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投稿者:鶴 - この投稿者のレビュー一覧を見る
完璧に分かったか?といわれれば、半分以上は、といえる程だけど
要点はつかめたと思う。
死から新たな生が始まる…人生に関わる哲学がここにあった。
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いつの間にか溜まったTポイントで購入。なかなか挑戦的で面白そう。
これは「存在と時間」の解説に徹した好著であるように思う。しかし、原本を読まずにこれを手にした人が最後まで読み終えることができるかは、甚だ疑問であり「入門書」と看板を付けるのは不適切であるかもしれない。しかし、一度読んだ人が原本を読み直すのは面倒なときに、思い出すためにはたいへん助かる本であることは間違いない。さらに言えば、よくわからないながらこの本を読み通し、そのあとこの本で引用されている岩波文庫の熊野訳で読んで、該当ページに来たときに、この本を傍らにおいて読めば、きっと途中で挫折することはなくなるだろう。岩波文庫とのコラボ本という位置づけもできる。
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『存在と時間』。過去なんども読破に挫折。本書でようやくわかったような気分になれて、やっと胸のつかえがとれた感じ。
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ハイデガーの『存在と時間』の入門的解説書です。
著者は「はじめに―ハイデガーは何故重要なのか?」で、「日本でも多々出版されてきたハイデガー入門書・解説書にしばしば見られるような、哲学史的な過度の拘りは避けるつもりである」と述べて、ハイデガーの「存在史」の構想から『存在と時間』を位置づけるような議論にあまり踏み込まないと断っています。
新書形式の入門書としては、木田元の『ハイデガーの思想』(岩波新書)が、実存哲学としてハイデガーの思想を捉える見方を否定して、正当なハイデガー解釈を打ち出しており、細川亮一の『ハイデガー入門』(ちくま新書)も同じ路線で、よりマニアックな議論を展開しています。一方、本書と同じ講談社現代新書から刊行されている古東哲明の『ハイデガー=存在神秘の哲学』は、ハイデガーの秘教的な側面への偏愛と明晰な議論の展開を両立させた名著だと思うのですが、本書はこれらの入門書とは違う特徴をもっています。
著者は、「『存在と時間』の“実存主義=ヒューマニズム”的な側面を切り捨ててしまうのは惜しいような気がする」とも述べており、じっさい『存在と時間』の実存哲学的な部分についてていねいな解説をおこなっています。こうした性格の入門書としては、竹田青嗣の『ハイデガー入門』(講談社選書メチエ)がありますが、竹田が自身の欲望論の土俵にハイデガーを引っぱり込んでいるのに対して、著者はもっとハイデガー自身の思索にそくしたかたちで解説をおこなっているといえそうです。竹田がほとんどハイデガーを離れてみずからの哲学を開陳している「先駆的覚悟生」や「良心の呼び声」についても、ドイツ思想史の背景を紹介しながら解き明かしており、勉強になりました。
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『存在と時間』の解説本は、講談社新書から3冊出ているはずですが、古東哲明のは読んではみたものの自分は受け付けず。もう一冊のは書店でまったく見かけず。でも読みたい知りたい。そもそも『デリダ入門講義』を読む前にハイデガーの基本のところは知っておきたい、と思って仲正昌樹版を大型書店で見つけて購入。
どちらかというと、哲学よりも他の分野の本を読む時間の方が(圧倒的に)多く、哲学については入り口あたりでいつまでもウロウロしている自分にはこういう著者の存在は、ほんとうにありがたい。
進化生物学、脳科学と認知、進化心理学について書かれた翻訳物を読んでいると、ヒューム、ハイデガー(あとはレヴィ=ストロース)あたりの考えを(肯定的に)言及することがあまりに多いが、そこがよく理解できず、著者が感動しているのは明らかなのだが、その感動を中途半端にしか共有できずにいるため悔しい思いを続けている。
自分が特に興味のある「認知」や「意識」についてより深く知る上で、上記の2名の考えはどうしても理解しておく必要があるようなので、機会を見てまた読み直したい。
で、次は『デリダ入門講義』に挑戦。でもざっとめくって見たけど全然「入門」て感じがないけど読むだけ読んでみる。
https://twitter.com/prigt23/status/1018073559187386369
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著者の主観的解釈や脱線部分が少々読みにくいのだが、概要を理解するにはいいのかもしれない。ただし、書き方が少々皮肉っぽいところが気になる。何作か読めば慣れるのだろうが。
ハイデガーは「ダスマンを否定しているわけではない」と述べているが、どう見ても(読んでも)否定しているとしか思えないのは自分だけだろうか?
