紙の本
ユニークな女優
2015/10/13 16:35
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「窓際のトットちゃん」から何年になるのだろう。というより、団塊の世代にとっては「ヤン坊ニン坊トン坊」から60年といった方が良いか。NHK放送劇団の1期生として、草創期からテレビにかかわってきた著者の裏話は面白く、時にホロリとさせられもする。人柄が浮き出ている1冊。
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人はいつかいなくなる。あっち側に行ってしまった人とこちら側に残った人。記憶するだけでは忘れてしまうこと、こぼれ落ちてしまうものがある。だから人は書いて残したいんだと思う。自分たちの世代や生きてきた時間の手触りなんかを書いておくことで残したんだ。生きた証のように、自分が好きだった人たちがこんなにも素敵だったということを。
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トットちゃんの懐かしい語り口調で、芸能界の裏方でのおつきあいに心あたたまります。ベストテン世代の私にはたまらない本。
余談ですが、今は亡き父が、若かりし頃、黒柳さんと一緒に写っている写真があって、本当にキレイで美人なんです。
その写真もあらためて大事にしたいなと思いました。
トットちゃん、どうか長生きしてください!
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TV黎明期がよく分かる内容ですね。ノスタルジックな昭和の本です。ザ・ベストテンのあたりは「へー」の嵐でした。
ただ、皆さんが絶賛するほど?ですか?
なーんて。
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あのね。一つだけでも、いやなところ、気になるところがあったら、やめたほうがいいよ。大きいところでいやなことろは初めからわかるし、結婚なんか考えないよね。小さな、取るに足らないようなところで、どうしても気になるところが一つでもあったら、そこが案外、重大になっていくんでね。やめたほうがいいかな。「まあいいかな」と思って結婚したら、一生涯ついて回るからね。
服部正先生の言葉
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黒柳さんのドラマはいまだに見た事がない。
私の認識は「ザ・ベストテン」からだったし、「徹子の部屋」「世界ふしぎ発見」の徹子さん。
でも凄い大御所さんだし、内容のように有名な俳優さん達が亡くなってしまう中でのタイトル通りの「ひとり」になってしまった。
NHKに入ってから今までの徹子さんの人生はメディアの歴史と一緒というか、本当に凄い。
まだまだ元気で頑張って欲しいです。
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ベストテンの話は懐かしかったです。
あんな番組はもう出て来ないだろうな。残念だな。
今、テレビ局に、あんな人いないんだろうか?
向田邦子さんとそんな親しかったんだ、知らなかった。
もっと色々な徹子さんの話を聞きたいですね。
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黒柳徹子さんはアメトーークとかでもいじられて最近面白いキャラだけど笑
やっぱり長く芸能界にいるだけあって色んな方と
出会って、いろんな事を経験してきているんだなぁって
読んでいてもピンと来ない人も居たけど
良く知っている方の裏話なども書いてある
周りの人がどんどん先になくなっていく悲しみ。
残された者の寂しさ。親しい人との死別の悲しみをを乗り越えて
いつまでも少女のような無邪気な黒柳さん
タイトルに納得
少し寂しい本でした
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歳を重ねると、周りの人がどんどん先になくなっていく悲しみ。残された者の寂しさ、でも生きていかなければ。タマネギ頭のひみつがわかってよかった。
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黒柳徹子さんについて
NHKの女優さんだったことも知らずに
その当時のことを読んでも面白かった。
今では亡くなってしまった方々の
エピソードは胸にずしんとくるものがある。
まだまだこれからの人生楽しまなきゃ
と思わせる一冊だ。
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読み進むほど、タイトルが沁みてくる。たくさんの出会いは、たくさんの別れにもつながっていく。だからと言って、幸せな記憶が悲しみで損なわれることはないことを教えられる。
黒柳さんのドラマや舞台を見ていないことが残念。篠山紀信さんが撮った写真も、見てみたいなぁ。
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最初のエピソードが「ザ・ベストテン」で、懐かしさに悶絶。あの番組抜きに昭和の「歌謡曲史」って語れないだろうなあ。そしてあのワクワク感や信頼感は、黒柳さんと久米さんの司会コンビがあってこそのものだったんだなあと今更ながらに思う。
