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明治は凄い。
理念を持ちそのために目的意識を持ち行動する人物にあふれている。
その人物一人一人の情熱が時代を動かし今に至っている。
さて、現代を生きる僕たちのなかに、芯のある理念を持つ人はどれくらいいるのだろうか。
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太政大臣三条実美を称して「紙風船のようなひとだ」と切り捨てるところがある。この件を読んで一人大爆笑する。わたしはベットで腹を抱えて悶絶するのであった。引用文参照のこと。
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いよいよ西郷が去る。しかし、誰が勝ったかもわからない状況で、維新は混沌としている。幕府は倒したが、明確なビジョンなく、混乱が続いている。今と全く変わらない。
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【本81】征韓論決着。冷めた目でみると薩摩の私闘だが、それが国の運命を左右してしまう大事件に発展していく。しかし、公卿はいつの時代もこのようなのか。別視点からの考察が必要。
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征韓論争の一面を見ると、西郷の哲学的論理に対して大久保の実務的論理が勝ったということになるのでしょうか。これが現在の官僚制度につながるかるかと思うと中々興味深いです。
小説的には岩倉具視が凄みを見せるシーンが迫力あっていいです。
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西郷の下野が主題。下野により彼に心酔する実力者が次々に、要職を辞職。
その中で薩摩藩出身ながら辞職しなかった川路。彼の警察制度構築にかける信念も読みどころ。
彼の様に、自分の人生をかけて挑める仕事があるのは、素晴らしいこと。この特性は、起業家にとっての必要条件。自分も憧れる部分があるが、誰しもがいきなり大きなことが出来たわけではない。一歩ずつ踏み出していけばいい。
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昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。
坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
ネット上での解説を少し転載します。
明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
誰もその意見には反対しなかったという。
ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。
西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。
薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
その者に一切の業務を任せてしまう。
次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。
日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。
日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
細かいところまで口を出す殿様は
家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。
でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。
古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)
私も大きな組織で働いているが
トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!
1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。
いや〜〜長かった。
面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。
「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人���の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。
新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。
本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
と思ってしまいました。
[読んで思ったこと1]
本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。
しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。
