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3月の6冊目。今年の39冊目。
イギリス文学の古典。19世紀と20世紀の植民地主義と帝国主義の話。正直よくわからなかったですね。話があいまいだし、クルツさんの描写も不鮮明でした。ほかの人間に関しても、イマイチなんだかうまくつかめなかった。結論から言うと全体的にうまくつかめなかったです。ま、そういう本もあるさね。
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本当は★4つつけたいところではある。だがしかし。
ぶっちゃけ、ちくまの短編集の方が面白かった(私が短編好きのせいもあるかも)。
新訳の方がとっつきやすいと思って光文社版をチョイスしたけど、それも一因だろうか。岩波版を読むべきだったかもしれない。
やたらと語尾に“○○だがね”がつくマーロウの語り口=訳文が、思春期小説の主人公ぽいというか、ライ麦畑のホールデンみたいで痛い(サリンジャーは大好きな作家で、『ライ麦畑でつかまえて』も一番じゃないけど好きな作品)。気になりだしたら内容に集中できなくなった(笑)
闇の奥に向かって河を航行していくさまは圧巻で、原住民に襲撃を受けるシーンや、杭に生首も衝撃的。
ただ、どうにも“ね”が気になって……ご自身の訳文をいま一度読み直していただきたかったw
それはそうと。
『地獄の黙示録』のネタ元なのね、この作品。全然知らんかった。
映画、もっかい観直さないといけないな(機会があったら)。
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時代という制約を超えて読者に「黒い声」で語りかけてくる作品。
読者それぞれの解釈を許す寛容さとその覚悟を同時に問い質してくる。
当方は人間の原始性の探求だと思う。
でなければ『地獄の黙示録』みたいな怪物作の起源にはなり得ないと思います。
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《コンラッド著「闇の奥」を読む》
(光文社古典新訳文庫で)
「英語で読む村上春樹」の題材『かえるくん、東京を救う』に登場するコンラッドという作家読んでみたくて選択したのがこの作品。「ロードジム」を読んでみたかったが入手が面倒だったのでこちらの「闇の奥」にした。
コンラッドは難しいとか堅苦しいとかいうイメージがあって取っ付きにくいと言われているそうだ。しかし私は出だしこそ確かに難しそうな気がしたが、間もなく主人公マーロンの語り口に引き込まれ、一気に読むことができた。これは新しい翻訳のせいかもしれないし、実はコンラッドはとても魅力的な文章を書いているのではないだろうか。
英文学の古典とされているが、発表された当時は「文学史上最も痛烈な帝国主義糾弾の書」と讃えるものから「骨の髄まで人種差別主義者」の「腹立たしく嘆かわしい書物」と評価が両極端に分かれ、それは今日まで傑作か駄作か読む人の数だけ解釈が生まれるという。
これでもかと言うほどの難しい表現を用いた自然描写は確かにくどいような気もするが、慣れてくるとどんどん引き込まれていく。そして気がつくと最後のページまで読んでいるのだった。これもコンラッド独特の語り口によるものなのだろう。
解説によると映画『地獄の黙示録』は、この「闇の奥」をベトナムに舞台を移したものだそうだ。まだ見ていないので、ぜひ一度鑑賞したいと思う。
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1902年発表、ジョゼフ コンラッド著。船乗りマーロウが語る、アフリカ奥地への旅の記憶。象牙交易によって権力を得た人物クルツを救出するという目的の元、マーロウは遂にクルツに対面するが、彼は息絶えようとしていた。
まさに闇のようにぼんやりとした小説だった。
中盤あたりからマーロウの語りが崩れ始め、物語の確信にあえて触れずに、外側から怪しげに焙っていく印象を受ける。特に、普通であればスポットライトを当てるべきであろうクルツに関して、それを顕著に感じた。そもそもマーロウが到着した時には既にクルツは相当弱っているのだ。これでは全くお話にならない。
だが、それこそが本小説の中心主題なのだろう。西洋の植民地主義の闇、アフリカの大自然の闇、人間心理の闇、などのよく挙げられるテーマについて共通しているのは、闇が不可知であることと、その不可知とはある種のくだらない勘違い(例えば「伝聞」や「会話」などの情報伝達が曖昧にならざるを得ない状況における)によって成り立っている、ということだ。
そしておそらく、勘違いを剥ぎ取った挙句の闇には本質的に何もなく、徒労に満ちているだけであり、だが例えばクルツのような徒労の果てに狂気にいたった誰かの巻き起こす渦のようなものが、永久に人を惹きつけ続ける。マーロウはそういった一連の流れを目撃してしまったのだろう。ラストシーンで彼がクルツの死を偽った理由も、その目撃を彼自身が忘れるためだった、という気がするのだ。
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夏目漱石が愛読したコンラッドの代表作。
そして、オーソンウェルズ、スタンリーキューブリック、フランシスコッポラなど巨匠たちがこぞって映画化しようとしたけれども、実現には至らなかった。
という前情報〔千夜千冊1070話〕に興味をそそられて読み始めた。
しかし、読みにくかった。
けっして難しい文章ではないのだが、どうにもリズムが合わない。
読後に解説を読んでみると、色んな人が翻訳しており、今回手にしたのは新訳だとわかった。
そして、そこで、原文が読みにくいことで有名だということもわかり、それに対して、それぞれの訳者が色々試行錯誤していることもわかった。
うーむ、その結果が、こういう訳になるのか。
正直、なんだか直訳的なリズムで、肌に合わなかった。
機会があれば別の訳書も読んでみたい。
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「闇の奥」とは、直接的には植民地時代のコンゴ河の密林の奥であり、また人間の(そして自分の)心の奥のこと。自分の(そして人間の)言葉や思考の奥底に潜む謎や真実のこと。
『怖ろしい!怖ろしい!』その最期の言葉は一体何のことを示しているんだろう?
