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「最後まで、枯れずに、過剰で、創造する仕事に冒険的に挑む、疾走するジジイであり続けたい」
蜷川さんに始まった僕の演劇が、また、ここにかえってきた。
僕はもう少しだけ、先へいけると思う。まだ大丈夫だ。
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2001年に、河出書房新社から出された、高橋豊『蜷川幸雄伝説』を読んでいたため、本書の内容は、それほど目新しいものではなかった。というより、『蜷川幸雄伝説』の内容があまりにも充実していたため、こちらの内容が薄く思えてしまった。
とはいえ、2009年時点での蜷川氏の話を聞けるのは大きい。
「幕引きから三分間が勝負」
「台本には手を入れない」
「創造のための苦闘」
など、今まで見てきた蜷川演出の舞台と照らしわせながら読み進めることが出来る。
個人的に印象に残ったのは、
p122~123
「二十四時間点滴を打ちながら、僕には考え続けていることがあった。そういう極限に近いような状況で、初めて見えてくるものがあるんですね」。
私にも入院経験がある。なにもできない、ただベットの上で天井を見つめるしか無かった時、今までにはない、新しい考え方が生まれてくるのだ。この経験は私にもある。
内容量としては、かなり少ない。
私個人としては、10年以上前の書籍であるが、『蜷川幸雄伝説』を読むことを勧める。
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ある日ある時ある場所へ
自分で選んで行き、
…
生身の人間が演じるものを観に行くことこそ、演劇の魅力。
進化したメディア媒体から送られてくる膨大な量の情報からも得ることのできないもの。
私も回遊魚になろう。
世界中いろんなところを飛び回って常に新鮮な状態いられたら、どんなにか楽しいだろう。
そう、この本を読むまでは娘の蜷川実花の方が近い存在だったけど、蜷川幸雄、77歳、なかなか優しくていい人なんじゃないかしら。
舞台、観に行ってみようかな。
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「演出というのは、文学を演劇にすることだと思うのです。文学は読者が何度も読み直したり、頁を戻したり出来るけど、演劇は観客が目と耳から、現在進行形の物語を、瞬時に理解していくしかない。」
「演出家は、自分の世界や人生を語るのに他人の言葉でしか語れない。ですから、その制約を僕は演出家としての思いや想像力で埋める。」
「人に理解されていない。世界というか他者が遠い、近づきたいという感覚が、僕自身の中にまだある。周囲からは、そんなはずはないといわれるんだけど。
最近では、他者と自分が一体感を持つことは、そんなに多くないんだと思うほどの余裕は出てきた。」
声高に主張しなくても、みんなに対して説得力を持つこと/多義的な解釈
「自意識過剰な僕は、そういうことが苦手だった。だけど、納得さえ出来れば相手を受け入れて付き合うことが『夏の夜の夢』『身毒丸』を演出したころからか、素直に出来るようになってきた気がする。」
(12.11.8)
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NHKで放送された『100年インタビュー』の蜷川幸雄の回をまとめたもの。世界のニナガワの子供時代や演劇との出会いは興味深く、演出家として大成するまでの苦悩や孤独が共感を呼ぶ。一番心打たれるのは、演劇へのエネルギッシュな熱い思い。演出されてお芝居を観てみたかった。
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とりあえず文字が超デカイ。しかも140ページぐらいしかないので、結構あっという間に読み終わる。
でも、内容はしっかりとしていて、蜷川幸雄さんの生い立ちや、演劇で身を立て始めた頃の苦労とかを知ることができてためになる。
ずーっと昔から大スターだったのかと思ったけれど、本当に大ブレイクしたのは割と壮年に差し掛かってからということにも驚き。さらに、冒頭で渋谷を歩く蜷川さんの話も格好良かった。ああいう街でも、むしろ面白がってそれを楽しむ気持ちは、捨てちゃダメだなあと思った。
そして、千のナイフの話。演劇に限らず、仕事でも勉強でも、もしかしたら千のナイフがこっちを向いているかもしれない。そう考えて日々生きなきゃなと思った。
薄くて文字が大きいけど、読み応えと得るものはたくさん。良書でした。
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最も古い芸術である演劇は、一方で「そこで」現在進行形の実演であるという最も新しいモノである。巨匠となっても常にひたすら前へ前へ進んでいた筆者は、やはりこの演劇の特性を体現させ続けた、と言える。
割と柔軟な方だとわかった。