投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
柴崎友香さんの作品は初読。何とも言えない独特の文体で、最初の方は非常に読みづらかった。目に映る風景、人の仕草や描写、聞こえてくる音などが連なり、その場面を構成していく。気を抜くと頭に話の内容が入ってこない。ただ慣れてくると、この描写が段々と心地良くなってくる。人を好きになる感情、心の中の呟きを綿々と綴る。現実的なことを考えずに、ただ自分の感情に素直になることが人を好きになるということ。
夢にまで見た恋人と再会したとき、人は今の大切な人を捨てることが出来る?
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
朝子と麦…
謎めいた麦と、ちょっと緩そうな朝子。
一人称の作文日記みたいでちょっと疲れる。
朝子の頭の中で進むストーリーは…
定職にも付かず、やりたいこともなく、ただなんとなく過ぎて行く日々に好きな男が加わって、去って、また現れて…
大恋愛でもないし、淡々と続くありふれたストーリーが人を引きつけてしまうのは、まさに「寝ても覚めても」な夢遊病的な文体のなせる技か。
ただ…この人たち(主格の2人)自分勝手過ぎて、恋愛したらダメな人たち。
20代という、人生の大切な季節に何もしていない。
実に恐ろしい…。
コレが映画?
この世界観は、わりと作れそうな気がする。
邦画らしい邦画になるんだろな。
今年の10冊目
2018.06.09
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
何とも言えない読後感が残る。主人公目線で見える世界は、実はとても歪んでいるのに、それが読者に分からないと言う事だろうか。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
評価は真っ二つに分かれそう。
小説の読み方によってはおもしろく感じられるところもあるのかもしれないけど。。少なくとも,ストーリーに没頭したいとか登場人物の心情に添いたいという読み方では先に進めない難しい小説だった。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
初・柴崎友香。解説をトヨザキ社長が書いてるから、きっと彼女の書評をどこかで読んで、それで入手したであろう作品。恋愛小説といえば恋愛小説なんだけど、一筋縄ではいかない内容。忘れ得ぬ人がいて、それに似た存在と出会って、とかはありきたりだけど、最後に再開してからの展開が奇想天外。そこからの二転三転がとても見ものでした。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
恋人に見捨てられたという現実を受け止めきれず
しかし偶然、よく似た男に出会い
これとつきあいはじめ
気づいたら、10年が過ぎていた話
ところが
テレビや雑誌とかに出てくる前彼を見ながら
なんとなく自分は
今の彼とこのまま暮らしていくんだろうなあ
そんなふうに思い始めた矢先
俳優にも飽きてしまった前彼が、なんと迎えにきてくれたのだった
それで舞い上がってしまった主人公は
10年分の蓄積も、すべて放り出してしまう
帰る場所なんかない
だから刹那的に見えるのだ
「実家」の話の語られなさから、それを汲み取ることもできよう
しかしそれが逆に
つきあってる男を「帰る場所」とみなす価値観になるわけで
その価値観が、前彼と今彼の区別に
混乱をもたらしているようにも思われる
あと
本当に細かいことを言うようで申し訳ないのだが
1999年の時点で
「シャイニングウィザード」というプロレスの技は
まだ存在しないのですよ…
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
途中までは割と淡々と流れているわけですよ。ちょっと変かも?って思う瞬間もあるけども、それはまぁ、100年前には犬に服なんて着せなかったけど今は着せてるのを見てもまぁ慣れたかなぁ、
程度の変かも感ですよ。
ただ、ちょっと変と狂気との境界線は甚だグレイであって、じわじわと狂っていく感はある意味ホラーであって、女性はおおむね狂気を抱えていて、常時爆発するのが2割、潜在的な活火山は日本の山の中の火山の割合程度には存在していて、富士山がいつ噴火するか分からない程度にいつ狂気が暴走するか分からないわけで、そんなことみんな知ってるんだけども、実際に噴火したらマジやばいという事を教えてくれるわけです。
