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2010年3月9日読了。村上春樹がかつて大学で講義したという、短編小説に対する彼なりの楽しみ方のガイド。対象は戦後派、当時「第三の新人」と呼ばれた人々。吉行淳之介、安岡章太郎、丸谷才一といったあたり名前はもちろん知っているのだが私は読んだことのない人々ばかり・・・。短編小説にはもちろん持って生まれた文才や後天的に身につけた作家のスキル、個性、家族構成や戦中体験などのさまざまなものが現れるものだが、作家が完全にコントロールし切れない「あふれでてしまったもの」、ごつごつとして読み手に違和感を残すものにかえって魅力を感じる、という著者の主張にはうなづけるところもある。この人の読み方が全てではない(かつ、この人自身全ての小説をこうやって読んでいるわけではないようで)が、小説の読み方は深いものだなーと改めて思わされるしだい。世界は広い。
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短編ってなんだかお洒落だしー、とっつきやすいしー、好きだわーって感じだったけど、これ読んでちょっと意識変わった。村上春樹が適当に「第三の新人」世代の短編の名手を選び、あれこれ分析している内容。クールな方向に「逃げる」吉行淳之介、カフカの「変身」とは真逆に自我を不鮮明にすることで自己防衛する小島信夫、エゴをひた隠しにすることによって世界をなるべく平静に保とうとする安岡章太郎、余分な説明を一切排除することによって自我の存在を不明瞭にした庄野潤三、などなど。ほとんどの作家が「逃げ」という意味合いのキーワードによって括られている。確かに本気で内面吐露しようとしたら、短編じゃおさまりきらないよな。とりあえず村上春樹はそういった自我の葛藤などをさらりとかわす短編が好きなんだろうなってことは感じました。紹介されている作品全て未読なのでなんとも言えないのが残念なところ。
僕はいわゆる自然主義的な小説、あるいは私小説はほぼ駄目でした。
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Brooklyn parlor で発見。
小説を読むときにここまで読み込んでいたら、年間数冊で済むかもしれません^^;
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難解な概念を簡単でわかりやすい言葉に置き換える技術では、村上春樹は日本でもトップクラスだと思います。
いわゆる「第三の新人」と呼ばれた一群とその周辺の作家たちの複雑怪奇な観念的小説を、村上流に解釈していく。
ここに掲載されている作家だけでなく、小説全体の読み方の視点が広がる一冊。
村上春樹の小説に対する底知れぬ愛が感じられてとてもよい。
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村上春樹が「第三の新人」グループを中心にした戦後日本文学の流れを、短編小説中心に解読する内容。わたしはこれほど深く掘り下げて小説を読むことはしない、どちらかというと感覚的に好き嫌いで片付けてしまいがちだ。とくにわたしの読み方が人と違っているとは思わない。今後、何度も読み返すほど心を振るわせる小説に出会いたいものだ。
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村上春樹が講義をした内容だけど、先生というより、一読者目線に近いかも。しかも自身も小説を書いてる一読者。わたしたちに近い目線。
「樹影譚」という話が気になった。あと馬の話も。
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この本の中で長谷川四郎さんを取り上げていたので、それを読みたかった。
大好きな村上さんが長谷川四郎さんを好きというのは嬉しく思ったけれど、どんな風に書かれているのか、私とはまるで違う感想だったらどうしようか、と、ちょっとヒヤヒヤドキドキもした。もちろん、村上さんがどんな作家が好きなのかも知りたかった。
小島信夫も安岡章太郎も庄野潤三も丸谷才一も、よく知っている名前だけど読んだことはない。
安岡章太郎、小島信夫、吉行淳之介、庄野潤三、遠藤周作、が「第三の新人」というカテゴリーでくくられていることも知らなかった。私は画家についても作家についてもあまり知識がない。いつの時代の人かというのもよくわかっていなかったりもする。バックグラウンドをしっかり押さえてから作品を見たほうがいいのは分かるが、どうにも興味を持てず、ただ作品だけを見てしまう。
安岡章太郎と丸谷才一はあまりに有名だから読んだことがなく、小島信夫と庄野潤三は本棚に並んだ本の背表紙にその名前が在るというイメージでよく知っているつもりになっている。どんな作風なのかは全く知らなかった。
他にあと二人、吉行淳之介と長谷川四郎が取り上げられている。
読み始める前は、私の専らの興味は長谷川四郎にあったのだけれど、読み始めるとすっかり村上ワールドに惹き込まれてしまった。これ自体がひとつの作品としてよく出来ていると思う。読んだことのなかった人たちを読んでみたくなった。
