満ちた子規の短い人生はじつは私たち一人一人の人生の縮図です」と。
わずか35歳で亡くなった子規ですが、実にたくさんのことを私たちに残してくれました。そんな子規を知る、内容の充実した一冊だといえます。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。
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宇宙はわれに在り
正岡子規『松羅玉液』
正岡子規を熱演する香川照之の姿を、一昨年から続いているNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』で見るたびに、なんだかもうむずむずしてきて、今まで飽きるほど(けっして飽きたりしていません、単なる比喩です)読んだ正岡子規を、たまらなくまた読みたくなったりします。
一応、手元には例のコンパクトな「ちくま日本文学全集 正岡子規」を置いていて、いつでも読めるようにしてありますが。
作品を読むだけでなく、正岡子規の場合は、どうしてもその結核のための夭折が、出会った小学生の頃から気になっていて、特にスキーで足の骨を折って動けなかった時とか、高熱が出て身体中が痛くて生死の境をさまようほどの風邪で肺炎になりかけて一週間寝込んだ時とか、ナナハンで急カーブを曲がり損ねて川に転落して全身打撲で3週間入院した時などは、正岡子規の日常は、こんな痛さなんかよりも、こんな苦しさなんかよりも、もっと数十倍も激痛が走る病床だったはずで、その中で、もがき苦しんであの創作活動をしたのだと思うと、今さらながらその不屈の精神その偉大さに頭が下がると同時に、天が与えた彼の運命を嘆かずには、呪わずにはいられませんでした。
わずか34年11か月と2日の生の中で、しかも死の直前までの7年間は病臥に伏していて、いったい人はあれほどまでの燃焼するエネルギーをいかにして持ちうるのか。
正岡子規の人間的魅力は、俳句や短歌の実作者や革新者という側面を抜きにしても、とてつもないものだったことは想像に難くないと思われますが、違いますね、文学的創造によって自己実現したからこそ、活き活きと生きたということです。
そして、それを物心両面から支えたのが妹・正岡律。彼女の存在は、単に病人看護として誠心誠意尽くしたというだけでなく、肉親として愛し尊敬し、ことあるごとく、焦燥にかられた兄から学問がないとか、馬鹿だのちょんだのと罵倒されても、軽妙洒脱な受け答えで険悪な雰囲気にさせず、工夫を重ねて、繊細な神経のもとに兄の芸術活動が最適な状態で発揮できるように配慮したりという、正岡子規にはなくてはならない人なのでした。
『坂の上の雲』でこの役を、ものの見事に菅野美穂が抜群の天真爛漫さでスラーと演じているのですから、こたえられません。
ドラマを前後してドキュメンタリーで、実際に正岡律が看護のときに使ったというエプロンを紹介していましたが、何度洗濯しても落ちなくなってしまった血痕がまざまざと残っていて、それを見て私の心臓がキリリと痛んだくらい鮮明なものでした。
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俳句の「写生」という事に関して批判的な著者が「写生」の総元締めというべき「子規」に対しての評論という事で興味を持ち、手にした次第です。
やはりそれなりの論陣を張っている著者は、子規を評価しつつ、「今では写生とは目の前にあるものを詠むことであると考えられていますが、子規にとっては必ずしもそればかりではなかったという事です。目に見えないもの、心の中で想像したこと、子規がここで使っている言葉でいえば『まぼろし』もまた写生の対象だったことが、暑気払いの十二句からわかる・・・(略)・・・幻でさえもありありと目に見えるように詠むことが大事なのだと子規はいいたかったのです。写生とは『目に見えるものを詠む』ことではなく、目に見えないものも『目に見えるように詠む』ことなのです」と巧みに論理展開している。
写生という観点だけでなく、明治という時代に子規がなそうとしていたこと、言葉の近代化つまり「言文一致」という試みや、室町から江戸にかけての12万句を分類していった「俳句分類」の大事業についても興味深く読むことが出来た。
また、子規と漱石の友情に関しても、思わず目頭が熱くなるようなエピソードも盛り込まれており、子規が晩年に口述筆記をした簡潔な口語体が、その後漱石に引き継がれ「考えていることをそのまま写せる文体」へと育ってゆくという下りは、特に面白かった。
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子規の文学、特に晩年の随筆と俳句を中心に解説し、子規の生きた世界を描いている。友人(夏目漱石)、弟子(虚子、碧梧桐)、蕪村、母妹、などとの交流・支援の中で生きる。35歳の若さを結核のカリエスという重い病で失うが、亡くなる前のひどい身体の状態で周囲の生きゆくものに関心を向け続け、口述で筆記し、生き抜いてゆく子規の生命力はすごいと思った。俳句や随筆だけでなく、生き様そのものが心に響く。「革新は古典から生まれる」「悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居る事」など、心に残る言葉も多い。