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2009/04/21読了
シエラレオネ、東ティモール、アフガニスタンの武装解除を行った、自称”紛争屋”による一冊。
エッセイと、学術論文の中間に位置する内容だ。(まさに「新書」の分類である。)
彼が「現場」で一体何をしたのか、何を感じたのか、何を考えたのか、が書かれてある。
ジャーナリズムでも、役人の会見でも、NGOの報告でもわからない、「伊勢崎賢治」の視点で
みた、現代社会の考察だ。
現場を知る者としての語りには説得力があり、その力強さは信頼に値するだろう。
彼の主張を受け入れるかどうかは、読者の判断であるが、その視点は大変新しく、
日常生活の中では得られない、鋭い切り口でものを見ている。
もっと、広く新聞雑誌で彼がものをいってもいいのではないかと思う。
先輩が読んでいたから、いつかよむべしと思ってきた。
一読の価値ありである。
「私の今の毎日の生活とはかけ離れた世界が、存在する」それを感じるとともに、では私はそれに
ついてどう考えるのか、コミットするのか、それともデタッチするのか、コミットするならどんな方法があるのか、
きちんと見つめたいと感じさせられた一冊となった。
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紛争の現場で国連機関の職員として、武装解除等の職務に従事した人が書いた本。
どこにいっても人が絡むと政治が始まるのだと思わされる、といったような、ある意味当たり前のことが書いてある。
日本ではこのような現場を知っている人間と言うのはそもそも少なく、そしてそのうちでもこうやって本にする人間と言うのはもっと少ないと思われる。それゆえ、多分に実体験的なので一概にこれが全てと言い切ることはできないにしても、このような内容の書物は貴重と言えるだろう。
後半では憲法の平和主義に関して著者なりの見解を示しているが、これも説得力があるもので、かなり賛同できた。特に、まともな議論すらされていない現状では九条改正に賛成できないという点も同感。税金の無駄遣いに終わる可能性が高い(そういった意味で防衛費についての機密というのは…)。
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既読。
紛争が起こっている地域に行き、そこの兵士たちの武装解除をしてきた著者の体験談、また、紛争や日本の国際協力のあり方に対する著者の考え。現場に行っているだけの重みがある。有事の際の日本のあり方について、日本国内でもさまざまな議論がされているが、当たり前ではあるが、実際に行ったことがない人、紛争の現実を知らない人、国民の支持率を考えなければならない政治家、外交の場面にいる人とは考え方が異なる。私が知らないだけかも知れないが、実際に行ったことがあるだけあって、現実的な
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「人道主義と同じように、革命的な方法でその復権を図らないと、それを啓蒙する善意が、追い詰められた弱者からの攻撃のターゲットになるご時世になってしまった。つまり、“元祖”民主主義と、軍事侵略も厭わない民主主義と、一体何が違うのか、ちゃんと言えないと、前者は後者の身代わりとなって殺されるのだ。」
伊勢崎さんの本、2冊目です。
前の、コスタリカの本とは180度違うのだ。
それでも、民主主義とか、正義とか、そういう言葉はかぶるんだけど。
一体、何が正しいのか、分からなくなってくる。
それでも、自分が信じた道を進んで信じていたいと思うのだ。
最近の新書は、どこかのらりくらりと逃げている、というように自分の意見はちょろりと書いて、それも曖昧にぼかしておいて、とにかく他人の引用なんかをいっぱい用いて、それで1冊にしているものが多いような気がしたけれど、この本は、本当に自分の立場をこれでもかばかりに書き続けている。
それが嫌だと思う人もいるかも知れないけれど、私には好感が持てたのだった。
【1/14読了・初読・大学図書館】
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テレビで見る自衛隊のイラク派兵なんかとは違って、戦争・紛争地域化での国際協力というものがいかなるものか、その現実を見せ付けてくれる。
一般人は戦争が終わってしまうと途端に無関心になってしまうが、その後の平和構築にどのような苦労とコストが必要となるのかがわかる良書。
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紛争地域では平和は構築しないと得られないのかということ。その構築の過程は困難で、と抽象的な話ではなく具体的にどういう方法をとったかと書かれている本。
日本の平和の状態はボケていると言われてもやはり貴重。
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[ 内容 ]
職業:「紛争屋」職務内容:多国籍の軍人・警官を部下に従え、軍閥の間に立ち、あらゆる手段を駆使して武器を取り上げる。
机上の空論はもういらない。
現場で考えた紛争屋の平和論。
[ 目次 ]
序章 常に思い通りにならない半生(歯車が狂いだしたのは大学卒業間近 アイデンティティはどこへ ほか)
第1章 暫定政府県知事になる―東チモール(紛争屋という危ない業界 国連PKOの世界へ ほか)
第2章 武装解除を指揮する―シエラレオネ(テロを封じ込める決定的解決法 シエラレオネ小史 ほか)
第3章 またまた武装解除を―アフガニスタン(無償援助と有償援助 闊歩する軍閥 ほか)
第4章 介入の正義(戦争利権としての人道援助 非民主的という理由で侵略される昨今 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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オンタイム(2004年)で読むべきだった。
圧倒的な現実は説得力を持つが、やはり2010年時点で読むと、これで語りきれないものもあるのでは、と思う点も多々。
しかし、武装解除というもののプロセスを知るにはいい本と思う。
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講談社BOOK倶楽部紹介文。
職業:「紛争屋」
職務内容:多国籍の軍人・警官を部下に従え、軍閥の間に立ち、あらゆる手段を駆使して武器を取り上げる。
紛争解決の究極の処方箋?――DDR
ハンマーがひとつ、ふたつと、古びたAK47オートマティック・ライフルに打ち下ろされる。やっと銃身が曲がり始めたところで、涙を拭い、また打ち下ろす。ハンマーを握るのは、歳の頃は18くらい。まだ顔にあどけなさが残る、同じ年恰好の少年たちで構成されるゲリラ小隊を率いてきた“隊長(コマンダー)”だ。(中略)何人の子供たち、婦女子に手をかけ、そして、何人の同朋、家族の死を見てきたのだろうか。長年使い慣れた武器に止めを刺すこの瞬間、この少年の頭によぎるのはどういう光景であろうか。通称DDR(Disarmament,Demobilization&Reintegration:武装解除、動員解除、社会再統合)の現場である。――<本書より>
机上の空論はもういらない 現場で考えた紛争屋の平和論!