どんな本を読むか、どんな本を読めばいいか、というのはなかなか難しい。文芸雑誌をよく読む人ならそんなことはないだろうが、読まない私なんかは、自分にとっての新しい作家の発掘というのは本当に困ってしまう。
ただ、読んでいて連鎖的に次、次、となる場合もある。たとえば、村上春樹が好きでレイモンド・カーヴァーを読み、カーヴァーの作品の中にブコウスキーが出てきたり、ボルヘスなんかは他の様々な作品の中に名前が挙がるし、『昔日の客』のような本の中にはそれこそたくさんの作家の名前が出てくる。
きちんと作家について調べる人であれば(それくらいはやってしかるべきなのであろうが、、、)年代や作家同士の繋がりからどんどんと広がっていく。
好きな作家が好きだという作家は手に取りやすい。
この本はさらに作家のひとつの作品を取り上げて、その作品について考察しているので、数ある作品の中からどう読むかというのも示唆してくれていていいと思う。
たとえば、安岡章太郎では処女作の『ガラスの靴』を取り上げているが、そのあと『悪い仲間』『陰気な愉しみ』と続き、『海辺の光景』でここにあるひとつの流れが終結する、というように。
村上さんは書き手として作品を読む。どうしてこういう書き方をしたのかとか作者の意図とかそういう目線で読む。だからこの本を読んでいて私は、本というのはこう読むものなのかと少し恥ずかしくなった。自分はまるでちゃんと読めていないじゃないか、ダメだなぁ 、と思った。
私の場合、本を読むのも絵を鑑賞するのも、割と感覚で捉えて済ませてしまう。あ���り深く読み解かない。ただ、美しいなぁとか好きだなぁとかで終わってしまう。それも頭でというより心で感じるというのがほとんどである。だからうまく言葉ではそれを伝えることができない。
でも、まぁ、そうはいっても、文学部卒だし実家で国語の先生をしていたし国語科の教員免許も持っているということもあってか、ある程度はその作品のメッセージは自然と読める。それでも、この本の中で村上さんが展開するようなものには程遠く及ばない。それにやっぱり、私の感覚とはちょっと違うなぁと気付かされる。国語科の教師としての部分もあることにはあるけれど、絵を描く部分の方が強いのだと思う。
私が好きな作品というのは、私の中にある " 描く部分 " が、びりびりする作品だ。
その感覚は暗闇でしゅるしゅると伸びて来た細い線と線が触れてバチバチッと鮮烈な火花があがるような感じに似ている。
絵を見るように本を読んでいるのかもしれない。文章や言葉は溶けて、イメージとして私の中に入ってくる。
私は絵を見るように本を読むタイプなので、村上さんの見解を読んでいると感心してしまう。
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村上さんの長谷川四郎についての見解について、少し触れておきたいと思う。
この本の中で私が読んだことがあるのは吉行淳之介と長谷川四郎しかいないので他の作品については分からないのだけれど、長谷川四郎さんはつい最近読んだばかりなので村上さんが言うのと私の感じたことの対比がしやすかったので書いておこうと思う。
村上さんは私が読んだ短篇集『鶴』と『シベリヤ物語』を大陸ものとしてひとくくりにし、それ以降(戦後)に書かれた『阿久正の話』を取り上げて、両者の違いから長谷川四郎について解いていく方法をとっている。
だいたいは村上さんの言っていることに賛同するし、共感もするし、納得もする。文体についての賛辞表現はさすが村上さん!とも思う。
長谷川四郎が非日常でしか輝くことのできない長谷川四郎だからこそ大陸ものは素晴しく、それ以降にやってきた日常という世界にはどうしても馴染めなかったという見解は、大陸ものしか読んでいなくても、なるほどそうに違いないだろうと思える。
村上さんは本当にじっくりと深く本を読んでいるのだなぁとつくづく思う。
しかし、村上さんは、大陸ものには狂気のような溢れ出すような感情がないと言っている。文章はとてつもなく素晴しいのだが、切羽詰まった感情が感じられないのが残念だ、と。
私は一度しか読んでいないが第一印象としてそんな風には感じなかった。
淡々とした文章からはひしひしと感情が伝わってきた。
感情がないから感情が伝わる、というと分かりにくかもしれないけれど、「ない」ところに「ある」のだと私は感じる。
作者の感情は確かに感じない。登場人物の感情もないかも知れない。
けれど、私は、作品に感情はあると感じた。しかも、とても強く。
こう言うと烏滸がましいけれど、私は自分が「ない」ところに「ある」ように表現したいと思って絵を描いているからとりわけそのように感じるのかも知れ��い。
たとえば同じ愛情を表現するにしても楽しいことや幸せなことの中に愛情を描かない。哀しいことや不幸の中にそれを描く。生と死においても、死があるから生が際立ち意味を持つ。そして私は生は描かない。死の影を描く。孤独を描く。
ひっそりと動きのない絵ばかり描いているからといって、そこに感情がないわけじゃない。「ない」ところに私の表現したい感情が「ある」わけなのである。だから私自身は無感情で無表情な絵を描いているつもりは毛頭ない。内から溢れて溢れてどうしようもない感情の波を掬いとっているのに(狂気にような切迫した感情を掬いとっているのに)、描くとそれは落ち着き払った静かな顔になっている。
