脳の手術で記憶障害を負った男性の話。
2019/06/16 01:50
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てんかんを起こさないようにする手術を受けて、記憶障害を負ったヘンリー・モレゾンさん(1926年~2008年)のことを彼の死後に医師が書いたもの。当時の薬が効かず生命の危機もあった重度のてんかん発作を抑えるため、ヘンリーさんは27歳の時に脳の手術を受けた。
しかし、その手術の後、てんかん発作は減ったものの数分前のことすら思い出せなくなってしまった。
この手術の前に彼は「手術で自分の、少なくとも周りの人たちにとっていい結果になれば嬉しい」と語ったそうだ。彼もともと優しい人柄であったが、手術後に記憶を失ってからもそれは保たれたそうだ。
脳外科手術についても色々と書かれていて、興味のある方にはいいと思う。
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てんかんの外科的治療のため両側の海馬+海馬傍回を切除したHMは新しい物事を覚えようとしても15秒以下しか記憶がもたないという重度の健忘症に苦しめられるようになった ー 非常によく調べられ、有名な患者であるHMについて、主研究者であったスザンヌ・コーキンが記した本。内容的にはセンチメンタルな部分は少なく、神経心理学的な話が中心。多少なりとも神経科学の知識がないと難しいかもしれない。
これまであまりよく知らなかったが、HMは手術を受けたあともてんかん発作には悩まされていたという。また、抗てんかん薬の副作用らしき小脳萎縮も顕著で、運動を指標とする検査結果の解釈は若干慎重に行うべきらしい。
HMは両側海馬の前方3分の2、海馬傍回が切除されていた。現代の神経科学の知識によると、この手術によって短期記憶は損なわれなかったが、短期記憶を長期記憶に変換する過程が障害されていたということになる。
日常生活では陽気で人懐こかったという。日常生活上の不安や苦しみの多くは長期記憶や未来の心配から生じることを考えると、ヘンリーが人生の大半をストレスに煩わされずに生きてきた理由も見えてくる、と著者は言うが、扁桃体が切除されていたせいもあるのかもしれない。また、未来の出来事を想像する時は過去の体験を組み合わせるため、脳回路も過去を思い出す時と同様、内側側頭葉、前頭前野、後頭頂皮質などに依存する。ヘンリーには未来を想像して不安や恐れを抱くということがなかったらしい。
・陳述記憶はほぼ全て失われていた
陳述記憶はエピソード記憶と意味記憶に分けられる
意識してものを記憶するためには海馬とそれに隣接する海馬傍回が必要である。
海馬傍回はさまざまな知覚や文脈を海馬に伝え、海馬はこれらの情報を結びつける
見たもの、聞いたこと、匂いなど、その時の複数の情報、出来事の順序、他の体験との関連
・非陳述記憶は保持されていた
手続き記憶
運動の学習は初期には運動野と前頭前野、頭頂葉、小脳などが活性化する。習熟してより自動的になってくると線条体や小脳もこれに加わってくる。海馬や海馬傍回はこれに関わってないため、ヘンリーも記憶することができた。
プライミング
プライミング効果も認められた。このことから、プライミングの神経回路は高次連合皮質内の記憶回路に局在すること示唆されている
・逆行性の健忘もあり、自伝的な記憶は障害されていたが、意味記憶はよく記憶していた。
すなわち、自伝的な記憶の固定には海馬が必要だが、事実や一般的な情報などの記憶固定は海馬系に依存しない。
・短期記憶は特定の回路同士が閉ループ内で連絡しあうことで可能になるが、長期記憶はニューロンの可塑性による。
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望みをかけて臨んだてんかんの治療のための手術で
脳の一部を切除し、術後からの記憶をとどめることが
出来なくなったヘンリーの記録。
現在に閉じ込められた…と聞いても
中々どんな状況なのかなんて想像もつきません。
会う人々がみんな知らない人。
