紙の本
「氏」と「姓」の違い
2023/01/24 13:36
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本古代史最大の悪役といった感もある蘇我氏だが、「乙巳の変」によって一族が滅んだのではないことさえあまり知られていないかもしれない。その蘇我氏の盛衰と藤原氏の隆盛までが扱われる。また導入としての「氏」と「姓」の違いも勉強になる。
紙の本
蘇我氏を傍系の蘇我倉氏系にスポットをあて、その出自から藤原氏が活躍する奈良時代までを丁寧に追っています
2019/04/09 08:59
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投稿者:多摩のおじさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
関 裕二氏の「蘇我氏の正体」、水谷 千秋氏の 「謎の豪族蘇我氏」や、倉本 一宏氏の「蘇我氏 古代豪族の興亡」と蘇我氏に関する作品は
多くありますが、特に後者の2書に比較し蘇我氏の系図を一般的な本宗を主体とせずに傍系の蘇我倉氏系(後に石川氏に改姓)の「尊卑分脉
(みゃく)」を引用し「乙巳の変」での本宗家の滅亡がイメージとして捉えられるよう工夫されています。
また、冒頭にはポイントとなる大伴氏や物部氏、葛城氏と継体天皇との関わりにも触れ、蘇我氏の出自に迫っています。
特に、他の作品では言及のない646年3月の「改新の詔」での社会風俗の改革(殯の規制や殉死の禁止(大化薄葬令)や、婚姻規制、農繁期
の魚酒の振る舞い禁止等)までを孝徳朝が実施していたことと、それから判る当時の農業経営が共同経営でなく個別経営であったことです。
ただ、「乙己の変」の一要因と考えられている外交に対しては、蘇我氏と敵対した反蘇我系である天智天皇の対朝鮮半島に対する外交策の違い
への言及がなかったこと、また中大兄(天智天皇)が孝徳天皇を一人難波宮に置き、皇極天皇や孝徳天皇の皇后までを連れ、飛鳥河辺行宮に
戻ったという異常事態を単に、「不和が公然化」とだけで終わり、その核心に触れららていなかったことが少し残念でしたが・・・
全体の印象として、年代順でポイントを絞り展開しているので、他書によくある行ったり来たり感が余りなく、既出事項も該当頁を明記される等、
他の古代史本に比べ読み手に読みやすいよう工夫されているためか詳しく探っているのに蘇我氏をサラッと追っている感覚が不思議でした。
その意味では、関 裕二氏の「蘇我氏の正体」が、そういった謎に次々と独自で自由闊達な展開で迫る姿勢とは対照的な作品です。
巻末の略年表や索引、要所の系図や地図は蘇我氏の変遷の理解を深めるにあたり俯瞰でき、大変助かりました。また、西暦の併記も助かりました。
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歴史上で藤原氏についで有名な蘇我氏について、その時代背景とともに書かれています。まだ律令制ができる前、身分はどのようなものだったのか、日本という形はどのように出来上がっていったのかを学ぶことができます。氏という日本独自の身分とは何だったのか。それがどのように作用したのかを知ることで、古代に蘇我氏が力を持ち、衰退してしまった理由について知ることができました。首長の集まりである古代国家から、天皇が中心の律令国家に移り変わる時代を感じることができました。
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「滅びた」と言った方がおもしろくなりますからね。改名ということがありました。
「ふじわらのかまたり」の「の」の意味もわかります。
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興味深い点が沢山あり、勉強になった。
とくに、「乙巳の変」が、ヤマト朝廷の内部の権力闘争であったが、同時に、唐の成立を背景とした、朝鮮半島の政変が波及してきたものという。
これは孝徳朝以降、豪族の姿が見えなくなり、国家権力の集中という展開と重なり、豪族の連合政権から、大王が中心となり自律的行動が可能になる国家体制への転換がなされたということであり、古代史における王権の確立という点から見ると、非常に興味深いと思われる。
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天皇家以外で知られている人物が葛城襲津彦であるということは興味深い。倭の5王の苗字が「倭」と宋書に書かれている!新鮮。蘇我蝦夷・入鹿が滅んだが、蘇我氏は天智・弘文朝に仕え、しかも石川氏として有力官僚貴族としてずっと継続していた。
祖とされる武内宿祢、葛城氏、そして実在確実の稲目、馬子ら、遡っての分析は興味深い。雄略天皇の即位までの経緯など、日本書記に詳しく書かれていることはどこまで事実か分らないものの、天皇家の祖先の生々しい血塗られた歴史が書かれていることに驚き。
藤原氏の4家の成立まで、詳しく。蘇我氏を中心にした一般的な日本史の本であるとも言える。