そんな静かな絵から激しい感情を汲み取って欲しいというのは無理な話なのだろう。でも、いくつもそんな絵が並べば、ずっとそんな絵を描き続けていれば、何かしらは伝わるんじゃないかと私は信じている。
しかし、多くの人が共通して持っている長谷川四郎に対する見方や、長谷川四郎自身の性格やバックグラウンドを知ると、私の当初の感想は幻のような気がしてくる。読んだときは確かにそう感じたのだけれど、今ではそれはすごく不確かで曖昧になってきてしまった。
好奇心旺盛でスパイだったかも知れないと噂が立つような長谷川四郎。非日常におさまってしまえる長谷川四郎。そういう四郎さんのイメージが私の中にしっかりと入って来てしまった。そうなると、私は不器用だからもう最初の時点には戻れない。そっちの四郎さんが勝ってしまって、そっちの四郎さんに引っ張られて読んでしまいそうな気がする。まっさらな状態で読んだときのように読もうと思ってもたぶん出来ない。
でも、というかだからこそ、また今度、もう一度、読んでみなくてはいけないと思っている。
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「僕にとっての短編小説―文庫本のための序文」
共感できるところが随所に。ぼく自身、自分と会話をするために、自分を癒すために書くことがある。いや、ほとんどはそのために書いているのかも。
自分の中の自分との対話。
「あーでもない」
「こーでもない」
ほんの些細なことから書き始めて、自分でもビックリするような結末になったりして。ま、ぼくの場合は身辺雑記程度だけれど。
あとは長谷川四郎「阿久正の話」
日常で日常を生きているつもりなんだけれど、日常を生きている人の目にはに非日常としか映らない。
悲しくもあるが、たしかに自分の中にそんなズレを感じることがある。
雑踏の中で違和感を経験したり。
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村上春樹さんが、アメリカの大学で教鞭をとっていたころの講義の内容を元にして作られた、短編案内集です。取り上げられる短編はほんとうに、文学のマニアックなところなのだと思われます、まるで知らない人たちです。きっと、文学部在籍とか志望とか卒業とかそういう人が読むと良い本なのだと思います。
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なかなか面白い。村上春樹にとっての短編小説、長編小説の位置付け、役割も書いてあるし。小説を書いてみたいけどどっから手をつけたら...って悩んでいる人にもオススメ(まあ僕なんですが...)。
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村上春樹が、とてつもなくマニアックに他者の小説を読んでいるのだと分かる一冊です。「自己」と「自我」のバランスという視点でいくつかの短編小説を分析していますが、おそらくこれは、彼が小説を書くときの根っこなのではないでしょうか。
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興味深かったのは長谷川四郎についての章。作品分析というよりは、ある人物定型として長谷川四郎像が描き出されているのが面白い。『ねじまき鳥』や『海辺のカフカ』にも通じるような。
この世代の作家たちの作品を読んだことのない人には格好の入り口になる。個人的には「樹影譚」面白かったです。
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村上春樹氏のアメリカの大学での講義を元にした短編小説紹介の本。
「第3の新人」と呼ばれる作家たちの紹介。
ほぼ聞いたことない名前の作家たちばかりで、作品を読んだこともなかったが、
この紹介文を読んで何となくその作家の小説に対する考えた方などがわかったような気になった。
作品に関することについてはやはり実際に読んでみないと何ともわからない部分もあったが。
そうした詳細な分析ができるということが素晴らしいと思う。
ぜひここで紹介されている著作を読んでみようと思う。
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随分昔に一回読んだのだけど、ちょっと読みたくなりました。内容も良いけど、時々、村上春樹の文体を体感したくなるので、読んでみた感じ。
紹介されている本を読みたくなるのだけど、この本で読んでる印象の方が面白く感じるような気がする。
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第三の新人と呼ばれる世代の作家の短編小説を解説している本です。
読んでみてびっくりしたのだが、僕は驚く程この世代の人たちの本を読んでいない。
そのうち、触手をのばしてみようと思う。
それにしても、短編小説一つにこれだけ、真摯に向かい合い、深く詠み解けるのはすごい。
きっと自分の中にきっちりとした主題があるからなんだろう。