紙の本
名作でした
2015/04/26 17:21
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投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書が発表されて50年くらい経っていますが、色褪せない着想と展開は、文句なしの名作です。
冒頭のたどたどしい文書がポイントだと訳者のあとがきには書いてありました(451ページ)が、私にはどうにもかったるく感じてしまいました。話が展開し始めるのは、チャーリイがコンマの使い方を知る(76ページ)あたりからです。
一方、後半の脳の働きが低下していく様子には切なくなりました。ただチャーリイが元のチャーリイに戻るラストはハッピーエンドのようにも感じました。
訳者によるあとがきに、「二十代の終わりは激しい感動の涙、四十代は同情の涙、八十代は安らかな涙(461ページ)」と、この小説は年齢によって感じ方・受け取り方が違うと指摘されています。五十代の私は、チャーリイへの同情と安らかな涙が入り混じったような読後感でした。
本書には、成長して知恵がつくと、同時に大事な何かを失うといった深遠なテーマが含まれています。そして、獲得したはずの知能を喪失すると、失われていた純粋さが戻り、同時に昔の友人も戻ってくるというところには救いがありました。ラストに題名の意味が分かるというのも良かったです。
紙の本
究極的な人生の縮図
2023/11/03 14:00
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投稿者:あお - この投稿者のレビュー一覧を見る
本作を読もうと思った動機が、「惑う星」(リチャード・パワーズ著、木原善彦訳、新潮社)の商品説明で「21世紀の『アルジャーノン』」と評されていたことだった。逆に言えば、正直、この本と出合わなければ未だに「アルジャーノン」を読もうとは思っていなかっただろう。
大体のプロットは子どもの頃から知っていたが、実際初読の際は苦労した。知的障害を持つ主人公チャーリイの書く≪経過報告≫が物理的に読みにくく、また物語全体にどことなくフロイト心理学を彷彿とさせる難しい要素もあって、ストーリーを掴むのに精一杯だった。だが何度か再読するうちに、自分なりの本作の≪主題≫のようなものが見えてきた。
自分にとっては、この物語は人生そのものを表しているように思える。
知的障害を獲得しているか否かに関わらず、一人の人間が生まれ、子どもから大人になり、そして老いていく過程を見ている、と。
人は成長するにつれ、できることが増えていく。できないことが、できるようになってくる。
それと同時に、子どもの頃に持っていた、言葉が通じなくても伝わる何か――やわらかな心から生まれる温かさのようなものが、徐々に薄れていくような気がする。
本作にはいろんな大人が出てくる。知的障害者を見下す世間の人々。出世レースから振り落とされまいと血眼になって被験者の人権は二の次になっている学者。主人公のありのままの姿を認めることのできない家族。誰もが、自覚していようがいまいが、他の誰かを傷つけながら自身を守っているのだ。なまじ知能がある分、そういったことに躍起になる。
一方、人は周りの世界が広がるにつれ、考えることがいろいろ出てくる。自分は何者なのか。自分にとっての本分とは何か。人との繋がりについて。愛とは何なのか…などなど。
人為的に知能を増大させられた自らの予後を直感した主人公チャーリイ・ゴードンは、残された時間をかけてそれらに必死に向き合おうとする。その姿こそ、人生の値打ちと言えるものではないだろうか。
彼は急速に増大した知能をもってしても、自分を取りまく世界をすぐには理解できなかった。知識が増える、頭が良くなるに越したことはないだろうが、それだけで、生きていくうえで直面する問題が解決するとは限らない。人が人として生きていくのに、十分とは言えないのだと、読者に語りかけてくる。
後半からラストへ向かうシーンは、認知機能低下が進行していく人の病像をそのままたどっているようだ。記憶力低下、遂行機能障害が進みゆく中、チャーリイは愛について知る。獲得した知能が失われてもなお、その下の基盤、すなわち感性、情緒というものは確かに存在するのだと、どこか厳かな気すらした。
自分は「とても心を揺さぶられた」というほどの感性をどうも持てていないようだが、これまで生きてきた中でようやくチャーリイ・ゴードンに会えたことにささやかながら感謝しよう。
紙の本
翻訳の人の力がスゴイと感じた
2023/07/15 15:22
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投稿者:みえ - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初のつたない文を、とても分かりやすく表現されていて、感心した。脳に何らかの手術を施されてからは、だんだん誤字がなくなり、理路整然とした形に変わっていく様が、逆にとても恐ろしく思った。
書店員さんのお勧めコーナーで目にとまったので読んで見たが、後味が悪かった。感動とはほど遠い。知的障害の人をからかったりしている様が、読むに耐えなかった。昔だから?今だと、家族でも地域でも、社会は手を差し伸べて助け合っている気がする。ホラー感があった。
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昔、何度も何度も読み返した本。新版ということでまた読みたくなって何度目かの再読。決して「面白い本」じゃない。ただ、心に突き刺さる何かがあって、自分に影響を与えている。いつまでもこれからも何度も読んでいく本なんだろうな。
医学の進歩によって賢くなったチャーリー。彼が得たものはなんだろう。人並み以上の知能、人を愛する心。でも良いことばかりじゃない。小さな頃の記憶が甦るも、それは悲しく辛い思い出も多かった。純粋だったチャーリーが賢くなるにつれて、人間の汚さやずる賢さも知ることになる。
そして訪れる副作用。どんどん元のチャーリーに戻って行く。。チャーリーは、アルジャーノンは幸せだったのかな。
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分かってはいたけれど、やはりラストのくだりは号泣してしまった。チャーリーがあんなに願っていた賢い人間になること。なのに、記憶される事がなかった過去を思い出しては辛い思いばかり。どんなことも純粋な心で受け取っていたのに、人々の言葉や態度の裏にあることを知ってしまい激しく傷ついたり…自分を見捨てた家族に会いに行っても父親は気付いてくれない。母親も昔のまま…自分は一体…
