共感を覚える一冊
2024/04/20 16:41
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BK2_kwsk - この投稿者のレビュー一覧を見る
副題の反リーダーシップは、著者が力を込めて書いたメインテーマではないように思う。主な議論は、かつて地域社会が担ってきた仕事、ゴミ処理や冠婚葬祭などが専門化して、役所や専門業者が担うようになったことで、現代の地域社会は機能が低下しているという指摘が柱なのではないかと思う。
その他、現代の日本社会について、多くの指摘が展開されているが、その多くは、普段の自分が折に触れてぼんやりと感じたり、考えたりしていることと一致。共感を覚えつつ読んだ一冊となった。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たる - この投稿者のレビュー一覧を見る
「成長」の予感が安心をもたらす社会、「縮小」へとなかなかに反転できない社会というのは、実は未来をあなどる社会ではないだろうか。社会が人口減少に向かうなか、まず脱ぎ棄てなければならないのは、どうもこの頑迷な感覚のように思えてならない(p25)右肩下がりの時代だからこそ、問題を未来の世代に持ち越してはならない。先頭で道を切り開いていく人(従来のリーダーシップ)よりも、特定の世代に負担が集中していないかと仲間の安全を確認してから最後に引き上げる「しんがりの思想」が重要となる。
投稿元:
レビューを見る
鷲田さんの本。バリバリの哲学関連の内容では
ないものは読みやすい。
強いリーダーではなく、しんがりを務め、フォロワーシップ精神にあふれた人が大切であるということ。
我々は、顧客・消費者ではなく市民であるべきということ。
右肩下がりで成長神話のみを追いかける時代ではないこと。
それぞれ非常に大事なことだと思います。
企業に働いていても、資本主義・成長至上主義ってもう無理ではないのかという思いを抱えながらという状態であり、これらの考え方がイノベーションを起こすのではと思います。
最後の一言『請われれば一差し舞える人物になれ』
これが一番大事なことだと思いました。
投稿元:
レビューを見る
しんがりの思想 鷲田清一
1章 成長とは別の途
成長の予感が安心をもたらす社会、縮小へとなかなか反転できないしゃかいというのは、実は未来をあなどる社会ではないだろうか。
柳田邦男 80年前、貧困と病による自殺の急増を見て思ったのは「説くにも忍びざる孤立感」というもの
顔にも貧窮が苛烈であったとき、それでも人々は協力して救済に当たった。つまり共同防貧の仕組みがあった。ところが
「われわれの生活が思い思いになって、衣でもも焼苦渋でもまたその生産でも、個人の考えが次第にククに分かれるようになった時代が来ると、災害には共通のものがおいおいと少なく、貧は孤立であり、したがってその防御も独力でならぬよう傾いてくる 」
「孤立貧こそ社会病」
自立と独立
独立は一人で生きていくこと。つまり非依存
自立は相互依存がある仕組みのなかで一人で生きていくこと。誰かがリスクを負っても他の誰かが助けて全体でリスクを減らそうと試みること。
「われわれは公民として病みかつかつ貧しいのであった」 柳田邦男
この傾向は明治からあった。福沢諭吉は明治初期に政府の文明化政策の目を見張る成果にもたれかかり、次第に依存体質になっていく民の姿を憂い、私立(民間の独立)の必要性を訴えかけた。
福沢は国民こそ本来、国の権限の源であるのに、相変わらず政府を拝んでいる。学校や鉄道ができても人民はそれを一国の文明の象徴として誇るべきなのに、かえって政府に私恩に記し、ますます賜に依頼するの心を増すのみ。人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るもただに無用の長物のみならず、かへって人民の心を退縮セシムル具となるべきだ。
独立の気迫がないとますます依存体質になると説いた。
国家は人民が起こした商社みたいなものであって、そこで国民は商社の主人(政府を作る)であり、かつ商社の客である。普段は客であってもいいが、もし政府の命令が信用できないものであったなら如何なく議論し、政府の間違いをついて、民権を回復するべきである。つまり客ではなく主に帰れと。
東日本大震災 首相の無能さへの非難は本質的にはその人たちを選んだ自分たちにも責任があるのではないかという問い。
私たちに求められているのは、政治というサービスの消費者ではなく、社会を担う。受け身ではない市民としての振る舞いではないのか。
右肩下がりの時代をどうソフトランディングさせるか。何が本当に大切でなにを捨てるべきか考える時代になった。
二章 サービス社会と市民性の衰弱
投稿元:
レビューを見る
