電子書籍
人生で、なにかがちがうと思ったときに。
2018/01/24 21:11
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kya2ron - この投稿者のレビュー一覧を見る
人生の岐路に立っているときに出会えて、ほんとうによかったと思えた本です。
人と比べてしまったり、自分が嫌いになったり、人間関係がまったくうまくいかないことのくりかえし。
自己啓発本を読んだりしてみましたが、いっときは効果があっても、また元通り。
どうして元通りになってしまうのか、もっと根深いものがあるのではないか……
そんなふうに悩んでいた時に手に取ったこの本。
ときに自分と照らし合わせて、つらいなあと思う箇所もありましたが、それもまた、いい薬になりました。
自分の抱えているもの、いま自分の周囲にいる人々の抱えているものが見えてきたように思えます。
もっと優しい人間になれるかな?
まずは、わがままでいいから、きちんと「自分」を持つことですね。
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ものすごく乱暴にまとめると、大事なのは心の持ちよう、ということ。
正しい心の持ちようがここには書かれてある。目的意識があり、寛大であり、自分の価値を理解しており、現実を受け入れており、自分に正直であり、、、、、
とここでは当然全てを書けませんが、この絶望的なまでにネガティブに覆われた世界で、真っ直ぐ生きるのに必要な叡智がありました。
ただ、少し読みにくかったけど。社会的成功を得ていない人間のヒガミだ!なんて批判されそうな内容でもあるが、そんなヤツには不幸な人間の現実逃避だ!と言い返してやる。
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本書の副題に”「生産的」いい人と「非生産的」いい人」とある。
なかなか日常使わない表現である。
「はしがき」に、いきなり次のような表現が出てくる。
・生産的構えの人の人間関係には、基本的に相互性がある。
・非生産的構えの人の人間関係には、基本的に相互性がない。
「相互性」とは何か?
「自分のため」と「他人のため」が同じことになっている人間関係、これが人間関係の「相互性」というらしい。
続けて著者は言う。
「自分のため」と「他人のため」が同じことである場合には、「他人が自分のことをどう見ているか」ということが悩みにならない。「自分のため」と「他人のため」とが矛盾していないから「他人が自分のことをどう思うか」は重要にならない。「他人が自分のことをどう思うか」が重要になるのは、非生産的構えの人である。
つまり、本書で「非生産的」いい人というのは、他人の目を気にしていい人を演じている人のこと。著者の譬えで行くと、「本当はネコなのに、イヌであることを期待され、イヌとして生きている」ような人のこと。いつも自信がもてず、ストレスをためながら生きている。
これに反し、「生産的」いい人を、著者は「心清く、気高く、他人のために生きる人」という言葉で表現している。この言葉は、安政から明治への日本の激動の時代を生きた政治家・加藤正之助という人物の言葉だそうだ。
整理してみるとこうなる。
「生産的」いい人は、他人のために生きることが自分の本来の意志と一致している。これに対し、「非生産的」いい人は、他人のために生きるのは、他人が自分をどう思うかといったように人目を気にするが故である。結果、「生産的」いい人が、他人のために生きると幸福感が得られる。他方、「非生産的」いい人が、他人のために生きていると心の負担が重なる=不幸になっていく可能性がある。
こうした「非生産的」いい人の生き方の人は、同じく「非生産的」いい人の生き方をしていた親に、そのように育てられたことによる。つまり連鎖するということだ。同様なことは、他の心理療法の本でも述べられている。
この連鎖に巻まれている自覚のある読者は、この連鎖からの脱出方法に関心があるはずである。そして、著者は次のように述べる。
そうした親から生まれ育てられたこと、言わば「ネコであるのにイヌとして育てられた」ことは、運命としてそれを受け入れよという。
ネコがイヌとして生きるという事は、非常に能力がなければできないことだが、能力を持ち合わせて生きていても、生きづらい。苦しんでいる本人は、行生きづらさの苦しみから脱出したいが、ネコの生き方がわからない。
ネコとして生きたかったという運命に執着し、そうでなかった運命をなかなか受け入れられない。
けれども「自らの運命を受け入れたときに、人は神経症を乗り越えることができるのである。それを偉大な人という。」と述べている。
確かにその事実は過去に遡って変えることができず運命的だ。しかし、周りを見てみるに、誰もが異なる種類の運命���戦っているとも思える。自分で選択したのでないのに、貧しい家庭に生まれたり、病気や障害をもって生まれてきたり、不和の家庭に生まれたりと、抱える運命の種類が違うだけのように思える。
いつまでも変えられない過去の事実に執着することは不幸であり、勇気を出して、運命として受け入れることが幸福への転換の道であるようだ。著者はこう述べる。
「生産的」とは、すべての過去を受け入れて、その中で自分のできることを積極的にこなしていくことである。
確かに、他人の目を気にして、人と同じ環境であることに執着し続けるよりも、自身の運命として、オリジナルの人生を切り拓いていくことのほうが意味があるだろう。著者は「俺には、俺の生き方がある」という考えを支持している。
運命を受け入れて、自分自身の生き方で、自分のできることを積極的にやっていけば、やがて新たな自分を発見したり開発できたりする。そうなると、これまで「不幸」の原因だった運命的な事実も、「幸福」の原因となる。「あのことがあったから、今の幸福な自分がある」といったふうに。
最後のほうに、「これが目指すべき本当の「生産的」いい人」として、「温かい人」という章が設けられている。自分の運命を受け入れようと決め、ここまで読み進めれば、希望が見てくるはずである。