今いる場所もわからない。なぜそこにいるかも。
お腹がすいているかもや喉の渇きもわからない。
時間がたつとどこがどういう風に痛いのかも説明できない。
家族が亡くなったのも覚えていられない。
こんな状況で、いつも笑みをたやさず
自分からすすんで脳科学の研究に協力するヘンリー。
自分らしさを形作るものは、膨大な過去が
積みあげてきたものによると思っていた私。
毎日が新しいことの連続なのに、
会う人には冗談を交えた会話をし、
家電機器の変化も、引っ越した家も
医療機器の変化やコンピューターにも
鏡の中の老けた顔の自分までも丸ごと受け入れるヘンリー。
読んでいるだけで頭が痛くなりそうな記憶検査。
質問にはきちんと答え、たまには期待に応えようと
作り話っぽいことまでしてくれることも。
不安やふがいないことも沢山あったはずなのに
誰も恨まず何がヘンリーをそこまで協力的にするのか。
それは「誰かの役にたつこと」が支えていたんだと思います。
この検査が、この質問が、自分が発するものが
みんなの役に立っている。
そこに自分を誇るものがあったのだと私は思います。
この著者は長年研究者という立場でヘンリーの傍にいましたが、
決して研究者だけの関係ではありませんでした。
温かく家族亡き後のヘンリーを支えてくれています。
論文などで有名になったヘンリーを
マスコミなどからも守ってくれました。
研究対象者としてだけではなく1人の大切な人として
長年接していたコーキン博士。
手術後に出会った人が覚えられないはずのヘンリーが…。
大切なことには奇跡がつきものなのかもしれません。
とにかく難しい本で、ほとんどわかりませんでした…。
記憶といってもなんと種類の多いこと!
そして私たちの脳のなんと複雑怪奇なこと!!
ちょっと医学的な部分を端折って、
ヘンリー・モレゾンの記録中心に読みましたが
それだけでも感動です。
神経回路とは、まさに神の路。
分断されたとしても、大切な路は
紡がれていくものなのです。
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ものすごい本だった。これは文庫化くらいをタイミングにか、少々ヒットするように思う。
約50年ほど前にてんかんの治療手術のために、脳の一部を摘出した結果、手術前と20秒以内の記憶しかなくなってしまった患者の生涯と、彼の貢献などにより発達した記憶に関する研究の本。
扱ってるテーマからして重厚な上に、専門知識がないとしんどい部分も多々あるけど、人間性を構築する要素とは、とか、人生とは、記憶力とはなど、多様な問いが立てられるし、一学術分野の進歩や記憶について知識を得ることもできる、かなり読み応えのある一冊。
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てんかんの手術により両側の海馬、海馬傍回、扁桃体を切除された患者H.Mの生涯を描き、またそれと並行して脳科学の進歩が描かれている。てんかんの治療を目的としたとはいえ、結果的に近時記憶障害を来すこととなり、そのことから、記憶に関する知見が大きく進歩したことは皮肉ではあるが、科学の現実かもしれない。健忘患者の人生を具体的に描けるという点でも勉強になるし、また記憶に関する総説としても、よくまとまっていると思う。少しこの分野に知識がないと少し読むのに苦労するか。
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何年も前から読もうと思っていた本書をやっと読めた。
重度のてんかん治療のため、脳の外科手術をおこなった結果、記憶する能力を失った男性の50年にわたる臨床と研究の記録だ。
脳の外科手術というと、映画にもなったロボトミー手術を思い浮かべるが、こちらはもう実行されることはなくなっている。本書で取り上げられている手術も当時としてもかなり実験的だったようで、手術がもたらした結果を受けて、執刀医は「同様の手術はやってはいけない」と結論づけているとある。ただ、服薬ではなかなか改善が難しい病態のてんかんも実際にはあって、事実私も、以前の職場で、脳の一部切除を受けた人を二人ほど支援していたことがある。生活に支障をきたすほど、場合によっては発作によって命も危険にさらされることもあるほどの症状があるからで、切除により奪われる機能もあるので、これはメリットとデメリットを十分に吟味し、患者に説明し、理解を得たうえでの判断となる。
