紙の本
老いること
2021/07/10 09:29
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
年を取って衰えていく時の心構えが、わかりやすくてよかったです。社会との関わり方や、社会のあり方に興味を持ちました。
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五木寛之は齢を重ねとっくに達観の域に達して面白みに欠けるのではと勝手に想像していたが、あにはからんや、経験と宗教的洞察を前提に、老いてなお、鋭い感性を持ち続けておられるにには感心した。
宗教者との互角以上の対談は、様々なエピソードや情報も引き合いに出しながら頷ける点も多い。
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五木寛之さんの本(エッセイ)は読みやすくていつも楽しく読んでます。「70歳! 人と社会の老いの作法」(2016.8)は、釈 徹宗氏(1961年生まれ、住職、大学教授、NPOリライフ代表)との対談形式だからか、わかりにくかった(面白くなかった)です。死生観、宗教観(信仰心)など難しかったです。「生きている人の寿命は延びているけど、死者の寿命はどんどん短くなっている(1周期や3回忌で終わり)」には「なるほど」でした。「~30歳、~60歳、~90歳と人生を30年単位で考える」はひとつの方法だなと思います。
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サブタイトルに老いの作法とあるが、宗教を絡めて世情に切込み著書の考えを述べた本。対談形式のまとめで読みやすい。なるほどと思うこともあり勉強になった。
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p169
死に向かっていくといえば、なかなか大っぴらに語れない問題ですが、かつて日本の農村にあった楢山行きはひとつの習慣でした。あるいは、昔、中国には、阿片窟というものがあって、ある程度の高齢になると、そこへ行って横たわり、日がな一日阿片を吸っていた。それはもう羽化登仙のなんともいえない快感の中で、朦朧としてくるというんですね。そしてそれを続けていると食欲がなくなり、やがて栄養失調死する。まさに枯れるように、生きながら極楽にいるような気になって死んでいったというんです。阿片の需要には、そういう高齢者の末期を助けることもあったようです。つまり、そこはある種の楢山だといえます。
上記は、五木寛之さんが語っている部分だが、他の本でも同じことを語っていたように記憶する。
これを語った時の五木さんの年齢は、83歳位。
どちらかというと、五木さんは、延命治療に否定的で自然死に肯定的というように思える。
p25
五木さんは、65歳で車の運転はやめた、とのこと。
どこかで読んだのだが、五木さんはけっこう車が好きだったはずなので、ちょっと気になった。
いずれにせよ、やめた理由というのは、高齢による事故が心配だったようだ。