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西郷を朝鮮に派遣するか否かを決める廟議が開催され、一度は派遣を決めるも大久保利通らの画策により否決され、西郷は政府を辞め鹿児島へ帰郷してしまう。西郷隆盛というカリスマを失い、明治政府はどうなるのか?。西郷というカリスマがいなくなっても、「亡き者として」政府を立て直そうとする大久保ら。幕末からここまでの歴史の流れをよく知っておくと話も面白く読めるかなという印象。事象の説明が詳し過ぎてややついていけない部分もあるが、ともかく一度最後までは読んでみるつもり。
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来年のNHK大河ドラマは「西郷どん」幕末の主人公西郷隆盛を描くそうなので、司馬遼太郎さんの長編歴史小説「翔ぶが如く」を読み直し始めたが、流石の司馬作品。西郷と大久保の議論は征韓論をめぐって右往左往する。
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征韓の如何を問う廟議の始まりから西郷が薩摩に帰り、大久保との決裂と、その大久保や川路利良らにおる近代国家の骨格作りと、混乱の兆し。より深く、丁寧に当時の人々の観念を考察し、作者なりの考えを断定する。物語の進行が遅く、読みずらいが知的好奇心を満たしてくれるし、再読により見えてくるものが多い小説という気がする。
由利公正による“五箇条の御誓文“の草稿は鼻紙に鉛筆で書かれたものとはね。
まだ3巻、いまだにタイトルのような豪快な展開にはならず、といっていい。地道に読みます。
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【感想】
大久保利通の若干の狡猾さはあるものの、彼とて親友の西郷を出し抜く事に心を痛めているような描写もあり可哀相だなと思った。
しかし、後年にも語り継がれる西郷の偉大さからは想像できないほど、晩年(というか明治時代)の西郷は愚鈍な人間っぷりだった。
それもそのはず、西郷には桐野利秋というフィルターがかかっていたからねぇ。
優秀な人材はもちろん、些細な情報からでさえ彼は蚊帳の外になってしまった。
YESマンで周りを固めた「お山の大将」になってしまえば、こうも愚かになってしまうのだろう。
そう思えば、自民党圧勝のこれからの日本がどうなるのか、先行きが怪しく感じてしまう・・・
あと個人的に、今の都道府県名が明治初期の官軍・賊軍に由来しているという事実を初めて知った。
いい勉強になったね
【あらすじ】
西郷と大久保の議論は、感情に馳せてややもすれば道理の外に出で、一座、呆然として喙を容るるに由なき光景であった―。
明治六年十月の廟議は、征韓論をめぐって激しく火花を散らした。そして…西郷は敗れた。
故国へ帰る彼を慕い、薩摩系の士官達は陸続として東京を去ってゆく
内戦への不安は、現実となった。
【内容まとめ】
1.西郷の征韓論は財政上きびしく、散々待たされた挙句、破談してしまった
2.幕末とは打って変わってしまった西郷。桐野たちの護衛の為、世論と触れ合う機会すら失ってしまった。
3.結果、西郷は江戸を去る事になったが、この時点では西南戦争を起こすつもりなどなかったとのこと
【引用】
p66
いちいちの能力論をもってしては、どうにも西郷という人間が出てこない。
西郷は単なる仁者ではなく、その精神を常に無私の覇気で緊張させている男であり、その無私ということが、西郷が衆を動かしうるところの大きな秘密であった。
p234
大久保と西郷は陽と陰
源頼朝と源義経、徳川家康と豊臣秀吉のときのように、一つの体制を作った人物が好まずにそこからはみ出て漂泊してしまう人物が好まれる。
陽気な人格というものは欠点でさえ愛嬌になり、失敗でさえ気の毒になるという効用を持っているが、陰気ということはいかに誠実で謹直であっても、得体の知れぬ肚黒さを感ずるということがあるらしい。
大久保はこの上なく謹直な男で、およそ栄達に驕るというところがなかったが、彼がのちに外国人を招待するために建てた粗末な西洋館の住宅さえ、薩摩人を激昂させ、歌舞伎における赤面のように驕りに驕った大久保像として流布された。
p274
新政府が熊本県と言わせなかったのは、一種の差別による。
大藩のうち、戊辰戦争に参加して新政府を樹立させることに功のあった藩は、その城下の地名をもって県名にした。
鹿児島県、山口県、高知県、佐賀県、福井県がそうである。
また、遅ればせながらも積極的に参加した旧藩地も、この待遇を受けている。
岡山県、広島県、鳥取県、福岡県、秋田県など。
これらに対し、若松(福島県)、仙台、金沢、米沢、松江といったものは成立せず、それぞれその旧藩地における小さな郡名などをとって県名とされた。
白川県もそうである。
戊辰戦争における「官賊」という色分けを、こういった形で烙印した。
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征韓論激論の末、西郷吉之助さんの東京退去に始まり、岩倉具視右大臣の襲撃事件が発生。山縣有朋や伊藤博文の台頭の様も描かれている。これを読むと今も続く長州閥がこの時から脈々と形成されたと思う。。
