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【要約】
自分は幸せな家庭で育ったと思っていても、実際は親の価値観に合わせて「ありのままの自分」を抑圧して生きている可能性がある。
例えば「絶対に他人に迷惑をかけてはならない」という価値観を親から強烈に植え付けられている場合、他人を頼ったり上手く甘えることができず、対人関係においてストレスがたまり、やがて孤独な人生を進むようになる。
それを「自分は生まれつき人見知りで、一人が好きだから」という自己分析をしてしまうことが多いが、対人関係が上手くいかないのは、親から教育された価値観の影響が非常に大きい。
これから子育てをする人は、自分自身がどのような価値観をもっているか、今まで植え付けられているかをよく分析し、子供が自分の感情を抑圧することなく、うまく甘えられるような人間に育てることを目指すべき。
【覚えておきたいフレーズ】
・幼少期の家庭環境にまったく問題が無かった人はいない
・いじめを受けている子がいじめっ子集団からプロレスの技をかけられているときに笑うのは、もちろん楽しんでいるわけではありません。いじめの苦しみに耐えられなくて、笑うのです。
・香川(殺人犯)にとって、幼少期に感じていたはずの苦しみと向き合うことは、ものすごい苦痛を伴います。なぜなら、長い時間をかけて感情をマヒさせる方法を身につけたからです。被害者に対しての謝罪の言葉を千回言うことよりも、幼少期の自分に戻って「つらかった!」と本当の感情を一言でも吐露する方が香川には苦しいのです。(中略)しかし、ここを越えなければ、香川は自分の心の痛みに気づけません。必然的に、被害者の心の痛みも実感として分かりません。
・「誰にも心を開けない」とか「誰にも相談できない」という生き方は、犯罪につながる最大の要因です。そして「人の顔色を窺うこと」はストレスにもなります。
・本当に「芯が強くなる」ための条件は、誰かに心を開いて悩みや苦しみを話して、人からエネルギー(愛情)をもらうことです。そうして心はたくましくなるのです。
・幼少期に子供に身につけてほしいことは、親に十分に甘えられることに尽きます。「甘えられる」こととは、親とスキンシップをしたり話をちゃんと聴いてもらえたりすることです。
【感想】
この本を読みながら、自分が持っている「価値観」について改めて考えました。子供に「〜しなさい」など、よく言いますが、それが私自身の価値観の押し付けであるということに、気づいてないことがほとんどでした。
価値観は良い面と悪い面があって、それが社会生活を円滑に送る上で有効に働くこともありますが、自分に大きなストレスとなって返ってくることも多いです。そして、自分が感情を抑圧しているのに、他人が上手く感情表現していると、嫉妬に近い感情を覚えることがあります。そして多くの場合、感情を上手に表現している人の方が、人間関係が良好だったりするから、よけいにストレスを感じるのです。
「〜しなければならない」ことなんて、一部の人が勝手に考えた思想であるだけで、実際は存在しないのかもしれません。大���なのは、感情を抑圧せず、上手に他人に伝えることができ、そして他人の感情にも耳を傾けることができることなのだと思います。そうすれば素晴らしい人間関係を構築でき、本当の意味での「強さ」が身についていくのだと思いました。
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全ての価値観には表裏両極面がある
褒め言葉も裏を返せば抑制している可能性もある
良い子でいるよりも、ありのままでいてもらうのが一番
大人(親)もありのままの自分を子供に見せるべき
(人間誰でも強いところもあれば弱いところもある)
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「子供にはたくさんの愛を与えましょう」
「自己肯定感を育てましょう」
「子供の話をよく聞いて、アイ・メッセージで伝えましょう」
のような、子育てのスタンスやテクニックを示した本は世にあふれている。言っていることは正しいし、役に立つのだろう。
しかし実際に子供と相対しても、どうにも上手くいかない。ワガママな態度には怒りを覚えるし、ウソを付かれたら指摘せずにいられない。
この本はそういう小手先ではなく、もっと心の奥底を掘り下げた上で、臨むべきスタンスやテクニックを示している。一言で言うならば「受容」だろうか。
作者の遺稿である。この愛情に満ちた素晴らしい本が、もっと広く知られることを望む。