[読んで思ったこと2]
西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。
当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。
一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。
両者が激突するとどうなるのか。
短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・
古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。
いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。
仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。
この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。
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征韓論が敗れる過程と西郷の下野を書く
西郷に人気があって、大久保が人気薄なのが良くわかる
あと公家のだらしなさ
22 後藤象二郎、豪胆→粗大、細説にこだわらぬ→実務ができぬ
24 征韓論は革命の輸出
34 変節しない、公家から念書とる大久保
56 ナポレオンとワシントン好き、志士
77 人物批評の確かな勝海舟、西郷を高く評価
81 副島、江藤、板垣、寝技をやらない
94 西郷の退隠願望
101 西郷、大隈に教育だけは任せてならぬ
107 板垣「西郷の慢心、ついにここに至るか」
113 黒田、継道、大山巌=西郷的
114 実務上の仕事した黒田、でも酒乱
121 黒田婦人の怪死→大久保暗殺へ。川路、墓あけて検死
142 機知と諧謔、西郷一族に顕著
153 桐野、軍刀・香水に贅沢
161 西郷、大塩平八郎を尊敬
175 長州の陸軍の成立
183 忠君と愛国が不離、明治中期以降
187 山県、法制を作り事務処理に驚嘆すべき能力
198 木戸の西郷嫌い
200 足利尊氏と西郷、大村益次郎指摘
214 軍人はポリチックに関与するな、木戸
250 大久保の国家設計案。西郷、江藤、竜馬も国家案所持
273 西郷呼び戻し運動
279 大久保の執念深さ、権謀術数。奇跡の勝利
282 大久保=冷血、渾身これ政治家。冷血多し=福地源一郎
283 西郷の下野、天皇に一言の挨拶もナシ。
天皇の側近から女官を退けた西郷
286 大久保の密偵使用、征韓論から
313 新富町に新島原
341 スパイ
361 板垣の人の良さと、生涯を決定的にしている中途半端さ
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結構時間がかかってしまった。何せ、時間の経過が非常にスローなのだ。同時代の他の小説を読んだり、ドラマを観ると、征韓論が沸き起こり、それが廃案となり西郷隆盛が下野するという簡単な描き方をしているが、本作品は実に綿密にやり取りやバックグラウンドが描かれていた。そのため、時間が中々進まず「いったい何の話をしてんだ?」と感じることが多々あった。
いやはや、本作品は長い。全10巻だから、まだまだ半分も1/3も満たない。あまりの進んでいかなさに、苦行だとも思えてしまう。まぁ、本作品は司馬遼太郎氏にとって、「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」の間を繋ぐ長編作品と言える。西南戦争は日本における最後の内乱と言われており、歴史好きを自負するならば詳しく知っておきたい出来事。苦行だが何とか乗り切ろう。
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遂に西郷隆盛も下野してしまい、やっとできた政府はまた混乱の中に!それにしても現在の日本も昔はこんなだったんですね。早く西洋列強に追い付かないといけないと思ってやっているんだけど、このときのことが未だに尾を引いている事もありますね。
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明治の政治家というのは偉大な人ばかりかと思ったら、とんでもねぇ奴ばかりだな。酔って奥さん斬殺とか、羽目外しすぎだろ。
この作品は登場する明治の偉人たちが偉そうに見えないからすばらしい。まさに人間を表現している。西郷隆盛とか大久保利通とかその人間の仮面をつけた姿を描いても、面白くない。人。そう、人を描いている。
んで、そうなんだよ!国家転覆を成し遂げた男たちが野蛮でないわけないんだよ!
今の政治家みたいに発言への責任に脅えるような、悪く言えば弱弱しい、よく言えば良識的な人間なんて一人もいなかったんではないか??
よく現在の政治家とこの明治期の政治家を比較して、礼賛したりするけれど、ぜっっっったいに現代の政治家の方が真艫だかんね。
ただ、昔の政治家には夢がある。
そんな男たちの夢を魅力的に描いていくのが司馬作品。
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p19 西郷がすべきだったこと
