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前に読んだ、同じ作者の『言霊』の続編です。
内容的にはさほど目新しくはなく、前作の補足というか各論というか。大半はそのようなものでした。
ただ後半に、作者が前半部で散々に批判している「言霊」の長所を述べる文章もくっついていますが、これは恐らくページ数が足りないので取って付けたのでしょう(その部分の内容も、逆説の日本史の何巻だったかと完全に内容が重なってましたし)。
それにしても井沢先生の言霊論は、読めば読むほど分かりやすくて説得力もあるのですが、それだけに違和感もあります。ここに書かれていることが果たして全てなのだろうか? と考えずにはいられません。
例えば本文中でも、現在の西欧に言霊信仰はないということが前提になっていますが、それが本当とはどうしても思えません。西欧人がみんな論理実証主義的な観点のみから言葉を用いているなんて、そんな馬鹿な!? と思うんです。
もちろん井沢先生が書こうとしているのはあくまでも日本人論であり、日本人は言霊信仰に未だに取り付かれているというのは帰納的に導かれた結論であることでしょう。ならばこれをさらに演繹させて、より普遍的な文化論に持っていかないと「もったいない」気がします。
でも学ぶことはたくさんあります。これは僕が考えたことですが、例えば日本人が法律を毛嫌いする傾向にあり、学校でも大学に行かないと法律論を教えないことも、日本人の危機管理意識の甘さの表れでしょう。日本人にとっては法律も自衛隊も穢れた存在であり、普段は口にするのも憚られる、そういうものなのではないかと思います。
もっとも最近は、この本が書かれた当初よりも大分情勢は変わってきていますね。この『言霊Ⅱ』の文庫版が出たのは、阪神大震災やオウム事件、それに9・11テロが起きるよりも前のことです。地震やテロに関しては、ここで書かれているよりもずっと危機意識が発達してきています。
それと足並みを揃えて、先に「穢れた存在」なんて書いてしまった法律なども、近年は重要視されるようになってきましたね。ラジオでは多重債務の法律相談のCMが流れ、週刊誌では法テク漫画が人気だったりしています。今や法律は穢れどころか、どんどん日常に接近してきています。
今まで穢れたものとして排除してきたものが受け入れられてきているというのは、それだけ僕達も穢れた存在になってきているということなのでしょう。いや、すべて社会が悪いんだ!