紙の本
オーストリア伯爵夫人として明治に欧州に嫁いだクーデンホーフ光子氏の結婚から亡くなるまでの貴重な手記を収録したものです!
2020/06/28 09:55
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、我が国の明治時代、オーストリア伯爵に見初められ、結婚してオーストリア伯爵夫人となったクーデンホーフ光子氏の結婚してから亡くなるまでの貴重な手記を収録した書です。クーデンホーフ光子氏は、東京牛込で生を受けた町娘でしたが、オーストリア伯爵ハインリッヒ・クーデンホーフと結婚して、欧州に渡ります。しかし、夫の急死によりわずか32歳で寡婦にあり、その後は女手ひとつで7人の子を育て上げ、「黒い瞳の伯爵夫人」と称せられた方です。同書は、「1章 さよなら東京―東京~ハイデラーバード」、「2章 パパの思い出」、「3章 ヨーロッパへ―アデン~ロンスペルク」という3部構成となって、彼女の人生が綴られます!
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光子さんの生きた時代の様子が垣間見えて面白い。船旅がしたくなるなあ。ちょっと文章が分かりづらいかな。。。
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香水の名前にすらなった、かの有名な光子さんの手記。
ほとんどが日本からヨーロッパに渡って来た船旅の思い出と夫の伯爵の思い出。
オーストリアの皇帝と謁見したただひとりの日本女性。彼女はローマ法王とも謁見した。
とりとめもない手記で、平凡な普通の生身の人間だった事がよくわかる。
でも訳文の()やクエスチョンマーク、「不明.....」というのをなんとかしてほしい。
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いわゆる伝記ではなく、光子さんの堪能ではないドイツ語の手記を訳したものなので、文章がわかりにくく、話が行ったり来たりしすぎる。訳者の推測が入り過ぎだけど、そうしないと筋が通らないぐらい。光子さんがどうとかは別として、翻訳しなければならないクオリティではない気が。
夫が若くて従順な妻である光子さんを自分好みに教育して満足していたことを、皮肉る個所がところどころあるのは、興味深い。でもちょっと「パパ自慢」に偏ってるかな。
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ゲランの大ヒット商品、香水「ミツコ」。この命名の元になった
のがクーデンホーフ光子だとの話があるとか、ないとか。本当の
ところは不明なようだが。
明治時代の東京府。骨董店を営んでいた両親の下に生まれたのが
青山みつはオーストリア・ハンガリー帝国の駐日大使だった
クーデンホーフ伯爵に見初められた。
ふたりの結婚は東京府に初めて正式に提出された国際結婚だった。
この結婚は明治天皇並びに美子皇后にも祝福された。
結婚後、2年を日本で過ごし夫の故郷であるオーストリア・ハンガ
リー帝国へ渡るのだが、伯爵は39歳の若さで急死する。
急死した夫との日本からの長い旅路や父親がどんな人であったの
かを子供たちに伝えたいとう思いから、光子が娘に後述筆記させ
たのが本書の元になる手記である。
貴重な手記なのであろう。だが、非常に読み難い。それは物書き
ではない素人の手記だというのもあるのだろう。それに加えて
文中の「不明」は致し方ないとしても「省略」ってなんだろう。
これは訳者が意図的に省いたってことでいいのだろうか。「プロ
ローグ」で訳者自身が翻訳時の苦労を綴っているが、これって
冒頭に持って来る必要はあったのだろうか。
クーデンホーフ光子という人物の大まかなプロフィールを書いて
くれた方がよかったんじゃないかな。私は多少知っていたからいい
けど、光子をまったく知らない人には多分とっつきにくいと思うわ。
伯爵との間に7人の子供をもうけ、オーストリア・ハンガリー
帝国に渡った後は二度と日本の土を踏むことのなかった光子。
あの時代、唯一の頼りだった夫を亡くして日本人女性がヨー
ロッパで生きて行くのは並大抵ではなかったろうな。
手記からは子供たちへの思いが伝わるのだが、残念ながら実際
には光子と子供たちの仲は円滑ではなかったようだけれど。