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幕末~明治あたりの日本の良いところを主に外国人の文献から取り上げた本。時代劇や昔話などのイメージとは異なる、人々の親切さ、寛容さ、自由さ、幸福感、自然の美しさなど、どこまで真実かはさておき、心が温まる感じ。
☆付けときながらなんだが、分厚く冗長な感もあるので割りと読み飛ばした。
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年末に親友から薦められ読了。まずは膨大な資料調査に敬意。なるほど確かに失った物は大きいが今でも自然に対する気持ちや子供に対する姿勢など受け継いでいる物もある事も感じた。
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客観的な江戸風俗の紹介。
スッキリ読めます。わかりやすい。
贔屓目はないので、たち位置の確認にちょうどいいかも。
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渡辺京二 「逝きし世の面影」を再読する
「明治は遠くなりにけり」という言葉があったが、今や、昭和までもが、既に、同じ範疇で、語られようとしている。況んや、江戸時代や、幕末の時代、明治という時代をやであろうか?著者にとって、「重要なのは、在りし日のこの文明が、人間の生存をできうる限り気持ちの良いモノにしようとする合意とそれに基づく工夫によって成り立っていたという事実である。」と、近代文明、或いは、西洋文明という怪物に、翻弄された幕末から、明治初頭に掛けての「日本人の矜恃」を、外国人という視点から、客観的に、一つの文明・文化・生活様式を、数々の異邦人による滞在記や見聞録の翻訳書を通じて、近代知識人論ともとれるような展開を、「ある文明の幻影、「陽気な人々」、「簡素とゆたかさ」、「親和と礼節」、「雑多と充溢」、「労働と身体」、「自由と身分」、「裸体と性」、「女の位相」、「子供の楽園」、「風景とコスモス」、「生類とコスモス」、「信仰と祭」、「心の垣根」、という各省毎の短い簡潔を得た題で、纏めている。「文明開化」と言う言葉や、「西洋化」、「近代化」という言葉は、当時の日本人、とりわけ、知識人にとっては、旧弊の文化の全否定を伴った痛みの上にしか、築けなかったモノなのであろうか?明治期のこれでもかという程、容赦のない、苛烈なまでの様々な制度改革は、やはり、「封建制度は、親の仇」くらい、心の奧底から、憎い程の全否定の対象以外のなにものでもなかったのか?異邦人の眼のみならずとも、当時の日本人の本当の気持ちを知りたくなる。城郭の打ち壊しにしても、今にして思えば、そんな貴重な文化遺産を、こともなげに、打ち壊したのも、単なる政治的な思惑以外に、どんな本音と背景があったのかと、、、、、。「滅び去った旧い日本文明の在りし日の姿を偲ぶには、皮肉にも、異邦人の証言に頼らなければならない」と、著者は言う。まるで、滅び去った古代文明の遺跡が、大英博物館やルーブル美術館に、保管されて、かろうじて、生き延びているのに似ている。そうしたレンズを通してしか、今や、失われてしまった逝きし世の面影は、観られなくなってしまった。「和魂洋才」とは、良く言ったモノであるが、その時代を結局生きてきた人々は、果たして、本当に、どのように、映っていたのであろうか、福澤諭吉にでも、この本の感想を聞いてみたいと思ったのは、私の戯言だろうか?強烈な表情というものが、日本人には、欠けていると言われているが、果たして、豊かな表情を獲得することが、逆に、当時は、幸せだったのか、異邦人の眼で撮られた今や貴重な写真やスケッチや挿絵を見ると、考えさせられる。福澤や明治期の知識人達が目指した、確固たる「個の自覚と独立」は、国家の独立や、国体の護持という前では、戦後民主主義の中でも、否、今日でも、変わらぬ課題であることは、どうやら間違いなさそうである。幕末から明治に掛けて生きた人々は、今ではほとんど失われてしまった美徳を如何に、自然に身につけていたかを、ありありと知ることが出来ると、日本人として、大きく胸を張りたいところであるが、果たして、そんな感傷だけで、良いのだろうか?大切な課題を、脇腹に、グッ���、ドスを突きつけられた思いが、再読して、感じられてならない。失われた10年も、今の時代も、又、やがては、逝きし世の面影として、忘れ去れようとするのであろうか?その時は、誰の眼を通して、残してくれるのであろうか、それとも、「残すに値する何物か」が、まだ、残っているのであろうか?それとも、我々は、それを創り出す努力を怠っているのだろうか?