著者は、ヘンリー・モレゾンという重度のてんかん患者が、海馬と扁桃体を切除したことによって陥った記憶障害に、50年にも及ぶ長期間、ヘンリーに寄り添い、研究を重ねた人物だ。彼の生涯が幸せだったのか、彼に外科手術を施したことは正しかったのか、正解はわからないが、少なくともヘンリーが神経科学にもたらした恩恵は計り知れないだろうし、今後もこの研究が、多大な恩恵をもたらし続けるであろうことは想像に難くない。
奇しくも彼が生きた生涯は、脳の画像診断が飛躍的に進んだ時代に重なったこともあり、そういう時代的な背景も相まってより一層意義深いものになっただろう。
研究にあたって様々な認知検査等を実施した記録の部分は、学術的な記述が多く難しい面はあった。ただヘンリー自身がとても穏やかで魅力的な人物であったこともあって、彼の人物像の描写は温かい。また彼をとりまく人々が、彼につねに敬意を払いできるかぎりのサポートをしながら関わり続けている様子もあって、読み物としても非常に興味深く読めた。
エピローグで「現在私たちが一般的と考えている手術━━臓器移植、人工心臓埋め込み、冠動脈バイパス手術━━もみな当初は実験的手術に参加するボランティアの存在に頼っていた」と著者が述べているが、そういう数多の段階があったからこそ今の医学の進歩があるのであり、そしてこれからもそういう試みを経て医学が進んでいくのだろう。倫理とは切っても切り離せない側面が医学にはつきものだ。
30秒程度の「いま」しか生きられなかったヘンリーは、果たして82年の生涯を幸せに過ごせたのだろうか。
仏教的考えでは、人の苦しみは過去と未来を考えることからくる、という。現代はマインドフルネスがもてはやされる(?)時代。ヘンリーは「いま」をどう感じていたのだろうか。
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20代で受けたてんかん治療の脳外科手術のために、記憶が数十秒しかもたない重度の健忘症になってしまったヘンリー・モレゾン。手術の前のことは思い出せるが、その後の経験を記憶できない。話していた相手が数分席を離れると、何を話していたかも、相手が誰かも忘れてしまう。ヘンリーは「永遠の現在」に閉じ込められているのだ。
彼の症例は、記憶のメカニズムを調べたり、脳のどの部分がどんな機能を担っているかを調べるために大変に貴重で、ヘンリーは以降半世紀近くにわたって進んで各種のテストを受けて、脳神経医学の進歩に貢献する。著者は数十年にわたってヘンリーと付き合い、研究してきた科学者だ。
ヘンリーの症状を調べることでわかってきた脳と記憶の不思議はもちろん、興味深い。話はかなり専門的で微に入り細に入り、素人には若干厳しい面もあるけれど、充実している。
だがぼくは少々不満だ。数十秒しか記憶ができないひとの心象世界というのは、どのようなものだろう? 会う人会う人がみな初対面で、自分が数分前に何をしていたのか知らない、というのはどのような気持ちがするものなのだろう? そしてそんな重い障害を負ったヘンリーが、誰にでも礼儀正しく紳士的で、ユーモアを忘れず、普通以上に機嫌よく暮らしているように見えたのはなぜなんだろう? ヘンリーは自分の不幸をどのように考えていたのだろう?
それは脳の働き以上に不思議なことのように、ぼくには思える。著者はそういうことをヘンリーに聴きはしなかったのだろうか?
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うまく考えがまとまらない。
技術の進歩、研究者のたゆまぬ努力、ヘンリーの存在、様々な偶然が重なって多くの発見に結びついた。
研究対象としての人生って、どうなんだろう?
本人だったら?身内だったら??
