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役者・監督・プロデューサー・脚本家、実名を出して歯に衣着せぬ評論を展開している。著者の時代劇に対する熱い思いを感じる。
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著者はかつて『時代劇は死なず!』といふ、まことに勇ましいタイトルの本を書いてゐますが、ここへ来て『なぜ時代劇は滅びるのか』とかなり弱気になつてきました。
著者は1977年の生れと若いこともあつて、時代劇といつてもテレビ番組中心に研究してゐるやうです。
国民的長寿番組といはれた『水戸黄門』が打ち切りとなつた時に、マスコミも俄かに「時代劇の危機だ!」などと、取つて付けたやうに騒ぎましたが、無論危機はとうの昔からやつてきてゐたのです。
春日氏によると、テレビ視聴率の調査法が変つたことが大きな転換点であると述べます。即ち、従来は世帯ごとの視聴率しか分からなかつたものが、個人の情報まで分かるやうになり、年代性別すら判明するのださうです。
すると、スポンサーがカネを出してゐた番組は、実は自社商品のユーザーとは異なる層が観てゐたことが分かつた。ぢやあ、そんな番組にカネを出す意味はないよね、となつてしまふのだとか。
スポンサーの問題だけではありません。何より作る側に問題が大有りなのであります。第三章以降、役者もゐない、監督もゐない、プロデューサーもゐない、もう誰もゐないと、実名を挙げて指摘します。否、批判します。攻撃します。こんなに実名を出して、今後の時代劇研究家としての活動に差障りがあるのではないかと心配するほどです。
「自然体」と称して時代劇の作り込みをしない俳優の怠慢、時代劇の所作を知らない監督が「新しい時代劇」と誤魔化して作る不勉強、サラリーマン化して時代劇への情熱が皆無の、数字だけ追ふプロデューサー......
確かに人気タレントやアイドルが出てくる「時代劇」は、衣装を替へ鬘を被つただけで、動きや台詞はまるで現代劇、といふものが多いと存じます。演ずる人の所為といふより、それを教へられる人がゐないことが悲劇なのですね。
さういへば松平健さんが「今の時代劇は殺陣ではなくてアクションです。本当の殺陣をやりたいですね」と語つてゐました。(もつとも『暴れん坊将軍』の殺陣はまつたく単調で、何のスリルもありませんが、これも演出側の問題なのでせう)
かかる状況に、時代劇の展望に関して著者はかなり悲観的です。さもありなむ。ただ、作品を通して「お前は間違つてゐるぞ」と反論して貰ひたいとも述べてゐます。そんな作品に出会へたら、その時は謝罪すると。否著者の本心は、是非謝罪したいのだといふことです。心からの叫びですなあ。
わたくしの感想としては、(極極一部を除けば)一から十まで「その通り!」と言ひたい内容であります。ただ、やはり時代劇の再生は無理でせうね。わたくしの実感では、時代劇はすでに(著者が生れる前の)昭和40年代に死んでゐると考へます......
