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2015.10 課題図書
■■10/19@コメダ珈琲店■■
祭りと伝統の話/農協の話/シュタイナー教育の話/人生における他人の必要性の話/近隣市町との連携の話/マイナス金利の話
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確かなものなき時代のあがき、模索。近代を巡る限界が遺憾無くか描かれている。あらゆるジャンル総動員である。印象的な部分が多く大いに示唆的であった。
・ルソーの論理を突き詰めると独裁主義に行き着く。
・アメリカでは政治的な活動に参加して賞賛を受けることは名誉である。
・バークの偏見の擁護。
・合理的とは活動や人間関係の中に人格的なものを持ち込まないこと。
・誠実さが価値となれば、その背後を覗くかのように本当の私を求める志向が発生する。
・フロム:権威がなくなると人は耐えられないので、外部にいっそう強い態度を求める。
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西欧近代の民主主義の発展とその課題について、哲学・社会学・宗教・心理学等の著名人の所説をもとに、独創的な見解を主張してあり、ためになります。▼ルソーの考えでは社会契約論において「一般意思」は個人の「特殊意思」や「全体意思」ではなく、すべての人が共通に持つ利害や関心などであり、抽象的で根源的なもの。「一般意思は代表されえない」という。しかし通常は人民の意思はだれかに代表せざるを得ない。一般意思には絶対的な主権性が与えられているため、代表者は一般意思のもとにあらゆることが可能になる。すなわちルソーの根源的民主主義は、それを実現化しようとすると、独裁主義、全体主義に陥る。現にそれをやったのがフランス革命。国民のわがままな意思をそのまま実現することは大変に危険なことである。▼ルソーの民主主義は古典古代的な共和主義思想の復活である。しかし近代市民は古典的市民と違い、「自分の」利益に関心を持つ単なる個人の集まりである。そこで一般意思を仮構するものとして「国民主権」や「国民の意思」が出てくる。「世論」万能の全体主義に傾く。▼一方英人バーグは、「一般意思」「人権」概念を批判、抽象的な人民の権利は存在しないと説く。▼>>>西洋進歩主義の壁:ニヒリズム、自己喪失、神なき宗教社会、独房の中の自由と平等、近代的道徳は弱者の強者に対するルサンチマン、実証主義科学信仰のニヒリズム
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・西欧近代は、合理的科学、自由主義、個人主義、基本的人権、民主的政治的理念、主権的国民国家、市場競争主義など普遍的理念であるということが疑わざる前提として様々な事が語られ、論じられてきたが、本書はそこに疑義を呈する。
・「文明の衝突」を述べたハンチントンは西欧の近代を特徴づけるもの(古典古代の遺産、キリスト教、ヨーロッパ系の言語、政教分離、法の支配、社会の多元性、代議制度、個人主義)は「西欧的なもの」であって、西欧の近代を特徴づけるものではない。非西欧的世界にとって「西欧文明」と「近代文明」は違う。イスラムや中国、ロシア、インドなどは近代化したとしてもそれは決して「西欧文明」化することではない。本来はその国や地域文化と調和した多様な「近代」があるはずである。多様な近代化を「西欧的な価値」を基準に論じることへの疑義。
・近代社会と前近代社会を分つ断層をもたらしたものは3つの「革命」。
科学革命、市民革命、産業革命。これにより、呪術的思考から合理的思考、また伝統的権威主義的な政治体制から自由で民主的な市民中心の政治体制へ、そして共同体的な土地に依存した経済から共同体を離れ、場所に縛られない市場経済・産業技術へ移行した。
・近代社会を考える上で重要なのは上記の3つの革命とともに、宗教改革が挙げられる。宗教的秩序から世俗的秩序へ社会が大きく転換した。中世的権威の崩壊により不安定さの中で、信仰の原点に戻り、その原点回帰のなかから脱宗教化された世俗的秩序が生まれてくる。
