紙の本
一億総アーティスト時代における真のアーティストの姿を探ります!
2020/06/26 10:41
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、美術作家活動のご経験っがあり、また『モテと純愛は両立するか?』という話題作も発表されている大野左紀子氏の作品です。「アーティスト」と聞くと、なぜか「偉い人で、素晴らしい人、才能のある人」というイメージをもってしまうのですが、現代日本には、「アーティスト」と呼ばれたい人が一杯で、SNSやユーチューブなどの普及で、一億総アーティスト時代と言っても過言でない時代になっています。では、自己実現とプロの差異とは一体どこにあるのでしょうか?同書では、美術、芸能、美容といったあらゆる業界で増殖する「アーティスト」への違和感を探りながら、真のアーティストの姿を考えていきます。同書の内容構成は、「はじめに―一枚のチラシから」、「美術家からアーティストへ」、「アーティストだらけの音楽シーン」、「芸能人アーティスト」、「『たけしの誰でもピカソ』と『開運!なんでも鑑定団』」、「職人とクリエイター」、「美の職人アーティスト達」、「私もアーティストだった」、「アーティストになりたいというココロ」といったテーマで話が進められます!
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本当のプロフェッショナルとは何なのかについて、考えさせられました。アーティスト症候群に注意しなければならないと思いました。
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読んでいてイライラしました。
テーマ設定は誰もが知りたいことで興味が持てるのに、内容は話があちこち飛んで、結局無理やりな着地でした。
言葉の端々に無駄に茶化したり嫌味を挟み込んだりしてくるので、「アーティスト」になりきれなかった人の恨み節や言い訳にしか思えませんでした。なんか、目ばっかり肥えた感じ。残念……
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誰も言ってくれなかったことを言ってくれている著者への爽快感のあと押し寄せる、「理屈ばっか」という不快感のせめぎ合い。
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アーティストというのは僕と同じく自意識過剰な奴らのことを言うらしい。ということを手を変え品を変え書いているようだ。
芸能人アーティストの分析もしているが、できれば文庫版増補でKagerou書いたひとの分析も欲しかったな。
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「アーティスト」という言葉に魅かれる不思議さ、浅ましさについて。
誰でも「アーティスト」になれる状況で「アーティスト」とという言葉の定義を考えてみるには適している。
「他者」の存在とアートという観点が「アーティスト」には、必要なことと気づかされる。
文庫版、あとがきのもう、「サブカル」は存在しない、という言葉はこれから、先、一つのテーマになっていくはず。
ただ、これから、先、アーティストという「職業」がなくなることには納得できない。
嫌みな文体も好きと言えば好き。
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アーティスト崩れが書いた本。
ドクター崩れの塾講師が、自分は学者になれなかったんじゃなくてならなかったんだ、学者なんてならない方がいい、と何も知らない受験生たちに吹き込むように授業をする感じとそっくりで、アーティストで居続けられなかった著者が、やろうと思えば続けられたけど、アートじゃだめだったんだ、てゆうか今「アーティスト」って呼ばれている人、全然アーティストじゃないしwwwみたいな感じで語っていくので、なるほど確かに、とは思いながらも、いやーな気持ちになりながら読んでいた。
後半はそれなりに考察が加えられていた気がするけど、全体的に横たわっている「崩れ感」(なれなかったものへの羨望と嫉妬が入り交じり、その能力がないくせに諦めがつかないネガティブな感じ)が出まくっていて、そっちの方に気が取られてしまった。もったいない。
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芸術-思想=趣味、ってことでファイナルアンサー。しかし必ずしも、趣味+思想=芸術 にはならない気がする。 #C326806
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現実は知っておかなければいけないですね。
それでも、諦められないひとは作り続けられるし、
諦められるひとは諦めるし。
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いかにしてアーティストを目指すのか、そして諦めるのか、芸大に入ってもやもやしていたその辺が鋭く突っ込まれていて勉強になりました。
でも実際アーティストを目指している人にとっては聞きたくない言葉かもしれない。
いくらなんでもそれはキツすぎるんじゃないかな、と思う場面が多かったです。
後半の著者自身のエピソードはとても興味深く、その部分だけで一冊にして欲しいな、批判ではなく本人が語る話のほうが頭に入りやすいみたいです。