それにしてもこれほどまでに実験には根気がいるものなのか。
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てんかんの手術で脳の一部を切り取って以来,記憶が定着しなくなった男の伝記。30秒程度しか記憶を保てない。彼がいなければ脳科学はここまで発展しなかっただろうと言われているくらい研究に貢献した。
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長期記憶と短期記憶、エピソード記憶や意味記憶など、ちょっとその手の話題に興味のある人なら知っているあれこれが解明されることに多大な貢献をしたH・Mことヘンリー・グスタフ・モレゾン氏の物語。不死細胞ヒーラのヘンリエッタを思い出す。著者が「脳のことをすべて解明するのは無理だが、そこへ向けて研究していくことがエキサイティング」みたいな意味のことを書いていて印象的だった。また、ヘンリーの死後の脳の扱いもすごいです。SFでよくある、脳だけ取り出して云々も夢物語ではない時代が近づいているのかも。
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脳科学の分野でよく知られた患者がいた。通称「H.M.」。
彼はてんかん治療のためという名目で、1953年、海馬の一部と扁桃体の大部分、海馬傍回の吸引除去手術を受けた。手術から目覚めた彼の記憶は、30秒しか続かなかった。彼は長期記憶能力を持たない、「健忘症」患者として、永遠に続く、細切れの「現在」を生きていくことになったのである。
精神外科の歴史は19世紀に遡る。脳の特定の領域が特定の感覚、運動、認知機能を果たすという考え方から、精神疾患に関わる脳領域を特定し、外科的に(手術によって)治療することが可能であると考えられるようになったのである。
隆盛の発端となったのは、1935年、チンパンジーでの実験で、前頭葉の組織を破壊することで攻撃的な性格が収まったことである。この例から、一部の医師・研究者は、脳のある部分を切除すれば、情動および行動異常を治療できると考えた。その後、40年代に掛けて、ロボトミー(葉切除術(lobotomy):lobe=葉(*肺や脳の臓器を構成する大きな部分)、-tomy(切除))のような精神外科手術が広く行われるようになる。フィクションの世界でこの手術をよく表現しているのが映画にもなった『カッコーの巣の上で』であり、現実の悲劇としてよく知られるのはケネディ一族の1人、ローズマリー・ケネディの例である。
前頭葉ロボトミーに関しては、現在では禁止している国も多いが、当時は確たる根拠もないままに、多くの手術が行われた。悲劇的な結果ももちろん多かったが、重度の患者であると、他に有効な治療法がない中で、家族が同意するケースも多かったようだ。
「H.M.」ことヘンリー・グスタフ・モレゾンは、重度のてんかん患者だった。投薬により症状を抑えてきたが、度重なる検査でも原因はわからず、発作も激しくなってきていた。27歳のとき、医師は「生活の質を向上させると思われる」実験的手術を提案する。当時、海馬前端にある海馬鉤に電気刺激を与えると、てんかん発作が起こることが知られていた。これを根拠として、海馬除去術が行われたのである。
海馬が長期記憶形成に重要な役割を果たすと判明するのは、まだ先のことだったのだ。
ヘンリーは、手術によって、重い健忘症を患うことになったが、それ以外の認知障害はなかった。また、彼は知能も低くなく、人柄も快活で穏やかであったため、この後、脳研究に長く参加し、多くの知見を与えることになる。
著者はマサチューセッツ工科大学神経科学科の名誉教授であり、半世紀近くに渡り、ヘンリーの研究を行い、100人を超える他の研究者らがヘンリーを対象とした研究を行う際の窓口となった。なお、ヘンリーの手術を行ったのは別の医師である。
本書は、ヘンリーが参加した研究の統括責任者として、その脳研究の結果、わかってきたことを一般向けに紹介する本である。認知科学で行われる実験の一端に触れ、脳が記憶を形成するしくみについてあれこれ考えさせられる1冊である。
ヘンリーが手術によって失ったのは、術後の長期記憶である。術前の記憶に関しては、覚えている部分も多かった。特に、非陳述記憶と呼ばれる、言葉によ���説明を必要としない、「体が覚えている」事柄に関しては、過去の記憶だけでなく、どうやら手術後に蓄積されている部分もあるようで、海馬を通してではなく形成される記憶というのもあるようだ。
