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小学校四年生の四人が北海道の寂れた炭坑町のダムに沈む丘で星を眺めることから始まるストーリー。親友だったトシとシュンは、ある事件のせいで別れ、トシは残り、シュンは東京へ行く。バラバラになったように見えた四人だったが、ある一つの殺人事件のせいで再び運命の絆が絡み合ってくる。逃げるように東京で暮らしていたシュンであったが、癌にかかり余命が少ないことを知る。そのため、人生の最後にと思い、トシの第三セクタとして経営している遊園地である丘に来る。その丘の名前がカシオペアの丘。シュンの祖父である倉田千太郎――ウェンカムイと呼ばれた。が、七人――トシの父を含む。を見殺しにして炭鉱火災を沈めた丘だった。
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北海道出身で東京在住で主人公達の年代にも近い身の自分にとって、重なる描写や心の動きが多々あって、面白いというよりも、少し辛いような、そんな上巻でした。
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悲しい過去をもつ北の大地で繰り広げられる、愛と贖罪の物語。小学校の同級生だった男女4人が大人になって再会。子どものころに抱いた将来への夢と現実とのはざまで、それぞれの心の傷が浮き彫りになっていく。
人生ってなんだろう、人を許すってなんだろう。罪、病気、死……扱っているテーマは重い。しかし、重松さんの描く登場人物たちはみな優しく、彼らの心の軌跡をたどっていくうちに読み手自身も癒される。
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今までで一番泣かされた本です。
30代の若さで癌に侵されてしまうという設定は『その日の前に』と同じで、またこの設定でお涙頂戴かよとやや懐疑的に読み進めるも、やっぱり重松さんの淡々としながらも暖かい文章が心に響いてくるんですね。家族ものに弱い私にはツボすぎました。
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個人的に久々の長編を読んでいます。
大好きな重松さんの作品。
登場人物が魅力的で、やっぱり引き込まれる。
がんになってしまい、妻と子どもを残して死ぬことになる男性。
がんや死ぬことに対してどう向き合っていくかが
リアルに書かれています。
下巻、熟読中。
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薦めてくれた人と
気持ち共有したくて、
伝えたかったこと
何やったんやろうとか
色々考えながら
読んでみた★
本当に好きやから
過去も未来も今も
全部欲しくなっちゃう気持ちは
すごくわかる。
人って生きてると
過ち冒してしまうことって
絶対たくさんあるから
できるだけ
甘すぎるのも
あかんけど自分を
許せる心持ちたいなあ
悲しかったり切なかったり
やり切れない中にも
人の暖かさが垣間見れて
思わず泣いてしまうシーンも
たくさんあって、
すごくいろんなことを
考えれる本やった(;_;)
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私はシュンたちと同じ1967年生まれである。シュンの置かれた状態を自分に置き換えると、先を読むのが怖くなるほどとても辛い。
過去の出来事で幼なじみとは連絡を絶ち、親兄弟とも一線を引き、愛する妻子はいるが自らはガンという死の宣告を受ける。私ならとても背負いきれない・・・。
そのシュンが初めて故郷に帰る。どうやって過去と現実に向き合うのか?
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北海道北都での幼なじみ四人とそれを囲む人たちの過去と現在の物語。人は悲しい過去を背負って生きている。何か罪に苛まれて生きている時、それを許して欲しいと思う。ただそれを許すのは相手であり、同時に本当の意味で許して楽になれるのは自分であるということ。悲しいけれど人生の感情に迫る物語。
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許してほしい相手に許してもらえない苦しみ。
故郷北海道を舞台とした、それぞれの贖罪の物語。
・神様を乗せたノアの箱船みたい
→祖父の集める仏像を表現した言葉。巧い。
・記憶の底に沈めておくコツを何年もかけて覚え込んだのだ。仕事に夢中になるのもそのコツのひとつだったのだろう
→感情や生き方にもコツがあるんだろうな。脳の持つ本能をうまく使うような。
・人間前ばっかりを向いてるわけにはいかない。下を向いたり、後ろを振り返ったりするのが人間
→その通りだと思う。
でも、歌としては、「上を向いて歩こう」と歌うのが正解。できないから歌うんだ。
・目を開けていては見ることのできない何かと向き合うため
→それは、なんだろ。
・ガンは遺伝子の突然変異によって正常な機能を失ってしまった細胞が、とめどなく増殖を繰り返していく病気。ウイルスや細菌や異物が入り込んで起きるものではない
→細菌とかで起きると思ってた。何故、そうならないように進化しなかったんだろう。盲腸が退化したみたいに。
・右胸に死を抱いている。その死は生きている死だ。動いて育っている死だ。死は生とともに僕のからだの中の、ここに、ある。
→逆を言えば、生きていても、死んでいる生を送ってしまう可能性がある。気を付けよう。
・まだたっぷりと残っている手付かずの未来を前に、今日を無駄遣いしているような恋人同士の笑顔はいつの時代の、どこの街でも変わらないのだと思う
→今日を大切にしつつも無駄遣いはすべきだと思う。無駄なとりとめもない日々を残しながら最期を迎えなければいけない。
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臭過ぎる話ですが、子どもがいる私には泣けました。
途中ちょっとうんざりする場面なんかもありましたが、