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-545.html
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時代劇の危機の原因は何なのか、ひとつずつ整理されている。
「今のプロデューサー・監督・脚本家が『七人の侍』を作ったら、野武士個々の生活背景や内面・彼らの内部の細々とした人間関係まで丁寧に描きかねない」(169P)
本当にありそうで怖い…。
大河の迷走っぷり(6章)は今も(花燃ゆ)なので、いやはやその通りですね、という感じ…。
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水戸黄門が時代劇に果たした役割の大きさを再認知。
もはや滅びゆくジャンルなのか…。個人的には映像の雰囲気は70年代のフィルム感が好き。
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面白かった時代劇がいかに衰退したか?時代劇をこよなく愛する著者が鋭く分析するとともに,実名入りの批判も行っていて,時代劇好きとしては共感する部分が多々あった。2014年9月刊行なので『花燃ゆ』は対象外なのだが,ぶった斬りを読んでみたいと思ったほど,ご都合主義の作品はぶった斬っているのが良い。熱い思いが,やや空回りしていると感じるのは自分と著者との温度差かもしれない。
この著者の本は2冊目(どちらもkindle)。新著(紙)が積読。楽しみにしよう。
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時代劇が滅びた原因の一つに、今の俳優の力不足を挙げているが、その中で特定の俳優の名前を挙げられて、「時代劇なのに自然体の演技をするとは何事か!」的な、事を書かれているが、実にごもっとも。小気味よい文体で楽しめました。
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時代劇を瀕死に至らしめた人々への訴追状。著者が自らの一生の生業として名乗っている時代劇研究家としての心の底からの叫び。この熱さは一絡げで時代劇と呼んでしまっているものを成立させてきた人とシステムを徹底的に現場で取材しているからこそ、そしてそのクリエイティブを愛してしまっているからこそ派生しています。誰もやっていないことを選んでいる男の覚悟も感じます。ただ、本書が滅びゆくものの挽歌としてではなく再生への檄文として書かれている印象からすると、今後、著者は研究者としてではなく当事者としてこの芸能に関わるのではないか?と予感するのですが…
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多作は「新進気鋭が腕試しをする試験場」でもあり、「粗製濫造で視聴者離れを引き起こす要因」でもあった。
かつて全盛を極めた時代劇の凋落はいつから、なぜ始まったのか。現状に至るまでを時代劇・映画史研究家が解説する。
1955年の時代劇映画は174本。50年代は毎年150本以上あり、1960年にも年間168本が製作されたが、わずか2年後の1962年には77本に、1967年には15本まで減少する。50年代は他に娯楽が少なく映画館入場者数が10億人を超えていたが、60年代に入って急激に落ち込み、東京オリンピックに合わせて普及した家庭用テレビの影響がさらに重くのしかかる。そこから半世紀以上続く、時代劇映画の「不振」が始まった。
著者は時代劇の危機を「映画での時代劇の危機」「テレビでの時代劇の危機」「京都での時代劇製作の危機」「表現手段としての時代劇の危機」に分類し、それぞれ抱える背景が異なると指摘する。確かにこの手の話ではよく混同される所であって、冒頭でそれを明確に区分けしたのはわかりやすい。
あえて加えるなら「映画そのものの危機」「テレビそのものの危機」なんてものも時代劇を取り巻く環境に拍車をかけているのかもしれない。
「時代劇は年寄りの娯楽」と思われがちなのは、「時代劇が面白かった時代を知っている人」の大多数が年寄りになってしまうほど最近の時代劇が面白くない、ということでもある。面白かった記憶をよすがに、なんとなく惰性や愛着で時代劇を見続けている、そんなイメージだろうか。
新しい時代に沿った作りをすれば、若い人でも十分に楽しめるのが時代劇であるし、実際往時の時代劇は若者も含めて楽しまれていたのである。
著者は近年の大河ドラマについても苦言を呈している。特に「江」が決定的に酷かったと名指しで指摘する。「利家とまつ」に始まる女性の活躍を無闇に押し出す製作姿勢が大河ドラマのホームドラマ化を招き、陳腐で軽薄なものに成り果てた。
2016年の大河「真田丸」はネットでもかなりの好評を博したが、本書は2014年の発行であり、著者は果たしてどう評価したのだろうか。本書の中では寺島進を実力不足と酷評しているものの、彼は真田丸ではかなりの高評価を博している。この辺も著者の言う「喜んで謝罪したい」という誤算であればよいなと思う。
さて、粗製濫造とも言われがちな状況から一変、本数が絞られる状況となって、しかも連続ドラマでなく一話完結のスペシャルものが主流となると、製作陣としても失敗が許されず、自然と「固い」構成になる。監督も脚本も役者も皆ベテラン(役者についてはアイドルなど人気だけで選ばれる場合も)で固め、演出も無難なものになる。新人が挑戦する機会は減り、また撮影も単発になるため「腰を据えて新人を育てる」という環境でもなくなる。
