紙の本
ノーベル医学賞を受賞したアレクシー・カレル博士が若かりし頃、ルルドで目にした奇跡をありのままに告白した貴重な書です!
2020/09/10 09:27
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、我が国では『人間 この未知なるもの』、『熱き想いの日々-遺された天才の断章』、『人生の考察』、『生命の知恵』などの著作で知られる20世紀の前半に活躍されたフランスの外科医、解剖学者、生物学者のアレクシー・カレル氏の作品です。同氏は、1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞された人物でもあります。同書は、著者が奇跡で名高いルルドを訪れ、そこで目にしたものを克明に告白した貴重な一冊です。時は、20世紀初頭の初夏で、当時の著者は、まだリヨン大学の解剖学教室で学ぶ若き医師でした。そして、ルルドを訪れ、不治の病に冒された一人の女性に起こった奇跡を目のあたりにし、理性と信仰の狭間で、彼の心が揺れ動きます。著者の生前には発表されることのなかった貴重な書です。
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従来の「ルルドへの旅・祈り」が仏語原典からの邦訳なのに対し、本書は米国で出版された英訳からの重訳版です。
個人的には、仏語邦訳版の方がより美しく抒情的な文体で感動をそそられます。これには訳文の問題のみならず、原典の違いも大きいのでしょう(英訳時、用語の変更やパラグラフの改廃・置換えも行われたとのこと)。
解説はやや退屈な部分もありつつ、著者カレルの戦争や政治との関連など、興味深く読みました(カトリック教徒であることと矛盾するこれらの思想は、理解に苦しみます)。附録の「ルルドの洞窟」も参考になりました。
ルルドに興味がある方は資料として一読の価値ありです。
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後にノーベル生理学・医学賞を受賞(1912年)する仏の外科医であるアレクシー・カレル(1873年~1944年)が、1902年に、かつて聖母マリアが出現したと言われ、不治の病を治癒する「ルルドの泉」で知られた、カトリック教会の巡礼地ルルドを訪れたときに目の当たりにした“奇跡”について、自ら綴ったものである。カレル博士は一般には、『人間 この未知なるもの』の著者として有名である。
ルルドは、フランス南西部のピレネー山脈の麓にある小さな町(現在の人口は15,000人)で、1858年に、町の洞窟でベルナデット・スビルーという14歳の少女に半年間で18回の聖母マリアの出現があり、その9回目の出現のときに洞窟に見出された湧水による病気の治癒例が評判になり、世界的に有名な巡礼地となったのだという。1984年、2004年に教皇ヨハネ・パウロ2世、2008年に同ベネディクト16世も訪れている。
カレル博士が、難病・瀕死の病人の一団による巡礼の旅に帯同して見たのは、末期の結核性腹膜炎に罹って、腹部が膨張し、顔が黒ずみ、脈拍が致死的な速さで、死の間際と思われた女性が、ルルドの洞窟の中で見る見る症状を改善させ、数時間のうちに治癒したという事実だった。しかも、博士はたまたまその女性を巡礼の旅の当初から診ており、自らの医学的経験からも、結核性腹膜炎が誤診だったとは考えられないのである。
ルルドを訪れるまでの博士には、「医学的に説明不能」ということは受け入れがたく、(未知の科学的法則が将来は明らかになることは予測できたので、それも含めて)科学的な探求の前に「説明不能」があってはならないという考えが優先していたことは、本作品でも繰り返し語られおり、そうした立場上、リヨンに戻ったのちもルルドへ行ったことすら知られたくなかったといい(しかし、その後も4回訪れている)、本作品についても、帯同した医師の名前(レラック)と治癒した女性の名前(マリ・フェラン)を変え、ルルドを訪れた年を1年ずらして(1903年)書かれ、かつ、博士が存命中に発表されることはなかったのである。
しかし、一方で、本作品はいずれ公表されるのを前提に書き残されたことも事実であり、博士の長く深い心の葛藤(本書の解題では、博士は「ルルドで信仰を回復した」と書かれてはいるが)を感じずにはいられないのである。
翻って、特別の信仰心を持たない私としては、本書をどのように解釈するべきかの結論を今は持ちえないのであるが、一つの作品・事実として自らの中に溜めおきたいと思う。
(2016年2月了)
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スペインと国境を接するフランス南西部のルルド。1858年2月に
ひとりの少女の前に聖母が現われた。何度かの邂逅ののち、聖母の
言葉に従って少女が洞窟の土を掘ると泉が湧き出した。
病気や怪我を治癒する奇跡の泉として有名な「ルルドの泉」で、
後にノーベル医学賞を受賞することになる若き日のアレクシー・
カレルが目撃した奇跡を小説仕立てで書き残したのが本書だ。
カレルが巡礼団に同行してルルドを訪れたのは1902年。結核性
腹膜炎を患う若い女性は、ルルドの泉を訪れる予定の昼にはいつ
亡くなってもおかしくない状態だった。
それが泉の水を腹部にかけただけで、腹部の膨満は消え、その日の
夜にはベッドに起きがれるまでに回復した。
科学では説明のつかない事象がある。それは分かる。しかし、これは
どう考えたらいいのだろうか。死に瀕していた人が劇的な回復どころか、
全快してしまうなんて。
現在のように医学が発達していた時代ではない。診察はもっぱら医師の