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蘇我氏とは何者か?この問いに、そもそも氏とは何かから始める。血縁集団と職能集団、そして地縁集団が氏で、現在の姓とは全く違う。そして蘇我氏が登場。新興氏族として、活躍を始める。
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歴史上好きな人物は?と聞かれたら、藤原不比等、天武天皇、聖徳太子、千利休、と言うのだけど、それにしては蘇我一族のことはいつも気になるんですよね。
利休なんかよりも定期的に蘇我一族の本の方が読みたくなるのです。
この本は古代史好きな方のレビューを読んで興味を持ち、積読リストに入れていたものです。
でも、全体的には巷で言われてる王道の意見そのままで、意外な主張はあまりなくちょっと肩透かしな感じでした。
例えば、入鹿が上宮王家を滅ぼし自ら天皇になろうとしていた、とか、蝦夷は冠位を息子に与えた、これは明らかに天皇大権の侵害だ、とかね。こんな感じで専横が過ぎた為蘇我氏本宗家は皇族によって打倒された。ですって。さらっと事実のように書かれていてちょっと悲しかった(涙)
そういう意味では前に読んだ遠山さんの「蘇我氏四代」の方が刺激的でした。
とはいえ、もちろん勉強になったこともありました。
例えば蘇我氏のルーツが葛城氏の分家っていうのは王道の意見だけど、その理由が分かりやすくて納得感がありました。
→蘇我氏は父系でつながれた直系継承で、満智(マチ)-韓子(カラコ)-高麗(コマ)-稲目-馬子ー蝦夷ー入鹿まで続く。
満智を百済の高官「木満至(モクマンチ)」と同一人物とみる説があるが、そうだとすると、その子が韓子、高麗と、敵国の名前になる説明がつかない、と言っていて、単純なことだけど随分納得感がありました。。
こういう説明をしてくれた人が今までいなかったから、いつまでも蘇我氏は百済王家の末裔では?!という考えが完全には払拭できずにいたのよ。
あとは、中臣鎌足が藤原姓を賜り、名負いの氏から律令官人として活躍しはじめたのと同じで、蘇我も石川に改姓することによって本宗家は滅亡したけれど傍系は官人として中央で活躍する場を得たのでは、というのには知っていたけど気が付かなかったので面白いなと思いました。ちょっと時代は遡るけど、物部、大伴など名負いの氏は結局は滅びていますからね。
とにかく、蘇我氏の、律令国家成立までの古代国家の文明化に果たした役割は大きいのです!
これからも、蘇我氏の謎、定期的に追って行こうと思います。。
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古代ヤマト王権を外戚の立場から権勢を振るった蘇我氏の成り立ちから、その活躍ぶり、乙巳の変以後の蘇我氏、蘇我氏と藤原氏の興隆の相違点など、盛りだくさんのテーマで、飛鳥時代と奈良時代が語られていく。本当にこの時代、好きだなあと思う。奈良旅行の際には、是非とも蘇我氏ゆかりの地に訪れてみたいもの。
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古代日本を代表する大豪族であるところの蘇我氏について書籍。
蘇我氏だけではなく関連する古代氏族や天皇制についても述べられている。特に姓氏制については注目してかかれている。
論述する上で必要な記述ではあるのだろうが、なんだか冗長に感じられた。
本書ではないが、最近読んだ聖徳太子に関する書籍で、当時、蘇我氏が天皇位に相当する地位にあったのではないかとの論を目にした。そちらの方が納得感の得られる内容だった。
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古代史と考古学の生かをいかして蘇我氏の歴史を語る。特に、氏姓制度についての解説がとてもありがたかった。墾田永年について、これをもってこうちこうみんが始まるという著者の説とか改めて学んでみたい。倉本氏との違いも垣間見ることができた。
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(借.新宿区立図書館)
内容的には「蘇我氏を通してみた古代の氏族」とでもいった方がいいかも。古代の「氏」を考える時に参考になる意見だろう。ただ、どうも日本書紀をはじめ史書の記述を都合よく使っているようにも感じられる。新書版なので根拠等があまり詳しく書けないせいもあるのかもしれないが。あと、東アジア全体の視点が弱いような気がする。
まあ、所詮「気がする」レベルでしか感想を書けないので批評にはならないのだが。しかし、最近受けたZOOM講座の「帰化人(渡来人)」関係もそうだし、古代史もいろいろな見方ができるということが改めてわかってきた。なかなか難しいが面白いところでもある。
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蘇我倉氏は蘇我氏の中で朝廷の蔵に関係した一族である。蘇我氏は斎蔵・内蔵・大蔵の三蔵を管理することで勢力を伸ばした。蔵の管理は蘇我氏の本業という意識が蘇我倉氏にはあっただろう。それが自分達こそ蘇我氏の中心であるべきという感覚になる。