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江戸期の日本を外国人の目から見てみたら。
自分が体験したわけでもないのに、懐かしい気分になるエピソードが随所にありました。「面影」とは言い得て妙。
アイデンティティなんて上段に構えた言葉は使わずとも、日本人の「こころ」のふるさとを感じることができる良い本です。
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わかが「いいよ」って書いてたから借りたけど、
めちゃ厚い!
「こどもの楽園」の部分がおすすめ、とあったが・・・
ごめん。進まない。
社会はやっぱり苦手。
オールマイティな小学校の先生は私には無理だとつくづく思った。
息子もちらっと手に取ったものの・・・・パスだと。
ヾ(^^;ォィォィ君は小学校の先生したいんじゃないのか。
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江戸後期から明治初期にかけて訪日した多くの外国人の記述から、往時の日本人の性質や暮らしぶりを浮き彫りにしていく。
外国人の目に映った当時の日本人は、よく笑い、よく働き、よく遊び、良い趣味をもち、素朴で、好奇心旺盛で、質素な生活に満ち足りた、幸福な理想郷の住人として彼らの書物に描かれている。
著者は、かつてこの国に存在したような「文明」は、明治以降の近代化・西欧化によって「滅亡した」「死滅した」と繰り返し述べている。
本書に現れる「昔の日本」や「昔の日本人」の記述の中には、現代にも受け継がれていると思われる部分は確かにある。
しかし著者が「滅びた」と言っているのは、伝統や気候と風俗、生活様式、価値観等が有機的に結びついた総体としての「文明」のことであって、個々の「文化」ではないということに留意する必要がある。
しかもその「文明」は、近代化・西欧化の過程で、日本人自らの手によって滅ぼされたのだという。
いかに外国人が日本文明に賞讃を浴びせようと、近代西欧文明と直面し、まさに変革せんとする日本にとって、自国の伝統は恥ずかしいもの、捨て去らなければならないものだった。
異文化に接するとなんだか気後れがして、背負ってきた伝統ををたやすく捨て去ってしまうという気質だけは、哀しいかな、現代日本人にも脈々と受け継がれている。
著者は外国人の証言をただ淡々と引用する。古き良き日本に対する憧憬は極めて控えめである。
「現代人も滅びた日本文明から学ぶべきことがある」とか、ましてや「かつての日本人の姿を取り戻そう」などとは決して言わない。
だけど、本書に描かれている「昔の日本人」の姿にはやはり学ぶべきことがあると思う。
貧しいながらも卑屈にならずに満ち足りる精神性というものは現代日本人こそ見習うべきだし、共同体内の相互扶助や、共同体の成員がみんなで子どもを育てるという雰囲気は、素直にいいなぁと思ってしまう。
逆に、視線を未来に移せば、「今の日本人」が持っている優れた性質や文化は、意識的に努力して後世まで遺さなければいけないということ。
同じ失敗を繰り返してはいけない。
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日本のすばらしかったところがわかり、日本人であることが誇らしくなった。
恥ずかしくない日本人にならなければとも思った。
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大体の良書というものは本の内容がタイトルに勝っているのだが、この本は逆で、タイトルが秀逸すぎる。小説を読む際に、なぜそのタイトルをつけたのかというのがオチで判明することがあるが、そのたぐいだ。文明開化、明治維新以前、その次代の文化が死に、西洋文化の上に原稿日本が立っているということをあまり把握している人は少ないと思う。ここに乗っている日本はまるで違う国であり、未だいうところのブータンに近いのかもしれない。
歴史の流れに飲みこれていく日本という国が変貌していってしまうさまを観察した在留外国人の資料を元に書かれている。ひとつ覚えて置かなければいけないと思ったのは、アングロサクソンが西洋文明を持ち込んだだけでなく、日本人がそれを吸収して西洋と張り合える文明を築きあげようと自ら選択したことだ。この選択の上に現行日本はあるのだということを、常に頭に入れておきたい。我々は何処から来て、何処へ行くのかという問題を考える上で、ここでの選択は非常に大きい点だ。ある意味でコレしか選択肢がなかったのかもしれないが、ここでの選択による結果は現代日本の十字架になっているのではないか?歴史のうねりの中で個人ができることはなく、ただ飲み込まれていくしか無いのだと感じさせられる。ある意味歴史のうねりというものはバタフライエフェクトによる自然災害なのかもしれない。
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図書館で借りた。
江戸末期から明治にかけて日本に滞在した外国人の手記をもとに、当時の日本の様子を紹介している。
