投稿元:
レビューを見る
読むのに時間がかかった…。エクソシズムについての、実際の取材記で、結構有名な本なので、読んでみたんだけど…キリスト教が分かっていないと全然ダメ。
無宗教だけど、キリスト教の知識は持ってたいな、イタリアとかあっちを行く前にもう一度読んで勉強しよう。
濃密な本。。。なかなか読み進めれませんでした(ΘωΘ)
投稿元:
レビューを見る
エクソシストも神経科医も、方法は違えど、様は依頼者の苦痛を和らげ安定をはかる事に従事している。
心霊的だの宗教だのといった、色眼鏡を外して見れば、歴史と手法が違うだけで、彼らの目指すものやアプローチの仕方は、一緒なのではないだろうか。
そう思いつくと、テレビの心霊特集に出て来る霊能者やお祓い師がいかに胡散臭いかが良く解った。
投稿元:
レビューを見る
興味本位のオカルト本ではありません。バチカン公認のエクソシスト、カンディッド神父を中心に、その活動の実際と、周辺の人々の証言で構成されたノンフィクションです。もちろん医学者や心理学者など、宗教関係者以外への取材もされています。
本書を読んで知ったのは、エクソシズムはオカルトとは無縁の、厳格な形式をもった祈りの儀式だということです。エクソシズムとは告解であり、人と向き合い、その心の声に耳を傾けること。エクソシズムの本質は魂の救済にありました。
悪魔という概念は、クリスチャンでない者にとっては理解しがたいものですが、悪魔憑きと呼ばれた瞬間から、人の苦悩は意味を持ち始めるという一文は印象的でした。
心とは何か?信仰とは何か?ということを深く考えさせられ、聖職者のあるべき姿に感動を覚える一冊でした。
投稿元:
レビューを見る
エクソシストと言う言葉をフリードキン監督の同名映画で知ったという人が多いのではなかろうか?私は原作となったピーター・ブラッティの小説の方で知った。初めはキワモノかと思ったが、どうしてなかなか読み応えがある。気になる頁に付箋を貼りながら読み、読了後に数えてみると前半部に集中していた。著者が取材を始める4カ月前に死んだ高名なエクソシスト・カンディド神父の友人関係者を巡る様に話は進む。証言を通し沈黙と瞑想の生涯を送った老神父の姿がゆっくりと浮かび上がってくる。もはや叶わぬ思いなれど一度お会いしたかった…と思う。
未だ、悪魔の存在証明はなされていないが、エクソシスト(カトリックで悪魔祓いをする人)は存在する。 2012年11月09日
投稿元:
レビューを見る
日本人にはどうしてもなじめない話ばかりだが、島村さんが実体験を通じて一生懸命説明している。
キリスト教がわからないと難しかったが、勉強になった。
投稿元:
レビューを見る
「いってみれば、悪魔のおかげでより聖性を高めることができたといえるのです」 ー 153ページ
たとえばスピリチュアルに代表されるように、悪が不在の「聖」というのももちろん存在はしている。けれど、様々な事例を見ている限り、悪を前提視した「聖」のほうが結束力というか凝縮力があるなと思う。仮想的がいるから仲良くなれる、というのももちろん大きいのだが、悪を意識することで自分の中の正義、聖というものを確固たるものにできるのがその背景にあるのだろう。
すべてが「聖」であると考えること、あるいは「聖」のものにしか接しない生きかたというのは、「悪」が存在している世界観に比べて構築が難しい。「悪」が存在している世界はよりシンプルであるが故に力強い。ここには否定の持つ作用、力強さが出ていると思うし、「悪」を無視しようとする人、あるいは「悪」を否定しようとする人こそ、それをまず認めるべきなのだと思う。
投稿元:
レビューを見る
「バチカン・エクソシスト」を読んで、もうちょっと読んでみたかったので。
カンディド神父の話を中心に、
その死後に周囲の人々にインタビューした内容だが、
バチカン・エクソシストでもでてきた神父さんが出てきて
面白かった。
「宗教」の真空地帯、日本人がくりだす質問のせいか、バチカン・エクソシストより神父たちが身近に感じられた。
エクソシストを巡る旅、とでも言った感じ。
投稿元:
レビューを見る
素晴らしい仕事をしている本であり、
文句なく力作だと思う。
しかし読み物としては、なじみがないのと
興味が沸かないのとで、読んでいてつまらん。
論文つーかレポートつーか、娯楽で読むには
適しておりませぬ。