投稿元:
レビューを見る
親子関係が悪い訳ではないのに、どうしても本音が言えないし、『良い子』でいないといけない強迫めいた思いが常に頭にあって、思いを発信するなんてことなかったなぁ。と。まぁ、そこに居座ってしまったら終わりと、大学入った頃からようやく自我がでてきたんだけど。
もう少し、事象の説明や、原因を書くだけじゃなく、そんな母という病を抱えた人へのアドバイスを知りたかった。これは、分かってる事をあえて言葉にされるだけで解決にならん。
こりゃ父という病は読まないと思う。
投稿元:
レビューを見る
この本に手を出すことに罪悪感があって(これがもう既に病気なのでしょうか)しばらく保留にした後、母が自分を産んだ歳を超えてから、やっと読みました。我が家の場合は愛情過多で心配性、自立の道を阻んでいます。親の気持ちを大事にしながら、うまく離れていくにはどうしたらいいんだろう。すぐ解決しそうにはないけれど、そういうことを考えるのは悪いことじゃないんだと思えただけでも良かった。
投稿元:
レビューを見る
延々こんなに辛いケースがあるんだよということにばかりページを割き、具体的な解決法やアドバイスはほとんど無かった。こどもはこんなに辛い、こんなにも苦しい、と嫌な気持ちばかりをほじくり返されて最悪の気分である。
わたしにとっては「毒になる親」の名著っぷりを改めて思い知るための踏み台に過ぎなかった。
世の中的にも、母もかつては娘だった、ということがもう少し語られてもいいと思う。そうじゃないとやるせない。
投稿元:
レビューを見る
自殺願望の根底には、親から植え込まれた罪悪感と自己否定がある。人生はその人の言っているようになっていく。自分がどうしたいか?それがはっきりしていることが大事だ。自分でもそれが分からなくては、その人らしい人生など手に入ることもないし、誰もそれを与えることはできない。こうなりたいこと、こうはなりたくないことを、いつも口にすること。それが人生をデザインし、進むべき針路を明確にする。
投稿元:
レビューを見る
なんでこの世の中がこんなにも生きづらく、逃げ場がないのだろうと分からずに苦しんでいる若者が読めば、なにかそこから抜け出すきっかけになるのかもしれない。すべてが母親のせいではないが、何かのヒントを得られるかもしれないとおもった。
父という病、家族という病を読もうと思う。
投稿元:
レビューを見る
最初の方にいきなり
“ADHDは、生まれもったものだけでは発症せず、その子に合わない育て方や環境が重なったときに初めて症状となる。"
という文があって、思い切り不審感。他にも色々と気になるところが。
例えば、姉に比べて愛されなかった妹の事例(複数の男性との関係、薬物依存など)について述べたあと、著名人の事例としてジョン・レノンが出てくる。ジョンに音楽がなかったら酒浸りの人生だったかもという話なんだけど、そこでジョンの母親を裕福な家庭で甘やかされた末っ子、奔放な性格、と言い切っている。ページの都合なのかもしれないけど、そこに母親自身のトラウマの可能性は書かれていない。
全体的に海外の研究結果や事例について述べる文章と地の文章では地の文章が主観的に過ぎる気がする。
つまり、著者の頭の中で母親神話、母親がしっかりスキンシップをとって子どもに愛情を注いでいれば問題はおきない、という結論が先にあって、それに合うデータを出してきてる印象。
事例自体は本物だから読んでいて辛いし、当事者からしたら苦しさの原因はこれか、って救われるかもしれない。
でも、並行して読んでる『毒になる親』とか以前読んだトラウマに関する本などに比べると、親戚のじいちゃんばあちゃんの子育て論をちょっと小難しく言ってみた感が拭えない。
同じ著者の『父という病』も同時に買ってあったんだけど、読まないかも。
投稿元:
レビューを見る
毒親の片側、母親のみに焦点をあてて書かれた本。
確かに母親だけに責任を求めるのは酷だと思う。何故なら母親もまた高確率で彼女の母親の被害者だったのだから。しかしまず外部に責任を求めることで被害者が自身の内罰的な言動を改めることが出来るなら、それが回復への第一歩になり得るのではないだろうか?その意味で母親に責任を求めるという行為は必要な過程だと思う。