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この小説は、西郷のほんとうのところを、事件を通して何度も何度も語り続けるものだとわかった。
だから、この巻は征韓論をめぐるやりとりになるが、全体の色調はほかと変わらないのだ。
つまり、この作品はよっぽど西郷に関心を抱くような人間でないと面白くはない。反面、司馬遼太郎の真摯さ・愚直さが伝わる作品なので、司馬遼太郎の研究にはかっこうだろう。
お話としては、征韓論をめぐる、非常にぬめっとした決着である。まだ「仕組み」が可視化されていない時代、ほとんどが「流れ」で決まっている。流れゆえ、歴史は物語になりやすいのだろう。
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「翔ぶが如く(3)」(司馬遼太郎)を読んだ。
『しかしながらひるがえっていえば歴史は現実の別名である以上、歴史において仮説は成立しえない。』(本文より)
とはいっても『もしもあの時・・・』と思ってしまう歴史の転換点が数多あるのも事実でだよなぁ。
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p.315
「上に向つて申述する器量なく、下に向つて上を非とし、下に人望を求むる者」というのもにせものだ、という。
いつの世の中も、人の有り様、捉え方は同じみたいですね。
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国家は会計によって成りたつものにあらず。
ということを、西郷はさまざまな表現でいった。高き、見えざるもので成り立つ、これをうしなえば品位の薄い国家になる、そういう国家を作るためにわれわれの先人たちが屍を溝に曝してきたのではない、と西郷はいうのである。
西郷にとって困難なことは、こういう種類の思想を表現するための日本語が成熟しておらず、結局はこのおれを見てくれ、とみずからの人間を理解してもらう以外にない。口から出る言葉がたとえ片言隻句であろうとも西郷という人間から出ている、ということで他に理解してもらうほかなかった。(p.20)
「伊藤・山県程度の二流の人間が明治国家を作った。悲しむべきことである」
という、大げさにいえば民族的詠嘆ともいうべきものが、西郷の死からこんにちまで脈々として日本人のなかに流れつづけている。もっともなことかもしれない。
この時期の伊藤には軽快な政治処理能力はあるにしても、西郷や木戸が持ち、むしろそれによって苦しんでいる哲学は持たなかった。志士仁人の時代は過ぎ、すでに処理家の時代がきている。(p.33)
西郷とは何者なのであろう。
この稿によって筆者は、垣根を過ぎてゆく西郷の影をすこしでも見たいと思っているが、いまかれの片影を見て察するとすれば、かれにはどうにもならぬ神聖なものがあったらしいということである。
西郷は単なる仁者ではなく、その精神をつねに無私な覇気で緊張させている男であり、その無私ということが、西郷が衆をうごかしうるところの大きな秘密であった。人間は本来無私ではありえず、ありえぬように作られているが、しかし西郷は無私である以外に人を動かすことができず、人を動かせなければ国家や社会を正常な姿にひきすえることはできないと信じている男だった。(p.66)
「桐野にもし学問を加えるとすれば自分以上の人物である」
と西郷がいったということは、桐野の評価においてよく引用される。この論法は西郷のいわば癖で、最後はひとの長所をしばしば拡大するところがあった。たとえば長州人に会うと「貴国の久坂(玄瑞)先生が生きておられれば自分など大きな顔をしていられるものではありませう」といったりしたようなたぐいである。しかし久坂はそれほどの人物ではなかった。
ただ久坂にせよ桐野にせよ、およそ自己を愛するところがなかった点で、いかにも西郷好みであったともいえる。
「己れを愛するは善からぬことの第一也」
と、最後はつねづねいっており、人間に対する最低の評価基準をそこにおいていた。桐野はこの評価にはみごとに合格しており、その意味で桐野は暴客に似ていながら西郷の用語で言う君子の仲間に分類される人物だったらしい。(p.131)
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※2008.3.15購入
2008.3.15読書開始
調布PARCOで購入、読み始めた。なかなかBookOffに入らないため、新書で購入。(HPの日記より)
2008.4.13読了
2017.5.6売却@Book Off
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「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至ったのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。
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三巻を読了。
西郷隆盛の征韓論が新政府に容れられず、鹿児島に帰郷する流れが描かれる。
西郷隆盛という巨人を、周囲の動きを繊細に描くことにより、リアリティもって読者を理解へと促してくれる。
いわゆる英雄豪傑的な時代から、知者が時代を席巻していく流れが読んでいて面白い。