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三浦哲郎さんご自身の家族の歴史がモチーフになっています。確か姉二人が自殺、兄二人が失踪だとか。
新潮文庫の「忍ぶ川」という短編集でご自身の身内の死を「恥」という感覚に結びつけて描かれていて、この感覚こそが想像力では絶対に補えない部分なのだろうなと思い、ショックを受けた。
今作で描かれている家庭は、東北の田舎町に住んでいる6人兄妹と父母に女中や乳母というわりかし裕福な家庭。三浦さんのご兄妹が実際どうだったのかはわからないけれど、今作では、るい、れん、ゆう、という姉妹がいて、そのうちるいとゆうは昔では白子とよばれた先天性の病気を抱えている。(アルビノというやつです)
無遠慮な視線にさらされて縮こまるように生きていたるいとゆう。しかし命を一番最初に絶ったのは、間にはさまれたれん。長男の清吾はれんの死のショックも冷めやらぬうちに恋人の苗が自分に妊娠も知らせずに中絶手術を受け、それの失敗によって命を落としてしまったことを知り、失踪。作品の最後ではるいが睡眠薬の過剰摂取により自殺し、その葬列を末子の羊吉が幼い目で見つめ、馬車に揺られるシーンが描かれている。
冒頭は逆に母が羊吉を生むために、清吾が産婆を馬車に乗せてくるところから始まります。
寂しい道で閉じられたこの作品。
白夜というのがまたなんとも効いていて、読んでいてつらくなった。
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短編を一通り読んでから、この長編を読んだので、じわじわとくる死と閉塞感がより強く味わえたような気がした。
もう一度、短編を振り返り、この長編の断片を思い出したい。
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再読です。
昭和初期の東北の呉服店の三男三女の物語。
先天性色素欠乏症(アルビノ)の長女と三女以外は
なに不自由なく暮らしていたけれど、年齢を
重ね、自分たちの世間での立ち位置を認識し、
次女は投身自殺、次女を溺愛していた長男は
失踪、アルビノの長女は服毒自殺をする。
著者はこの呉服店の三男にあたり
物語では0~4,5歳。この三男と
三女以外が細かく描かれています。
読みたいフレーズがあったので再読しました。
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北方の一家が、それぞれ悲しみや不幸に打ち勝つでも避けるでもなく、ただ耐えながら生き抜いていく語。読み終えてみると、表題に付く“旅”という単語に前向きな意味合いが含まれていない事が分かる。
大転換がある訳でもない、約700pに及ぶある種冗長にも感じるボリュームは、本作に込められた主題をよく表現している。
白夜の様な世界に耐えながら、生きる事を辞めない家族に胸を打たれる。
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三浦哲郎 「 白夜を旅する人々 」
どのシーンも「白さ」「静寂さ」が印象に残る。風景の色彩や人物の躍動感を排除することで、生きることの厳しさや人間の内面の悲しみにスポットをあてたいのかもしれない
私小説だけに、著者が小説を書く原点や決意を 綴った本だと思う。小説を書くことで、医者に治せない病気や遺伝への不安、自殺した家族の虚無感を 取り除き、自分や家族の生きる力を取り戻す というメッセージを感じる
タイトル「白夜を旅する」は 「白くて静かな世界〜生と死の境界のない静寂の世界〜を生きていく」ということであり、死んだ家族と一緒に、その世界で生きていく
ということだと思う
著者の芸術観や人生観を示す言葉がセリフに現れている
*平凡なのが、いっとう自然
*人は死ぬときにならないと、自分がしあわせだったか〜わからないものだ
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六人きょうだいのうち、二人の兄が失踪、そして二人の姉が自殺する。生きつづけたのは三姉と末弟の哲郎のみだった。
創作の初期から一貫した家族のテーマと向き合い続けた作者が、体験した当事者としてでなく、ひとりの作家として書き切った小説なのだとよくわかる。初期の作品はもっと等身大で、作中に出てくる兄弟のように、他の兄姉の死に影響されている姿が作品の中に良くも悪くも表れていた。死んだ兄姉をひとりの他者として見つめたからこそ、このような小説が生まれたのだと思う。
この作品は、三浦哲郎と思しき〈羊吉〉という男の子が生まれてから六年間にわたる話である。
公平叔父として出てきた母の弟と三浦哲郎がどんな関わりを持っていたのかが気になった。というかかならず調べる。