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ちくま学芸文庫
川北稔 世界システム論講義
世界システム論の本
南北問題やヘゲモニー国家の変遷については 資本主義論と重複しているため、世界システム論の必要性が理解できなかったが
奴隷貿易や奴隷制プランテーションにより イギリス産業革命が起きたとする ウィリアムズテーゼの論証は わかりやすかった
「だれがアメリカをつくったのか」の論考に驚いた〜植民地時代にアメリカに渡ったイギリス人は、年季奉公人(期限付き白人債務奴隷)、死刑を逃れた犯罪者、失業者とのこと
「世界システム論〜近代世界を一つの巨大な生き物のように考え、近代の世界史を有機体の展開過程として捉える見方」
南北問題
*世界的な分業体制の中で、北の国が工業化して開発され、南の国が原料生産地として開発された
*中核〜世界的な分業体制から多くの余剰を吸収できる地域。西ヨーロッパ
*周辺〜食糧や原材料の生産に特化され、中核に従属させられる地域。東ヨーロッパ、ラテンアメリカ
ヘゲモニー国家の変遷が世界大戦へ
*近代世界システムが地球全域を覆い、新たな周辺を開拓する余地がなくなった
*アフリカ分割を契機に、世界が帝国主義とよばれる領土争奪戦に突入
*帝国主義とは、地球上の残された周辺化可能な地域をめぐる、中核諸国の争奪戦
世界システムは、その地域間分業の作用を通じて、西ヨーロッパ=中核では国家機構を強化しつつ、周辺国では国家を溶解させる効果をもった
ヨーロッパのシステムと中華システムの違い
*ヨーロッパのシステムは政治的統合性を欠いた経済システム〜国民国家の寄せ集めにすぎない
*ヨーロッパのシステムでは、各国は競って武器や経済の開発を進めた
*中華システムの中核は、一帯をひとまとめにして支配すふ帝国となっていた
ヘゲモニー国家
*中核地域のなかでも、圧倒的に強力の国
*17世紀のオランダ、19世紀のイギリス、第二次大戦後のアメリカ
*世界システムのヘゲモニーは、生産、商業、金融に及び、崩壊するのときも この順に崩壊する
*ヘゲモニーは長く続かない〜生活水準が上昇し、賃金が上がり、生産面での競争力が低下するため
*ヘゲモニー国家は、自由貿易を主張する
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ウォーラステインが提唱した「世界システム論」という史観概念について解説されている。
世界システム論とは、歴史を国単位で捉えて、諸国が互いに不干渉な状況であるセパレートコース上での競争をおこなっているとする「単線的発展段階論」へのアンチテーゼとして生まれた。
つまり、勤勉国家が「先進国」、怠け者国家が「後進国」になっているとするのではなく、「中核国」が「周辺国」から収奪したために、「先進国」と「後進国」が生まれたというように、国単位ではなく、世界を一つの単位/構造体として捉え、構造体内の相互作用において全体の状況が作り出されているという考え方である。
近代初期においては、世界における西ヨーロッパの影響力は小さく、経済・文化・技術などあらゆる点において、アジア(特に中国)の方が進んでいた。
次第に、(火器などの暴力技術も含まれる)技術がアジアから到来し、一揆などに対応しかねた領主層が「国家」の存在を求めるようになり、封建制度から国家国民制度へと移行していった。
ここに、世界システムの萌芽が見られ、その後、西ヨーロッパ諸国は、大航海時代→植民地支配→工業化といった流れで世界システムを地球規模に拡大させ、常に新しい「周辺」を探し求める。
・世界システムは「中核」と「周辺」が存在し、周辺から搾取した富によって中核が充足されるという構造がベースとなっていること
・現代社会において、世界システムから逃れた地域は存在せず、新しい「周辺」の拡大が見込まれないこと
・搾取するシステムである「工業」の姿変化してきていること(IT/金融に重点が移動)
などを踏まえると、近代の世界システムから現代の世界システムへの更新を考えてみても良いではないだろうか。
<メモ>
・国家国民モデルが希求された背景として、ウォーラステインは「農奴統治のため」ゲルナーは「高文化教育普及のため」とそれぞれ違う観点で見ている
・ヘゲモニー国家の支配力の拡大/衰退の順序は、いずれも生産→商業→金融の順となる
・ヘゲモニー国家衰退の理由としては、生活水準の向上→生産における優位性低下となり、上記の衰退スパイラルに陥るため
