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なんかもっと面白くなりそうなのにな〜。
個人的には名大、理研、長野、毎日と
自分に関わりのあるワードばかりで
なんだかいらぬ親近感を抱いてた( ´ ▽ ` )
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非常に面白かった。
養老氏が若手理系識者4人と対談している本。
「理系と文系」と対比させて対談しているのはしょっぱなの森博嗣氏の対談。
あ~なるほどな~と思ったのは文系の方が理屈っぽい、それは言葉で割り切るからだという表現。氏が意図している所を完全に理解しているかどうかわからないが、理系の人が数字に拘るのはざっくり映像的にイメージしたいからイメージを共有させないと成り立たないというのが理系同士の会話。
続く藤井直敬氏はVRをやっている人。養老氏は多重構造で成り立っているこの世界を認知するためにはVR,SRというのは間違いなく人を進化させると語る。
次の鈴木健氏は複雑系の科学の専門家でありながらプログラマーさらにはニュースアプリ「スマートニュース」まで立ち上げるという偉人。彼の著書である「なめらかな社会とその敵」の内容を中心に対談は進んでいく。印象深いのは次の須田桃子氏の対談の時と同様、養老先生の科学の難しさ、限界について語っておられる。
「サイエンスのルールは笑うべきもの。例えば再現性の担保。それを生き物に当てはめるのは難しい」
「人間とは「同じ」と思う能力を開発した。また「交換」するという事を覚えた」
「あるものはしょうがないという認識が大事」
「「全ての細胞は細胞から生じる」という19世紀のルドルフ・ルイドリッヒ・カール・ウィルヒョーの言葉を忘れ過ぎ。ドーキンス理論なんて最たるもの」
次は氏の「唯脳論」を読んでみたいと思う。
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本書に沿って考えるならば、政治や芸能界の不祥事ってのは言葉の世界なんだと思います。辞めろとか、追放しろ、という意見に前提を求めない。そうした倫理の話もあるといいなーと思いましたが。そして、理系に進んだ人全てをここでは理系と書いてないようにも思いますが…文系と理系、2つの思考はどこで分かれるのか。生まれつきか教育か、それとも日本社会特有のバランスなのか。養老孟司さん初めて読みましたが、対話ってことで今どきの編集ですね。1行か2行拾い物があれば。
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養老孟司氏が、4人の理系知識人と行った対談内容が書かれている。
文系理系を対立構造と見るのではなく、「言葉」や「社会」など、文系のフィールドで研究されている概念について、理系的に考え話し合っている。
4人との対談で共通して感じられるのは、「前提」に対する疑義の持ち方だ。思考をスタートさせた時の「前提」について、より深く見ていく必要があるということが再三再四書かれていたと思う。
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帯文:”文系が意識しづらい領域を、四人の理系の知性と語り合う”
目次:まえがき, 第一章 理系と文系, 第二章 他者の現実を実体験する技術で、人類の認知は進化する, 第三章「唯脳論」の先にある、なめらかな社会の可能性, 第四章 ジャーナリズムが、生き物そのものを見るか
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薬学部という一般的に理系と言われる学部を卒業したもののまったく理系脳ではなく、最近は理系なのか文系なのかよくわからない仕事をしている私には非常に興味深い対談だった。
理系からみる社会学は、最近の技術の進歩もあり研究手法も大幅に変わっていくのではという期待が感じられる。要はフィールド科学 or 実験科学という括りでみていて、あまり文系、理系にこだわることも今後なくなっていくのだろう。
気になったフレーズ→
•細胞は40億年以上前から分裂し続けている
•Individualの語源はin dividual つまりはこれ以上分割出来ない単位。しかしながら人間は本来分割可能 ニューロン上の死票を生まない
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養老孟司の壁シリーズ本。中堅科学者、ジャーナリストとの対談集。
サブタイトルは、「理系との対話で人間社会を捉えなおす」。
理系とは言っても、いろいろなタイプがいる。工学系の人の中には、文系的な人が多い。数学ができること=理系ではない。むしろフィールド系と実験系の分け方の方がしっくりくる。文系は、物事を言葉で切り取るからデジタル的であり、理系の人は論理で通じ合う、、等々、仮想現実、今後に社会の在り方、科学ジャーナリズムについて、いろいろ示唆に富んだ対談で勉強になることが多かったけれど、本の内容自体は、雑多な話題を取り上げる対談なのでまとまりは無い。
読んでいて気が付いたのは、養老さんはタバコの話題になると、いつもムキになる。おそらく周りから禁煙を勧められているからだろう。彼にはどうしても受け入れられない「禁煙の壁」がありそうだ。
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文系を非難したりするわけではなく、ものの考え方、捉え方を、文系理系で分け、その思考についての対談本。
んー...変なフィルターが出来てしまいそう。この人は、理系的だな、文系的だな...