この冒頭の章は「私の遅れてきた青春について」というタイトルで、2013年に亡くなった、「ザ・ベストテン」のプロデューサーだった山田修爾さんの思い出が綴られている。この後の章も、ほとんどが既に鬼籍に入った懐かしい人たちを偲ぶ内容となっている。
親交のあった向田邦子さん、芸能界での「母」沢村貞子さん、「兄」渥美清さん、森繁久弥さん、賀原夏子さん…、どのエピソードも故人の人となりを生き生きと伝えるものばかりで、非常にひきつけられて読んだ。
特に強い印象を受けたのが、沢村貞子さんの生き方と死の迎え方だ。その人生については何かで読んだことがあったと思うが、身内のように親しんでいた著者が語る姿は圧巻の潔さで、こういう人もいるのだと胸をつかれる。
著者が既に八十代であるとはちょっと信じがたい気がする。大事にしてきた人たちは次々に亡くなり、タイトルの通り「ひとり」取り残されているという寂寥感が全体を流れていて、切ない。九十歳をこえた佐藤愛子先生が「長生きをするとは、話の通じる友人が誰もいなくなること」と書かれているが、ここにもよく似た寂しさがある。私にとっての黒柳さんはいつまでも「ザ・ベストテン」のタマネギおばさんのままで、時折テレビで見る姿もあんまり変わっていないように見えるのだけれど。
とは言え、本書はジメジメした感じのものではない。かつて大ベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」を読んだときも思ったが、黒柳さんの文章ってほんとに湿り気がなくて、芸能人臭が皆無だ。テレビでのおしゃべりとはまた別の魅力がある。
青森に疎開していたとき、汽車を待つ駅で隣り合わせた行商のおばさんが、シラミだらけの小さな女の子だった黒柳さんを気の毒がって、凍えた手を一生懸命さすってくれたそうだ。そのおばさんの手も「ヒビとシモヤケと黒い絆創膏でぐちゃぐちゃだったのに。それでも親切にしてくれようとする人を、あの頃、沢山見てきた」
疎開する前、「スルメの足を一本くれるというのに惹かれて」出征する兵隊さんに日の丸を振り万歳を言いに行ったことが、ずっと心の傷になっている、と書かれている。あの兵隊さんのうち何人が無事に帰ってきたのだろうか、と。華やかな世界に身を置いても、こうしたことを忘れなかったのが著者の強い芯になっているのだろう。
ヴァイオリニストを父に持つ山の手のお嬢さんが天真爛漫なままで大人になった、というイメージをずっと持ってきたが、これを読んだだけでも様々な苦労があったのだとわかる。著者はそれを声高に語らない。大きな美点の一つである楽天性で、くよくよせずに歩んできた人生は、愛し愛された人との思い出でいっぱいなのだろう。希有な人だと思う。
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類まれな感受性と感じたままを言葉にするズバ抜けた表現力で書かれた徹子さんの半生。児童文学者の方が『窓ぎわのトットちゃん』を小学生が書く作文とまったく変わらない。大人で子どもと同じ作文を書く人に初めて会った」と評したそうだけど,本書もそう。シンプルな,誰もが知っている言葉を紡いで,溢れる感情がそのまま伝わってくる。たくさんの徹子さんを愛する人との出会い,つき合い,そして永遠のお別れ。徹子さんのまわりにいた人たちは,みんな幸せだったんだろうなあ,と思う。こんなふうには生きれないけど,こんなふうに感じることのできるひとでいたい。
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なんとなく、人生捨てたもんじゃないなと思った。
黒柳徹子は芸能人という感じがしない。なんでもない一般人のぼくでも、会えば普通に楽しく話をしてくれそうに思うのだ。天然不思議ちゃんのトットちゃんがそのまま大人になって、好奇心のおもむくまま、好きなことをして、好きなひとと遊んでいるようにみえる。そう見えるけど本当は、というのが普通の大人だけれど、黒柳徹子に限ってはそのまんま、という気がしてならない。
思い出話に登場するのは久米宏、向田邦子、森繁久彌、沢村貞子、渥美清といったそうそうたるメンバーだが、たぶん彼女は別の業界に入っても、有名無名関係なく同じように豊かな仲間たちを作っただろう。黒柳徹子が人に好かれる才能の持ち主(こういう邪気のない人を嫌うのは難しい)だというだけではなく、人を好きになる(そのために森繁久彌を叱ったりする)才能の持ち主だからなんだろうなと思う。
久米宏を除けば、語られる仲間たちのほとんどがすでに鬼籍に入っている。夢中で遊んでいて気づいたら、宵闇が近づく広い公園に一人で残されている感じ、と黒柳徹子は言う。きっとトットちゃんはやがて、ああ、よく遊んだ、と暗くなる空を見上げながら、おうちに帰るのだ。
そういうの、悪くないよな。
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2015年8月24日
新聞の書評を見て読みたいと思っていた。小泉京子の書評だった。
懐かしい有名人との楽しく濃いやりとり。その人たちとのお別れ。年とっていくって悲しいこといっぱい。残された人も自分のできることを自分らしく淡々とやらなくてはね。
仕事も忙しくてつらいけど、年とっていくこともつらい。どうして生きていくのかな?私は。と自分の将来に思いを馳せる。
今年、黒柳徹子さんの舞台を観てこよう。