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娘をいい子に育てようとしている自分がいることと、自分もそうやって育ってきた自覚があって読んでみたけれど、親として読んでいたはずが自分の幼少期が思い出されて泣きながら読んだ。知らないうちに自分の気持ちを抑圧していて、やっぱり生きづらさも感じている。犯罪こそ起こしていないけれど、自分のことが書かれている本だと思った。少しずつ自分をの気持ちを解放して誰かに聞いてもらいたい。そして娘が感情を素直に出せるよう接していけたらいいと思った。
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反省させると犯罪者になります……の著者の遺作。
本作でいう「いい子」とは親などの他者にとってのいい子であり、己の本心を押し隠したうえでのいい子である。世間に向けたいい顔をするともいえる。
読んでいると、確かにいい子であり続けようとして、そのいい子の姿に無理があり、己を抑圧し続けると何かが起きるかも、と思える。
でも、他者目線で生きてきてそのいい子であり続けようとしたときに、己を見ようとすることはとても勇気のいることだし、他者にとって都合が悪いから応援も得られない可能性もある……と考えるとなかなかむつかしい。やはりプロにたよるしか。
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子育てについて考えさせられる。「いい子」、親の言うことをよく聞く子、明るくて笑顔の子。でもその背景にある本当の思いを、ちゃんと知らないといけないと感じた。何よりも子どもたちが、ちゃんと自分の気持ちを発信して、それを受け止めることのできる親でありたいと思った。良書。
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【本書のまとめ】
反省させると犯罪者になる。
犯罪行為のほとんどは、加害者の不遇な境遇や歪んだ価値観によって引き起こされている。
反省が「被害者の気持ちを考えること」にフォーカスを当てている限り、加害者は「反省したふり」をするだけであり、「自分は何故その行為に及んだのか?」という問題の根本に目を向けなくなってしまう。
加害者が自分の罪を認識し更生するためには、反省ではなく、「自分自身が事件を起こすに至った原点」を見つめ。内面の問題を理解し、否定的な感情を吐き出すことが必要である。
自分の否定的な感情を吐き出すことができれば、自然と相手への罪の意識が湧き上がってくる。
【本書の詳細】
1 「うわべだけの反省」ではまた罪を繰り返すことになる
自分が起こした問題行動が明るみに出たときの人間の心理は、まず「後悔」が来る。これは心理学的に通常の反応である。もし容疑者がすぐに反省の言葉を述べたとしたら、それは表面的な「反省のふり」にすぎない。「周囲に迷惑をかけた」といって謝罪する気持ちと、「自分自身の罪を考えること」は全く違うものである。
そもそも、重大事件を起こした後は、自分自身のことで頭がいっぱいである。罰はなるべく受けたくはない。受けるとしても軽いものがいい。弁護士と話し合いながら、裁判をどう切り抜けるかでいっぱいいっぱいである。そうした中にあっては、被害者のことにまで気を配る余裕がないのは当然だ。
また、加害者は被害者に対して、大変厚かましくはありながらも、不満を持っていることが多い。不満を抱いた犯罪者たちに、被害者の苦しみを考えさせて反省させるような指導方法は、不満を心でくすぶらせ続けるだけでほとんど効果は無い。
どうればいいのか。それは、「反省させないこと」だ。被害者に対して不満があるのであれば、まずそれを語らせる。自分自身の本音を語らせることで、自分の内面と向き合うことが出来るからだ。
2 反省文
問題行動が現れた時に反省文を書かせることは、書かされた人の本音を抑圧する。そしてさらなる抑圧が生まれ、最後には爆発してしまう。
問題行動というのは、その人がしんどさを発散する行為である。問題行動が出た時は支援のチャンスだ。反省文を書かせるのではなく、その人の言葉にじっくりと耳を傾け、否定的な感情を口から出させることが重要である。逆に、反省は自分の内面と向き合う機会を奪ってしまうのだ。
3 受刑者を更生するには
「真面目に刑務を務めること」は再犯の危険を生む。単調な刑務作業を繰り返すだけの日々を送っていると、真面目に努めて出所するだけが目標となり、彼等の頭からは被害者に対する罪の意識が薄れていく。本来であれば自分の犯した罪に対して心から反省し、更生することを目標とするべきなのに、刑期を気に掛けるようになってしまうと、何よりもまず刑務官の評価を気にするようになり、口答えをせず他の誰ともつるまなくなり、自身の気持を抑圧することにつながってしまう。そのような態度のままでは、出所した後も再度犯罪を起こす可能性が高くなってしまう。