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『存在と時間』の解釈本。著者は決してハイデガー・シンパではなく,問題意識の素性が怪しい点にはツッコミを入れているが,ただ,最終的にはハイデガーの問題意識に飲み込まれているように感じる。残念なのは,全体としてはほぼ『存在と時間』の要約に留まっていて,我々が自分のこととして引き受けて考えていることとの関係を論じていないこと(ハイデガーの言葉だけで書かれている,「例え話」がない)。ハイデガー特有の用語をドイツ語の原義やニュアンスに沿って解釈しようと試みている。
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本書は、「存在と時間」の読解を主な内容とする、ハイデガー哲学の入門書である。
筆者は「存在と時間」の原典をときどき引用しながら、難解な思想を卑近な事柄に例えて解説してくれるので、比較的わかりやすい解説書になっている。
特に「存在と時間」原典の文章にはハイデガーの造語や難解な哲学用語が多く、それらの用語の意味の理解に、この本の説明は役に立つ。とはいえ、原典自体が難解なので、筆者の丁寧な解説にもかかわらず、この本一冊で「存在と時間」が読めるようになるといったものではない。次のもっと詳しいハイデガーの解説書に挑むための最初のステップに読むのに適した本であるような気がしている。
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・一度「存在」への問いに囚われると、そこから完全に逃げ出すことはできなくなり、「存在」を気遣い続けることになる。逆に言えば、「気遣」っているからこそ、「現存在」は「実存」として「存在」しているのであり、「気遣い」しなくなった時、「現存在」はもはや「存在」しない
・「死」をもって、自分の現存在の全てが顕わになるが、その瞬間を自分で経験することはできない。「死」の瞬間に、経験する主体である自分自身が消滅するからである。「死」をもって、各人のそれまでの各種の気遣いや、自明視してきた有意義性の連関も消滅する(ように思える)。「世界」がその後も”存在”し続けるかどうか分からないし、たとえ”存在”し続けたとしても、もはや「現」を失った”私”にとっては無意味である
・ハイデガーは、死へと関わる本来的存在の核心は、「(死の)可能性への先駆」にあると見ている。つまり、自らの「死」と対峙することを「回避」するのではなく、必ず到来する「死」を自らの存在の「終わり=目的」として見据え、そこに向かって自らの実存を「投企」し直すということである。平たい言い方をすると、「死」を意識し、そこに至るまでの自分の生き方を、積極的な意味を見出すことができるような仕方で、再イメージ化する、ということだ
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ハイデガーの有名かつ難解な『存在と時間』の入門本。
哲学にちょっと興味が出て来て、原著の『存在と時間』を手に取ったところ、1ページを解読するのにさえ四苦八苦し、挫折(知 っ て た)。これをきっかけに本書からまず読むことにした。
ハイデガーが元来のデカルト的・自然科学的な認識論(認識があって初めて存在がある!)から距離を置いて、従来の存在論を解体しようとしたという『存在と時間』の目的から解説が始まり、重要概念である現存在、配慮的気遣い、「ひと」、死への先駆などについて説明がなされている。筆者はハイデガー専門の研究者ではないのだが、だからこそ可能な、良い意味で中性的で、読者に寄り添う形で解説がなされており、素人の自分でもついていくことができた。難し過ぎず、かつ原著から離脱した都合のいい要約になっている訳でもなく(原著からの引用が多くある)、入門書としては良書なのではないかと思う。とはいえ、原著がかなり難解であるため、それなりに骨を折るし、十分に理解できなかった部分も多い。
それでも『存在と時間』の提起する問題は新鮮かつ刺激的なものが多く、それらは読んでて惹かれるものであった。例えば「死」について。現存在(私たち)は生まれた時点で「死」を背負っており、それへの漠然とした不安(従来の思想家はその曖昧さから注目しなかった)から逃れるために、「ひと」へ没入するのだ(世間の考えに身を任せる)というハイデガーの指摘は、平均寿命という世間の基準を受け入れて、明日訪れてもおかしくない自分の死から目を反らしている私たちにまさしく当てはまるものである。
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■988, 2020.01.02
言葉遣いを自分で再設定しないと気が済まないという哲学の特徴のひとつが押し出されている。
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デカルト以降の自我中心の哲学が課題とした我思うゆえに我ありの我が存在する根拠に対して、死という固有の経験から自分に固有の生き方や責任を考えて主体的に将来に向かって投企していくポジティブな人間というハイデガーが出した解がわかった
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自分の在り方とは何か、、、存在とは、、
「共に現に存在すること=共現存在Mitdasein」他者たちがあってこそ、「誰」という問いに対する答えの方向が決まってくる。他者との関係で「適所性」が割り当てられていること、「現存在」同士で相互的に作用する「顧慮的気遣い」は生活の中で実感として理解できた。
この本の中で最も励ましになり、自分の問いに対するヒントになったのは、「死への先駆」は「自由」に繋がるという考え。死と向かい合った時の「単独化Vereinzelung」を通して、各「現存在」の本来的存在が、開示されるということ。以下抜粋。
〜「配慮的気遣い」や「顧慮的気遣い」の既存の連関に無自覚に縛り付けられるのではなく、自己の本来的存在を起点として、それらの連関を"積極的"に意味付けし直し、それらに対する自己の関わり方を"主体的"に変更しようとする。自分らしくあるために、周囲の事物や他者に能動的に関わろうとするようになるのである〜
哲学を勉強してこなかった人も、この本を通じて自分の在り方について考えを深めることができると思う。言葉が難しいためか、理解しようとしている間に感情的になっている心が落ち着いてきたのは驚きだった(笑)。
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入門書だが個人的にはかなり難しく感じた。アーレントやナチズムとの文脈も読解したかったが、結局理解できずに終わったので、後ほど再読。
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歴史の客観性を考えるにあたっても、それはそういう将来を見据えて歴史を選んでいるのであり(Materialとして選ぶ)、まったく客観的な歴史というのはない、というのはそうだなぁと思う。トルストイの戦争と平和もそうで、歴史というのは主観的な要素を多く含んでいる(?)のだろうか。歴史のところが印象だったので先に書いているけれど、実存から時間を考えるというのはとても面白い。やっぱり公共的な時間とか水平的な時間とかではなく、私固有の時間に興味があるからだ。時間は各人に同じではないかもしれない、その驚き。