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『人間を内面から動かしている目に見えない悪意のようなもの』著者が”暗黒意識”と言うものをテーマにした三つの中編小説。
やっぱり福永さんはいいなあ。
『冥府』
死んだ青年の意識は気がついたら冥府にいた。
そこは死んだ人々の意識が存在している。
彼らは生前のことを思い出す。
死者に対して、裁判官と、7人の陪審員人が揃ったら法廷が開かれる。
あなたの生にはどんな意義があったのか?
あなたは何者なのか?
その生には死に匹敵する重みがあるのか?
それに答えられたら、本当に全ての忘却が訪れ、そして新生の権利を与えられる。
だが新生に至るためには、自分の人生を忘れるために、ただ思い出し、考えを巡らさねばならないのだ。
『深淵』
肺病を病み、療養所から出てきたときには35歳になっていた女性。経験なクリスチャンで悪い考えも悪い行いもしたことはなかった。
いつも飢えて逃げ続けている男。
二人は私立療養所の職員として出会った。男は女性を欲して看護師宿泊室に火を付けた。女性は、今まで犯したことのない罪に喜びを感じるのだった。
『夜の時間』
かつて出会い、惹かれ合い、だが離れた不破雅之と及川文枝が再会した。
二人の間には、不破の学生時代の友人奥村次郎の自殺の影があった。
奥村はある時自殺を決意した。100日間その決意を持ち続けて生き続けて、そして死ぬ。毎日近づく死に自分の精神力はどのように高められるのか。自分は運命を受け入れる者ではなく、自らが運命になるのだ。自分自身に対してだけではない。他人の中にも自分が生きた証を刻みつけて、自分が彼らに成す側になる。それは自分自身を神に近づけることになるだろう。
不破と文枝はふたりとも奥村の死は自分に責任があると思っている。その気持は二人を離れさせた。
そして数年たった今、不破は文枝の年下の友人、冴子の主治医兼婚約者として現れた。
不破と文枝の間に何かが会ったと察した冴子は、子供らしい無邪気さで二人を復縁させようとする。
知人の死の責任を不破と文枝は乗り越えられるのか。絶望の夜の時間は過ぎて、愛により始まるのか…。
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夏目漱石「こころ」を読んだばかりだったのでちょっと連想しました。ある意味傲慢に身勝手に死んだ人、その人の死の責任を感じる人。
「こころ」では友達の死因を知っているのは先生だけだったけど、この「夜の時間」では不破も文枝も奥村の自殺は自分に責任があると思っている。Kは自己完結で自殺したけれど、奥村は二人に自分の死の責任があると思わせることで、自分の人生と死とを完璧なものにしようとした。
ラストは生命の静かな力強さを感じてよかった。
不破は奥村の自殺の真相を自分なりに解釈し、文枝に告げようとする。すると文枝は「不破さんが何かを信じたならそれでいいです。内容は関係ありません。あなたが信じたなら、私もあなたを信じます」という。
冴子は、自分が焚き付けたにもかかわらず、不破を失いたくないという思いが生じる。だが二人が心を通じさせたと知ったときは強気に「私は���れが一番いいと思っていたもの」と身を引き、その目はしっかりと前を向いていた、というもの。
三部作の最後に、しっかり向き合いしっかり前に進むことにした生命の強さを感じられるこの話が来ていてよかった。