受刑者は、例外なく不遇な境遇のなかで育っている。そういう意味では、彼らは「加害者」でありながら「被害者」の側面も有している。加害者である受刑者の、心の中にうっ積している「被害者性」に目を向けるため、まずは「加害者視点」でのケアから始めたほうが効果的である。
加害者視点でのケアを行うことで「真の反省」が生まれる。真の反省とは、自分の心のなかにつまっていた寂しさ、悲しみ、苦しみといった感情を吐き出した後に、自然と心の中から芽生えて来るものだ。問題行動を起こした受刑者に対して、反省をさせるのではなく、「何故犯罪を起こすに至ったのか」を探求していく姿勢で臨むことが、真の立ち直りを促す。
1 自分自身が事件を起こすに至った、原点(生い立ち、価値観)を見つめる。
2 内面の問題を理解し、否定的な感情があることに気付く
3 否定的感情を吐き出す。吐き出すと、自然と相手への罪の意識が湧き上がってくる。
また、彼らが更正するためには、人とつながって「幸せ」にならなければならない。「人を殺しておいて、人とつながって『幸せ』になるなんてとんでもない」と思う人もいるかもしれないが、人とつながって幸せになることこそ、人の存在の大切さを知り、同時に自分が殺めてしまった被害者の命を奪ったことへの「苦しみ」につながる。この「幸せ」と「苦しみ」の中で生きることが、贖罪の気持につながる。
そのため、刑務所の中で「本音で話せる場」「つながりを作れる雰囲気」を確保しておく必要がある。
4 しつけ
「我慢できること」「一人で頑張ること」「弱音を吐かないこと」「人に迷惑をかけないこと」といった価値観でのしつけが、いじめを生む原因となりうる。自分の中に、「正しい」と思って刷り込まれた価値観が多ければ多いほど、それに沿わない人を許せなくなるからだ。
「こうすべきだ」「お前はこうあるべきだ」「こうでないといけない」という「ありのままの自分ではいけない」という指示・命令をたくさんもらった人ほど、内発的な道徳観を持てず、軽微な犯罪に走ることが多いのかもしれない。
この場合も、「いじめた側」の視点にまず立ち、いじめた人の内面や価値観の根底を探ることが必要である。
子どもに対しては、叱るのではなく受容的な態度で臨む。「何を思っているか話してくれない?」と語り掛けることで、「本音を言っていいんだ」という気持ちにさせることが大切。
そして、決して正論を言ってはいけない。親の立場から言った正しいことに子どもは歯向かえないため、「そんなに怒られるなら絶対に本当のことは言わない!」となってしまう。
問題行動が起こったときだけでなく、日常生活の中でも、他者とよい関係を築くために、相手に「うれしい・寂しい・ありがとう」という気持ちを素直に伝えることが大切だ。
例えば、仕事の合間に、少しの不満と怒りを発散し、ため込まないこと。自分自身の「子どもの部分」をもっておき、それを出せる場を確保しておくこと。子供っぽさ、弱さ、甘えを出せるよう自分の感情に素直になり、人に頼ることだ。
【感想】
昔はだいぶ悪いことをしていたが、今はし���くなったという人は多いと思う。しかし、その行為を辞めたのは罪の意識を感じたからではなく、「自分が大人になり、仕事や家族という関係性が構築された結果、犯罪で失うものが多くなってしまったがゆえ自制するようになった」という人が多いのではないだろうか。
これも筆者が本文中で述べている、「反省したようで反省していない」パターンである。
そうした「言葉と本心がかみ合っていない」ことを放置し、ただ反省の弁を述べさせるのはその場限りの対処療法にすぎず、いずれ同じ過ちを繰り返してしまう。
ではどうするのか?端的に言えば、「悪に対して抑止的な解決方法はやめよう」ということである。
人の行動には感情が潜む。悪い行動には、必ず悪い感情が潜んでいる。それは子どものころに受けた深いトラウマなのか、ストレスから生じた突発的な擦り傷なのかはまちまちだが、まずは自分の傷と向き合い、「何故その傷が出来たのか?」という原因を特定し、完治した後で相手に謝るのが効果的ということだ。
しかし、ここで事態を複雑にするのが被害者の存在である。
被害者は加害者のことを許せない。被害者が死亡したときには、被害者家族は加害者を同じ目に合わせたいと思うのが道理である。そこに「段階的に治療しているのでしばらくお待ち下さい」という理性的な物言いは通じるわけがない。この関係性の中で、如何に被害者と加害者が折り合いをつけるのか?反省はいつから行い、そして「いつまで」行われなければならないのだろうか?
