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収容所生活を精神医学者の目で分析した本著。著者が『いい人間はみんな死んでしまった』と述懐するように、生き延びてしまった自分に対する強い罪悪感を随所に感じた。非常に興味深い本だ。
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ナチの強制収容所を生き延びた心理学者の言わずと知れた著作。
いつだったか、作家だか漫画家だかが「苦しみはネタと思って乗り切る」みたいなことを言っていた。
そんな具合の、「生き延びてやる」という強い意志。
中村珍はそれはそうだが他人にお前の苦しみはネタのためなんて言われたくないと言っていた。それもまた真実。
この本をみると、「美しい被害者」という辛淑玉の言葉を思い出す。
美しい被害者にさせられているのか、美しい被害者を作り出すことに貢献してしまったのか、その辺はわからないんだけど。
この本の中に美しさがあっても、それを美しいものとして受け取って消費してはいけないだろうと思う。
最初に読んだときはどんな感想を持ったんだっけな。
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オーストリアの精神科医、V.E.フランクル(1905-1997)の著。1947年刊。第二次大戦下における自身の強制収容所での生活を克明に記述している。強制収容所に到着すると直ちに一列に整列させられ、収容者は二種類に分類される。一つは労働者として、一つはガス室へ(処刑)。そして精神科医という肩書きから労働者として選ばれたフランクルは収容所にて「生きる意味とは何か」を模索する。そこには人間の偉大さと悲惨さがリアルに描かれている。
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カウンセリングで紹介されてた。収容所の話。結構病む話もあるけど、『苦しむとはなにかをなしとげること』ってとこがいい。
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人間の弱さと強さについて考えさせられました。残酷で強かで、良くも悪くもどうとでもなれる人間の恐ろしさも…。私だったら生き残れただろうか。
実存心理学の原点。
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人間は愚かではあるが、崇高なものにもなれるのだなあ。これほどまでに、自分は強く生きられるんだろうか。もっと若いうちに読みたかった、でも読まずに終わらなくて良かったとも思う。
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心理学者のドイツ強制収容所での日々を、心理学の目からみた本。生々しさと突きつけられる死へのカウント。半世紀読み告がれている著書の新版。読みやすい翻訳もありがたい。
人間が生きることはどういうことなのか、この平和な国と今に生きられるという感謝の念をいだかざるをえません。
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かの有名なアウシュビィッツ強制収容所に収容された心理学者が自身の実体験をもとに被収容者の心の有様を心理学的な立場で振り返る。
劣悪な環境だからこそ気づいた人間の本質。自分だったら人間の本質に気づく前に、強制収容所の中で生きることを諦めると思う。特に印象的だったのが、収容所から解放された後の話。収容所にいるときは解放した後の生活を心の支えに過ごしていた。しかしながら、解放後の現実の生活は、自分が想像していたものとはまるで違ったという虚無感。色鮮やかな明日を信じて生きてきたのに、くすんだ灰色だった現実。戦争って一体何なんだろう・・・。
愛は人が人として到達できる究極にして最高のもの。愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、(中略)精神的な存在。
スピノザ著「エチカ」
苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる
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心理学者、強制収容所を体験する ―飾りのないこの原題から、永遠のロング
セラーは生まれた。“人間とは何か”を描いた静かな書を、新訳・新編集でおくる。
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読んでいて、これほど切なくなる本は他にないはず。アウシュビッツ強制収容所での過酷な状況の中で、心理学者である著者がいかに希望を持ち、生き延びたのかが克明に描かれている。人間の本質にせまる名著。ちなみに旧版よりも新版の方が読みやすいので、新版の方をオススメします。
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ナチス強制収容所を辛うじて生き延びた、ユダヤ人精神分析学者による実際の体験記。
言わずと知れた世界的名著。
よくある体験記と違うところは、著者が心理学者であり、絶望の極限状態に陥れられた人間を
学者としての観察眼で冷静に分析している点。「人間」のすべてが描写されている。
新版を初めて読んだが、若者向けに文体が平易になった分、軽くなった印象は否めない。
旧版(霜山訳)もまだ手に入るらしいので、そちらで是非。
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ユダヤ人精神分析学者が学者らしい視点で、極限状態の人々の心理状態を分析しつつ
自らのナチス強制収容所体験をつづった本。
ナチス強制収容体験と言っても残酷な描写はあまりない。ただ精神科医の立場からみた周りの人々の話が書かれていた。
この作者の名前はヴィクトール・エミール・フランクル。オーストリアの精神科医、心理学者。
ウィーン大学在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学んだらしい。
この本のタイトル「夜と霧」は夜陰に乗じ、霧に紛れて人々が連れ去られ消された歴史的暗部を表現する言い回しらしい。
原文のタイトルを邦訳すると
「それでも人生に然りと言う」の「ある心理学者、強制収容所を体験する」になる。
旧訳と新訳があるのだけど、私は本屋さんに注文しに行った時あえて旧訳で注文したのだけど新訳できてしまった。
きっと旧訳が手に入らなかったのだろうな。
でも後々、ネット上で旧訳と新訳の違いを見てみると新訳でよかったなと思ってしまった。
新訳は169ページ、旧訳は240ページらしい。このページ数の違いは解説文の長さの違いで
旧訳は解説・資料の写真があるらしく、いたたまれなくなってくるようなものらしい。
新訳は写真が一切でてこなかったし、旧版には無かった章や小見出しが付された。その他にちょっとした語句の訂正からパラグラフ全体の追加や削除などの変更がみられるらしい。
新訳の最後のほうに2つ訳者あとがきがあって、ひとつは旧訳を担当した霜山徳爾さんのもの。ヴィクトール・エミール・フランクルと会ったときの話などが載っていた。
そしてもうひとつは池田香代子さんのあとがき。 霜山徳爾さんの翻訳と自らの翻訳で違っているところについて解説してあった。
本の内容は作者が収容所に入れられてから開放されるまでの話。
読んでいてジーンとしたシーンがあった。
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ユダヤ人心理学者が心理学的手法を用いて強制収容所での人々の心理を三つの段階(収容・収容所生活・解放)に分けて洞察している。人が極限状態でどのような心理状況になるかということが多少なりとも伝わってくる。収容される最初の段階で人々が受けたショックとか恐怖はなどといった感情は次の収容所生活の段階で消滅する。衛生に関する感情、同情心は人々の中から喪失していく。その劣悪な環境で人々が見る夢、ユーモア、自然美、宗教、妄想の中での自分の妻との対話などがここには描かれる。収容所で精神を支えるものは未来の目的を見つめ、人生が、そして誰かが自分を待っていると信じることだという。最後の解放される段階においても抑圧から突然解放されるために精神面に及ぼす影響が書かれている。また収容所で夢見た生活は実現しないなどの解放された後も収容者にその苦しみが続く。二度とこういったことを繰り返してはいけないことを思うのはもちろん、しかし極限状態で人はどのような心理になるかという心理学的観点からみても非常に興味深い書物である。
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なんて言えばいいのか。名著といわれてあたりまえなのはわかるけどことばにできない。読まなくてはならない本だ。
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同じ人がこのような現状をつくり、同じ人がこの現状で人としての尊厳を持って生きている。すごく考えさせられました。