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全3巻の二巻目。蛤御門ノ変から石州口の戦いまでを収録。軍務大臣に抜擢されたこの人無しでは長州藩は壊滅し、維新は別の形で成立していただろうと思われる活躍ぶり。でもどこまでも技術者に徹し、人的な魅力に欠けるのでどうも目立たない感じ。派手さがないからなぁ、大村益次郎。
異相だったらしいし(高杉に火達磨とかあだ名つけられてるし)
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ついに長州は、攘夷を火種として暴発した。攘夷家という名の狂人たちが、日本中に溢れていた――そして、少し前まで諸善の根源だった長州は、諸悪の根源と見られるようになった。
しかし、そのような時代にあっても、蔵六はまだ長州に忘れられている。1人ぽつねんと江戸に残り、書に埋もれながらも、長州の行く末を憂えていた。
ついに、長州内でも無名だった蔵六が、『大村益次郎』として全国に勇名を馳せる。
この巻の見所の一つはやはり、桂小五郎に対する蔵六の信頼が一気にあがったことだろう。
蔵六は技術の申し子であり、技術を何よりも信頼し、蔵六はそのこと自体に何の疑問も持っていない――しかし、同時に、彼を必要とする人間たちも、彼の技術しか欲していないということを知っていた。
そうであるのに、桂はその人柄を信頼した。蔵六は偏屈な男であったかもしれないが、このことにいたく感動している。やはり彼も人間であり、実力も十二分にあったが、やはり『人間から命をかけて信頼される』ということには凄い影響力があったのだろう。
そしてもう一つの見所は、幕軍と長州軍による『日本式軍隊』と『洋式軍隊』の激突の様子であろう。
『無様に生きるよりも美しく死ね』とする、江戸期に培われた武士道を持つ幕軍。それに対して、少ない怪我人で勝利を目指すことを合理的に考え抜いた長州軍。それらを比較しただけでも、その勝利の行方は明確であろう。
一対千でも降伏しない幕軍兵や、銃弾の雨の中を戦国時代よろしく騎馬兵として刀を片手に乗り込んでくる幕軍兵。それらの勇姿は確かに長州軍の心を揺さぶったが、勝てるかどうかというと、それは無理な話である。
武士道は美しい。しかしそれは形式的な美でしかない、とも同時に思うのである。
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国内問題ではあまり騒がず、外交問題となると、全島のすべてがいっせいに発狂しかの観でさわぐ。
日本人の習性的騒乱癖の祖形をなしているのが、幕末の尊王攘夷論のさわぎであった。
大村益次郎が、伊藤博文、井上馨ら、長州の秘密留学生らが、わびしさや不安に途方がくれてる時に、見送りの言葉。
『戦うには、まず敵をしらねばならぬ。』
古来、勝利者は兵力の集中に成功した者であり、これとは額に敗将たちの敗戦の共通理由は兵力の分散にあったということを、
蔵六はよく知っていた。
津和野藩出身 西周 森鴎外
西は哲学ということばを作って、日本の人文科学の術語の多くを、翻訳もしくは創作した。
こんにちの表現力に富む日本語を共有できるようになった、基礎を築き、森もまたそれに貢献した。
長州の攘夷熱に浮かされず、また、無名の村田蔵六という村医を対幕戦の総司令官に抜擢した、
特別な技術や知識があるわけでもないが、ブレない感性を持ち、全体のバランスを取ることがうまい、桂小五郎。
彼や長州藩の政治力や理論好きが描写されるシーンが多い。
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周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。
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遂に村田蔵六より大村益次郎に改名して大飛躍を遂げた。(実際は飛躍したので改名したのだけど)
国に弓を引くのがただの田舎の一藩の長州というのに驚かされる。いろんな既成概念や制度をひっくり返すのはたった一人の人間なんだなと思う。その一人の人間を支える人がいるのだけど、人に預けるという判断ができるトップの存在というのが重要なのだろうね。
日本人は元来臆病で律儀な性格なのでトップダウンの体制が合っていたのであろう。徳川に楯突いた長州の百姓も優秀なトップがいたからこそなのだろう。
戦争で兵士を信頼させる方法はひとつ。勝つこと。百姓出身の益次郎も勝つことにより信頼された。これはとても重要なことだ。結果を残すことが重要。ふむ。
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村田蔵六が長州に召抱えられるようになって、江戸で塾を開いていた頃から軍事顧問として士分となり大村益次郎を名乗り、幕府との戦いで総指揮をとって緒戦に勝利を収めるまで。
イネとの関係がなんかウジウジと見てられないような気もするけど蔵六のそうゆうとこははっきし言って凄いな。信念なのかなんなのか。そして軍事の知識は書物からだけだったのに初陣で総指揮を取り勝利を納めていく過程はやはり時代に味方されたってのもあるんだろうけど、蔵六の天才でもあるんだろうな。司馬さんが書くように軍事の天才ってのは滅多にでないしそれは教育できるものでもないようだ。もちろん凡人をそれなりに仕込むことはできるんだろうが。
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エネルギーとしての「攘夷」
思想だけでは発展(ここでは革命)できないのか。
老化肥大化した組織幹部に、精神のはつらつたる器量人などはひとりもおらず、たとえ補佐者に才物がおっても、その意見はかならず愚論に圧殺される。結局は常識的な正攻法をとるのである(312頁)
リーダーシップと権威の分離 ⇔ 権威を先に与えることで発揮できるリーダーシップ
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Kodama's review
維新寸前。長州を中心とした志士が出てきて、面白くなってきました!下巻楽しみです!(05.09.30)