・ホッブズの思想。神の権威を背景におきながら、世俗的な世界においてはあくまで人間が統治する、つまり国家を上位におく事を理論化。「万人の万人よる闘争」の自然状態からの脱却のため、自然権の一部を国家権力に譲渡する。これにより市民像が大きく転換。古典古代的な「善き市民」から個人の自己保存を最優先するという市民像への転換。「善き市民」が果たすべき共同体の維持や防衛は国家に任せ、ひたすら私的生活に関心を寄せる。「公」よりも「私」を優先するので、政治よりも経済活動に関心を持つ。近代的市民の最大の関心は防衛や政治参加では無く、経済活動の自由である。
・ルソーの思想。「一般意思」。市民の個別の意思ではなく市民共通の「意思」。しかし、民主主義を徹底して(文字通りの人民主権。ルソーは代議制を否定した)いけば無理に民衆の一致した意思を作り出さねばならず(すべての人が一致したかのような意思の仮構)、これを徹底すると「自分自身が国民の意思を体現していると任じる国民の究極の代表者が現れる。ここにルソーの思想の危うさがあり、民主主義、特に人民主義が全体主義に陥り独裁者を誕生させるのである(人民の意思として仮構されるの=現代では「世論」)。
・古典古代的価値観を重視する近代社会。有徳で有能な人民の「代表」が集まって政治を構成する共和制。市民の代表として政治に参加し、そこで大きな働きをすることが人間活動で最も名誉な賞賛に値すること。そして、共和主義的な政治とは言論による政治。人前で話し、主張し、自己を表現し、そのことによって賞賛を得る。「公の場」に自己を晒���、つまり隠匿する「私」を重視するホッブズの想定する近代市民とは違う市民像。市民革命といってもイギリスからの独立を目指し、一から国家を創造していったアメリカ社会はこの市民像が今も重視されるものである。アメリカ独立の指導者たちにとっての自由とは公共的なもの、積極的に人々と共同の作業を行い、共同で何かを作り出していく活動(共同体に善きものを実現すること)。そのなかで自己の能力を発揮し、他者からの敬意を獲得する、それこそが本来の自由の本質と考えた。
・フランス革命は王や貴族に抑圧される貧困市民の怨嗟により起こった。既存の権力や権威によって成り立つ社会を破壊することにエネルギーが向けられた(アメリカ独立革命の新しい社会の創造と対局的)。これを批判的にみたのがイギリスの保守の象徴的存在であるエドモンド・バーグである。継承される(「世襲的」)ものの積み重ね(先人の経験が蓄積された)の中で自由や権利が保護されるものとして受けつがれてきたイギリス社会。同じ市民革命でも王権を否定しなかった名誉革命を賞賛する。
・マックス・ウェーバー。宗教改革、特にカルバン派、ピューリタニズムが近代の個人主義を生み出した。神と個人との直接の対峙、特に「予定説」をとるカルヴァン派では神という絶対者が個人の生活の隅々まで監視し、全てを見透す。人の側からは神を見る事はできない。神があたかも存在するかの如く、自分を自分で律するために神を内面化する(教会を通じて神と繋がるカソリックと違うプロテスタントのキリスト教的個人主義)。ベンサムが考案したパノプティコン(近代的監獄)との類似性。強制されるのではなく自ずから自己を律していく「規律訓練型権力」という近代社会の権力の特徴。この合理的権力行使により秩序を形成する近代社会のあらゆる施設や組織でみられるもの(学校や会社など)。
・宗教的権威の後退から内なる神を失った時(人々が確信できる「確かなもの」)、キリスト教的個人主義はニヒリズムに陥っていく。近代の世俗主義、合理主義、自由への要求、経済活動の活発化などは宗教的な権威への信仰そのものを失わせる運命にある。
近代の合理主義は世界という秩序への確信を失わせてしまう。近代科学は事実を明らかにするのが特徴で価値判断(何が確かなものか、善きものか)を行わない。科学を重視する近代合理主義はわれわれの生や活動に意味を与える「確かなもの」を示してはくれない。
確かな価値観を持てない社会。それが西欧近代のおおきなジレンマである。