その内、副作用で向上した知能が後退していく。記憶力が低下し、字も読めず、書くことも困難に。身体的能力も低下していく。あんなに色々な事が出来たのに…愛する人への気持ちは変わらないのに…パン屋の友人も大好きなのに…元の自分に戻っていく恐怖や不安のなかで、チャーリーは1つの決意をする。心優しい、純粋な気持ちを持つチャーリーに戻りつつ、賢くなった時の事を思い出し手紙に綴る。又、沢山、本を読みたい。字を書きたい。人を愛したい。家族に会えた事、全部とても良かった、と。だから後悔していない。ありがとう。って。今、書いていても涙が止まりません。
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実験・手術を受けて幸せだったのか、不幸だったのか…。
多くの人と出会えたことが幸せだったのかと。
訳者あとがきにある、著者との交流も良いエピソードでした。
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闘病中に読んだ本。医療技術で新しい人生を得たが、いつまでもは続かなかった。可能性を信じるのもいいけれど、いつかは来る壁。心理的な変化によって変わる周囲の人間。試行錯誤の変化を感じた。
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テレビドラマを見てからの購入であったが、ドラマにはドラマの良さがあり、小説には小説の良さがあった。
「頭さえ良ければ幸せなのか。」と、考えさせる。
知的障害のチャーリイが脳手術を受け、知能が高くなって副作用で衰退するまでを本人筆の「経過報告」という形式で描く。日記に近いか。
タイトルもはじめは「けいかほーこく1」。「ほうこく」ではなく「ほーこく」であるところが、聞こえたように書いてしまうことを示唆している。
「頭がよくなりたい」という願いが叶い、知能はものすごく高まったものの、精神が幼いままのため周りから人が離れて行ってしまうという皮肉。また、知能が低ければ気づかなかった、しかも気づかないほうが幸せだったことまで、知能が高まったことによって気づいてしまう。
頭が良ければ幸せになるのだろうか。必ずしもそういううわけではないのだろう。
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経過報告書形式で、主人公チャーリーの知能の変化が書かれている。文体の変化で、知能の変化が読者に伝わる。人として扱って欲しい、の叫びに胸が痛みます。どんな姿になっても主人公のやさしさは変わらない。アルジャーノンのことも忘れずにいようとしている。
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とても優しい魂を持つ人に出会いました。
天才に変貌した青年が知ることとなった愛と憎しみ、喜びや孤独、醜い感情、そして人の心の真実。
チャーリイの検査から手術、術後の経過報告を読者が読むという形で話が進むのが斬新だなと感じました。
チャーリイの持つ純粋な心に、最後まで前向きな気持ちを持ち続けたことに胸を打たれました。
アルジャーノンに起こった事態から、手術の副作用で自分がこれからどうなるのかということにチャ―リィが気付いてからは読むのがとても辛かったです。
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知能レベルが急上昇するにしたがってチャーリイの文章が変化していく様子が興味深く少しずつ読み進めていましたが、アルジャーノンがおかしくなってしまうあたりから先が気になって一気に最後まで読みました。
自分の運命を悟ったチャーリイが苦悩する様子も切ないですが、文章に句読点が少なくなったあたりから退化しているリアルさが迫ってきて、とても哀しくなりました。
一気に読み、最後の見開き2ページで急に涙がこみあげて、読後に号泣してしまいました…タイトルに込められたチャーリイの優しさに、生きて死ぬってどういうことなのか改めて思い知らされました。
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幸せって自分で感じるもの。
生死をかけた手術を行い、その後のチャーリーの努力によって、彼は欲しかったものを手に入れる。でもそれは、彼の人生において本当に大事なものだったのだろうか。
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自分はパン屋の面々に憤ることができるのか、自分がローズやニーマーのような立場になったとして周りの「チャーリー」を尊重することができるだろうか。何らかの事情(事故やら痴呆やら)で私自身がチャーリーになったとき、それでも他人に対してかれのような思いやりがもてるだろうか。
その辺は頭の中に置いておくとしてアリスを抱くのにフェイと思い込もうとしたりフェイをアリスの代替品と言ってのけたりするくだりは素直に最低だな!と思いました。
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存在しているはずなのに考えないようにしてることとか、もやもやしてそれが何ものなのか分からないこととか、そういうものは今の自分の段階より高い所からでなければ見えないものなんだろうな。かしこくなりたい。でも白痴として生きて行く人生もそれはそれで幸せなのかもしれない、なんて無責任なことを思ったりもした。
将来自分のこどもが勉強したくないなんて言い出したり、勉強に行き詰まったりするような時にはこの本を勧めたいと思う。
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知能がどれほど高くなっても、あくまでそれは人間の範疇を超えないのであって、それは感情や意思の面でも同じであろうと思います。それゆえ、自身の結末に気づいたときのチャーリィの気持ちは察するに余りあるし、その後の行動も大変に勇気あるものだと言いたいです。また、それに寄り添う覚悟をしたアリスについても同様です。
再び養護学校にチャーリィが現れた時のこと、アリスは一生忘れることができないのではないでしょうか。
願わくば、チャーリィやアリスには余生を心穏やかに過ごしてもらいたいです。