ただしそれは、もし遠い未来に自分の子供にその子の生きづらさの責任を求められたならばその責任は親である自分が果たさなければならない、ということでもあるが。
投稿元:
レビューを見る
現代での子育てにそのまま当てはめることができるかは疑問だけれども、いくつか納得できるところがあった。
とりあえずいいこの自分を諦めるところから…できるかしら。
投稿元:
レビューを見る
確かに当てはまる部分も多い。が、症状がどうであるかという分析に頁を割きすぎていて、「読みたい」と思って手に取った人にとっては一番期待しているだろう対策が薄っぺらい感じがした。
ただし、事例を多く挙げたことに対して、「母という病」を認識するきっかけを様々な読み手に理解させる能力はあったと思うのだ。
自分と母の距離感に悩む人へ、悩みは1人で抱えるものではないことを注意喚起する一冊である。
投稿元:
レビューを見る
ある小説の、『娘の不幸は全て母親から始まる』のように書いた一節を思い出した。母親に愛されたことがないことがその人間に及ぼす影響は、『愛されたことがないから愛し方が分からない』の一言では語り尽くせない影響があるのだと痛感した。
納得するフレーズが多くて、大変勉強となった。心に留めておきたい。本にラインマーカーを引く習慣がないので付箋をつけるに留めていたが、付箋をつけた数が多いのでラインマーカーで塗ろうかどうしようかを迷っている。
以下、作中より引用。
『けれども、子どもの方は、親よりもずっと純粋だ。どんなあさましい親側の都合であれ、子どもはそれを仕方のないこととして受け入れ、親の期待に答えようとする。
なぜなら、子供は親に愛されたいから。その気持ちはどんなものより純粋だ』
『甘えていいはずの人に甘えられず、一番危険な人に助けを求めてしまう。うわべだけを見れば、一番危険な人が、一番優しそうに振る舞うから。
本当の愛情というものを知ってる人なら、簡単に見破ることのできる見せかけの愛情にひっかかってしまうのだ』
『子どもは親を憎みたくなんかない。ただ親を愛したいのだ
投稿元:
レビューを見る
現場で経験するだけでなく、本からもたくさん学んでいきたい。
簡単にまとめられるはずないけど改めて思ったのは、母は偉大。良くも悪くも。
投稿元:
レビューを見る
乳幼児期には絶対に母親が必要。
それ以降も母親の存在は生物学的にも必要。
著者の患者の例や著名人の具体例があるためわかりやすい。
問題なのは母親が子供と関わる時間が取れなくなってしまった現代社会。
子供のことを考えて行き方を変えていかなければならない。
投稿元:
レビューを見る
同著者の「愛着障害」を先に読んだことがあったので被る部分もあったが、仲のいい教授が自分の家庭環境を知っており、それを踏まえて勧めてくれたので読んだ。
この手の本を読むと自分のどうしようもなさを改めて実感させられるけど、それは自分のせいではなく、そうせざるを得ない状況に追い込まれてしまったから仕方ないんだと認めてもらえる気がして楽になるのも事実だ。
「過去のことをいつまでも引きずって」とか言ってくる奴らはそういう経験をしたことがない無関係な人々だし、その意見に正当性は生じない。
他人に理解されなくて生きづらいと思うことはしょっちゅうだけどなんとか自分で折り合いつけていくしかない。誰もどうにかしてはくれないから。
投稿元:
レビューを見る
母親の揺るぎない愛情が子どもにとって大切であるということがずっと書いてある。
あまりに同じことの繰り返しで途中挫折しそうになった。
これを読んでから母になるのであればちょっとプレッシャーになったかも。
「友だちのような母親の落とし穴」には、ちょっとドキッとさせられた。
投稿元:
レビューを見る
●子どもは、明るく優しい、困ったときに、そっと寄り添ってくれるお母さんでいてほしいだけではないのか。
とても重い内容ではあったけれど、結局はシンプルに、子どもに大好きとありがとうの気持ちで向き合うことが大切なのかな、と感じた。そして、本当の意味で子どもにとって一番の幸せを考えること。