繰り返しが多いと思ったが、まっとうなことをおっしゃっています。なんでも外注に出して誰もがお客さんになっている、と、本当にそれは感じる。
投稿元:
レビューを見る
縁の下の力持ちの重要性について論じた本。誰もがその役割を担うことを心がけるべきだというのが本書の主張。
この主張には納得できる部分もあるが、フォロワーシップとリーダーシップはバランスをとることが重要だと個人的には思う。どっちが消えてもダメ。
投稿元:
レビューを見る
自身の実生活に重ねて強く感じたのは、地域コミュニティーの崩壊が進む深刻さ。
SNSは人を緩く繋ぎ続けることはできても、実体のある活動としての地域社会を維持できるかという面ではマイナスにすらなりうるのではないかと考えた。
外に出て、言葉を交わし、お互い対等な立場で何かを作り上げるイベントが地域に必要であると思う。
投稿元:
レビューを見る
いつも通りの鷲田さん、やっぱりいつ読んでもいいなぁと思う。こんなに現代社会を言い当ててるひとは数少ない。しかも、こんなに大切な言葉で。あったかい言葉で。
投稿元:
レビューを見る
縮小社会・日本に必要なのは強いリーダーではない。求められているのは、つねに人びとを後ろから支えていける人であり、いつでもその役割を担えるよう誰もが準備しておくことである。新しい市民のかたちを考える。
「BOOKデータベース」より
リーダーになりたいなんて思ってないし、リーダーになれ、と言われても断るような自分には半分不要な本.働くときに傍(はた)を楽(らく)にしながら仕事をしようと思っている人にも半分不要な本.リーダーになれと無責任に言う側の人間が読むべき本.
自分に必要と思う半分は、頭ではわかってるんだけどね.という感じ.これほどまでに冠婚葬祭のみならず生きるに必要なことの大半がお任せになる以前の生きることに対する姿勢と実践.
東南アジアの山の中に行けばあるけど、これはグローバル化とかインフラの整備とかいう名のもとになくなっていく現象がある.
社会は前に進んでいるのか後ろに進んでいるのかと思う.
投稿元:
レビューを見る
http://kumamoto-pharmacist.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-5fa2.html
投稿元:
レビューを見る
フォロワーシップという言葉がある。
良いリーダーとは、
リーダーシップとフォロワーシップを兼ね備えていること。
いざという時には人々を力強く導くこともできるが、
普段はじっと見守り、
行動しようとしている人をサポートし、
集団を背中からぐぐっと押し上げてくれる。
そんな人になりたいし、
何よりも目の前の生徒たちにはそういう力を身につけてほしい。
投稿元:
レビューを見る
・「しんがり」の務め…この国は本気で「退却戦」を考えなければならない時代に入りつつある。そのときリーダーの任に堪えうるのは、もはや「引っ張っていく」タイプのリーダーではない。それは「右肩上がり」の時代にしか通用しないリーダー像だ。これに対して、ダウンサイジングの時代に求められるのは、いってみれば「しんがり」のマインドである。
・「しんがり」とは登山のパーティで最後尾を務める。経験と判断力と体力にもっとも秀でたひとがその任に就く。一番手が「しんがり」を務め、二番手が先頭に立つ。そしてもっとも経験と体力に劣る者が先頭の真後ろにつき、先頭はそのひとの息づかいや気配を背中で伺いながら歩行のペースを決める。要は「しんがり」だけが隊列の全体を見ることができる。全体のケア、各所への気遣いと、そこでの周到な判断こそ、縮小してゆく社会において、リーダーが備えていなければならないマインドなのである。
・政治や企業活動と地域社会の違いは、専従のリーダーがいないこと。社会がいやでも縮小してゆく時代では、先頭で道を切り拓いてゆくひとよりも、むしろ最後尾でみなの安否を確認しつつ進む登山グループのしんがりのような存在、退却戦で敵のいちばん近くにいて、味方の安全を確認してから最後に引き上げるような「しんがり」の判断がもっとも重要になってくる。
投稿元:
レビューを見る
昭和から平成へと時代が移り変わり、様々な生活スタイルが変わって行く。将来子供達の時代はどうなって行くのか?
投稿元:
レビューを見る
各論には反対、というかとうていついていけないようなところがあるけれど、現在の市民はあらゆることに「おまかせ」になっているという批判については同意。
最近の著者は、だから草の根でも何かやろうよ、という立場で、実際にそれを実践していたりするのね。
投稿元:
レビューを見る
右肩下がりの今であるからこそ、一人ひとりが自立を考え、慎ましやかな人生を選択する必要かあるのだ、と共感しました。
インターディペンデンスのくだりは頻出過ぎてクドイ印象だが、主張は肯定に値するものです。