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投稿者:野次馬之介 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ここ数日来の熊本および大分の地震で思い出すのは、阪神淡路大震災のていたらくである。ヘリコプターは上空から「高みの見物」ともいうべきテレビ報道に使われるばかりで、人命救助や消火放水など防災の役はほとんど果たさなかった。
当時、いったい国の防災計画はどうなっているのかと思い、『防災基本計画』(国土庁防災局編、平成7年7月)を買ってきて目を走らせた。けれども、ヘリコプターで人を助けたり、火事を消したりする役目はどこにも書いてない。
「第2編 震災対策編」には「被災現場の状況をヘリコプターテレビシステム等により収集」したり、「ヘリコプター等により緊急に担当官を現地に派遣する」とあるばかりで、要するに役人の便宜のためにヘリコプターを使うことしか書いてなく、大いに憤慨したものである。
あれから20年ほどたって、最近の『防災基本計画』はやや改善されたようだが、依然として「第3編 地震災害対策編」などと書かれている。なぜ「第3篇 地震災害対策篇」としないのか。
そこで、ここから本書『漢字雑談』の読後感に入る。この本は「雑談」といっても、学問的な根拠に裏付けされた高度な内容で、しかも面白い。上のような「篇」と「編」の混同も昭和31年当時、考えの浅い文部省が両者の意義も用法も違うことを無視して、当用漢字表に「篇」を入れず、「編」に書きかえるよう指示したのが原因であった。
しかし「当用漢字政策がすでに破綻した今」、「篇」も人名用漢字として復活していることだし、こんな「篇な字」を子供の名前につける親もそんなにいないだろうから、せめて「第3篇」や「対策篇」として貰いたいもの。これらに「編」を使うのは単に間違いであるばかりか、馬之介まことに気持ちが悪い。
ほかの本でも『神曲』の翻訳など、河出書房や集英社は「地獄篇」「天国篇」とまとな表記だが、岩波書店は「篇」が使えないのを避けたか、「地獄」とか「天堂」と称するのみ。いつも反政府論を声高に言いつのる岩波だが、これは訳者の指示かもしれない。他方『書物愛 日本篇』(紀田順一郎編、創元ライブラリ)の用法は、二つのヘンを正しく使い分けている。
最後にもう一度震災の話に戻ると、本書は「義援金」が「イヤな言葉だ」と書く。本来は「義捐金」でなければならず、「戦後政府の漢字制限」対策として「(1)かな書きする、(2)まぜ書きする、(3)同音異字にする、(4)別語にする」の四方法があるが、(3)には愚劣なものが多く、「義援金」もそのひとつ。被災者からすれば「どっちでもいいから早く助けてくれ」と叫びたいところかもしれぬが……。
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投稿者:y.n. - この投稿者のレビュー一覧を見る
文字の雑学についてのお話。
暇潰しに楽しんで読みます。
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好きな信頼している書き手だったのですが、2年前に亡くなっていたんですね。合掌。
一本芯の通った硬骨漢で昭和の頑固オヤジのイメージがありました。
本書でも繰り返し主張してますが、戦後定められた常用漢字は全くナンセンスだと思います。時の権力者が文字についてその使い方を強制するのは、やはりよろしくないと思う。国民性、個々の人間性の否定にもつながりかねない問題です。特にメディアはこの問題については、言葉を使うプロとしてもう少し真剣に取り組んでもいいのではないでしょうか。
「お言葉ですが」のシリーズはほぼ持っているはずなので、また読んでみたい。積読本の山のなかから見つかればだが・・
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高島先生がいま連載もってたとは知らなかった。ファンなのに迂闊。講談社の『本』に載ったものを収録した本。まえがきが短く,あとがきがないのがいささか寂しい。
長年読んできたためか,前半は少し退屈にも感じたが,後半は良かった。特に最後の「甲板と納戸」。撥音と促音が相通であるとはなるほど,目から鱗だ。
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高島俊男さんの新刊。タイトル通り、漢字に関する雑談。1トピック8ページ。多くは時事問題を入口として、漢字の深い世界にいざなってくれる。
以下、とくに印象の残ったトピック。幕末明治以後、西洋の事物、概念、言葉がドッと入ってきて、それらを漢字で表現せざるをえなかった件。明治初期のベストセラー、サミュエル・スマイルズ、中村正直(訳)『西国立志編』から。1.今もそのままの意味で用いられている漢字。2.意味が変わった漢字3.なくなった漢字。を紹介。1.は幸福、利益、保護など。2.は産業(property→今なら財産?)、新聞(news→今なら報道? ニュース?)など。3.は宣説(speech→今なら演説)、展観会(exhibition→今なら展覧会)など。ちなみに演説、展覧会は福沢諭吉の訳語。同じ幕臣である中村と福沢の違いを垣間見ることができておもしろい。
普段何気なく使っている漢字が、とても深い意味あるものに見えてくるから不思議。
2010年~2012年、『本』に連載されていたものをまとめたとの由。今も連載されているのかな。
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いつもながらの教養あふれる漢字エッセイ。単なる豆知識ではなくて、広がりのある推理や考察を読めるのが嬉しい。
ただし、なぜか文春の『お言葉ですが』シリーズ(特に前半)には感じたワクワク感がない。
あれは当たり前と思っていたことが揺らぐ面白さと、小さいと思っていたことが以外に大きいとわかる面白さだった。著者のことをよく知らなかったからこその、予想を裏切る面白だった。本書は、予想を裏切らない面白さ。
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「お言葉ですが」シリーズを書かれてきた高島さんの日本語と中国から伝わって来た漢字にまつわるエッセイ。「お言葉ですが」よりテーマが軽めで読みやすい。しかし中国の故事や書物に関わるところは正直、むつかしかった。