・世界システムにおいて、「世界帝国」は存在せず「世界経済」のみ存在する。帝国モデルは支配体制としての効率が悪い
・ヘゲモニー国家において一番有利なのが「自由主義」。そのため、ヘゲモニー国家の首都は最もリベラルで芸術や亡命インテリの溜まり場となる
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図書館で借りた。
世界システム論の講義録。元は放送大学の教科書だとかで、それを再編・文庫化されたものだ。
世界システム論と聞くと、アメリカのウォラーステイン(Wallerstein)が提唱したのが有名だが、この本はそこには深く言及しておらず、また理論的に"システム"として捉えたりといった話は乏しい印象を受けた。広い意味での世界史講義といった印象。
システム論としては物足りないと感じたが、まぁそもそも「世界システム論」自体新しい理論でもないので、一つの世界史講義として楽しんだ。
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16世紀以降の世界を構造的に捉えようとする見方。ヘゲモニーと資本主義の根本が同じであることが理解できた。
世界システムとは、世界的な分業体制をとることで、それぞれの生産物を大規模に交換する体制のこと。 16世紀の東ヨーロッパでは、西ヨーロッパへの穀物輸出が激増したため、農奴の労働が強化された。今日の南北問題は、北の国々が工業化され、開発される過程において、南の国々がその食糧・原材料生産地として「開発」された結果、生じた。
12世紀から13世紀にかけての北西ヨーロッパでは、人口が増加し、耕地の開発も進んだ。 1150年頃を境として、西ヨーロッパでは多くの人々が、食糧のような基礎物質でさえ交換によって入手するようになった。
火薬の普及によって戦術が変化すると、封建制度における騎士の存在が無意味になった。農民の抵抗を抑えきれなくなった領主層は、王権の支援に期待するようになり、絶対王政が西ヨーロッパ各国で見られるようになった。帝国は武力を独占し、武器の浸透や発展を阻止する傾向が強いが、国民国家の寄せ集めであったヨーロッパでは、各国が競って武器や経済の開発を進められた。その結果として、 16世紀にはヨーロッパと東アジアの間では、武力は圧倒的な差となった。
オランダは優秀な造船業を確立したことから、漁業と商業で圧倒的に有利になった。特に、バルト海貿易用に開発したフライト船は、少人数で大量の積荷を安価に運ぶことができたため、木材などを扱うバルト海貿易で圧勝した。このバルト海貿易は、東ヨーロッパと西ヨーロッパを結ぶ幹線貿易で、穀物や造船資材のほとんどを供給し、アムステルダムで取引された商品の4分の3を占めた。アムステルダムには世界中の資金が集まり、金利が最も低い金融の中心となった。
イギリスでは、1660年の王政復古から 1775年のアメリカ独立戦争前までの1世紀あまりの間に、それまでヨーロッパ諸国とトルコに限られていた貿易相手地域は、カリブ海、北アメリカの植民地を中心に、東インド会社の活躍したアジア、奴隷貿易の展開したアフリカに急展開し、貿易の規模が劇的に上昇した。輸出品は、それまでのほとんど唯一のものであった毛織物のほか、金属製品や家具などの工業製品と植民地物産の再輸出が加わった。それまでほとんど増えていなかった貿易量は、17世紀後半の半世紀で3倍に増え、18世紀の初めの60~70年間にも数倍に増えた。イギリスは世界で最初の産業革命に成功したために大英帝国を作り上げたのではなく、帝国を作り上げたからこそ産業革命に成功した。前のヘゲモニー国家オランダの資金は、イギリスに流れた。
カリブ海にはまともな学校がなかったため、カリブ海の砂糖プランターたちは、その子弟をイギリスに送り込んだ。子弟はそのままイギリスに住み着き、プランテーションを引き継いでも不在化したままイギリスの政界に進出し、議会に強力な圧力をかけて、カリブ海植民地の砂糖を保護させた。これに対してアメリカ大陸のタバコ植民地では、プランテーションを現場監督に任せて不在化できるほどの金持ちにはなれなかったため、不在化しなかった。そのため、アメリカ���陸の13植民地が独立を宣言したとき、カリブ海の植民地は追随せず、20世紀まで植民地の立場を保った。不在化したプランターは、現地に道路も学校も公園も作ることはせず、上下水道のような生活基盤も整備しない。不在化が進行しなかった北アメリカ南部では、社会資本の整備はカリブ海よりもはるかに進行した。