●魑魅魍魎の日本のNGO業界
●政治家なんて恫喝させておけ
●紛争屋という危ない業界
●後方支援は人道支援ではない
●米国が醸し出す究極のダブル・スタンダード
●テロを封じ込める決定的解決法
●和解という暴力
●紛争解決の究極の処方箋?――DDR
●多国籍軍の体たらく
●戦争利権としての人道援助
●日本の血税で買ったトラックが大砲を牽引する
●改憲論者が護憲論者になるとき
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1497677
購入済・未読
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・組織を運営するには人をクビにもしなければならない。
・ノルウェー 国際貢献 = 国防力
・日本製品を通じて = 日本人の信用力につながっている。
・和解にならざるをえないだろう」と言ったんですよね。和解っていうのは妥協ですから。だって、正義があって戦争が起こったわけでしょう? その正義を蹂躙するものとして敵を想定したわけです。その敵と妥協することは、すなわち正義に対して妥協することですから。
・”issue-based approach” 宗教的な対立があっても、たとえば水がないとか、トイレがないとか、居住権がないっていうのはみんなの共通の課題で、これは、やくざの親分とか売春婦の元締めをやっている犯罪者でも、スラムの住人である限り同じなんです。で、僕らはそのイシューだけを前に立てて、イシューで異なるアイディンティティのある民衆を束ねていくんです。
・マッピング 人脈とかの相関図
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武装解除
紛争を解決させる職業、『紛争屋』。その世界を垣間見ることのできる良書です。色々と考えさせる問題に対して紛争屋としての見解を訴えています。そこが日本の現戦略と乖離があり、一筋縄ではいかない「大人の事情」的な部分も山積していて、単純に面白みを味わうことができました。
ただ、専門用語(DDRとか)が多いので読むのは大変でした(笑)
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帯がどうみてもヤクザっぽいんですが
彼の人生自体もヤクザな人生送っております。
ただ、とても愛と仁義に溢れてます。
簡単に調停することのできない問題は様々。
彼はそういう時、他の人はこうすることもあるだろうと言いながら、
決してそれを自分の理由と秤にかけずあくまで原則を選ぶ。
その人生に対する態度が紛争調停、武装解除の
ギリギリの世界においてもいかんなく発揮されている。
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伊勢崎氏に会ってみたい。中々興味深い話がたくさん盛り込まれていた。
特に世界最貧国シエラレオネでの出来事は、想像を絶している。人口500万人のこの国の内戦による犠牲者は50万人。しかし内戦終了後、世界は、犠牲者を手掛けた犯罪人に恩赦を与える。つまり戦争犯罪人と犠牲者遺族が混在しながら、新しい国がスタートする。これは”和解”ではなく、復讐の連鎖を恐れてのものでもない、こうしなければ”絶望”から逃れることができないことを全員が知っている。復讐する気も失せる”絶望”、すさまじいなと感じた。
こうした状態でも人は、明日の糧を思い、子供たちの明日を思い、たとえ慢性的な飢餓の状態であっても、、ギリギリの状態まで、来季植えるはずの種に口をつけるのをためらう。この営みを開発という。開発とは明日を想う人々の営みである。
DDR【武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、そして、再統合(Reintegration)】一連のプロセスをつつがなく進行させるには、高度なマネージメント力と政治力、強い精神力が必要だ。実践的な紛争の処理に、このような人たちが関わっていることを初めて知る。
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この本を読んで得たものとして一番最初に挙げられるのは、"必ずしも平和は正義によってもたらされるのではない"ということである。
僕が平和構築に興味を持った理由のひとつは、紛争によって苦しんでいる一般の人々を、自分とは関係のない遠い国の出来事として関わることを放棄しては、決していけないことなのではないかという考えを持っていることである。これが一種の"正義感"であることは否定しないし、自分自身もそう信じているのだが、将来このような活動を行うとして、一体そこに自分自身の確固たる意思があるのかどうかを、もう一度考えなければならないと感じた。
自分も単に垂れ流しのメディアを介して得た情報を受け入れ、受け流す行為だけを続けるのではなく、積極的なアクションを起こさなければならないと強く感じた。
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実際に紛争の解決に身を置いてきた人の言葉はとても重い。
紛争の現場と国内での言葉遊びによる憲法解釈には大きな隔たりがありすぎる。