目視と触診に頼っていた時代だ。結核性腹膜炎自体が誤診だったのか
とも思えるのだが、それではルルドの泉へ赴く前の女性の脈拍数や
呼吸数の説明がつかない。
原書はフランス語らしいのだが、本書は英訳からの重訳になっており、
そもそも英訳は原書の抄訳らしいので、省かれた部分に何が書かれて
いるかが気になる。
尚、ルルドにはカトリック教会の医薬局が存在しており、奇跡と認定
されるのは相当に厳しい基準が設けられているそうだ。そして、カレル
が目撃した女性の例は奇跡とは認められなかった。
それでも、不思議だと思う。少ない例とは言え、医学の知識を総動員
しても手の施しようがない病を治癒させる泉。
体験とまでは言わないまでも、出来ることなら目撃してみたい。
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ルルドはフランス南部にあるカトリック巡礼地である。歌手のマドンナが娘の名をこの地にちなんで名づけたことでも話題となった。
古来、交通の要衝であり、先史時代からの遺物が残る町ではあるが、この地が巡礼地となったのは、1858年に1人の少女、ベルナデッタ・スビルーが「聖母を見た」ことに由来する。聖母は十数日に渡って洞窟近くに現れ、ここに御堂を建てよと少女に告げた。そして「泉に往きて水を飲め且つ洗えよ」と洞窟の底を指し示した。そこには泉はなかったが、ベルナデッタが手で穴を掘ると水が湧いてきた。水は滾々と湧き出し、ルルドの泉と呼ばれるようになる。この泉の水を飲み、沐浴した重病人が奇跡的に快復するとされ、現代にいたるまで多くの巡礼者を集めている。
アレクシー(アレクシス)・カレル(1873-1944)は、フランスの外科医、解剖学者、生物学者であり、1912年にノーベル医学・生理学賞を受賞している。受賞理由は「血管縫合および血管と臓器の移植に関する研究」で、その外科医としての業績に対するものだが、彼を有名にしたのはむしろ、その後のニワトリ胚の培養実験ではないだろうか。胚の心臓から取り出した培養片は、ニワトリの寿命を超え、20年以上成長しつづけ、カレルは、細胞は不死であると仮説を立てた。しかし、この実験は再現不能であり、(カレルが知っていたにしろ知らなかったにしろ)何らかの不正があったのではないかと見る向きもある。
1930年代には、(姉が心臓弁膜症を患っていた)チャールズ・リンドバーグの支援を受け、人工心臓の開発に取り組む。
晩年は優生学的思想に傾倒していき、ヴィシー政権の許可を受けて、フランス人間問題研究財団を設立。研究に励もうと努めるも、ヴィシー政権の事実上の崩壊に伴い、任務を解かれた。ナチスの協力者としての訴追は免れたものの、体調を崩し、失意のうちに亡くなっている。
さて、「奇跡の泉」と「波乱万丈の医学生物学者」の間にどこに接点があるのか、一見、よくわからないのだが、実は、カレルは1902年にルルドを訪れ、奇跡を目の当たりにし、それについての著作を残しているのだ。
本書はそれをもとにしたものだが、カレルの著作だけではなく、カレルの生涯に関する解説、日本とルルドの関わりに加え、明治期に東京の関口教会から発行された『ルゝドの洞窟(ほら)』(ドルワール・ド・レゼー)と称するルルドを紹介する小冊子の内容も含む。
全体として、若きカレルに奇跡の泉がどういった影響を及ぼしたか、俯瞰しようとする作りである。実は編訳者は中東史の方が専門であるというのも興味深いところで、中東とはまったく関わりのないカレルやルルドの持つ「何か」に大きく魅かれたということだろうか。
カレルの著作自体は実体験に基づくものではあるが、半フィクション仕立てである。出てくる医者はレラック(Lerrac:カレル(Carrel)の綴りを逆から読んだもの)とされている。
彼は、結核性腹膜炎を患っていたマリ・フェラン(実名はマリ・バイイー)がルルドで治癒するのを目の当たりにする。元々、彼が診察していた患者であり、カレルはこれについて、1909年に報告書にまとめている。
本書に収録された『ルルドへの旅』では、ルルドまでの旅の様子や、救いを求めて集まった人々が書き綴られている。
カレルはこれを機に、カトリシズムに帰依したとされる。ルルドに関する著作は生前には発表されなかった。
個人的にはカレルに興味があって読んでみたのだが、どう解釈してよいのか、なかなか難しいところである。
20世紀初頭の雰囲気も感じるし、若き学者の冷めた熱意も透けて見えるようでもある。生物学はまだまだ日の浅い学問なのだなという印象も受ける。ルルドでの体験が、後に心臓や胚培養への関心につながっていったようにも思える。
編訳者は、仏語からではなく英語版から重訳している。あとがきでは、その英訳を書いた人物にも触れている。カレルと親交のあった人物の娘で、カレル自身とはもはやほぼ関係ないのだが、これはこれで、当時の女性のおかれた立場や宗教観も窺わせ、それなりに興味深い。
そんなこんなで、構成からしてもやや取っ散らかった読後感なのだが、カレルに関してはまた機会があれば何か読んでみたいような気はしている。
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医師アレクシー・カレルがその目で見て書き記したマリ・フェランの治癒についての文章はかなり短い。カレルがヴィシー政権下で優生思想の持ち主でナチシンバだったこと、リンドバーグがカレルの研究に私財を投じていたことなど、訳者による周辺情報が興味深かった。また、カトリック教会が奇跡の認定に非常に厳しく、マリ・フェランのケースでさえ認定されなかったというのが意外だ。その一方で、ルルドの泉の模倣を作ることを世界各地で認めていて、日本にもカトリック東京カテドラル関口教会はじめ数カ所にあるというのも初めて知った。