西郷の征韓論音の本質的意味を理解できた者はいなかったであろう。西郷も征韓論に臨まなければいけない、日本の現状について、戊辰戦争で燃え尽きなかった武士という階級を燃やし尽くす必要を、きちんと論ずるべきだった。
それは当時、日本においてそれを論じる術が乏しかったから、言いたくても言えなかったのではないか。当時の論述は、中国の政治的語彙を用いて述べるか、中国の典籍を用いて比喩によって意見を述べるかという手段が中心だった。いまだ西欧の市民的概念や啓蒙主義の概念がない日本では、西郷の国民の精神を啓蒙するという主張を説明できるだけの語彙が存在しなかったのである。
後進国のはがゆさよ。
p22 後藤象二郎は清と戦争すべきと言った
後藤が清国代表の李鴻章とあった時に「帰国と日本は戦争する必要がありますな」と発言し、李鴻章を驚かせた。真意は、”清と日本で互いに切磋琢磨して力を高め、ともに西洋に負けない亜細亜をつくるべき”ということだった。
p23 「待てない」で歴史が決まった
西郷のミスは征韓論自体にあるというよりも、その時しか機会はないと強情に持論を断行しようとした点である。
「国家は会計によって決まるものに非ず」ということを西郷は主張したかった。日本国民全員に気高い精神の国民性を育てるべきだと、そのために征韓論で武士の生き様を国民に示すべきだと言いたかった。
しかし、西郷の教養レベルではこれを言葉で語れず、自らの行動で示す意外に術を知らなかった。行動でしますには、今しかなかった。だから「待てない」だった。
p30 木戸のスタンドプレー
征韓論の廟議に木戸は二日とも欠席した。薩摩と長州のトップ同士が真っ向から反発することは、薩長で固めている明治新政府を真っ二つに分断しかねない。そういう最悪の事態は避けなくてはならない、だから独断で木戸は欠席していた。すばらしい政治行動だ。
p34 貴族の裏切り
大久保利通は公卿を信頼していなかった。昔から公家というのは裏切ることが当然の社会を���きてきた。だから大久保は、岩倉と三条からの参議に就任する依頼を受ける際、西郷の征韓論を受け入れないという念書を書かせて、裏切りを封じた。
しかし、第二回の廟議において征韓論が決まってしまった。この廟議では征韓論の賛成反対は5:5の引き分けで多数決でも決まらなかった。しょうがないので左右両大臣の三条と岩倉で決議することになり、三条の「西郷に反対すれば彼の背後の士族集団が明治政府に反抗し、新政府が転覆するかもしれない。」ということで、散々悶着があった割に、すんなり西郷の遣韓が決まってしまった。
結局、公家の二人は大久保を裏切ることになった。
p39 二流の伊藤博文と山県有朋が明治を作った
彼ら二人は処理家としての政治家であった。近代化した日本に山積する事務処理をバリバリ裁いていくだけの力はあったが、西郷や木戸のような哲学は持っていなかったようである。
この違いが、現代人が過去の政治家である西郷や木戸を敬愛する理由かもしれない。
p64 三条実美の願い
必死こいて、泣きながら西郷に征韓論を止まるように頼み込む。
国家とは財政によって成立し、国家商業が必要なのである。(重商主義)そのためには外国に負けない商業を国家に起こして、商略されないようにしなくてはならない。西郷のいう形而上的な理想論だけでは実質的な国家の自立は不可能だということを説いた。
結局、西郷を説き伏せることはできず、ノイローゼのようになってしまった。
p73 西郷の情報力
部下に恵まれなかった。この頃西郷を取り巻いていた桐野利秋・別府晋介らは武に長じたが、知に劣った。
三条実美が病気で休職するので、勅令によって岩倉具視を代理の太政大臣につけることが決まった。これを西郷は征韓派の副島種臣から聞き、本来この情報を真っ先に入手し西郷に届けるべきである桐野や別府に西郷の方から手紙で伝えるという体たらく振りであった。
p76 岩倉具視という男
公卿の伝統を受け継ぎ、日和見なところも多いが、小御所会議の時や征韓論の時のように、ここぞと決めたところでは度胸を据えて持論を通す、そんな男だった。
p86 西郷の失敗
征韓論の廟議で西郷の朝鮮使節の派遣は決まった。しかし、病気の三条に代わり太政大臣についた岩倉は自宅で西郷たちに「征韓論の無期凍結」を言い渡した。
桐野利秋のような血の気の多い者を護衛に付けておくのは相手を脅すという効果もある。しかし、今回は岩倉を逆に「脅しに負けるか」という意志を固める結果になり、逆効果になってしまった。
P95 西郷の引き際
西郷の推進する征韓論が中止になり、それでも西郷が東京に残れば血の気の多い輩が西郷を担いで都下を騒擾するとみて、西郷は速やかに故郷に退去することを決した。
P112 西南戦争なんて考えてなかった
西郷が故郷に帰るという段では、そののちに起こる西南戦争など考えていなかった。反乱も謀反も眼中になく、維新で終えた自分の役割を静かに田舎で終わらせようと考えていた。
P113 黒田清隆はクラーク博士を連れてきた男
明治九年にアマースト州の農科大学からクラーク��招聘してきた。その日本への船の中で、黒田とクラークは「宗教による徳育」を巡って激論した。明治新政府は江戸時代の切支丹禁制を引きずっていたし、官立学校において宗教教育を実施するという行為はいかがなものかと。しかし、クラークの正論に納得し、承認はしないが、大っぴらにやらなければ見逃すという容認を出した。