とにかく「余裕がなくなる」のである。プロデューサーの果たす役割と責任は大きいが、このプロデューサーも雇われ根性というか、時代劇への思い入れの有無とは関係なく、予算その他のしがらみで、とにかく枠を埋めることを最優先にせざるを得ない。
細かいことは本書を読んでいただくとして、時代劇の苦境はア���メの製作現場に通じるものも感じる。大きく違うのは「本数だけはとにかく多い」という点である。確実に視聴率を見込める人気俳優、アイドルを配役するとギャラで制作費を押し上げてしまう実写ドラマと違い、制作費を低く押さえ込めてしまうために本数だけは増やせるようではある。
「本数が多い」というのは、先述の通り新進気鋭が挑戦できる機会も増えるということである。一方でアニメーターや声優などの待遇改善が叫ばれ、制作費が増加していけば自然と本数は減る。時代劇はこの「本数の減少」によって多様性を失い凋落した。アニメでいえばジブリとドラえもんとワンピースなどといったビッグネームしか残っていないという状況である。
将来性を含めたクオリティを維持しつつ製作者達へ還元していく仕組みをどう構築していけるかが課題であろうが、主戦場であるテレビの製作環境に改善の兆しは薄く、管轄である経済産業省の「クールジャパン政策」とやらはそれ自身がお寒い状況である。アニメの明日はどっちだ。
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帯文:”作家(『村上海賊の娘』など)和田竜氏も驚愕!この毒舌!やり玉に挙げられた人たちが気の毒になるほどである。” ”圧倒的な熱量で放つ、時代劇への鎮魂歌”
目次:はじめに、第一章 時代劇の凋落、第二章 時代劇は「つまらない」?、第三章 役者がいない!、第四章 監督もいなくなった……、第五章 そして誰もいなくなった、第六章 大河ドラマよ、お前もか!、おわりに
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時代劇がなぜ終わったのか。
とにかく演者、スタッフともに人材不足。
これにつきると思いました。
ただ現代劇やバラエティも同じことなんですけどね。
著者の岸谷"SET"五朗の評価はまことにその通りですが、火野"チャリ"正平の評価はちと高すぎませんか?
TV時代劇はもうNHK以外は新作はムリでしょ、なんて思ってたら水戸黄門復活のニュースが⁉︎
しかもまさかの金八っつぁんですって。
TBSも無茶しますね〜。
金八っつぁんには昔世話になったからですかね?
きっと印籠出してから長いですよ、説教入りますからね
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内憂外患でゾンビと化した昨今の時代劇について、その衰退の歴史をわかりやすく記した好著。昔の時代劇って、ホントにめちゃくちゃ面白かったんだぜ(過去形になるのが悲しい)。
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【由来】
・図書館の新書アラート
【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
・「水戸黄門」も終了し、もはや瀕死の時代劇。ヘタな役者、マンネリの演出、朝ドラ化する大河…。凋落を招いた“真犯人”は誰だ! 圧倒的な熱量で放つ、時代劇への鎮魂歌。『新潮45』『オール讀物』掲載を大幅加筆し再編集。
【目次】
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どこの国でも歴史劇(時代劇)は、人気ジャンルだし傑作もある。なのに何で日本だけは衰退しているのか。それは今の日本社会の姿そのままだったんだ・・と理解出来た1冊です。
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時代劇が面白くなくなったことについて検証していた本。
若い世代が育ててもらえる機会が減り、即戦力を求められて、育たないのは教育現場においてよく耳にすることだけど、どの業界も同じなんだなぁ…。
最近、芸人がドラマに出ることが多くなってきているのは、芸人はちゃんと修行してきてるからなのね。あと、舞台からの人もうまいよね。
何回巻き戻して聞いてもなんて言ってるかわからないことがよくあるけど、ベテラン俳優はそういうこと無いもんなぁ。私の耳が悪いだけじゃなく、発音が下手なんだね。
どの業界でも、若者が育たない、個性が潰される、質の落ちる状況を聞くけど、失敗を許さない風潮が日本に蔓延しているからなんだろうなぁ。
札幌市の図書館で借りた本。
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時代劇は古臭いという印象がある。この本を読むと、本来の時代劇は、ファンタジーを作ることであり、作り手としては挑戦的なものであったことがわかった。そのような、本来の時代劇が復活して良質なものをつくれば、私を含めた視聴習慣がない層が食いつくかもしれない。この著者に、大河ドラマを復活させるサポートをしてほしいと感じた。