そして亮平くんの態度も分かりすぎるくらいで、火山灰が降り積もった畑を孤独に耕していく農家の人みたいな素朴な力強さを感じるわけですよ。テレビのインタビューで、仕方ないですよって、寂しく笑ってるやつね。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
まずは文体の異様さ。
徹底的に文末は過去系。
改行にはふたつの機能があり、ひとつめは幕間のような数行、意識が集中する事物にフォーカスしたり、なんでもない描写だったり。スナップショットみたいな。
もうひとつは時間の移行。これは普通の文章作法だが。
時間が以降すると必ず、何月になった、何年経って何年何月になった、といった淡々とした記述が、徹底される。
この徹底的な恬淡さが、異様だ。
そして「わたし」が、惚れたり、惚れ直したり、昂ぶる場面でも文体は変わらないので、語られている「わたし」がまるで他人であるかのようなギャップがある。
えげつないくらいカメラに徹した文章というか。
文体だけで小説はホラーになり得る。
文体の極北。小説は異形のものになる。
題材はいつも通り、取り立てて取り上げるべきとも思われないような、細々とした物事。
その中にたったひとつだけ、何考えているんだかわからない美青年がいて、数年後に瓜二つと感じられる男との出会いがある。
劇的なのはそれだけ。それも終盤いとも容易に覆され。
ストーリーよりも語り手の異様さを、語りそのものから匂い立たせていくような、小説なのではないか。
全人類が共同して様々な文体を模索してきたが、もはやこの世の人ではないような視点を獲得して、今後人類がどういう文体や視点を獲得できるのか。
と大上段に構えてしまうくらいの、文体の偉業だ。
ところで映画は未見だが、何考えてるのかわからない美青年に東出くんは確かに合っていると思う。
映像化を拒むかのような小説だが、さてどんな映画なのか。楽しみ。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
映画館で「寝ても覚めても」という作品の予告編を観て、まず原作を読み直そうと思って、読みなおした。
《この場所の全体が雲の影に入っていた。
厚い雲の下に、街があった。海との境目は埋め立て地に工場が並び、そこから広がる街には建物がびっしり建っていた。建物の隙間に延びる道路には車が走っていて、あまりにもなめらかに動いているからスローモーションのようだった。その全体が、巨大な曇りの日だった。だけど、街を歩いている人たちにとっては、ただの曇りの日だった。
今は、雲と地面の中間にいる。
四月だった。》
《雨宿りしていたカラスが飛び立った。わたしが見上げるのよりも速いスピードで上昇し、数秒で二十メートルの高さに達した。建物から出てきた人たちが、最初に出会った人に大雨と突風のことを話す姿が、小さな黒い点のようになって、あっちにもこっちにも見えた。どこまでも埋め尽くす建物の屋根や屋上は濡れて、街の全体が水浸しになったように鈍く光っていた。
積乱雲は北へ移動し、西にはもう雲の隙間ができた。隙間はどんどん大きくなり、やがて街を越えて海まで雲のない場所が広がっていった。》
文庫本で312ページある。7ページが最初だから、305ページの小説の冒頭と結末に置かれたフレーズを引用した。二つのフレーズはあたかも描きつづけられた同じシーンのようによく似ている。
引用部分を語っているのは泉谷朝子、通称「アサちゃん・サーちゃん」。大学を出て、働き始めたばかりで、二十歳すぎだった女性が三十歳を越えるまでの十年間を一人称で語り続ける。
一人称で語るということの特徴は何か。
「私」は「私」がいない場所については語れない。主人公がいつもカメラを持っていることは象徴的かもしれない。小説の舞台で起こる出来事はすべて「私」の目と耳で体験した出来事だということだ。
こう書くと、「なんと不自由な」と思う人もいるかもしれないが、教科書でおなじみの「こころ」(教科書引用部分)も「舞姫」も「富岳百景」もすべて一人称小説だ。この国の近代文学はここから「私小説」というジャンルを生み出してきたが、柴崎はその文体を踏襲している。しかし、「私小説」ではない、語り手が一人称の「私」で、かつ、カメラを持った「私」であることが、結末に至るまで変わらないだけだ。これが、一つ目の特徴だ。
二つ目の特徴は接続詞。この主人公の「語り」には文章語として使われる「しかし」・「なぜなら」といった接続詞がほとんど使われない。接続詞は描写対象を意識が文脈として整理するためのツールだと考えると、この「私」は文字通り世界をそのまま受け入れてきたことになる。その世界とは、一つ目の特徴が示す通り、「私」が見たり、聞いたり、感じたり、考えあたりすることが出来る世界であって、決して超越的な、つまり「私」が不在であっても勝手に動きだしたり、「私」を外側からとらえて裁断したりする世界ではない。こうした世界観は幼児的だと言える。この小説の文章としての印象は実際、幼児的、子供的だ。
