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カズオ・イシグロ 大人になるということは、子どものころの疑問に折り合いをつけること
人間は、あるものに対して「形とにおい」「形と声」のような2つの要素がつながり重なると、わかったと思う
人間が何かを認識するために必要な要素をモダリティという
美人とは、見た者に想像を促すから美人なのだ
人に想像させる余地を作ることが、人間らしいアンドロイドの要素だと気づいた
子どもたちにハグビーをだかせ、ハグビーから読み聞かせの声が聴こえるようにしたら、静かになった
心とは観察する側の問題である
心とは、複雑に動くものに実体的にあるというより、その動きを見ている側が想像しているものだ
ペッパー 19.8万 メンテナンスを合わせると120万
要求、意図、動作の順番で意図ができるわけではない
起こるから怒鳴るのか、怒鳴ってから感情がうまれるのか
すべては行動が先か、ないしは行動と感情が同時に起こっている
米朝アンドロイド
この芸をロボットに残してくれ 文楽
アンドロイドは宗教指導者になれるか
人間には、僕のように新しい物をどんどん作っていかないと我慢ができない、未来を向いて生きていきたい人と、豊かな記憶に包まれた過去に生きたい人がいる
遠隔操作ロボット
さわられると、まるで自分が触られたようなざわったした感覚を覚える
遠心コピーの予測と、視覚フィードバックおよび自己受容感覚で感じた結果が合致することがわかれば、「自分の思い通りに腕を動かせている、だからこれは自分の身体だ」という自己身体の認識に至る。
遠隔操作ロボットを使うと、自己身体受容感覚がない人でも、アンドロイドに起きたことを、自分の身体のように感じると科学的にいえた
シンギュラリティ 人間の定義がはっきりしない
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【アンドロイドがあなたの「常識」をひっくり返す!】マツコロイドの開発者で「世界を変える8人の天才」にも選ばれた世界的ロボット研究者のアンドロイド的人生論。
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人間がしている考えるという行為を細かく定義し、個別の作業に分解していくと、ほとんどのことは簡単にコンピューターに置き換えられる。定義可能な作業においてはほとんど全てロボットが勝つ。
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マツコロイドなど、人型ロボットの開発者による書籍。
人型ロボットがあちこちで見かけるように鳴ったら人間の生活環境もかなり変わるんだろうか。でも案外、ドラえもんみたいに特に代わり映えなく生活していくような気もしなくはない。
ところで、テレノイドが無茶苦茶怖いのだけど、高齢者にはいいらしい。自分の子どもよりテレノイドのほうがいいという人も多いんだとか。三次より二次のほうがいいみたいな感じなのだろうか。
逆に、ハグビーはちょっとほしいと思った。ざわざわしている子どもにハグビーを与えると、先生の話を聞くようになるらしい。この現象は面白いと思った。
後、美人過ぎるロボットのジェミノイドFは、見てみたいと思った。このロボットに蔑まれたり罵られたりすると気持ちいいらしい。いやでも、それはただMなだけじゃ……。
人間のコンパニオンよりロボットのコンパニオンのほうが人気というのは、ただたんに希少性なだけじゃないか。ロボットがあふれたら多分、人間のほうに注目が集まると思うのだけど。
後、この著者の顔っていっつも機嫌悪くて怒っているように見えるのだけど、実際には怒るのは苦手だったんだとか。ただ、講義中の教室が騒がしい時に教壇を思い切り蹴飛ばすようにして怒ったら、次の回から静かになったんだとか。怖すぎる。もしそれがロボットなら、自分は教室から飛び出して逃げる。実際、自分のロボットをアメリカに持って行って、日本にいながら講演したこともあるんだとか。それより、あのロボットって分解できるのか。想像しただけで怖い。
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ロボット研究の第一人者、石黒浩氏による「人間論」。要するに、アンドロイドを人間に似せようとすればするほど、「人間とは何か」という問いを避けて通れなくなるのだ。
個性を極限までそぎ落とした「テレノイド」、アンドロイドによる演劇、対話するロボット(コミューとソータ)、美しいアンドロイドFなど、様々なアンドロイドが登場する。
確かに、この人がいうことは説得力があるし、こんなアンドロイドを次々に作ってしまうので、天才だと思う。だが、どうしても納得できない面があった。
アンドロイドにより人間が永遠の生命を得るわけではないと考えるし、政治的指導者や宗教的指導者をアンドロイド化してしまうことには抵抗がある。
そもそも永遠の生命がなぜ必要なのか。人生は有限で、しかもやり直しがきかない。だから、一時一時を大切にできるし、だから全力を尽くす。また、アンドロイドを利用しなくとも、その人の意思が真に価値のあるものであれば、必ず誰かに受け継がれてゆく。歴史上、これまでもそうして人間は生きてきたではないか。
あくまで「アンドロイドは物であり、道具に過ぎない。アンドロイドを使うのは人間」これを見誤ってはならないような気がしている。
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石黒先生の本を読んだのはこれが初めてですが、面白いですね、これ。
「人間(や心)について知りたいと思った結果、アンドロイドの研究にたどり着いた」という点は、逆説的でありつつも、本質をついた過程だと思います。
もしかしたら、これからの心理学は、アンドロイドが活躍したりするのかもしれませんね。
そのことも含め、アンドロイドの可能性の大きさについて、得ることの多い本でした。
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複雑な動きによって、アンドロイドに人間性を見出す。
人間特有の機能を持つことが人間性を持つ条件ではなく、見ている側が複雑さの理解を補うために人間性を想像することで見ている人の中でアンドロイドが人間性をもつ。
