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主人公は村田蔵六(大村益次郎)。彼が徐々に時代に呑まれていく様子、また長州側から描かれた「幕末」という時代、すべてが読みごたえたっぷりです。木戸孝允など、のちに明治政府を担う人々についての描写も見逃せません。
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司馬文学の中で一番好きな小説。幕末の混迷期に運命を左右された人物、大村益次郎(村田蔵六)の物語。その恐ろしいまでの合理主義、生まれながらの実務家としての才能のために非業の死を遂げる。幕末に興味のある方には是非読んでもらいたい一冊である。歴史の教科書には僅かに出てくる人物だが、こういう人物がいなければ、現在の日本もなかったということに注目したい。
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主役大村益次郎をはじめ、本人の知名度の割には、
その言葉には有名なものが多く、現代では知られていないが、
偉大な人物達の様子を想像させてくれる作品。
シーボルト門人 宇和島の人 イネの師匠・かつ養父 二宮敬作
『成せば成る 成さねば成らぬ 何事も成せぬと言ふは成さざればなり』
幕末において、戦術と戦略を区別して考えることができた軍事的天才。
○砲台画餅論
当時砲台の戦術的な威力はなるほどすさまじいが、品川のお台場一つに作ったところで、
敵艦が台場すれすれに近づいてくれて、初めて発射できる。
わざわざそれに近づく間抜けな軍艦はおるまい。
軍艦の射程も延びてきており、また日本沿岸を守備するためには、途方もない数の、高性能な砲台を築かなければならない。
そういう意味で、幕府の砲台守備論は戦略的展望眼に欠けている。
とはいえ、外国も怖いが、幕命も怖い。幕府に取り潰されないたためにも、
とりあえず形だけの砲台を作りなさい。そうして時間を稼いでるうちに時勢も変わり、
幕府も自分がやろうとしている行いの愚に気づくだろう。
日本人は海外の技術を、自分の文明を作るための道具としてあつかってきた。
だから、儒教を採用したり、蘭学を採用したり、今度は英学がよいとなれば、とびつく。
和魂漢才から和魂洋才へ。国として保つべきは魂であって、外国技術の良いところは、
どんどん取り入れたらよいという発想。
外国技術には、その背景・土壌・思想・思考法・社会などがあってはじめて成立し得た存在だが、
日本はそこから、技術のみをひきはがして取り入れようとして、人間までは外国人の発想にはならない。
開明という現実主義と攘夷という壮烈な非現実主義の戦いは、日本にあってはこの時代だけでなく、
ほとんど体質的な持病といっていい。
物語の登場人物は、医者が多く、当時社会的身分はまだ低いが、
外国語を専門的に勉強する必要がある唯一の職業であった。
そのため、軍事・政治・その他先進的な学問に守備範囲が広がっていく事が多く、
医者出身の学者・政治家は思いのほか多い。
また、新鮮な知識が多量に入ってくる時代でもあり、医者達の知識欲の広がりがひしひしと感じられ、
学問を愛するかのごとく夢中になっている様は、読者の勉強欲を書きたててくれる何かがる。
福沢諭吉が咸臨丸でアメリカに行っても、すでに物理学や蒸気期間の原理をぜんぶ知っていたから、工場見学が
退屈でたまらかった。という感想を持つにいたらせた。
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明治維新後の新政府の軍の総司令官になった人物、大村益次郎。
昔から蘭語、医学を学び、海外からの知識を生かして周りの需要にただただ応えてゆく。
幕府の教授を辞めて、何の身分もない自分の藩(長州藩)に帰ったところがいい。
技術者であり観察者。最期までその姿勢を崩さない姿は驚嘆させられます。
ちなみに司令官というのはこの世で最も得がたい才能なのだそうな。
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今まで読んだ司馬遼太郎の中で1番。
信念を貫いている生き方ととっつきにくい性格の大村益次郎はかっこいい!