上下巻のボリュームをきっちり読ませるのはさすが
重松清さんだなーと感心。
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北海道が出てくる事に惹かれて購入。
名作。
自分に重ね合わせて、何度も「ジ~ン」とした。下巻は特に言葉に表せない感動の連続。人間くさくて、絆を感じる。それは決して安い感じのものではなく、人を引き込む文章なのだ。
何度も何度も、いろんな人の顔が浮かんだ。自分にとって大切な人だけど、今は会えないでいる人に会いたくなった。
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重松清氏「カシオペアの丘で」は、綺麗な物語だった。
上巻裏表紙の文では、"肺の悪性腫瘍"と"贖罪"という重苦しい言葉が目に飛び込んでくる。
間違いなくその2つは主要事柄であるが、
その悲劇性とつり合うか、それ以上の"救い"が、この作品にはある。
悲しい場面に胸が痛くなり、涙が流れても、それは絶望的な涙ではない。
どんなに祈っても願っても、運命にはあらがえない人間に対しての、静かな静かな涙。
重松氏らしく、一貫して極めて現実的な物語のようにも感じる。
しかし、過去に負った罪悪感の重さと、それを背負い続ける苦しみと、それから解放された安らかさ。
この3つの調和と、星空の描写が美しいから、綺麗な物語と感じるのだろう。
(あ、きれいでもキレイでもなく、綺麗)
それから優しい。
重松氏の作品を読んで優しさを感じたのは、実は初めてである 笑
たとえば、ガンを煩ったシュンに向けて、奥さんのこんな言葉がある。
「なにをしてあげれば、あなたがいちばん苦しくなくて、安らかな気持ちで人生を終わりにできるか、それだけ考えてあげる」
冷静さに、すべてを受け入れた上での、優しい決意。
その直前には、こんな言葉がある。
治すことは、もう考えない。
「できないことを必死にやろうとして、やっぱりできなくて、それで落ち込むのって、ばからしいと思わない?」
これは、なにかに苦しんでいる人間すべてに向けてのメッセージのように思える。
ここから物語は、「安らかな気持ちで人生を終わり」にするために、動いていく。
実際問題、現実には、
会いたい人に会い、言いたい言葉を言い、聞きたい言葉を聞いてから逝く、
ということは、なかなかできないだろう。
もちろんこの物語の中でも、ガン末期のシュンには、
幼い息子をはじめ妻や両親、友人への思い、仕事への未練など、たくさんの心残りがある。
でも、どうすれば「安らかな気持ち」になれるかを、シュン自身もどんどん見極めていく。
「俺が帰る場所は、東京なんだ」
僕にはわが家がある。家族がいる。恵理と哲生と三人で営んできた暮らしがある。
僕はそこに帰らなければいけないし、やがて、いつか、そこで息を引き取ることができたら、
俺の人生は幸せだったよ、と最後の最後に思えるような気がする。
さて、厚手の文庫本2冊組になっているこの長編(なんと重松作品の中で最も長いお話らしい!)には、
男女間の問題も重要な要素となってくる。
それがまた、いい。
元カレ(って表現はなんだか似合わないけど)との過去を懐かしむ女ミッチョは、思う。
わたしが奇跡を信じるのなら、やっぱり、過去に戻れる奇跡が欲しい。
でも、奇跡を与えられるのと引き替えにいまの幸せをうしなってしまうというのなら、
わたしは、迷わない、いまを選ぶ。
それは身勝手なことなのだろうかーー?
この元カレと、今カレ(というか夫)が、こう話す。
「(ミッチョは)おまえを選ばなかったんじゃなくて、俺を、選んだんだ」
二つのうち一つを選ぶということもう一方を捨てるということだ、と説く作家もいる。
重松氏だって昔だったら、いやいまだって、そういう現実を描くこともあるかもしれない。
(そして、捨てたほうへの未練、捨てたことへの苦しみを嘆く作品も、小説としては味わい深い 笑)
でもとにかく、この作品は優しい考えに満ちている。
それから、無理のない、自然体の前向きさも、美しい。
三十九歳は三十代の終わりだが、四十歳は四十代の始まりになる。
なにかが始まるのっていいよな、とも思う。
あまりにも前向きな姿勢って、まぶしすぎて照れくさくなることもあるが、
重松氏らしい前向きさは、なんだかとてもしっくりくる。
男と女のことに関しても、読んでいて照れてしまうような言葉なない。
それでも、熱い想いが胸にせまる、ステキな文章が、ある。
神さまというのは、中途半端なことしかしてくれない。
どうして、男と女は、人生の途中で出会ってしまうのだろう。
相手の人生の丸ごとを自分のものにすることが、どうしてできないのだろう。
それから、とても壮大な文章。
傷つけて、傷つけられて、悲しい思いをさせて、悲しい思いをさせられて、
だからひとは遠い昔から星の物語を語ってきたのだろう思う。
太陽が沈んでから空に浮かび上がる星たちに、悲しい神話をあてはめてきたのだと思う。
最後に、わたしがもっとも惚れた文章を引用して、終わりにします。
たとえそれが後悔や自責の念しか生まなくても、向き合わずにはいられないのが、俺は、愛なんだと、思う。
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三十九歳 働き盛りで 子供は小学四年生
肺の悪性腫瘍を告知されて ふるさとへ向かう
子どもの頃の辛い思い出と向き合うこと、避けてきた祖父と向き合うこと、
進行の早い病を持ちながら、彼の心は進んでいく
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上下巻2日で一気に読みました。
重松さんの作品は、温かい涙が流れます。
ここもう少し深く掘り下げて欲しかったなという部分も
ありましたが、温かい気持ちで読み終えました。
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人が死んでしまう悲しい話、悲しいラブストーリーは嫌だ。下巻ではどんな展開が待っているのか、すごく楽しみ。悲しくても、最後にはみんな幸せであってほしい。