紙の本
社会学者である大澤真幸氏による思考を深化させる実践例を紹介した書です!
2020/07/10 11:20
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『身体の比較社会学』、『虚構の時代の果て』、『文明の内なる衝突』、『不可能性の時代』、『ナショナリズムの由来』、『生きるための自由論』などの話題作を発表して続けてられる社会学者の大澤真幸氏の作品です。同書は、「何を、いつ、いかにして考えるか」ということをテーマにして、社会科学、文学、自然科学など異なるジャンルの書物の力を触媒にしながら、オリジナルな思考を紡ぎ出し、深化させる実践例を紹介した一冊です。同書の構成は、「序章 思考術原論」、「第1章 読んで考えるということ―社会科学篇」、「第2章 読んで考えるということ―文学篇」、「第3章 読んで考えるということ―自然科学篇」、「終章 そして、書くということ」となっています。
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序章と終章で、読んだり書いたりすることを通しての、批評眼の養い方みたいなことを解説。結構大事なことを言っている。
本書の中心になってるのは、古典文学はじめさまざまな作品の批評だが、序章と終章だけでも収穫はでかい。買いです。
書店によってビジネスの棚にあったり思想や文芸批評の棚にあったりする。なかなかジャンル分けがむずかしい本である。
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自由なはずの研究は、権威に拘束された探究よりもはるかに浅薄な命題しか導き出せない。何者かに不法侵入されたことによって思考は深まり、歩みを続けるのだ。そして、いい問いとは、こうした事情から思考せざる負えなくなったテーマ(問い)である。切実なテーマは、一見何の関係性も無さそうな様々な事象と結びつく。”答えはある”と信じ、理論や概念を利用しながら、自分自身が対峙する問題との折合いをつけていくことが、思考する楽しさなのかもしれない。
一人は間違える。聞いて欲しい、理解して欲しいというテーマについて、他者との対話、”説得力”が思考を深める上で必要だ。それは実際の対話でなく、文章にする際も同じ。但し、”説得力”のある文章を書くには、思考の順番と逆になることを意識した方が良い。野球でいえば、打者が「まいった」というような配球が、”説得力のある文章”なのだろう。そのためには、決め球から逆算して、限られた持ち球を如何に効果的に配球するか。この順番が肝ということだ。球が速いだけでは、プロでは勝てないのと似ているのかもしれない。自分の決め球で打者を打ち取るための配球が”オリジナリティー”であり、その瞬間での”答え”に繋がるものなのだろう。
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人間は放っておけば物を考えるということはない。
答えがなくてもいいんだと思ってしまうと、思考は停止してしまう。
ものを考えるということは、一見モノローグのように見えるが、実は対話である。無意識のうつに相手の反応に触発されている部分が大きい。
歴史学や考古学のような学問の権威の高まりは、ネーションの成立と関係している。ヨーロッパの学問、大学において元々歴史は重要な位置は閉めていなかった。ところが19世紀になって、急に歴史は中核的な学問の1つになった。各国でナショナリズムの嵐が吹き荒れていた時と同じ。
物理学を含む自然科学の探求が、哲学やその他の人文系の考察によって補われなくては、簡潔できなくなったということこそが哲学的な問いが自然科学に移植されていることの含意である。
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150314 中央図書館
主体的に考える力を持つ知性を重んじるのが大澤の方針か。自身のアイデア出し・執筆のやりかた「紹介」のパートは、中途半端にレベルを落とした自己啓発本みたいで、ちょっと気持ち悪い。
その他の「時間をテーマとした社会科学関係の話題」「罪をテーマとした文学の話題」は、それなりの小論文の匂いがして、ちょっと面白い。「神をテーマとした自然科学」は、あまりにも変なこじつけなので、イマイチ。
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メインのところがわからなかった残念
ただ、私がぼんやりと思っていたことが
こうして実践している人がいると思うと安心した
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序章より
「自分の捉えていえるもの、完全には言葉になっていないが、しかし言葉を待ち続けるとだめになってしまうもの、それをまず紙の上に不完全な言葉としてとりあえず書き留めておく。この作業を必ずしなくてはいけない。」
A4一枚で見渡せる一渡り感メモを作る。→話題に順序をつける。→他者に向かってしゃべる。
補助線を入れる、オリジナリティは関係のつけ方(たとえば「レーニンの革命論と量子力学の話とキュビズムについて並列して論じ」ること)