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マツコロイドでも有名な石黒さんが、開発したロボットの亜話を交えながら、人間について考察した本。あえて、感情移入できるよう作られたテレノイド。アンドロイドに演劇させたり、米朝のアンドロイドを作ったり。コミューとソータは2体のロボットと会話することで自然な会話になるそうだ。「心とは観察する側の問題である」「今のロボットは1、2歳のアカチャンくらいだと思ってほしい」ジェームス・ランゲ説「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」「75%の仕事がロボットに変わる」「中国の空港には上海ガにの自販機がある(人間より機械が信用される)「義手の人の義手を刺すと痛みを感じる」「将棋がAIに負けたとしても競技の面白さは変わらないだろう。自動車やロケットが発明されても100m走の素晴らしさが変わらないように」
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人と対話するロボットのありようは真剣に模索される時期である。
そして我々人類のコミュニケーション欲求の根源には、自己保存欲求、種を残したいという(性的な)欲望がある。
「人とつながりたい」という事と「性的な関係を持ちたい」ということには強い関係がある。
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書名でもある『アンドロイドは人間になれるか』という問に答えているかというと、否だろう。私としてはそこにもっと切り込んでほしかった。
本書を通して感じられる考え方は「人間がアンドロイドを見て、それを人間だと思ったら、アンドロイドは人間になったと言える」というもの。
たとえば、心というものは自分の中にあるものではなく観察する側に生じるものだ、というようなことを書いている。だから「こいつは心を持っているな」と人間に思わせられるような見た目や仕草をアンドロイドにさせることができれば、それでアンドロイドが人間になったことになるのだ、と。要はチューリングテストと同じ発想だ。
では、私たちの内面にある「こいつは心を持っているな」と感じる観察者としての"心"をアンドロイドに実装することはできるのか?人間対アンドロイドではなく、アンドロイド対アンドロイドとか、多数のアンドロイドだけで構成される社会を作ったときに人間らしい営みが生まれるのか?アンドロイドは人間の問いかけに答えるだけでなく内発的な行動をしたり創造的な活動をしたりできるのか?
このような問いに答えてこそ「アンドロイドは人間になれる」と言えるのだと思うし、(どうやらこういったことが出来るようになってきているらしいので)そのあたりのことを知りたくて本書を買ったのだけれど、残念ながら表面的な話に終始していた印象。
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アンドロイドが教えてくれる、人の気持ちや人間らしさの正体とは?石黒氏の常識を覆した記載、人間の本質についていろいろ考えさせられる。
心とは複雑に動くものに実体的にあると言うより、その動きを見ている側が想像しているもの、心はプログラミングできる、心があるように見える複雑な動きをプログラムをすれば、人はロボットに心を感じる
アンドロイドの性的利用、ソフトバンクのペッパーのもたらす将来、レーニン毛沢東の遺体とアンドロイド、様々な宗教の偶像
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・2つの感覚(ex.触覚と聴覚)がその存在感を強化する。残りは想像でポジティブに補完(ex.電話で相手の声がきれいだと美人だろうと想像する)。
・人間らしさとは・・振り向いて話すとき、同時には行うと不自然。振り向く、半歩遅れて話す。(平田オリザ演出)
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アンドロイドは人間になれるか。
この問いに対して、著者は肯定的な答えを、説得力をもって提示します。
むしろアンドロイドと人間はどれだけ違わないのか。
人間を「動物+技術」と定義すれば、人間とアンドロイドを比較すること自体が疑問なのかもしれません。
数々の発明と、それに基づく発見。
例証を駆使して語られる本書は、最前線の研究者による考察がきらめく一冊です。
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【由来】
・図書館の新書アラート
【期待したもの】
・
※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
・
【ノート】
・「マツコとマツコ」で全国的にブレイクした感のある石黒ハカセ。ロボットを作っていく過程でのブレイク・スルーが「心は捉える側の問題」。そこから、モダリティを抽出してから具体に還元していく。それも二つで十分。例えば触覚と匂いだとか。
【目次】
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以前、NHKのSWITCHインタビューや「最後の授業」という番組で
とても面白く興味深かった石黒さん。
「最後の授業」に内容が通じていて、語りを文章にまとめた形で読みやすい。
本人の持つ雰囲気、ユーモアのセンスが、この本の中からもうかがえる。
人の気持ち、感情という曖昧なものを突き詰めていくと、
プログラミング可能な範囲がどんどん広がっていく。
結局「自分」は「他人の目」によってしか規定されない。
「自分」だと思っているものも、
もともとは他者をまねて覚えたものなのだ。
仕草や間(ま)などを覚えさせることで、
見る側もロボットであることを越えて、親しみを感じることができる。
対人の生々しさの無さが、より気持ちを近くし、引き出しやすくなる。
何度でも同じ動きを、倦まず繰り返すロボットだからこそできる
丁寧で継続的な教育や指導や仕事の可能性。
逆に人間のピークのときのパフォーマンス(芸術や技能など)を残し、
その人が亡くなってからも後世に伝えていくことの可能性。
また、ロボットだからと、信頼しているからこそ起こってくるであろう弊害に
どう対応していくべきかを、早くから準備しておく必要があること。
ロボットを作る人、仕組みに立ち入って使える人と、
ただ使う人の間での格差は、より一層大きくなっていく。
それは今の、PCからスマホに移り、
誰にでも簡単に使えるようになった情報端末における格差よりも
なお大きくなるだろう。
番組「最後の授業」では、
人間がいなくなった後の、
ロボット(アンドロイド)だけになった世界についても触れていたが
それこそが、いずれ来るかもしれない外部の生命体に対し、
当時の世界の姿を残し、伝える手段になるというくだりにはゾクゾクした。
人間を考えアンドロイドを考えまた人間を考える。
石黒さんの仕事の可能性と挑戦の今後が気になる。