しっかし、どうしても文系には壁が立ちはだかるな。
はぁ。ま、良い悪いではないんだが。
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文系の人は、自分のわからないことを言葉で解決しようとします。たとえば、独楽は回っているから倒れない、自転車は走っているから倒れない、ということを「理屈」だと思い込んで納得し、それで解決済みにしてしまう。
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なんなんでしょうねこの本は。ちっとも面白くない。
養老孟司さんと「理系」の人4人との対談集です。
本のタイトルが「文系の壁」だし、「理系の対話で人間社会をとらえ直す」とあるので、理系と文系の考え方の違いみたいなものが語られるのかと思いましたが、なんだかダラダラ雑談しているだけみたいな感じで、結局何が言いたいのかさっぱりわからない。
最後の須田桃子さんの対談は、STAP 細胞の件がテーマで、多少興味深い話もありましたが、、、
まぁたまにはこんなつまらない本もある、ということでしょうか。(T_T)
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知識の畑が耕されている人たちの会話は眺めていても楽しい。
そしてストレスを溜め過ぎて死ぬことがないようにしなくては!
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すごく面白かったし、わかりやすかった。
識字障害(ディスクレシア)
文字を音声に変換する部分に問題がある。
英語は綴りと発音の関係が複雑なので、それが識字障害が多い原因と言われている
文系は物事を言葉で割り切るからデジタル、理系は論理で解明しようとするからアナログ
哲学的な議論はどこまで突き詰めていっても、普遍的な法則は導き出せないのでは。
→脳は人によって違うわけだから、ある人の考えはその人の脳でなければ納得できないのかもしれない
人と人との会話は9割9分「どう思いますか?」で成り立っている
世の中の人が「どう思いますか?」と尋ねるのは、疑問をぶつけて相手から答えを聞き出したいからではなく、「この人は自分と同じ考えを持っているのか」、相手が敵か味方かを見極めようとしているだけ
人に見せびらかさないと楽しめないひとたち、一人で楽しめないのは、工夫して自分で問題を解決していないから
わからない、は、分かっているけど賛成できない、の意味を持つことが多い
科学的な実験にとって重要なのは「再現性」。なんもやっても同じ結果が得られないと、実験結果として認められない。
人間は「同じ」という能力を持っているのではないか。概念として認識する(≒抽象化する)能力。なかでも「言葉」が典型的。
認知的進化。
複数の現実があるということを、当たり前に受け止める大人になる。そっちから見るとそうなんだね、という認知ができると相手を本当に否定することはできなくなる。わたしは嫌!と言えるけど、あなたは間違ってる、とは言えない。⇦つまり、こういう考え方を持てるのが大人ってこと。
イタリアの言葉、「どん底に落ちたら、掘れ」
認知症の幻覚を体験すれば、認知症患者にかける言葉も、「そんなものは見えないよ」ではなく「あなたにはそう見えるんだね」に変わるだろう。
人間の感じる不条理や不合理は脳内現象であり、世界には不条理なことも不合理なこともない。この世界に矛盾はないが、脳の中では「矛盾している」と感じる意識が生じる。不合理の存在しない世界で、人間が不合理を感じること自体、不合理だが、そのことは一回飲み込んで考えてみる。
責任を与えなければ人は育たない
なぜ貨幣に価値があるのかを経済学的に説明するなら、次の人が受け取ってくれるという期待である。次の人が受け取ってくれる期待がどこから来るのかというと、次の次の人が受け取ってくれるという期待、さらには次の次の次の人.となってどこまでも続いていく。期待の連鎖が形成されると、人々はそれが実態だと感じ始める。自己言及的に価値が作られていく。
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古本屋でたまたま手に取り衝動買いした本だったが、なかなか面白かった。文系と理系の考え方の違いから同じ理系でも物の見方や価値観が多様であることを論じ、今後の社会の可能性を対談している。 私自身は世間一般で言う'理系'だが、この本を読んでもっと多角的にものごとを捉え、文系理系などという狭いメガネを通じて世の中を見るのはやめようとも思う一冊。
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サブタイトルは「理系の対話で人間社会をとらえ直す」とあり、養老孟司が4人の理系の研究者や理系出身の記者らと社会や人間や脳の問題についての対談。ちなみに帯には「文系が意識しづらい領域を、四人の理系の知性と語り合う」とある。
おれが文系なので、こういうタイトルとか帯の文句を読むとほんと文系でスミマセンという、文理のミゾを感じずには入られないが、別にそんな卑屈にならなくても、文系のおれでも読めば面白いし、もっと養老孟司の本を読みたくなった。(というか養老孟司って大学受験で読んだくらい。)だからこんな意地の悪いタイトルにしなくてもいいのに、と思ってみたり。