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週刊文春での連載終了以降、あまり読めなくなってつまらないなあと思っていたら、そうか、「本」で連載されてたのか。知らなかった。漢字を中心とした日本語の蘊蓄。もう大好きなんだよね。
しかしまあ言葉っていうのは本当に難しい。ゆめゆめ知ったかぶりして書くまいと思う。なにしろ頼りの辞書の記述にも当てにならないものがあると、高島先生はしばしば指摘してるんだもの。常日頃愛用している「広辞苑」はもちろん、最終兵器「日本国語大辞典」でさえ、間違った孫引きをしている箇所があると言われた日には、いったい何を信じればいいの~と途方に暮れてしまう。しをんちゃんの「舟を編む」でも書かれていたが、辞書というのは全く気の遠くなるような営々とした努力の末に生まれ、それでも決して完全にはならないものなのだなあ。
今回も「そうだったのか!」と目から鱗がボロボロ落ちたり、自分の無知にボッと赤面したり大忙しだ。
・「処方せん」(処方しないのか?)「う回」(うが回る?)「あっ旋」(見つけた!)とか、もう挙げればきりのないヘンな交ぜ書き。あの産経新聞がいち早くこれをやめていたとは!驚きだ。
・村木厚子さんの手記のタイトル「私は屈さない」。ん?屈さない?「屈しない」の間違いじゃん、と思うところだが、これがそう単純じゃないらしい。「漢字一字の音読み+す」の活用がこんなに不安定だったとは。
・震災の日以降誰でも知っている言葉になった「建屋」。これは私もちょっとひっかかって調べたことがある。広辞苑では現在の版にしか載ってない。すごく驚いたのは、およそすべての日本語が載ってると思っていた「日本国語大辞典」に載ってなかったことだ。新しい言葉なんだね。とても自然な日本語だから、みんな前から知ってたような気になったという先生の説明に納得。
・漢文で登場する「吏」。役人=公務員だと思ってきたが違っていた。吏には給料がないから自分の才覚で(つまり賄賂とか)収入を得ていた。だから、中国では現代になっても職務によって金が入るのは当然という気風があるらしい。ふーん。
・日本語の熟語のほとんどは中国から入ってきたか、主として明治期に日本で作られた。それは知っていたが、その日本製の熟語が中国に逆輸入されて、今ではお互いそういう経緯も忘れている(元々中国語だと思っている)言葉があるんだって。「調査」っていうのもその一つ。へぇー。
・福沢諭吉の「学問のすゝめ」には敬語が一切ない。このことと、漢文訓読体との関わりを考察した研究者の論文が紹介されている。漢文訓読が単なる「漢籍を読む工夫」にとどまらないことにあらためて目を開かせられる。
・今回一番の衝撃。「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」この有名な人麻呂の歌が、人麻呂の残した漢字十四字の列を賀茂真淵が「そう読むことにしよう」としたものだったとは! 江戸時代に真淵がこう読むまで実に千年、「ひむがし(ヒンガシ)」は雅語とは見なされず和歌には用いられなかった。なぜか。日本語にはそもそもンという発音がなく、外来語音であったから。うーん、そうだったのか。撥音便・促音便については本当に以前から謎だったのだ。「八ッ場ダム」をなぜ「やんばダム」と言うのかもやっとわかった。
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漢字が読めなくて辞任した(違う?)総理大臣がいたが、しかし漢字なんて当て字だったり読みも適当だったりする。「百姓読み」のことを嘆くというか、馬鹿にするというか、そんな記述もあるし、漢字制限というアホくさい政策への指摘に溜飲を下げたりする。毒ばかりではなく愉快なものもあるが、言われてみれば、だったり目から鱗だったり。やっぱり、なんでだろう、という気持ちはいつも持ってないとね。
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難しいながらも、漢字にまつわるいろいろなことがわかったけれども。
著者の性格の悪さが気になって、スラっと読めないのが玉に瑕。
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著者の膨大な中国語の知識をベースにした日本語の解説が満載だ.「本」で読んだ記憶のあるものもかなりあった.1946年の常用漢字制定は愚策だという論評に大賛成だ.身体障"碍"者を障"害"者と書くのは止めたい.指摘のあった 広汎な、潰滅、苛酷、臆病、名誉毀損、失踪、嗅覚、肝腎、長篇.これらは「Google日本語入力」の辞書に完備していたので安心した.
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こういう漢字の知識については,いかにも「博学」という言葉を感じる.原典がどこにあるか,さらりと説明している様子が心地よい.そういう知識をもとに,日本語における表記の問題もいろいろと挙げている.
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いつの時代も権力は暦と文字を管理する。「どの国でも文字改革というのは、前の歴史との連続性を切断するために行う」と佐藤優は説く(『国家の自縛』)。当用漢字とは「当座は用いて構わない漢字」という意味で、GHQには日本語のアルファベット化という案もあった。マッカーサーが日本文化の破壊を意図したことは疑問の余地がない。それにしても、官庁、学校、新聞はさながら権力という風になびく草の如し。
http://sessendo.blogspot.jp/2015/07/blog-post_22.html
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なんか難しいんじゃないかと思ったけどわかりやすくてよかった。
読んだはしから忘れていくんだけれど。
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おもしろかった。漢字の「戻」は「人道にもとる」の「もとる」の意味しかなくて「もどる」の訓は後付け、とか、「調」は「音の調べ」の「しらべ」の意味だったのが室町以降「(物事を)しらべる」の意味になり、明治以降「調査」という言葉ができて中国に逆輸入されたけど、中国人はなんで「調」の字を使っているのかわからなかった、とか初めて知ることが多くて感心した。