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■経緯
デザイナーの端くれとして、アーティストとクリエイターの違いには興味があったので購読。
■感想
女であることを当たり前に肌に纏える人とそうでない人がいて、後者で男と同じ土俵に立とうと肩肘張るのはしんどそうだな、という印象を著者にもった。
書いてあることは納得なのだけど、感情的な否定が見受けられる。
いろいろなアーティストが引用されていて、どんな作品だったのか画像検索しながら読みすすめるのは楽しかったです。
■共感
・なんちゃらアーティストという肩書きが巷にあふれでて、もはや何がアートなのかの定義が曖昧になっている。
・職人=物作りのプロ、アーティスト=発想のプロ。作らなくても指示すればいい。
・アイドル=作られた歌を歌って、コーディネートされて、虚像として見せればOK
・アーティスト=自分で作った歌を発信して、独自のファッションスタイルをもち、生き方の格好良さも求められる。
・メディアが発達して風穴があき、サブカルという概念が崩壊した。
■不可解
・前半のアーティスト志向の若者と芸能人を切るときの口調が感情的で辟易してしまう。怒りが透けて見えるのはあまり気持ちのいいものではないです。事実を淡々と書いたほうが共感できるのになぁ。
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芸能人などの話しが出てきて、アートの知識がなくても読みやすいと思った。作者が自称する「やや理屈っぽいおばさん」が、相手を平手でバシバシとぶっていく印象。
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『文庫版のための長いあとがき』で、Chim↑Pomの手法(2008年広島の「ピカッ」)をバッサリ斬ってて割と分かりやすい。サブカル感覚の「面白主義」をアートに持ち込んで他者との軋轢を生んだ際に決定的な戦略の甘さを露呈する的な話。
あといわゆるガーリーフォトを「写真ポエム」としていたのが笑った。たしかに。
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あとがきが一番面白かった。かも。
結論 「セルフブランディング」のために「アート」という表現を手段として使っている人をアーティスト症候群というのかなと。
どういうことかと言うと。 極端なことを言えばただ好きなものを作りたい、もしくは作るのが好きなだけならば公の場に出す必要はない。
何か公の場で表現するということは、少なくとも伝えたい「事」があり、伝えたい「人」が存在するはずである。
にも関わらず、コンセプトを伝えきれない。何か言われればそれが「自分のこだわり」だとか「分かる人に分かればいい」とか開き直る。
「分かってもらう」ことがゴールでないにしろ、
公に発表するということは、表現のコンセプトは自分の中に絶対なくてはならないもので、聞かれたら答えられるものとして存在しなければ作品を発表することの意味はない。
なぜならばそれが「不快」を与えるものであった場合、相手を納得させられるだけのコンセプトがなければただの「暴力」になるのではないかと私は思いました。
「表現の自由」を盾に「やりたいこと」「こだわり」を発信するのなら、ブレないコンセプトは持っていなければならない。 いつでもそれを出せる状態にしておく責任は表現者にはある。
自戒を込めてそんなことを感じました。
芸術表現そのものを伝えたい、理解してもらいたいというよりは、そんな表現を手段として使っている「自分」を理解してほしい。なんとなくかっこいい「アートな自分」を認めてほしい。 そういう状況に陥っていることを著者は「アーティスト症候群」と名付けたのではないでしょうか。
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どうやらこの本に、もう少し辛口を期待してたのだと思う。
そのためか穏やかな気持ちで読み終えてしまった。
あとがきには、嫌な気持ちになったと思うなんてことが書かれていたが、ほぼ共感できる内容で新鮮さもなく相づちを打ちながら読んでいる感覚でした。
この本には「アーティスト、クリエイター」という肩書きは魅力的なイメージを保持し続けていると書かれている。
そして、基本をスルーした人たちの逃げ道としての肩書きであるかのようにもかかれている。
自分流だとか自然体だとかでごまかして「オンリーワンの自分を認めて」なんて人が「アーティスト」を名乗り出したらその肩書きは魅力的なイメージどころか安っぽくなる一方だと思うのだけど。
不思議である。
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あるなぁ~と思う。
呼び方なんてどうでもいい、とも思うが、
違和感を感じることがあるのも事実。
呼び方(呼ばれ方)は、特に自称の場合、自意識の根幹のようなものだから、
たかが名称、されど名称だ。
僕の周りには、アーティストは少ないけれど、
クリエーターならたくさんいる。
Webデザイナーもクリエーターと呼ばれることもあるし、
エンジニアもディレクターもカメラマンもライターも、
大雑把にクリエーターとして括られる場合もある。
若手起業家とかITベンチャー経営者なども似たようなところがあると思うが、
そういうちょっとカッコいい名称って、自意識の衣なのだ。
だから冷静に見ると恥ずかしい。