良い面を紹介されると、そのような面ばかりではなかった、と批難されるそうだが、著者はそんなことは分かりきっていて、なぜ外国人に良く映ったのか、そう映らせる何かがあったはずだということについて関心を持っていた。
本書の立場は、過去の日本は良かったという感情を呼び起こすものではない。著者は近代が到来する前の状態に興味を持っているようだった。
外国人は日本という異国に来たというよりも、近代になる前に来たと感じていた。そこに近代を押し付けることにより、当時生きていた人々の幸福を壊してしまうことも自覚していた。
文化と文明の違いについて、冒頭で定義している。文化は形を変えて生き続けるが、文明は生活総体のありようだという。何となく了解して読み続け、終盤に差し掛かると納得がいった。おそらく、文明はぴったり収まる枠組みのようなもので、内部のある要素が肥大化したり、外圧で枠自体が破壊されたら2度ともとには戻れないものなのだと思う。そのため文明は滅びると表現していた。
今、この本を読み、確かに当時の日本には良い点がたくさんあり、取り入れたいとも思う。しかし、1つの要素を取り入れたとして、現代においてその様子を想像すると、失敗した状態しか想像できない。例えば子育てで、道路で遊んでいたとか、人力車の方が避けたとか、子どもの泣き声が聞こえなかったとか、書いてあるが、今の道路は車のものだし、何かあったら子どもは怒鳴りつけられる方だから泣き声は必ずするだろう。個々の要素がいろいろな所につながり、社会全体として、そういうものだと認識されていたから個々の要素がそのように存在できたのだと思う。
確かに滅びたら2度と復活しない。
日本の娘はかわいらしいけど、20代後半にもなれば皺が出て醜くなるという外国人の記述があったけれど、異民族の女性に対して誰でもこんなことを思うのだと知って、人間の変わらなさを笑いたくなる。
現代の自分の先祖が持っていて、今失ってしまったものは何だったのかに興味がある人にはお勧めできる。
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江戸時代あたりの日本は外国(西洋)から どう見えていたのか という本。
自分達には当たり前の事でも 違う捉え方があって面白い。
今 日本はどんな風に見られているんだろうか…
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江戸時代後期から明治時代にかけての日本を訪れた西洋人の日本に関しての著作をもとに、当時の日本がどういう国であったのかを解き明かそうという意図の本。
まず、この本を書くのはほとんど信じられないくらいの労力が必要だったであろうことが分かる。当時の西洋人の日本に関する著作を読み解き、それをカテゴリー別に分類し(本書は14の章だてとなっている。1つは全体のまとめなので、13のカテゴリーに分けて書かれていると読める)、そこから当時の日本の様子を浮かび上がらせる、という構成の本になっている。書けば簡単に思えるかもしれないけれども、とんでもない力業だと思う。
書名が秀逸だ。当時の日本というのは「1回かぎりの有機的な個性としての文明」を持った国であり、その文明は「明治末期にその滅亡がほぼ確認されていたことは確実」なものである。同じ日本であるが、現代の日本とは全く違う文明を持った国であったわけで、その姿を「逝きし世の面影」という詩的な書名に集約させている。読み終わってから、なんと秀逸な書名なのだろう、と感づく。
久しぶりに面白い本を読んだ、という感想。
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日本の歴史について著した本は数あれど、このように江戸時代に日本を訪れた外国人の感想を通じての日本考察は面白い。
当時の日本人の美しさと、それをもう取り戻すことが不可能であることに憧憬を抱いた。「逝きし世」はまさに秀逸なタイトル。本当に、亡くなってしまったものはもう二度と生き返ることはないのだ。それが人でも世でも。
反面、好奇心旺盛で無邪気な日本人の変わらぬ気質も感じた。
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【目次】
第1章:ある文明の幻影 9
第2章:陽気な人びと 73
第3章:簡素とゆたかさ 99
第4章:親和と礼節 145
第5章:雑多と充溢 205
第6章:労働と身体 235
第7章:自由と身分 261
第8章:裸体と性 295
第9章:女の位相 341
第10章:子どもの楽園 387
第11章:風景とコスモス 427
第12章:生類とコスモス 481
第13章:信仰と祭 525
第14章:心の垣根 557
あとがき 581
平凡社ライブラリー版 あとがき 585
解説「共感は理解の最良の方法である」(平川祐弘) 591
参考文献 [601-595]
人名索引 [604-602]
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分厚いし、タイトルも表紙の絵のせいか、なんだかちょっと不気味(ごめんなさい)に感じるし・・・でもでも、騙されたと思ってご一読ください。日本人必読。