しかし、例えば「つまり」を使うことによって、あらかじめ世界を文脈的に理解し始めて以来、ぼくたちは何かを失ってはいないだろうか。
それにこたえる三つ目の特徴が時制だ。一つ目の引用に「今」という言葉がある。残りが、普通の過去時制で語られている中の現在形の「今」はいったいいつ、どこなのだろう。これも幼児的時制の混乱として読むことが出来ないわけではない。そうだろうか。
語り手の「今」が、歴史的現在、過去のその時である「今」とすり替わることを、作家は企んでいないだろうか。
ぼくは「ショートカット」について、「今このとき」が書かれている小説といったが、この小説では十年の歳月を「今このとき」のありさまとして描くことで、何かを越えて見せたのではないか。そこに、この作品の輝きがないだろうか。
文庫解説の豊崎由美はこういっている。
《ラスト三十ページの展開がもたらす驚きとおぞましさは超ド級。何回読み返してもそのたびに目がテンになる朝子の恐ろしいまでのエゴイストぶりは、読者をして「もう二度と恋なんてしない」と震撼させるほどの破壊力を持っているのだ。》
引用前後の文脈を読めば、どうも、褒めているらしいが、「語り」続ける朝子に対する「エゴイスト」という、評言は当たっていないし、つまらない。
「今このとき」の「私」を「私」が見えるものを手掛かりにして語り続け、支え続けようとする生き方を、ぼくは「恐ろしいエゴイズム」だとは思わない。むしろエゴイズムを越えたところにこそある、一回限りの存在のあらわさ、「私」以外の誰でもない「私」のあられもなさというものではないだろうか。
そして、それは人のありさまとして限りなく美しい。
そんなことは、気に入らなければ泣き叫ぶ赤ん坊を見ていれば、誰にだってわかることだ。
(S)
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
ストーリーに関係有る無しに変わらず、朝子が考えていること1から10まで全て書いてある所、どっぷり恋愛小説のはずなのに、恋愛に偏りすぎていない感じがする所、少女漫画だったらそこをメインに書くでしょってシーンを書いていない所が新鮮で魅力的でした。
異様な表現が出てくるたびに惹かれて、魅了するだけしといて、奇怪な締めくくりに急に突き放された感覚。
確かに読みにくいかもしれないけど、読み終わる頃にはこの読みにくさがくせになってると思います
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
見たものを描く感じとその文体が心地よい。カメラやテレビの越境は冒頭の雨から。でもちょっとそういうのが多いので疲れた。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
日経新聞の映画の書評より原作を手に取る。最終的には主人公の女性の心の揺れ動きを表現する作品になっていたようだ。なかなか把握できずに苦労した。映画では東出さんが二役ということで、彼のそのイメージが終始ついて回って、でも、適役ではなかったんじゃなかろうかと読後感じた。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
好きな男が突然目の前から姿を消したら。
そりゃ、探すわな。ちょっとしたことを必死で思い出して。
次に好きになった男はその彼に似ていた。似ているのか? 似ているように感じるのか?
好みはそう大きく変わらないということか、前の彼を忘れられないということか……。
好みはそう変わらない、かな。
映画になってるのね、知らなかった。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
なかなか読めずに積まれていた一冊。
うーん、私には、この主人公の女性の考えていることはよくわからなかったし、最後もよくかわらなかった。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
なんだかよく分からず読むのに時間がかかってしまった。
朝子も麦も何考えてるのか、考えてないのかよくわからん。関西弁の会話も馴染みがないからか、どの登場人物にも親近感がわかず、途中から苦痛だった。電車の中で読んだら頭痛くなった。
唐田エリカさんは朝子にあってるかも。
普通ぽくて、地味で、だけどなぜか彼氏が途切れなそうな。そして突拍子もない決断をしてくれそうな。