ヘンリーはクロスワードパズルを愛好していた。長期記憶を失ったとしても、難しいクロスワードパズルを解くことが可能であるというのもなかなか興味深い話である。
知覚評価を行うと、ヘンリーが失っていたのは嗅覚のみであった。匂いがあるかないかは判断できるが、その匂いが何か、また匂いを相互に区別することはできなかった(匂いと記憶の関連についてはプルーストの『失われた時を求めて』を思い出させるが、健忘症患者なら必ずしも嗅覚を失うものでもなく、ヘンリーの事例に関してもなお詳細な検討が必要なようである)。
過去の出来事の中で、自伝的記憶と呼ばれる、個人的な思い出に関しては失われている部分が多く、ヘンリーが語ることができたのは、飛行機操縦の体験など、ごくわずかなものだけだった。
ヘンリーが研究に参加した長い年月の中で、脳科学も診断技術も相当に発達していった。この本はまた、そうした脳科学の歴史を垣間見るようでもある。
ヘンリーのてんかんは手術後、完治はしなかったが、発作の頻度は減った。82歳まで生きたということは、手術がてんかんを抑えた側面は(結果的には)あったのかもしれない。ただその代償はあまりにも大きく、彼は生涯、母や他の人々の援助なしには生活できなくなってしまった。
ヘンリーは2008年に死亡した。生前は、生活の平穏を守るため、「H.M.」としてしか知られていなかった彼だが、本人や代理人の意向により、その名が公表されることになった。そして、著者は、長年、ヘンリーの研究に携わった立場から、彼が脳研究に果たした貢献を書き記すことにしたのだ。「他の人の役に立ちたい」というのは、ヘンリーの希望でもあったから。
彼の脳は、死後直ちに、体内で、詳細に画像撮影された。また、体外に取り出された後も画像が取られ、切片作製もなされた。こうしたデータは今後、詳細な解析がされ、また新たな知見を脳科学にもたらすことになるだろう。
著者は神経科学者であるので、記述は終始、客観的・論理的である。そこが冷たいと感じられる向きもありそうにも思うが、ヘンリーと著者の間には、友情とまでは言えなくても、通じ合うものがあったように思える。
研究者と患者の関わりとしては、ある意味、温かい幸せな交流であったのかもしれない。
*索引がないのがちょっと残念。
*小川洋子の『博士の愛した数式』も思い出しますが。あちらはきっかけが交通事故で、記憶が80分続き、そもそも数学者ですからまぁいろいろ違いますか。
*『日経サイエンス2014年9月号』に「自伝的記憶の超記憶」を持つ人々の話題がありましたが、少し関連しそうです。
*『カッコーの巣の上で』の初版が1962年。黒人女性の子宮頸癌から家族への十分な説明がなされずに細胞株作製されたのが1951年(『不死細胞ヒーラ』)。性決定に関するNature or Nurtureの実験台にされた形になった男性が手術を受けたのが1960年代後半(『ブレンダと呼ばれた少年』)。このあたりの年代のアメリカ現代医学史というのも(いや、アメリカに限らないか・・・、というか、この年代に限らないのか・・・?)いろいろ黒いものがありそうで、追ってみたいような、相当げっそりするような、ちょっとアンビバレントな感じですねぇ・・・。
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脳の一部摘出手術を受け記憶する能力を失ったH・Mことヘンリー・モリソンについて50年近く研究を通して歩んできた学者がその間得られた脳の機能について、およびH・Mの人生について記述する。
H・Mは転換の重い発作のため1900年代半ばに海馬周辺の摘出手術を受ける。その時はわからなかったが、両方の海馬の機能を失うことで30秒程度以上の記憶を保持することがほとんど出来なくなってしまった。一方手術以前の記憶は残っていたり、体を動かすような記憶や意味記憶(エピソード記憶でない)はわずかではあるが出来ていたりする。これは記憶が単に脳のある箇所だけで行われるのではなく、様々な部位で行われることを示した。また意識なるものはもっと複雑な作用で成り立つことが徐々にわかってきている。