疑問を長くキープする、
終章より
折口信夫は「心躍りのしない文章を書くものではない」と語ったらしい
歩きながら書く。
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p10~11 一生をかけて考えるテーマとはなんなのか、10代の中盤くらいかに基本的なところはできあがる。そのときにはそういう意識はなく、徐々に気づいていく。
おそらく私の一生のテーマは「知とは、考えるとは何か」のような問いだと思われる。ただし、一生のテーマというものは、モヤッとした抽象的な感覚がその実体であるから、このように言葉にした形はその一部を表したに過ぎない。「知、知能、知識、知性、思考、知の表現方法、理性と感情、感覚、興味、意味……」などと、一生のテーマに関するキーワードを上げていくことはできるが、それを言葉で包括的に一義的に表現することは不可能である。おそらくテーマの中核らしきところの一種の表現として「知とは、考えるとは何か」という言葉による問いが存在している。
p15~16 ミネルヴァの梟は黄昏に飛ばず、出来事の最中に思考する。「面白い」と思いつつ、なぜ面白いと感じたのか分析し解釈する。流れに身を委ねる自分と、身を引いて冷静に考える自分に分裂する。自分が二重化する。
私もまったく同じ感覚を持つことがよくある。『構造と力』の「序にかえて」における「ノりつつシラけ、シラけつつノる」も、これと同じことを言っている。
ただ、私が最も頻繁に抱える感覚を言葉にすると「メタ認知しつつ乗っかる」である。この言葉に、筆者の表現との微妙な違いがあるのがわかるだろうか。その違いとは、身を引くことと身を委ねることのどちらが先行しているかの違いである。
私の場合は、最初から身を引いている感覚を持って出来事に接している。「ここで自分がこう言ったら相手はこう思うだろうな」「映画を見るので、今から自分は面白いと思わされるんだろうな」と、メタ認知が先行している。このような認知をしていながら「乗っかる」、つまり「純粋に楽しいと思う」ように努めるのである。
これに対して、筆者の表現では、出来事に身を委ねることが先行し、感情が生じたときに身を引いて考え始める、ということが表されていると思う。
もちろん、私も没入が先行することはあるし、筆者にもメタ認知が先行することもあるだろう。単に、私の抱える頻度の高い感覚が「メタ認知しつつ乗っかる」=メタ認知先行ということが言いたかった。
p24~28 アイディアを言葉にする方法
一目で見渡せる形で紙の上に書いていき、順番をつける
この部分を読んだとき、私は少し驚きつつも、深く共感した。なぜなら、私がプレゼンテーションを作成するときとほとんど同じ方法だったからである。
私の方法について記しておく。あるコンセプトにそったプレゼンテーションをすることを想定する。まず、コンセプトを念頭に置きつつ、「こんな感じのことを言おうか」「こういう感覚を伝えたい」と、明確に言葉にはなっていない状態で、脳内で思考を巡らせる。A4のコピー用紙を1枚用意し、マインドマップ的に、思いつくままに言葉として思考を書いていく。十分な材料が揃い、プレゼンで具体的に自分が何を言っているかの未来イメージができたら、順番をつけていく。別の紙を用意し、1枚目のスライドではマインドマップにおけるこの内容を言う、というように��み立てていく。順序よく並べることができたら、スライドを作り始める。スライドを作る前の段階で内容に関する思考はほとんど終了しているため、考えるのは見せ方のみで済む。
p34オリジナリティとは関係のつけ方である
『思考の整理学』『アイディアのつくり方』と通底している。まあ、この部分に限らず、この二つの本と通底した内容が書かれていることが多い。思考というものについて書かれているから。
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わたしたちは、普段、コレコレについて考えよう、といって考え始めるのでしょうか?例えば、地球環境、戦争、マイノリティの問題、人種の問題。そういうこともあるかもしれませんが、突然想定していなかった状況に追い込まれることによって、取り憑かれたように考えるようになるとき、人は深く思考しはじめるものです。このことをドゥルーズは「不法侵入」という言葉で表現しています。例えば自分がトランスの当事者であり、社会的不利益を受けたとき、性とは何かについて考えざるを得なくなる。自分とは何かについて問わずにはいられなくなる。例えば被災することで、技術の進歩と弊害について頭を悩ませなければならなくなる。生きるとは何かについて考えなければならなくなる。
この本は、そうして、思考し始めたさいに、どのようにそれを深めればよいのかを示しています。著者の大澤氏は社会学者ですが、歴史学から自然科学までの幅広いジャンルに目を通し、氏の通底するテーマ(例えば「不可能性」はその一つです)に絡めて論じます。
テーマに沿って「読む」というのは普通に鑑賞してただ面白かったつまらなかったというのとは異なり、慣れなければ難しいものですが、本書では大澤氏の考えた実例をとおしてそのやり方を眺めることができます。みなさんも、自分の人生を通したテーマを思い起こしてみてはいかがでしょうか?