事件の傷を完治するためには被害者の協力が必要になる。それは犠牲者としての立場からは、あまりに難しい行いではないだろうか。
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何となく立ち読みして購入。
タイトルは安っぽいのだが、内容はとても良かった。
大学教授でありながらも受刑者の更正支援を行う著者が実体験と学問を元に幼少期のどのような体験が、将来の犯罪行為に繋がるかが書いている。恐らく数多くの臨床を経験してきたであろう作者の知見が豊富につまった実践的な本。
単に親の愛情を受けれなかったとか、貧しくて理不尽な目に遭ったから犯罪を犯したというだけでなく、臨床教育学的側面からもう一歩踏み込んで紐解いている。
興味深いのは、普通の大人でも幼少期にあった寂しい思いや悔しい思いがあるはずであり、これを読むとそれが今日の自分の価値観を作ってると気づけるところ。
人間とはどのような生き物なのか、それがより深くわかる本。
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子供が健全に育つためには家庭環境が大切ということが良くわかる例。
酒井法子さんをモデルケースに解説してあるのがわかりやすかった。
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祖母、継母、父、いとこに虐待を受けた私がシングルマザーとなりどう子育てしていけばいいのかと沢山の本を読み漁っていた所、書店でこの本を見つけました。
私の原点を見つけ、子供との向き合い方を教えてくれた大切な1冊となりました。
家庭のルールを作ったり私が持っている価値観を教えこんだりするのを出来るだけ改善できるようにしていこうと思います。
私も子供もありのまま生きていけるように、今日から実践に移していきたい!
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2015年6月26日に亡くなった著者の遺稿の書籍化。同著者の『反省させると犯罪者になります』『凶悪犯罪者こそ更生します』につづく、新潮新書の第三弾にあたる。犯罪の動機の根本には幼少期の生育の問題があり、抑圧的な更生はむしろ犯罪を助長するという主旨は、前二冊からの継続となっている。第一作では受刑者と教育問題をそれぞれ半々ずつ扱い、第二作で受刑者に焦点を当てたとすると、本作は子どもの教育をテーマとして全体を補う形になっている。
前半は少年院に入所する子どもたちや、一部は大人の受刑者を例に、過度な「しつけ」がむしろ犯罪行為を招いてしまうロジックを説明する。さらに現状の少年院や刑務所が入所者たちを抑圧的に扱うことで犯罪傾向を助長してしまう現状を指摘する。それを証明するのは少年院出所者の再犯率の高さで、私語厳禁の徹底や、監視して抑え込むことを当然視する職員の態度をはじめ、ますます「感情をマヒさせる」場になりつつある少年院のありかたへの著者の危惧はもっともだと思える。
第4章では、2009年に覚醒剤取締法違反で逮捕された酒井法子さんをサンプルとして、著者の主張を裏付ける。彼女の複雑な生育過程から、いかに我慢することを重視する価値観のもとで人生を送ってきたか、そして彼女の発言から自身がそのことを理解できていないことを示す。彼女のもつ完璧主義的な価値観の効果は諸刃でもあり、芸能界での成功をもたらす原動力になったことと、薬物使用を「自ら選択」するに及んだ心理的な背景とは切り離せない。
以降の終盤にかけては、犯罪に関連する話題を離れ、育てる親自身のありかたも含めた子育て一般に目を向けている。ここでは改めて「正しく生きる」という価値観の危険性を指摘し、とりわけ「男らしさ」を要求されやすい男性においては「甘え下手」「コミュニケーション能力の低さ」として表れやすいとしている。本書の主旨をやや離れるが、熟年離婚の原因がたいてい男性側のコミュニケーションの問題にあること、女性の長寿の原因は男性と比較して、甘えることと、コミュニケーションを円滑に行える女性の特質にあるとする考察も面白い。第5章に掲載されている「ストレスを生み出す20の価値観」では、読者が自らの価値観の抑圧のおこりやすさを検証することもできる。終章では子どもへの接し方の具体例も挙げつつ、近年の「思考を重視した生き方」ではなく、「感情」を重視すべきだと説く。そして、情緒的な人は人間としても魅力的だとしている。
