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時代劇は嫌いではない(でなければこんな本は読まない)。
できればこの先も良質な時代劇が創られ続けて欲しいと
思っている。だが現在の状況では、国なり公共機関なりが
保護であったり人材の育成であったりをきちんとしなければ
存続が難しい、まるで絶滅危惧種のようなジャンルであると
言えるのではないだろうか。もちろんそれによって創作の
範囲が狭められるなんてことはあってはならないのだが。
この本が出版されてから数年が経つ。今の状況は実際どう
なのだろう⋯。
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スバラシイ
著者にリスペクトだぜ❗
時代劇 懐かしい思い出も。 憧れもあり。 何よりも一番がなくしてしまった。 いままでの経験があるのではないだろうか。
水戸黄門 ストーリーの固定性が良かったよね。
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なぜ時代劇は滅びるのか
著者 春日太一
2014年9月20日 発行
新潮新書
水戸黄門が終わり、時代劇のレギュラー枠が消えた時(大河ドラマと毎週ではないNHKの時代劇枠を除く)、マスコミは「時代の変化」と言っていた。演歌が廃れたのと同じ、時代劇を若い人が見なくなった、とつい思ってしまいがちだが、この本を読むとそういう単純なことではないようだ。著者は今、40才手前の時代劇・映画史研究家。芸術学博士の学位を持つ。高校生の時まで再放送を含めた時代劇の放送がとても多く、大好きで見ていたそうだ。
1950年代、時代劇映画は全盛だったが、60年代に一変。成長経済でレジャーが多様化した上、64年の東京オリンピックでテレビが普及、映画が斜陽産業になった。時代劇を撮ってきた各映画会社の京都撮影所は、60年代半ばからテレビ時代劇を積極的に手がけるようになり、下請化していった。
テレビの時代劇全盛は、1991年正月。1月2日には、民放4局が大型スペシャル時代劇を同じ時間帯で放送し、激突した。しかし、90年代後半になると事態は一変、時代劇枠をなくすことをまず決めた局、サラリーマンの帰宅前である午後7時からの枠に繰り上げてわざと視聴率を落として終わらそうとした局など。理由は1996年に始まった視聴率調査の世帯視聴率から個人視聴率への移行。自動車など大口スポンサーが、購買力の弱い高齢者が多い時代劇を嫌い始めた。
この本は、プロデューサー、監督、俳優、脚本家など、実名をじゃんじゃんあげて批評をしている。その一つとして、2003年にフジテレビの編成局長に、時代劇に何の思いもない山田良明が就任したことで「何かが終わった」という記述がある。山田は、時代劇のレギュラー枠を外し、不定期放送のスペシャル化へと持って行った。この流れが、大変な負のスパイラルを招いた。時代劇をつくってきた京都のスタッフは、レギュラーを失って普段は他の仕事をしなければならない。大がかりなセットを年に何回かのためだけに維持するのは非常にお金がかかる。かといってやめるわけにはいかない。後継者も育てられない。
一方で、それまでに、つくる側の甘えもあった。テレビでレギュラーを持っていれば、予算がテレビ局からもらえる。当たるか当たらないかというギャンブル性のある映画と違って、どうしても緊張感がなくなる。
時代劇がパターン化していったのも、そのあたりに原因があるようだ。安定して視聴率を取るためには、無敵のヒーローが最後に決めぜりふを言ってやっつける、というパターンでフォーマット化することが、一番よかった。撮影準備の時間も、お金も節約できる。80年代のそういう動きが、時代劇は年寄り臭いものという雰囲気にしてしまった。
役者も、かつては映画会社の専属や新劇の劇団出身者が中心だったが、芸能プロダクションがイニシアティブを取るようになってから、芝居の基本を練習させないで人気があるだけの俳優を出してくるようになった。芸能プロダクションは拘束時間が短くて儲かるCM契約を重視するので、好感度をあげることに力を入れ、異世界を演じる時代劇にはふさわしくない俳優が並ぶようになってしまった。
監督もいなくなった。黒沢明に象徴されるように、かつては監督が俳優を徹底的にしごいて育てたが、今やそんな構図はなく、俳優を育てられる監督がいない。俳優はますます素人化する。
プロデューサーもいなくなった。だから、テレビ時代劇制作の手順、プロデューサーが大体の筋書きを決めて、脚本家と打ち合わせて書かせるということもなくなった。
最後に、大河ドラマがなぜダメになったかという考察も行われているが、これはあまり面白くなかった。著者がいうには、大河をダメにしたのは2002年の「利家とまつ」らしい。この年、大河立て直しのため、女性にうけるホームドラマのような内容で「利家とまつ」を制作。視聴率も取れてヒットした。しかし、それ以後10年、これにならって優しい大河ばかりが作られてきた。それ以前は、独眼竜政宗、徳川家康、信玄など、ダークサイドの部分をも描いてきた戦国ものだったが、天地人や功名が辻など、いわばきれいごとばかりが描かれる大河になった。しかし、最近、また戻ってきてはいるとのこと。
なお、著者が、近年、最悪の大河としてあげているのは「江」、最悪の役者は岸谷五朗。どちらも、私と意見が一致する。
なお、もう一つ忘れていけないのは水戸黄門。これだけはちょっと事情が違う。あの放送枠は、TBSが一切内容に口を出さないという約束のもとで放送しているパナソニックの買い切り枠であり、プロデューサー自身が、パナソニックの社員、逸見稔が務めてきたためである。最後まで残ったというのは、そうした事情によるものであり、この本に詳しく紹介されている。
時代劇が廃れていったいきさつがちゃんと紹介されていて、大変ためになる一冊でした。
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半年くらい本を読んでなかったのか?