P114 黒田清隆の欠点
酒癖の悪さ。素面の時は謹直で謙虚な人物だが、一定量の酒がはいると豹変してしまう。居酒屋でも途中から黒田の酒は水増し酒が出されるほどだった。
この男の最大の酒の過ちは、妻を酔って斬殺したことである。西南戦争の翌年明治10年に、酒に酔って帰った黒田がささいなことから妻を斬り死に至らしめたらしい。現職の大臣が殺人を犯すようなことは史上最初で最後であろう。この時、大久保利通が隠ぺいしたことで切り抜けられた。
p121 黒田夫人の変死事件が大久保暗殺に繋がった
大久保は現職大臣の保身のため、殺人事件を隠ぺいした。大臣には法があたらないという恐怖政治の所業に対し、大久保は命を狙われる。
明治11年5月14日に紀尾井坂で刺客に会い命を落とす。下手人:島田一郎の斬奸状にも黒田夫人の変死の件が書いてあった。
黒田は結局、反征韓論を唱えたことで西郷を、自身のスキャンダルの煽りで大久保師を、師と仰いだ両人を間接的に殺したことになる。
p130 津田塾大学
黒田は北海道開拓使の予算で日本の女子5人をアメリカ留学させた、その中に津田梅子や大山巌の妻となる捨松などがいる。黒田なくして津田梅子はおらず、津田塾大学もなかったのである。
黒田清隆は明治政府で種々のスキャンダルを出したが、功績も大きかった。薩摩出身のこの頃の政治家で最も仕事をした人の一人である。
p145 西郷の明治30年3期説
西郷は明治が始まって30年は10年ごとに段階分けされると予想していた。最初の10年は乱世だろう。次の10年は休息養生だろう。その後の10年は立法政治の時代だろう。そのころまでは一蔵(大久保利通)が必要だ。
と予想したが、そのようになった。ただ、大久保はその時代まで生きなかったが、、、。
p158 西郷にとって国家・民族とは…
「正道を踏み、国を以て倒るるの精神無くば外国国際は全かるべからず」と言った。大国からの理不尽な圧迫に対して、あくまでも正道を貫き抵抗すべきだと主張した。
p175 長州の陸軍
西郷の帰郷を知って、陸軍の薩摩兵士が自分の軍帽を放り投げ次々に辞表を提出していった。
この頃から、陸軍は長州閥の勢力が力を強めた。
p180 天皇を利用した
大久保は西郷退去の混乱を天皇の権威を借りて鎮めようとした。天皇の招集で近衛将校を集め、事態の鎮静の勅語を出させた。
しかし、まだ天皇の権威が後年のように大きくなかったため、それほどの効果は得られなかった。
西南戦争後に軍を天皇の統べる組織とする「軍人勅諭」を出す必要性をここらへんから感じたのかな。
p206 政治 ポリチック
木戸孝允は政治のことをポリチックと英語であえて表現していた。政治という言葉は幕末からよく使われていたが、王が民を統��るという意味合いが強く、民主主義の精神を含まなかったため、あえて英語で言っていたのだろう。
政治とは、秦の始皇帝である政が民衆を治めたことが語源に来ているのかな。だから専制的な意味合いを強く含むのかも。
p241 伊藤博文の時代から江戸の雰囲気は薄れる
明治初期は多分に江戸時代の空気・風習が残っていた。例えば大久保は川路利良から後の自由民権運動に通ずるような建白書を受け取った時、それを読むに際してきちんと袴を着て正装して読んだ。これも江戸時代の武士の習慣が残っていた事例である。
この江戸時代の空気は伊藤博文が宰相になるころから
p308 江戸の奉行は366人で治安を維持していた
明治4年に発足した首都警察の邏卒は3000人配属された。しかし、世間からはこんなに人手がいるのか懐疑の目を向けられた。というのも、江戸時代の江戸町奉行は366人の人員で100万人都市を警備していたからである。
世界史上最も稀有な治安状況だったとはいえ、それを知るものは少なく、警察の人員は実際3000人よりも少なかったらしい。
p315 岩倉を襲った刺客
西郷が征韓論を唱えるについて、人を朝鮮と清に送り込んだ。その一人が戊辰戦争では情報将校として活躍した土佐藩の武市熊吉であった。勇躍帰国したが征韓論は反故になってしまい、武市らは岩倉を国賊として暗殺を企てた。失敗したが。
p327 県名
廃藩置県で、戊辰戦争で新政府側に参加して功のあった藩は、名誉として城下のあった地名を県名にしてもらった。鹿児島県、山口県、高知県、佐賀県、福井県、がそうである。
逆に官賊になった藩である若松県や仙台県、米沢県、松江県、金沢県はすぐに改名されて、小さな郡の名前などをとって命名された。
こういった色分けをしたのである。
p335 西郷が英医ウィリアム=ウィリスを拾った
明治新政府になって従来のオランダ中心の外国知識の輸入を改める動きがあり、ドイツ式を中心に新たに取り入れ始めた。それに際して、それまで教えてもらっていたお雇い外国人はお払い箱になった。その一人である英医ウィリスを西郷が引き取って、鹿児島医学校・同附属病院を開かせたという。
しかも月給900ドルという東京でももらえないくらいの破格の待遇で。西郷には鹿児島の医療技術を育てたいというのと、新政府の勝手で捨てられたウィリスに対する申し訳なさからこうしたのではないか。
ウィリスは鳥羽伏見の戦い、戊辰の北越戦争や会津攻めにも従軍した。なかなか数奇な人生を送っている。
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この巻は薄くないか?