お勧め度
★★★★☆
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物語後半は長州藩vs幕府の戦争の描写であるが、これが素晴らしい。
兵の数では700人とかなり少ない長州藩だが、藩内部の意思統一、武器、戦略、戦術においていずれも幕府軍を凌駕し、戦いを優位に進めてゆく。
蔵六(主人公)の兵学思想にはスーパースターは不要で、忠実に命令をきく歩兵がいれば良い、後は敵より良い武器を与えて兵器と戦術で圧倒していく、という解説が印象深い。
敵を倒すための条件を規定し、条件を満たすためのtodoを洗い出し、粛々と進めてゆく、そして想定どおりの結果をさも当然とばかりに確認する蔵六。これって正に仕事の出来るプロジェクトマネージャーのストーリーとして、現代にも十分通用すると思う。
現実世界では自分の仕事に行き詰まりを感じているのだが、勇気をもらえた1冊です。
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桂小五郎に抜擢され、四境戦争の軍務大臣となる。
この時期の、長州について、桂、高杉、伊藤、井上を登場させ、書かれている。
大割拠の時代、独立国となり、百姓が政治と、軍事に参加する面白い時代となった。
桂の天秤の能力、やさしさ、無私、口が堅い。
薩長連合、坂本竜馬を長州の側から見る面白さ。
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「戦争は科学を進歩させる」とよく言うが「科学が戦争を進化させる」こともある。
目に映る手がかりは何もなかった時代に、自分の蓄えた知識と想像力だけを頼りに戦争をし、あまつさえ勝算を見いだしていたというそのエネルギーと精神力はどこから来たんだろうか。
そして今の私たちは、なぜ彼らのようなエネルギーを持ち得ないのか。
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さまざまな幕末の若き志士たち。
あるものは”儀”を持つことで、強さを得、
また
あるものは”技”を持つことで、前者とは違った強さを得た。
蔵六は後者である。
”技”を信奉した蔵六や福沢諭吉、イネ 等。
歴史の渦には抗えずに巻き込まれようとも、
しかし
時代の思想から超越した、精神の自由さを感じた。
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上巻では医師としての村田蔵六(のちの大村益次郎)を描いていたが、桂小五郎など様々な縁があって長州軍の重要ポストに就任し、軍人人生としてのスタートを切っていく。この蔵六がそれまで戦争未経験者であるのみならず、武芸、喧嘩等の類いも触ったことがないという背景が興味深い。あくまで医師として、学者としての道を歩んできた人間が軍事の道で力を発揮するのである。この点が、一貫して軍事教育を受けてきた上で軍人として功績を残した「坂の上の雲」の主人公である秋山兄弟とは異なるところである。ある分野を極めた者が、他分野においても成功するという現象は非常に興味深い。
後半は第二次長州征討戦記となるが、通勤の行き帰りに読んでいると中々頭に入らなかった。長門、周防、安芸、石見(現在の山口県、広島県、島根県)各国の地理関係が疎く、進軍や戦いのイメージが湧いてこないのだ。そこで本日、もう一度第二次長州征討戦記の始まりまで戻って、地図帳とiPhoneの地図アプリを片手に読み進めた。おおまかな地理把握には地図帳、細かい山や市街地の位置把握には地図アプリを使ってみた。なるほど、蔵六が山口の政庁を出発して益田、浜田へと進軍していくさまにようやくリアリティが持てた。やはり読書にはこうした一工夫が必要である。
本巻で興味深かった記述は以下のとおり。
・「京で一時の勢いを得たもので、栄えた例は一件もない」と蔵六は思った。平清盛、木曽義仲、源義経、織田信長、明智光秀など、みな束の間に亡んでいる。理由はいくつかあるが、ひとつには蔵六によれば他の大勢力の強烈な嫉妬を買うためであろう。
→なるほど、言われてみればそうである。蔵六の言うとおり、幕末の長州藩も公家工作を行い一時の勢いを得るも、八月十八日の政変(1863年9月30日)によりあっという間に京から墜ちていくことになる。こうした同じ栄枯盛衰を繰り返すのも、京独特の土地柄なのかも知れない。
・「将帥は寡黙でなければならない。いちいち物事に驚いたり口やかましく感想をさえずっているようなことでは、配下はそのことにふりまわされて方途に迷う」
→蔵六が説く戦略論である。家庭における父親、職場における上司、スポーツにおける主将などにあてはまる論理である。
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長州藩 蔵六が居てこその長州藩であったと思います。
小さな一国があれ程頑張れた原動力の一つを担っていたと思います。
すごく面白かったです。
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以下、簡単なあらすじ
伊藤俊輔(のちの伊藤博文)と井上聞多(のちの井上馨)らの密航を手伝った村田蔵六(のちの大村益次郎)は、京を追われた長州に帰り、高杉晋作と会う。
攘夷という大狂乱を発した長州は、蛤御門ノ変に敗れ、四カ国連合艦隊に敗れて、壊滅寸前に陥る。再び幕軍が迫っている、その窮状を救うのが蔵六である。桂小五郎(のちの木戸孝允)の推挙により村医から軍務大臣へと大抜擢され、百姓兵に新式のミニェー銃を持たせて四方より押し寄せる幕軍を退け、石州口の戦いを指揮し撃滅する。
一番の驚きなのは、一度も軍隊を指揮したこともない蔵六を信頼しきった桂小五郎の先見の明、会った事もない勝海舟をして「長州に村田蔵六がいては、とても幕軍に勝ち目がない」と言わしめる蔵六の知性は見る人間が見ればはっきりするものなのか非常に謎でした。
蔵六が実行した魔術的戦略は単純なものでした。
「旋条銃を一万梃そろえれば勝てます」
蔵六の新しい技術が旧文明を破壊し長州の窮地を救うのでした。
あと「世に棲む日日」の空白部分が描かれていたので、合わせて読むと一層面白いと思いました。