前々から借りては読めずが続いていた春日太一の本です。
時代劇はなぜ滅んだのか?
本当に年寄向けのコンテンツなのか?
小気味良く現在売れている役者をぶった切り、その刃は時代劇の制作者にまで及ぶ。
常に新しい事が出来るコンテンツなのにもったいないと訴え、時代劇の復興をもくろむ。
私はこの本を読み、タイムボカンシリーズを思い出してしまった。
大いなるマンネリと自虐しつつ、常に新しいことに挑戦していたはずなのに、気が付けば同じネタのルーティンで最後は打ち切りになるという…。
話はずれてしまったけど、ちゃんとやれば時代劇はまだ復活できる。
そんな期待はこの本を読めばわかる。
他の書籍も読んでみたいものです。
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画時代劇を考察した本。 国民的エンタメだった時代劇が瀕死の状態だという。 要因は、エンタメの多様化、制作側の甘え、表現の制約、時代考証の厳格化、役者の不在、監督の質の低下、プロデューサー脚本家の問題など。 時代劇はある意味、過去の出来事を題材にしたファンタジーなのだが、時代劇ファンは高齢化し、オタクはより正確でリアリティのある表現を求めるようになった。 制作側は、世代交代が進まず人材育成制度がない、予算などの制約も多く、企画はマンネリ化してしまう。 視聴者に飽きられたのが現状だ。著者は、時代劇研究家だがその将来は悲観的に見ている。 この本は、2014年発行で人気時代劇水戸黄門が終了した後に状況を考察したものだ。 著者が危惧していた通り、その後も時代劇の人気番組は登場していない。 自分も時代劇を見ていたのは1990年ごろまでで、その後はほとんど見なくなった。 理由は、この本に書かれている通りで、勧善懲悪のストーリーに飽きてしまったからだ。 でも実写版の時代劇は廃れても、アニメの世界ではまだまだ生き残りそうだ。 鬼滅の刃のヒットは新たな時代劇表現に先鞭をつけたと思う。でも 実写版は、中国や韓国の時代劇作りに習って勉強し直した方が良さそうだ。
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なぜ時代劇は滅びるのか。この手のタイトルの新書は疑問に答えないものが多いが、この本はずばり(とはいえ、たくさんあるが)滅びるべくして滅びる時代劇の理由を語っている。
「水戸黄門」の終了で一部の人たちが少しの時間だけ騒いでいたが、それもノスタルジックを言いたいだけであり、普段行かなかった店の閉店時だけ顔を出すようなものである。
時代劇衰退の納得いく理由はたくさんあげられているが、その中でも水戸黄門はちょっと別格で、松下幸之助が開始に関わり、テレビ局も手を出しづらい(いや、引っ込めづらい)あったことを初めて知った。
時代劇、という言葉は、ステレオタイプとして捉えてしまいがちだ。そうなったところから時代劇の凋落が始まった。わかりやすくする、ウケたやり方を繰り返す。
時代劇は、わざわざ視聴率的にも予算的にも厳しい枠に追い込まれて、最後はテレビ局自身が止めを刺したようだ。
娯楽が生まれ、育ち、集約して拡散していく一連の歴史を見るにつけ、全てのテレビ番組は同じ道を辿るのではないか、という気もする。
水戸黄門に過度の投影をするのは間違っているかもしれないが、やっぱり時代が終わった、ということを実感させてくれる本である。水戸黄門が終わりではなく、もっと前に終わっていたのだ。
同時に、時代劇以外の、いろんなものが終わりに向かっているという寒気も感じる。はじまれば終わるのは当然だけど。時代劇に当てはめれば、まともな役者もいない、教養のある監督はいない、育てるシステムはない、と。
もう、これからははじまりさえもしない、そんなふうな気持ちになる。
かつては僕もよくテレビを見ていたが、かれこれ10年ほど前にお別れした。奇しくも本書で時代劇が花形からお荷物に転じた、とされるタイミングである。なんだか時代劇が凋落したのでテレビから離れたような気にさえなってきた。
けれど、時代劇に限らず、よく噛まなくても飲み込めるようなものばかりでちっとも面白くないのだ(と思う、今は知らないけど)。
すべてのテレビマンはこの本を読んで反省したらいい。