江藤新平も佐賀に帰ったし、そろそろ戦争がはじまりそうだ。
このシリーズを読むのにも慣れて、メモをとる量が増えてきてまとめるのが大変だ。
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征韓論をめぐる政争で、大久保や岩倉に敗れた西郷は、職を投げ打って薩摩へ帰ることになります。西郷を慕う多くの薩摩出身者が、彼にしたがって下野していく中、警察組織を取りまとめる地位にあった川路利良は、西郷と道を分かつことを決意します。彼は、自身が思い描く近代国家とその警察組織を築くためには、西郷に対する私情をまじえるべきではないと考えたのでした。
文章の形にならない西郷の「思想」を明らかにしようと、著者はあいかわらず過剰とも思える説明を付しています。そこにいくぶん冗長さを感じるのは、前巻までと同様ですが、一方、大久保や川路たちのめざした近代国家との対質も明瞭になり、ストーリーのゆくえについて関心をかき立てられます。
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ひとまず征韓論の是非に決着がつき西郷は野に下る。この決定こそが日本の今後の運命を決める一つであったかもしれない。
主要な登場人物について細かく考察されており、その人物の思想や大義、正義の背景なども少しはわかってくる。
江戸幕府が瓦解し明治は緒に就いたばかりであるが、自国の未来を創るという一人ひとりの正義が強く渦巻く時代であったのだと感じる。
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征韓論は却下された(歴史だからネタばれじゃないよね)。。。東京を去る西郷隆盛(あっさりとです)。。。残された反新政府勢力(=旧幕勢力と、西郷好きな人たち)の、それぞれの思いと行動が混乱を招いて行きます。一方で、大久保利通(この時点までは、いやな野郎のイメージです)は、どんどんと専制官僚政治を突き詰めて行きます。。。その後の戦争に、、なんて司馬先生の考察も入ります。なかなか面白くなってきたのですが、2ヶ月で3冊とスローなテンポなので、一旦、休憩します(笑)2016/2読了。
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征韓論に敗れ、西郷隆盛さんは鹿児島へ帰りました。
それに合わせて、明治政府内にいたたくさんの元薩摩藩士たちが下野し、大久保利通さんは完全に薩摩色を失い、政府内にできた空白に長州が食い込んでくる…と。
西郷さんの征韓論は、朝鮮を支配したいというものではなく、ロシアの南下政策に対抗すべく、国防をイギリス支配下の中国に丸投げしてのうのうとしている危機意識のない朝鮮に明治維新の精神を「輸出」し、いずれは、中国・朝鮮・日本で連盟を組んでロシアに対抗しようとするもの…と司馬さんは解釈しているもよう。
いずれにしても、やっぱり西郷さんのキャラは愛せるけれど、長州の輩は愛せないなぁ…って思いました。
今の政府につながっているから、余計そう思うのかもだけど…。