感情の抑圧がいかに人生に悪影響を及ぼすか、上手に甘えられること(=他者の甘えを受け止められること)の重要さを主張する本書は、読み手が子どもの教育に直接関係ないとしても十分に読む価値のある著書だと思えた。「他人に迷惑をかけない」ことを強く意識させられがちな私たちの社会においては、特に貴重な視点ではないだろうか。
結局、自信というのは他者との相対的な優越感などではなく、「自分は自分でいいと思えること」だと結論づける著者の言葉は、タンザニア人社会を考察した小川さやかさんの著書『「その日暮らし」の人類学』の冒頭にある問いかけの言葉とも重なり合い��深く共感することができた。
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もっと早くこの本と出会っていたら。
メンタル不調の時に出会っていたら。
多くの救いと、前に進む勇気をいただけました。
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■内観療法とは過去の自分自身と関係の深かった人物(母親、父親が中心になる)に関して「お世話になったこと」
して返したこと」「迷惑をかけたこと」の三つを考えさせて(内観させて)「こんなにも多くの迷惑をかけてきた私が見捨てられることもなく今もなお生かされている。だから感謝しなければならない」という気持ちにさせるもの。
内観療法の問題点は「迷惑をかけたこと」に重点を置いていること。これだと「迷惑をかけた→自分が悪かった」という反省させるパターンになる。「迷惑をかけたこと」を考えさせるなら「迷惑をかけられたこと」も考えさせないとバランスが悪い。
■心の傷は身体の傷と同じで外に出さない限り消えることはない。
■ストレスを生み出す20の価値観
①「しっかりしなければいけない」という気持ちが強い
⓶「(親や周りの人に)迷惑をかけてはいけない」と思う気持ちが強い
③「(親や周りの人の)期待に応えないといけない」と思う気持ちが強い
④「我慢することが大切である」と思っている
⑤自分の素直な気持ち(「うれしい」「悲しい」「つらい」など)をなかなか出さない方である
⑥嫌なことがあったり辛いことがあったりしても、そのことを人にはなかなか見せない方である
⑦人前では「暗い面を見せてはいけない」と思い明るく振舞ってしまうことが多い
⑧「弱いことは情けない」とか「弱いことはいけない」とか思っている
⑨泣くことは恥ずかしいことだと思っている
⑩人にはなかなか甘えない方である
⑪「わがままやジコチュウであることはいけない」と思っている
⑫子供っぽい面は出してはいけないと思っている
⑬「男(女)は男(女)らしくしなければいけない」という気持ちが強い
⑭お金の面で裕福になることが人生で成功することだと思っている
⑮完璧さを求めてしまうところがある
⑯ミスや失敗をしてはいけないという気持ちが強い
⑰「白」か「黒」かをはっきりさせないと気が済まない
⑱「勝つこと」に対してのこだわりや執着心が強い
⑲他の人から自分に対して何かされたときに「自分のことを拒否された」とか「自分を悪く思われた」と受け止めてしまいやすい面がある
⑳「悪いことは許さない」という気持ちが強い
これは私たちが生まれながらに持っている価値観ではない。誰か(特に親)から「もらったもの」か周囲の環境に影響される中で形成されたもの。
■愚痴を言うことは自分自身が「子供の心」になって心を開いていること。人間関係は「子供の心」を持たないとうまくいかない。子供の心になるとは「ありのままの自分」になるということ。「ありのままの自分」になれば自分自身を受け入れられる。
■幼少期に子供に身に付けて欲しいことは親に十分に甘えられることに尽きる。
親との関係で甘えることを体験できた人は他者にも甘えられる人になる。他者に甘えられることとは他者から援助をもらって生きる生き方を身に付けること。
他者に甘えられる人になれると他者の「甘え」を受け止められる人になれる。自分の「甘え」を受け止めてもらう体験をしていないと他者の「甘え」を受け止めることができない。
