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第2次世界大戦で行われたホロコースト。ユダヤ人の大量虐殺の生々しい描写とその心理描写が書かれた20世紀に残る書籍である。
戦争のまさに負の部分を知った。
学校の教科書にはわずか何行、数ページしか載っていない世界がここにあり、そしてこれが『戦争が引き起こすもの』なのだと実感した。
歴史って、客観的なものでなく、本当に主観的なもので、そんな「歴史」を学ぶのにどうして客観的でしか学べなかったのか。そんな学校教育への批判すらも学んだ。
内容は、生々しさ反面、その心理描写の記述については、時を経るごとに変化していく心理状態が記されていて、様々な感覚を抱かされた(特に強制収用から救い出されたわずかな方々の心理変化)。
何より、訳者も述べている、この「事実」を身をもって知らされた著者がその地上の地獄ですら失わなかった良心には深い畏敬の念を持った。
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私が、ノンフィクションのジャンルで一冊選べと言われたら、ベスト1としてあげる書。
文章はやや読みにくいが、出来ることなら、誰でも一度は読んで欲しい本。
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大学時代の社会学の教授に勧められて読んだ本。
アウシュヴィッツに収容され、生還された心理学者の
先生、フランクル氏の人類への一冊だと思う。
生きる事、人生、残酷で、悲惨で、どうしようもない
恐怖。でも、そんな極限でも、人間は美を感じ、
慈愛の精神を持つ。生温い現代人に必携の書。
この本に若くして出会えて、私は幸せです。
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「生きる」ことの意味が膨大にあるなら
この本にはそのなかのひとつの意味が記されています。
学生の方は読みましょう。
まだ読んだことのない大人の方もぜひ。
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ナチス・ドイツのアウシュビッツ、ダッハウ強制収容所を体験した
フランクルの記録。
悲惨な状況をえがきながらも 読んだ後に気持ちが救われ、
さわやかな、希望に満ちた感覚がえられた。
映画「ライフ・イズ・ビューティフル」に通じる世界を感じる。
「どんな状況にあっても、人間はその意味をみいだそうと
努力することができる」
「人間は信頼にたるものとなりうる」
「物事をどのような視点でみつめ、とらえるかは 自分自身のユーモア=知性、意志、感性による」
ということなど、さまざまな気づきと学びがあった。
カウンセラーをめざす人にとっては「必読の書」らしい。
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音楽をかけて読むような本ではなかったので(無理だった)、自分の部屋で机を片付けてからちゃんと座って読んだ。
冒頭の収容所の説明から最後の解説まで、途中であまりにも過酷で中断したりもした。何日もかけて読んだ。そんな本は多分この一冊だけになると思う。
解説を先に読んだ時に「読後感は不思議な安らかさを感じる」とあって、どういうことだろうと思ったけれどもその通りだった。人間の本質は初めから各々決まっているということ、フランクルの演説、そして美しい夕日をみるという箇所。時々、学者としての冷静な分析に徹するフランクルの感情が垣間見える箇所があって、それが本当に苦しくなった
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忘れてはいけない人類の足跡の一つ。
アウシュビッツにおける生活の極みも記載されているが、
特筆すべきはやはりその中での人の心理状態だと思う。
極みの状態でも、希望と共に強く生きる心、
開放された状態でも、失望に陥る弱い心が存在する。
弱くもあり、強くもあるのが人の心だと再認識した。
以下抜粋、あるいは略抜粋。
○ドストラエフスキーがかつて人間を定義して、
すべてに慣れ得るものとした命題が
どんなに正しいかを意識せざるを得ない(P.96)
今や彼の足指が凍傷にかかってしまったので、
軍医が死んで黒くなった足指を
ピンセットで附根から引き抜くのであるが、
それを彼は静かに見ているのである。
この瞬間、眺めているわれわれは嫌悪、戦慄、同情、昂奮、
これらすべてをもはや感じることができないのである。
苦悩するもの、病む者、死につつある者、死者、
これらすべては数週間の収容生活の後には
当たり前の眺めになってしまって、
もはや人の心を動かすことができなくなるのである。(P.102)
○栄養不足は、
性欲が一般になくなってしまったという事実をも
おそらく説明するであろう。
他の場所における集団生活と反対に、
ここでは男色が全く見られなかった。
囚人は夢においてすらも
性的な内容はほとんど浮かんでこなかった。
しかし愛への囚人の深い憧れや、
あるいはその他のよりこまやまかな、
より高い要求は、極めてしばしば現れてきたのである。(P.116)
○勇気と落胆、希望と失望というような人間の心情の状態と、