それにしても単純に理系のことについておれがあまり分かってないので、勉強になる。「ほとんどの医者は自分のことを自然科学者だと思っているでしょう。今や、医学部にも数学ができないと入れなくなってしまいましたが、医学において必要になる数学は、せいぜい統計学くらいです。統計学にしても、もはや数学とはいえないかもしれない。データの取り方で結果はまったく違ってくるわけで、見ようによっては統計学は嘘ばかりと言ってもいいくらいです。厳密に統計学に取り組もうとすると、今度はプロの数学者でないと手に負えない。本当の統計学は、非常に難しい分野です。」(p.25)なんて厳しい話。そう考えると教育学と医学なんて変わらないんじゃないか、と思ってみたり。あとその話の続き、「健康管理をしないほうが長生きする」という話があって、「要するに、ストレスが多いから長生きするはずがない」(p.26)なんて、当たり前だけど、改めて言われると、なんかおれの生き方すら考えてしまった。あと、p.74で麻酔薬を打って意識がなくなる理由はまだ分かっていない、というのは驚いた。そんなことも分かってないのか、という感じ。ちなみにその後「だから僕は、『科学的に証明された』なんて言うやつは一切信用しない。前提を考えたことがないって言ってるのと同じですからね。」(p.74)というのも、別の厳しい話だった。「前提を問う」のは「哲学なんか典型的」とあるけど、哲学的な訓練を受けていないと前提を問う学問、というのは本当に頭の良い人じゃないと出来ない気がする。だから養老先生に言わせれば、どれもこれもそもそも学問じゃないということなのだろうか。さらにその後、「サイエンス」という枠組みで「ルール」になっている「再現可能性の担保」について、「生物をやっている人が信用するのは、『ある範囲』ですよね。『こうなりました』と言われたときに、『八割はそうですね』というふうに見てるんです。そうは言わないですけど。でも、ほかの物理、特に工学系の人は、ほぼ100%再現性があると思っているでしょう?」(p.76)というところに、理系で一くくりにできない決定的な差異があると思う。この話は、後でも話題になっていて、「僕は、理系の科目の分け方がまずいと思ってるんです。生物学じゃなくて、フィールドサイエンスにすべきですね。フィールド系と実験室系は、非常に違いますから。」(p.184)という部分。確かにこういう違い、という話だったら「文系が記しづらい領域」と言えるかもしれない。あと、「手軽なVR」を開��している藤井さんによれば、「人間もそろそろ進化しないと。これは形態とかじゃなく、認知的進化で、複数の現実があるということを当たり前に受け止める大人になるということです。『そっちから見るとそうなるのか(僕は嫌だけど)』という新たな認知ですね。だから、相手を本当に否定することができなくなるんです。『俺は嫌だ』とはいえるけど、『お前は間違ってる』とは言えない。」(p.85)というのは、たぶんこの2人が話している文脈とは違う文脈で(デバイスを利用して人間の認知面を拡張させる可能性という意味じゃなくて単なる大人への成長という教育の意味で)納得。同じ意味で「人の認識はどうすれば変わるか」も、教育に示唆を与える内容だと思う。次に、また生物系、工学系
の話に戻って、iPS細胞なんて生物学以外の何物でもないと思っていたけど、「学問全体がそういう方向に動いていくと、たぶんどこかで行き詰まるでしょう。生命とは何なのかについて考えずに、ただ目の前にあるものをいじっているだけだから。」(p.127)とか、「細胞を完全にコンピュータ扱いしていますよね。でも、まったく違うんですよ。生き物って実は、一度も切れていない。」(p.176)とか、こういうのを複雑系科学というのだろうか。クローン羊のドリーも「あの手の実験は、『できれば勝ち』なんです。(略)でも、追試をやるとできない。歩留まりが悪いから。」(p.173)だそうで、「歩留まり」なんか問題になるんだ、という発見があった。ということで、どれだけの確率で「うまくいく」か(こういうのを記者の須田さんによると「手が切れる」と言うらしいが)、そして「ものを飼わせると、男はだめなんですよ。女性の方がやっぱり上手。」(p.175)とか、もはやこういうのが「サイエンス」の世界なのか、と思ってしまう。おれの思っている「サイエンス」と違う…。あと「社会契約論」について、複雑系科学が専門の鈴木さんかは「だけど、社会契約論なんて嘘に決まっているじゃないですか。契約したことのある人なんていないでしょう?また、ルソーはすべての人間は生まれながらに天から権利を与えられていると言いましたが、そんなわけはありません。(略)でも、そういうものがないと国家を維持できないから、みんなで嘘を信じたということにしたんです。考え方自体は嘘なんだけど、大勢の人が思考停止して信じることで、本当の社会制度ができあがっていく。」(p.129)なんて、倫理を勉強する時にこれくらいの口調で教えてもらいたかったなあ、と思って面白かった。
ということで、別に文系だからと言って卑屈になる必要はない、色んな思考を知るのが面白いと思える1冊。(19/05/06)
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久々に養老先生の著作を読んだ、ここ最近よく読む森博嗣先生との対談を見つけて興味が湧いた。それをきっかけに藤井直敬、鈴木健、須田桃子という3人の新しい人を知ることが出来た。中でも鈴木健さんはスマートニュースの人なのに哲学や地域通貨のことなどの幅の広い研究対象に惹きつけられた。著作もいつか読んでみたい。こういうことをきっかけに新たな知見を得られることは対談を読む醍醐味でもある。日本人にとってノーベル賞がすごい影響があるというのはとても納得いく話だなあ。言われてみればそうだ。「理系・文系」のタテ割りと「〜の壁」と書くと売れやすいのと通底してる理屈があると思う。あと日本人は性善説を信じている。というのはそうなのかと思った。読み終わったあとにもっと他の本も読もうと思える良い本だ。