それは単純に、象牙のために残虐非道を尽くした人間やその時代や、またはヴィクトリア朝時代のロンドン市民ではなくて、私自身の経験とそれに基づく普段の行動や考え方の奥底にある何かであるに違いないんだ。
事実、短い一文に自分の直視したくない姿を見つけてしまう。これを読む時の自分の状況や考え方によって、具体的なものはきっと変わるだろう。
「闇の奥」を冒険小説と呼ぶのなら、コンゴ河の奥の密林を遡る植民地時代のお話ではなく、自分の心の姿を直視するための怖ろしい冒険…なのだなと思った。
再読しよう。
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2015年30冊目。
帝国主義時代のコンゴにおける象牙貿易。
船乗りマーロウが河を遡った密林の奥深くでは、恐るべき搾取が行われていた。
沈黙する密林は、人に闇を与えるのではなく、人の闇を引き出すのだと思う。
搾取者クルツは特別な闇を与えられていたのではなく、人にある普遍的な闇を具現化されていたのだと。
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。(フリードリヒ・ニーチェ)」
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2015年3月の課題本です。
http://www.nekomachi-club.com/side/19621
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古典としてかなり好きな方。けど人によって評価は分かれるようだ。
闇という1つの概念を、豊富な表現で魅力的に映し出してくる。
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闇について書くというのは「書かない」ことと同義である。それはぽっかりとした真空地帯を作り出すことで、誰もが語らずにはいられない求心力のことを指すのだから。歴史はそんな闇の巣窟だ。「みんなが知らない真実」という媚薬は心の闇を誑かし、惑わし、盲目さへ導くことで一層闇のなかへと溶けていく。アフリカの奥地でクルツが観たもの、という深淵さをまとう空虚は小説全体を覆う闇を包み隠し、彼の狂気はそれ以外の者を正気のように惑わせる。ぼくたち、みんなちょっとずつくるってる。どこか少しずつまちがってる。これからも、きっとそう。
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今月の猫町課題図書。恥ずかしながら、これが映画「地獄の黙示録」の原作とは知らず、途中から「なんかイメージが重なるなぁ」と思いながら読んでいた。
風景、人物、感情から小道具の一つ一つに至るまですべてのものが、未開(当時)のアフリカ奥地の魔境的なイメージを構成しており、一人称話者のマーロウとともに圧倒的な迫力とおどろおどろしい恐怖感を存分に堪能できる。社会派小説としての観点からは、人種差別、収奪に関する批判が徹底していないという評価もあるそうだが、これは純粋に小説として読んで、その凄さを味わいたい。
翻訳は光文社古典新訳の精神にのっとって、非常に読み易く、違和感のある箇所も少ない。しかし、訳者あとがきの自訳解説は、手品師が失敗した手品の種明かしをしているような印象で興醒め。こういうのは訳文を持って語らしめるべしとしたものだろう。
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マッカーシーのブラッド・メリディアンで
名前が出ていたので読んでみる。
当時の大陸にいた先人にとって、
海外から襲いかかってきた侵略者は
一種の神秘という表現はおもしろいなーと。
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コンラッドが描きたかった闇とは何だったのだろう?
奥地に鬱蒼と生い茂る森の闇なのか、そこで繰り広げられる目も当てられないような人間の残虐さや欲望なのか...。
文明から隔絶されたコンゴの奥地では何もかも剥き出しである。殺戮に奴隷支配禍々しい雰囲気の現地人の踊り。そしてあるがままに存在する魔境とも言える圧倒的な自然。どんなに高尚ぶった人間でも文明という皮膜を剥がされた先には本能のまま、原始的な人間の姿がある。そんな魔境に導かれ、おぞましいと思いながらもそこに人間の本質的な姿を見てしまう主人公マーロウが魅力的だった。そして、奥地を支配する謎の人物クルツの存在。象牙に取り憑かれ欲望の赴くままに行動したクルツも本能の成れの果てのような自身の姿に最後の言葉を囁いたのではと思った。そう考えるとコンラッドが描いたコンゴ奥地の闇の奥は時代を超えてあらゆる人間に通じているのかも知れない。たぶん、人間とは根本的に「怖ろしい」生き物なのだ。
航路の途中の廃屋で船舶の技術書を見つけたマーロウがその現実的な内容に安心感を覚えるところが好きだった。奥地に辿り着いてからはより重厚な表現で状況を描写していて正直イメージが追いつかなかったのでまた期間を置いて再読したい小説。
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いろいろな解釈を取れる作品は
どうしても評価が明確に分かれてしまいます。
それは、この作品のラストです。
この作品の鍵の人物となるクルツは
結局のところ熱病(?)で命を落とすことと
なってしまいます。
そしてその後に、婚約者にあうこととなるのですが…
これ、すべてを打ち明けられないでしょ。
もしもそれを打ち明ければマーロウにも
危険が及んだかもしれませんしね。
どこか見えぬ霧が漂っていたり
黒いものがあったりする感覚が
気持ち悪くもありました。