他方では有機体の抵抗力との間に
どんなに緊密な連関があるかを知っている人は、
失望と落胆への急激に沈むことが
どんなに致命的な効果を持ちえるいうことを知っている。(P.180)
○持っている仕事、
あるいは持っている愛する人間に対しても
もっている責任を意識した人間は、
彼の生命を放棄することが決してできないのである。
彼はまさに彼の存在の「何故」を知っているのであり、
したがってまた「殆んどいかなる何故に」にも耐ええるのである。(P.187)
○開放された囚人のうち少なからざる人々が
新しい自由において運命から受け取った失望は、
人間としてそれをこえるのが極めて困難な体験であり、
臨床心理学的にみてもそう容易に克服できないものなのである。(P.204)
読み終わってから思ったが、新訳にするべきだったかも。
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初めて読んだのは中学生の時でした。
途中で気持ち悪くなり挫折。
次に高校生の時に現代文の問題で少し読み、その後すぐ学校の図書館で借りて読みました。
フランクルの実存主義の考えをこの時知り、フランクルの考えの深さを知りました。
今の生活ではありえないことなのでかなり刺激的なのですが、何かあるたびこの本を読んでいます。
ある意味戒めのようなものです。
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ユダヤの人々は、どうしてこうも虐げられなければならなかったのでしょうか…
心をぼろぼろにされても、なお生きる人々の心理状態が、痛いほど伝わってくる本
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前半に解説があるおかげで、恐ろしい収容所生活の予備知識が備わって、本編を読むことになる。
映像が頭に浮かびながら、読み進める。心理学者としての著述であることが、読み手である私にとって救いかもしれない。
とはいえ、悲惨な収容所生活をつまびらかにすることが本書の目的ではないようだ。極限まで追い詰められたなかで如何に内的な自由と希望を持ち続けることが大切か、それがこそ生きること(=結果としては生き抜くいたこと)ができるのだということを観察と体験をもって示したものである。こうやってまとめてしまうと陳腐なように思えるが、読了して初めて実感をもって書くことができる感想である。
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「自然主義的な世界観や人生観が、人間は生物学的であれ、心理学的であれ、社会学的であれ、多様な規定性や条件の産物に他ならないとわれわれに信じさせようとすることは真実なのであろうか?人間は従ってその身体的体質、その性格学的素質及びその社会的状況の偶然な結果に他ならないのであろうか。」
「ニーチェの「何故生きるかを知っている者は、殆どあらゆる如何に生きるか、に耐えるのだ」
人生から何をわれわれはまだ期待できるか、が問題ではなくて、むしろ人生がわれわれから期待しているかが問題なのである。」
「汝の体験せしことをこの世の如何なる力も奪い得ず」
アウシュビッツという特殊な場で体験したことから、環境がいかに人の精神に影響していくのかを分かりやすく書いてある。
どんな環境においても反応を選択するのは自分。
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強制収容所生活を生き抜いたユダヤ人は、過酷な環境でもユーモアを忘れない、強靭な精神力を持っていた者が多かったという。
全てを奪われて拘束され、明日の命が知れないとしても、心の自由は奪えない、という内容が印象的だった。
心は自由なのだから、どん底の生活の中でも、幸せな追憶にひたったり、将来の夢を思い描いたりすることはできる。
(精神的に強くないと難しいかもしれないが)
それは過酷な現実を耐え抜く自己防衛反応がはたらくということだろうか。
確かにつらい毎日を送っていると、小さな幸せに敏感になるという現象は、身に覚えがあるかも。
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私は多分このフランクル氏の著書と出会うことで人生が大きく変わったと思います。もともとは「7つの習慣」の第一の習慣で、この方のことを知りましたが、数年後にこの著書と出会いました。
どんな状況下でも、自分がどのような態度で人生に臨むか、その自由だけは残されている。人の意思の強さ、人生の意味を深く考えさせられる一冊です。他のフランクル氏の著書もお勧めですが、まずはこの一冊をぜひ読んでいただきたいです。
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★4つと迷ったけれど、とりあえず3つで。
貴重な体験記。
これ読むと、実際に自分が体験したんじゃないかって気になります。
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著者の実体験を元にアウシュビッツにおける囚人の心理などを描いた作品。
極限状態の人間心理ってのはやっぱり興味深いものですなあ。