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恐ろしいまでに冷静な文体から紡ぎ出される、被強制収容者の内面 - 葛藤、欲望、苦悩、そして気高き矜恃。読み終えて外に出たとき、くらくらしたのは太陽のせいではあるまい。
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「21世紀に伝えたい1冊」として絶賛!!
かつて、第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所に送られた体験を、戦後に「夜と霧」として記す。(夜陰に乗じ、霧にまぎれて人々がいずこもなく連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回し)
かつての経験は悪夢だったと、軽い話で流してはいけない。荒唐無稽に聞こえるかもしれないが、これは空想ではなく実話。体験談。
強制収容所の前印象では”殺伐としてる場所”であったのだが、それ以外にも人間味が現われる場所であった。望みを持つ事により人間に禍福を与える現実を知ったことが大きい。
若者時代に、一度は読んでおいて欲しいものだ。
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V・Eフランクル博士が、アウシュビッツ収容所に入れられた時に感じた事を記した本。極限状態で、こんなことを冷静に考えられる彼の精神力はすごい。
「たとえどんなに自由を奪われても、絶対に奪えないものがある。それは、どう考えるかという自由だ」
(小谷)
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「生きることからなにかを期待することではなく、
むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」
「生きる意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを
思い知るべきだ」
「生きることを意味で満たす」
まさにコペルニクス的転回でした。
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2007図書館
地獄とも思えるドイツ収容所を生き延びた著者が達した境地。
LRの取締役もオススメしてた歴史的名著。
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「わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とは何かをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。」
だとするなら、我々の生きる意味は知っていくことにあるってことだ。
どんなに過酷で悲惨な人生も、幸せに満ちた順調な人生も、そのどちらでもない弛緩しきった薄味の人生も、その一点においては同価値だ。
ってことでいいじゃない。もう。
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帰ってきた人はみんな知っている。
いい人は帰ってこなかった。
ユダヤ人強制収容所へ送られたフランクルは心理学者である。
しかし、強制収容所でのフランクルは心理学者ではない。
収容所では、名前さえ奪われるのだ。職業などない。
フランクルはただの整理番号119104。
善とはなにか
悪とはなにか
人間が肩書きも名前も、衣服さえ奪われたとき
それでも残るものとはなにか。
それこそ その人がその人たる所以ではないか。
「自分が自分である」こととは
肩書きでもない、職業でもない。
名前でさえない。まして、身に着けている衣服などではあるはずもない。
世界中を震撼させた、心理学者による強制収容所レポート。
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アウシュビッツ強制収容所に入れられた心理学者による体験記。人間である前に生物的にも局面に立たされた際、人はどんな思考をするのか・・・。生きた学問たる一冊。
http://jodybook.blog120.fc2.com/blog-entry-44.html
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著者が、心の中で奥さんと何度も対話する場面で、愛情って何かと思いました。
読んでない人は、絶対、読んだ方がいいです。
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ナチスの強制収容所を生き延びた学者の手記。
怖ろしかった。人間がこんなに怖ろしくなれるなんてぞっとした。
ただ一方で、ナチス側にも秘かに収容者を助けるような人もいたのだと知ってびっくりした。
国家総体としてみるとナチスのしたことは許せないけれども、そういった中でも個人の善意は存在していたのだと思うと救われる。
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新版だから結構読みやすい。
人はなぜ生きていけるのか、考えさせられます。
フランクルの視線はとってもやさしい。
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さて、先輩に勧められた夜と霧を読みました。
この本はドイツの強制収容所に送られ
生き延びた精神科医の経験と示唆が書かれています。
最初の楽観的な希望にすがるような反応から
無関心への移行。
また、精神科医だからこそできたと考えられる
セルフモニタリングの結果について書いています。
気に入った言葉を一つ引用
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」
ってすごく良い言葉ですね。
自分にとっては、成長しているか自分に不安を感じている時でも
思い出せることがあるということはほんの少しずつだけれども
経験値が貯まっている証拠かなととらえられます。
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アウシュビッツ時代に生き残った心理学者の体験記。
歴史的な価値がある小説。
当時の収容所の様子や、極限状態の人間の心理が
よくわかる。
最後に運良く生き残って、収容所から解放されても
自分はこんなにつらい思いをしたんだから、
という尊大さが社会との溝を作ってしまう。
出ても出られなくても不幸なのがなんとも可愛そうだ。
酷い収容所の中でも夕陽が綺麗だとみんなで集まったり、道徳的な監視官がいた話など、人間らしいエピソードもあったのが救いだった。
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これはホロコーストの記録。強制収容所に囚われ、奇蹟的に生還した著者の手記。限界状況における人間の姿が、淡々と生なましく描かれる。高校のときに手にした記憶がまざまざとよみがえる(「あの写真」があまりにも恐ろしく、読むことができなかったのだ)。
目を覆いたくなるのは、その姿の痛々しさや残酷さだけではない。そんなことを合理的に効率的に推し進めていったのが、同じ人間だという事実―― このこと が、どうしても信じられなかった。
でも大丈夫、今回読んだ新訳版では、「あの写真」はないから。だからといって、悲惨さはいささかも損なわれていない。丸刈り・個性の剥奪、強制労働、飢え、飢え、飢え、「世界はもうない」という感覚、ガス室、鉄条網へ向かって走る―― さまざまなメディアにコピられ、反すうされているから、隠喩としてのアウシュヴィッツのほうに馴染みがあるかも―― ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争での \"ethnic cleansing\" なんて最優秀コピーだろう。
ホロコーストの悲劇そのものよりも、そんな狂気の状況で著者がたどりついた結論のほうに目がいった。つまり、死や苦しみそのものの意義を問い、そこに無意味しか見出せないのであれば、収容所生活をサヴァイヴすることに意味などないのだ、と言い切る。もちろん、生きること、生きのびることを至上と考えるわたしには、とてもマネできない。ただ、そこへ至った著者の思考は非常に明晰で、いかなる狂いも歪みも見出せないことがわかる。
「人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」――なぜ生きるのかを知っているものは、どのように生きることにも耐えうる――ニーチェの箴言を実践した一冊。
P.129 生きる意味について
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フランクル氏は、ナチスの強制収容所から生還した心理学者であり、生きる意味について世界に存在しうる最も過酷な状況で考えさせられた人間だ。彼は、上記のような思考の転回を挙げている。
生きる意味ってなんなんだ?人間が誰でも持つこの問いには、一概に答えることができない。常に人生は、重大なことであれ些細なことであれ、私達に突然二択を突きつける。やるか、やらないのか。苦しむか、逃げるか。そのあまりに具体的な選択とは、あるときは就職だったり、あるときは結婚だったり、昼食に何を食べるかだったり、赤信号をわたってしまうかだったりする。しかしその選択の積み重ねこそがその人の「生きる意味」を形作っていくのだ。
このようにどんな人にも、彼固有の状況が展開されているし、その答えも具体的で、選択制だ。
生きる意味を問い続けて、膝を抱えて心の迷宮に入り込むのではなく、日々迫られる選択に責任をもって答えを出し、それにふさわしい態度をとり続けていくことが、やがては人生を切り開き、生きる意味を創出することにつながる。たとえ天災に見舞われようと、命さえ奪われなければ自分なりの答えを出し続けることはできるし、そこから新たな希望や生きがいが生まれることもある。震災後の神戸がいい例だ。
まあこんなことをフランクル先生は語っている。この偉大な先人の意見は、普遍的な真理に最も近い気がするし、現代に生きる僕たちにとっても、生きていく上での一つの有力なテーゼとして存在すべきではなかろうか?