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周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。
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幕末時代を生きた天才、大村益次郎の一生を描いた小説。
倒幕のエネルギーの基礎を唱えたキチガイとしての吉田松陰、それを実行にうつし実行者として先進的な役割を果たした高杉晋作
そしてそのエネルギーを一番下のレベルに奇兵隊という形で落とし込んだ大村益次郎という三者の生き様を主に大村益次郎をもちいて描く小説。
革命(大きな変革)の分析としてもとても面白い。
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幕末の兵学者である明治軍制の創設者である大村益次郎〔1824〜1869〕の生涯を描く。旧名は村田蔵六。長州藩の村医者の子であったが、大阪の緒方洪庵の門で蘭学と医学を学び、塾頭をつとめる。宇和島藩主伊達宗城に見いだされ、同藩の蒸気船建造に尽力する。やがて江戸に出て幕府の蕃書調所に仕えたが,長州藩に認められ,同藩の兵制改革に活躍をする。
三巻本の第一巻は、ペリーの来航から日米修好通商条約の締結、安政の大獄と、鎖国下の日本が大きく揺れ動く時代。貧しい村医者の息子だった村田蔵六が、その学問と語学(オランダ語)を買われ、本人の予期に反して、時代の求めに応じて信じられないような「出世」をしていくさまが描かれる。
その「出世」の過程に同一化することができるせいか、すこぶる面白く読める。シーボルトの娘・イネとの恋愛(この部分は、たぶんに作者の想像も含まれようが)にも触れられてあきない。楽しんで読みながら、幕末の日本人がどのようにしてオランダ後や英語を習得し、西欧の技術を自己のものにしていったがが、村田蔵六という男の具体的な歩みを中心にして語られていく。
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僕の中では歴史上名前は知ってるかなーくらいの大村益次郎を中心に幕末の長州を描いた作品。益次郎の予備知識がゼロなので先入観なく頭の中に入ってくる。
珍しく、愛だの恋だのって話が出てくるが益次郎は関せず。明治の男らしい。寡黙すぎるので、本当の腹の中はどうなんだろう?って思ってしまうね。
しかし、この本を通じてやっと幕府、朝廷、長州、薩摩の立ち位置が理解できたよ。これを機会に長州を勉強してみよう。やっぱ高杉晋作だなぁ。
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内容(「BOOK」データベースより)
周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。
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この本の時代背景は、幕末〜維新にかけての日本である。主人公である大村益次郎は、百姓の子から村医者を経て出世していく、というこの時代に特有で、なおかつよくあるような話にみえる。
この本の不思議さは、花神という題名から受ける印象と、大村益次郎の人柄が結びつきにくい点である。益次郎は、無愛想な変わり者であり、人望も薄く、この時代でなければ、出世は難しいと予測される性格である。これから益次郎が、いったいどのように時代の流れに切り込んでゆくのか見ものである。
このほかに興味深いのが、益次郎とシーボルトとの奇妙なつながりである。シーボルトについての記述が細かく、その人となりや、本当はドイツ出身であったことなど、私にとってはじめて知ることも多かった。シーボルトもかなりの変人だったようだが、当時の日本といえば極東の未知の国であり、きっと今でいう、アフリカの先住民族に日本人が会いに行くような感覚なのだろうと、想像してみると少し納得できる部分があっておかしかった。
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靖国神社に銅像が置かれてる大村益次郎。彼が何したかってのは日本の近代陸軍の創始者とかそんぐらいだったんですけど、この歴史小説はその大村益次郎を主人公にしたもの。若い頃から宇和島藩、幕府、ついで長州藩に取り立てられて英学を志すまでを描いている。シーボルトの娘イネとの関係の描写も人間を知ってるからできるものだと思う。それとこうゆう変わり者で凄いヤツってのが幕末にはゴロゴロいたんだなってところでは戦国時代に似てるものがあるなと知った。幕末は今まで興味なかったんだけど、これが人気のある時代なのがようわかった。
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村田蔵六。
あるいは大村益次郎。
幕末の長州藩兵を率いて数々の戦いで勝利をおさめ、明治陸軍の基礎を築いた男。
多くの幕末人同様、自分の人生を一個の目的のために使い切ったひとりではあるのだが、燃やしつくしたというよりは目的のための一つの部品として、自分を使い切ったという印象を受けたのは僕だけだろうか。
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花神(上)(中)(下)
司馬さんは、大きな矛盾を抱える人間のことを、よく書いているように思う。蔵六もその一人。彼の矛盾というのは、世界で通用する才を持ちながら、結局は故郷の長州(かつての蔵六に見向きもしなかったのに)のために尽くすことになった、ということである。それは、師である洪庵の葬式で、蔵六が福沢諭吉とやりとりする場面によく現れている。そのような蔵六の行動の指針を決めた最後のものは「土俗的なナショナリズム」であると、司馬さんは指摘するが、とても興味深い。
人間は、不可解だ。だから人それぞれ違った魅力を持っている。
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読み終わった
上中下巻。NHK大河ドラマテーマ曲集を聴いていたら、77年のこの作品のテーマ(林光作曲)に感動。作品自体も非常に評価が高かったので読む。
長州藩士大村益次郎を中心に、激動の幕末を駆け抜けた様々な人間模様を描く群像劇。そんな中でも不器用でまっすぐな村田蔵六の生き様が、しかし人間味あふれる形で描かれているのは心地良い。
タイトルの「花神」にも深い意味が込められている。決して自ら歴史の表には出ようとせず、歴史に必要とされ、その役目が終わると忽然と姿を消した蔵六。その、謂わば歴史の「裏方」である蔵六を「花咲か爺さん」にたとえるとは、司馬遼太郎の「粋」が伝わってくる。