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てんかん治療として海馬を手術によって除去され、記憶障害となった有名な患者H.M.。著者は、彼を長年研究した医師である。本書で彼はH.M.=ヘンリー・グスラフ・モレゾンとして再度名前を与えられ、単なる特殊な症状を有する研究対象ではなく、ひとりの人間としての彼の人生に光を当てられる。多くの脳神経科学を紹介する本でも紹介されたH.M.が、つい最近の2008年まで存命だったというのは驚きだ。今後脳の海馬切除手術は行われることもなく、H.M.のような患者は二度と現れないことを鑑みると、PETやfMRIなど脳内の活動を計測する装置が進化した近年まで存命であり、それらによる検査を受けることができたのは科学にとっても幸運だったのではないだろうか。27歳のときから50年以上も長期記憶を失って生きるということがどういうものだったのか。それは彼にしかわからない領域だ。本書はそのような彼と彼の時間に対してささげられた本である。
本書の内容は、ヘンリーに対して行われた注意深くデザインされた実験により明らかになった人間の記憶のメカニズムと、海馬を切除されてもそのことを受け入れなお心優しき人間として生きるヘンリーの実像という二つのテーマを絡めて進められる。
ヘンリーとの実験によって脳神経科学にもたらされた知見は大きい。ヘンリーは、長期記憶に変換する能力を失ったが、短期記憶の能力は失っていなかった。また、陳述記憶は記憶する能力は失ったが、運動スキルなどを覚える能力は失われなかった。こういった事実から、短期記憶と長期記憶の違い、長期記憶として保存するためのメカニズム、陳述記憶と非陳述記憶の違いなどが明確にされた。作動記憶(ワーキングメモリ)に関する研究も進んだ。そして、記憶のメカニズムが、情報の符号化、貯蔵、検索といったことを実現するための異なる過程の集合体であることが解明されてきた。その知見をもとに研究が進んだレム睡眠中での海馬の活動もとても興味深い。ノーベル賞受賞者の利根川進も、海馬による学習と記憶の仕組みについて遺伝子学の知見を持ち込んだ研究で成果を出したことにも触れられている。
死してなお、その脳をスライスされて保存されたヘンリー。それにしても、比較的広く行われたロボトミー手術の例もあるように半世紀やそこら前には人間の脳を切り刻むことが行われていたのは驚きであるし、また海馬切除されたヘンリーが記憶障害以外では(てんかん治療の薬によって萎縮が見られた小脳以外は)大きな問題がなかったこともまた人の脳の柔軟性という点で驚きなのである。R.I.P.と言いたくなるが、彼にとってそう言われることの意味はまたどこにあるのだろうか。
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1950年代、てんかんの治療で脳の一部を除去された患者がそのために一生健忘症で過ごすことになり、脳の研究材料として生活することになった男性ヘンリーの話。
脳と記憶など、科学的な話などが記述。
それにしても、何度も何度も同じような記述が繰り返しでてくるので、読むのが非常に厳しい。
あまり印象に残らない本である。
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高3の時から読みたいと思っていた本。 やっと読めた。
重度のてんかんによって両側頭葉内側を摘出したことで新しい事を覚える事が出来なくなり、永遠の現在に閉じ込められた患者H.Mの生涯を主治医が書き記した学術本。
医学に携わる者なら知らない人は居ない程有名な患者だけど、どう考えたってヤバそうな手術が行われた歴史背景(読んでわかったことだけど当時はこんな実験的な手術を行う神経外科という謎の科が神経科医の花形だったらしい、怖すぎる)や、H.Mではなくて一人の善良な市民ヘンリー・モレゾンとしての一面も書いてあってよかった。クレソンよりケーキが好きらしい。
新しい事を覚える事が出来ないってどういう感じなのか、本当に想像がつかない。この本を読んだし勉強もしたから彼の病態もメカニズムも分かるけど、やっぱり自分に落とし込んで考えるのは難しい。
これを読んで思うことが沢山ありすぎてうまく言葉にできないんだけど、とりあえず、読んでよかった。
現代神経学の礎となったのは"患者H.M"ではなくて、アメリカに生まれた、甘いものとパズルが大好きなヘンリー・モレゾンというごく普通の人間の人生だということを心に刻みたい。