■「困っている人を見たら助けなさい」とよく言われるが「人を助けたい気持ち」とは誰かに教えられて身につくものではなく自分が人に助けられたから自然と人を助けたくなるもの。
「人は自分がされたことを人にして返す」ということを信じて子供に接して欲しい。
■「しつけ」は子供が社会性を身に付けるために必要であるが、子供の自然な欲求を抑える側面がある。自然な欲求を抑えるとどうしても子供の心は歪む。「してはいけない」と言われたら逆にしたくなる。「勉強しなさい」と言われたら逆に勉強する意欲を失う。
■子供が嘘をついたとき一番やってはいけない親の対処法は事実を指摘して「嘘をついてはいけない」と叱ること。
これをすると子供は「ごめんなさい」と謝ることになる。そうして子供も親も子供が嘘をついた理由を考えることなく子供は「謝罪の仕方」を身に付けることになる。それだけではなく、親が「次から絶対に嘘をつくな」と言うことによって親の願いとは裏腹に子供はますます嘘をつく人間になる。しかもバレないように嘘が巧妙になっていく。
■子供の嘘は人生最初の「問題行動」。親が子供の「本音」を知る最初の「チャンス」である。子供の本当の気持ちを知る機会であるのに叱ってしまうと子供の本当の気持ちを知る機会を失う。それどころか子供は「自分は悪い子だ」と自分を責めてしまったり親に心を開かなくなったりするかもしれない。
■子供が問題行動を起こした時の親の対処法は「なぜ」という視点を持つこと。
■人は自分がしてもらったことを自然と人にして返すようになる。
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目からウロコの一冊。親になったとき、自分を見つめ直したいとき、過去を振り返りたいとき、この本をまた手に取りたい。
自身に少なからずいびつさを感じながらも、振り返ると自分はいい子だったと振り返る人こそ一読すべき一冊だと思う。
以下、回想。
自分は絵に描いたような「いい子」だった。しかし同時に自分の心を守るためなら人を傷付けてもかまわないと思う側面があった。私の心は傷付くことを恐れ、人の怒りに相当敏感だった。
この方の授業を受けて感想文を書いたらきっと冒頭で紹介されるような生徒だったろう。
親のせいとは思わない。でも、私の危険の芽に、親は気が付かなかった。気が付いたら向き合ってくれたのかもしれないけれど、私自身が巧妙に隠したから、気が付かなかったのだろう。
幼い頃は「自分の心を守る」ことが最優先で、「自分の危険の芽を摘み取らなかったらこの先どうなるだろうか?」というところまで考えが及ばない。
表面的には聞き分けがよく素直で明るい生徒。いかにも非行へ走りそうな少年少女より先に、私の心の矯正教育を優先してくれる教師がどこにいるだろうか?
また、自身が教師という職業に憧れ、周囲の教師に歩み寄っていたことも影響したかもしれない。自分を慕う生徒に対し、「君は間違っている、危ない、心を見直せ」と言える教師がどれほどいるだろうか?
小学校では私の性質を見透かすようなベテラン教師がいたが、矯正するところまでは至らなかった(私は悪い意味で教師の熱意をかいくぐり、逃げ切った)。
自身にとって救いとなりうるのは、そうした自分の歪みをこれまでも認識していたし、今ははっきりと意識できることかもしれない。
大人となった今、自分の性質を親のせいにするのはナンセンスだ。大人として、自分を矯正していかないといけない。
この方の言うとおり、「これからは自分を見つめて、自分をコントロールしていきます。」という宣言は意味を持たないだろう。
私は弱い人間で、自分を守るためなら今でも人を傷付けうる人間だ。認めたくないけれど、きっとそうなのだろう。
弱さを常に抱えながら、いつも自他に言い訳し、逃げて生きている。だから周囲の人間の弱さを見ても、責めるのはよそう。お互い弱い人間だなと、受け入れていけたらいい。
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どんな育児書読むよりも、この本をよんだほうがよかったのではないかと思う。自分の内面に向き合うことは本当につらい。そのつらさをわかってくれている人がかいている文章。読んでよかった。